12月 01

Mアル・ゴア 未来を語る 世界を動かす6つに要因
本書のきっかけは答えでなく質問だった。8年前、出張先で誰かにこうたずねられた。「地球規模の変化の、原動力となっているものは何なのでしょう?」
その問いに応えるために導かれたのが6つの要因。
1・互いに深くつながり合ったグローバル経済の出現。
2・世界規模の電子網の出現。
3・影響力と主導権が西洋から東洋へ、富める国から世界中で急速に台頭しつつある新興の権力集中へ、国民国家から民間の主体へ、政治制度から市場へ移りつつある。
4・人口、都市、資源消費量など日常の出来事が如何に破壊的な結果をもたらすか見えなくなっている。
5・生命科学、遺伝子工学の革新的な技術革新が自然界に及ぼす影響。
6・人間文明の力の総和と地球の生態系のバランスの変化。
今出現しつつ未来は過去に経験したどの世界とも全く違う。
アウトソーシングとロボットソーシングルが雇用の大幅な減少を及ぼす

世界的に大成功を収めている大企業の多くはげんざい、数十カ国に広がる何百という他者とつながった複雑なクモの巣のようなサプライチェーンをもつ「仮想グローバル工場」で製品を生産している。
仕事のデジタル化など劇的な転移が二つの大きな変化を同時に引き起こしている。
1・先進工業国から、人口が多くて賃金の低い発展途上国や新興経済国への仕事のアウトソーシング。
2・人間から機械化されたプロセスやコンピュータープログラム、人工知能への仕事のロボットソーシング。

ロボットソーシングとITによるアウトソーシングへの構造的転換が起こると、労働投入量に対する資本投入量の比率が大幅に変わり、先進工業国の労働者の賃上げを要求する力が弱くなる。
未来の経済において労働力が果たす基本的な役割が疑問視されるまでになっているのもかかわらず、政策立案者には「生産性の向上で高評価を得る企業の名目上の所在地がある国で、このプロセスが雇用にどのような影響を与えるのか」の全貌が見えない場合が多い。

新興工業国や発展途上国でもロボットソーシングがますます急速に展開しており、先進工業国からつい最近アウトソーシングされた雇用の伸び率を打ち消しはじめている。

ロボットソーシングが雇用に与える影響は、「技術的なブレークスルーの結果、相互に接続された知能機械が人間にとって代わり、あらゆる種類の雇用が完全になくなってしまうプロセス」だと誤解されることがある。だが、多くの場合、ネットワーク化された知能機械がかなりの割合の雇用に取って代わる一方、残っている少数の従業員の生産性は大きく高まる。
だが、多くの企業や産業で同時進行中のこのプロセスがもたらす影響の総和は、雇用の大幅な減少をもたらす。

先進国でも、中国やインドのような新興国でも、所得の最も高い層にますます富が集中するようになっている。

興味深いことに、今や米国のほうがエジプトやチュニジアよりも格差が大きい。富の集中が大幅に進み、「上位1パーセントの人々が保有する富が下位90パーセントの人々が保有する富の合計よりも大きい。

政府借入で資金を調達して総需要を一時的に増加させるようなケインズ的な景気刺激策は、時間の経過とともに効果が薄れている。「生産量に比べて雇用がはるかに少ない経済」に移行していることが、所得の減少、そして消費と需要の減少の大きな原因である。

3D印刷の急速な開発は、100年以上前に大量生産がもたらされたものと同じくらい大きな変化を製造業に引き起こすだろうと予測できる。

アース・インク(地球株式会社)の出現と、それが生産の三要素(労働、資本、天然資源)すべてを破壊していることが原因となって、多くの人が「資本主義の危機」と呼ぶものが引き起こされてきた。

ー〜-^_^
トマ・ピケティ 21世紀の資本

1・資本収益率が産出と所得の成長率を上回るとき、資本主義は格差を生み出し、それが民主主義の基盤となる能力主義的な価値観を大幅に衰退させることになる。

2・クズネッツ曲線 工業化の初期段階に伴って自然に格差が増大する第一段階(米国ではおおむね19世紀)に続いて、急速に格差が減る時期がやってくる。これは米国では20世紀前半に始まったとされる。1953年のクズネッツの示したデータは強力な政治的武器となった。クズネッツ曲線の理論は冷戦の産物。低開発国を「自由世界の軌道にとどめる」のが狙いである。

3・富の分配史は昔からきわめて政治的で、経済メカニズムだけで還元できるものではない。特に、1910年から1950年にかけてほとんどの先進国で生じた格差の低減は、何よりも戦争の結果であり、戦争のショックに対応するため政府が対応した政策の結果である。

4・富の分配の力学をみると収斂と拡大を交互に進めるような強力なメカニズムがわかる。不安定性を拡大するような不均衡化への力が永続的に有力であり続けるのを止める、自然の自発的なプロセスなどないことが分かる。

5・格差拡大の根本的な力 r >g  
rは資本の平均年間収益率で、利潤、配当、利子、賃料などの資本から収入を、その資本の総価値で割ったもの。
gはその経済の成長率、つまり所得や産出の年間増加率。

6・相続財産を持つ人々は、資本から所得のごく一部を貯蓄するだけで、その資本を経済全体より急速に増やせる。

7・世界人口は2012年には70億に近いし、世界の産出は70兆ユーロをちょっと上回るくらいなので、世界の一人当たりの産出はほぼ一万ユーロきっかりとなる。資本の減価償却分として一割を差し引き12で割ると、一人当たり平均月額所得は760ユーロとなる。

8・世界の格差は、下は一人当たりの所得が月額150-200ユーロの地域(サブサハラ・アフリカ、インド)から上は2500-3000ユーロの地域(西欧、北米、日本)までの開きがある。つまり最高は最低の10倍から20倍高い。世界平均は中国の平均とだいたい同じで、月額600-800ユーロである。

9・「下流階級」(下位50%を定義)、「中流階級」(中位40%)、そして「上流階級」(上流10%)。大多数を構成する「人々」と、ごく少数の「エリート」あるいは「上流階級」の二つである。

10・一般的に、スーパー経営者の台頭はアングロサクソン的現象である。1980年以降、トップ百分位が国民所得に占めるシェアは、米国、イギリス、カナダ、オーストラリアで激増した。

11・経済成長率は人類の歴史の大半を通じてほぼゼロであった。年間資本収益率の長期的な中央値は4-5%である。資本収益率は常に生産・所得成長率の好きなくとも10-20倍大きかったのは避けられない事実である。

12・世界の金融資産の大部分がすでに様々なタックス・ヘブンに隠されていて、世界的な富の地理的分布の分析に限界をもたらしている。この金額は世界GDPのおよそ10%に相当する。

13・今日のグローバル世襲資本主義を、効率と公正さを両立させる形で規制するような政治制度は、資本に対する世界的な累進課税である。こうした制度や政策の確立は、かなりの国際協調を必要とする。残念ながらこの問題に対する実際の対応-これは各種のナショナリズム的な反応も含む-は、実際にははるかに慎ましく効果の薄いものとなるだろう。

14・増大する税収で、政府はますます広い社会的機能を引き受けられるようになった。国民所得の4分の1から3分の1を消費している。これはほぼ2等分できる。半分は保険医療と教育に行き、残りの半分は代替所得や移転所得で圧倒的な割合を占めるのは年金である。
財政増大は基本的には社会国家の構築を反映したものである。

15・過去をぬぐい去り資本収益率を大幅に引き下げ、資本主義の構造矛盾(r>g)が克服されたという幻想を作り出すには、二回の世界大戦が必要だった。

16・政治歴史経済学に向けて
お金やその計測、それを取り巻く事実とその歴史に、真剣な興味を抱くべきである。お金を大量に持つ人々は、必ず自分の利益をしっかり守ろうとする。最も恵まれない人の利益にかなうことなど、まずあり得ないのだ。

世界史の極意 佐藤 優 NHK出版新書

1・現下の国際情勢が、どのような歴史の積み重ねを経て成立しているのかを正確に認識し、状況を見通す必要がある。過去に起きたことのアナロジー(類比)によって、現在の出来事を考えるセンスが必要。

2・資本主義、ナショナリズム、宗教、この3点の掛け算で「新・帝国主義の時代」は動いている。その実相をアナロジカルに把握すること。

3・歴史にはドイツ語で「ゲシテヒ」と「ヒストリー」という二つの概念がある。ヒストリーは、年代順に出来事を客観的に記述する編年体のこと。
ゲシテヒは、歴史上の出来事の連鎖にはかならず意味があるというスタンスで記述がされ、啓蒙によって高みへと発展していくプロセス。

4・社会主義という目に見える脅威が存在したときは、資本主義は自国での革命を阻止するため、富裕層に集中する富を累進課税や法人税で吸い上げ、中下層に再分配していた。しかし、共産主義が崩壊し再分配の必要がなくなった。その結果、富が上位の何パーセントに集中する著しい格差が資本主義を覆っている。

5・資本主義は必然的にグローバル化を伴って、帝国主義に発展する。第一次世界大戦後の共産主義の出現は、資本主義のブレーキ役になったが、1991年のソ連崩壊によって、再び資本主義は加速し、新・帝国主義の時代が訪れている。

6・帝国主義の時代には、資本主義がグローバル化していくため、国内では貧困や格差拡大という現象が現れる。富や権力の偏在がもたらす社会不安や精神の空洞化は、社会的な結びつきを解体し、個人の孤立化をもたらす。そこで国家はナショナリズムによって人々の結合を図ることになる。

7・ナショナリズムを考えるとき、「原初主義」と「道具主義」という大きく異なる二つの考え方がある。原初主義とは、民族には根拠となる源が具体的にあるという実体主義的な考え方で、言語、血筋、地域、経済生活、宗教、文化的共通性といったものである。
それに対し道具主義とは、民族はエリートによって創られるという考え方で、国家のエリートの統治目的のために、道具としてのナショナリズムを利用するという考え。

8・イギリスにとっての憲法(1125年のマグナカルタ)は、国家も暴走に縛りをかけるという約束事でなく、理念として備わったもの、生得的な感覚に近いもの。

9・理論の魅力の虜にならず、他人の気持ちになって考えることと、他人の体験を追体験することを重視し、アナロジカルに歴史を読み解く習慣をつけることが重要である。

10・世界史で注目すべきことは、オーストリア・ハブスブルグ帝国を中心とした中東欧であり、ロシア帝国の民族問題である。

11・ハブスブルク家は、もともとはスイス北東部の弱小貴族でたいした所領も持っていなかったが、1273年に瓢箪から駒のような形で、ハブスブルク家の総領ルドルフが神聖ローマ帝国の皇帝に選ばれる。これが画期となってハブスブルク家は表舞台に登場し、1438年以降、神聖ローマ帝国の帝位は、ハブスブルク家が事実上、世襲していく。ハブスブルク家の得意技は結婚政策だった。

12・ルターに始まったカトリック教会への批判運動は、ヨーロッパ全体をカトリックとプロテスタントに分断され内戦・戦争へと発展していった。そのピークとなる戦争が1616年に始まった30年戦争である。この戦争の後、1648年に、戦後処理のための講和会議がウェストファリア条約で、プロテスタントの信仰が認められるとともに、ヨーロッパの主権国家体制が確立した。

13・キリスト教の誕生は、世界史のなかではローマの歴史と重なる。ローマの歴史はおよそ1000年間。ローマ共和政が始まる紀元前509ごろから西ローマ帝国が滅亡する476年までが古代ローマ史で、そこから中世に入る。キリスト教が成立するのは、ローマ史の折り返し地点。

14・ムハンマドの没後、イスラム教徒は、最高主導者を選ぶにあたり、ムハンマドに近い血統を重んじるシーア派とムハンマドの伝えた慣行を重んじるスンニ派が生まれた。イスラム過激派はほとんどのスンニ派のハンバリー学派に属している。こおハンバリー学派の一つにワッハーフ派がありサウジアラビアの国教はワッハーフ派である。

15・EUはなぜ生まれたのか。そも最大の目的はナショナリズムの抑制である。宗教的価値観を中心とした結びつきは、民族やナショナリズムを越えていくベクトルがある。イスラム国がEUと決定的に違うのは、イスラム国が国家や民族の枠を越えて、人を殺す思想になっていることである。

17・イスラム原理主義の暴走を食い止める方策として、ネーションが生まれるときには、共通の価値、記憶、言語、血統、領域といった事柄があり、ここにイスラム原理主義を無力化する鍵がある。

約70年前にシカゴ大学で行われたモーゲンソー教授の講義「国際政治」のエッセンスをまとめました。現代の国際情勢を解読するのに非常に役に立つと思われます。

モーゲンソー 国際政治 上 権力と平和
1・国際政治とは、他のあらゆる政治と同様に、権力闘争である。国際政治によってその目標を実現しようとするときは、結局それはいつでも権力獲得の努力によって果たされるのである。

2・政治権力は三つの源泉に由来する。すなわち、利益への期待、不利益への恐れ、人や制度への敬愛である。

3・国際政治の理論は、経験的なテストと論理的なテストを受けなければならない。理論は事実と一致し、なおかつ理論自体のなかで首尾一貫しているかどうか。

4・世界は本来、相反する利害の世界であり、利益と利益の対立する世界である。したがって道義原則が完全に実現されるということはありえないのである。諸利益を絶えず一時的に均衡させることによって、また対立をいつも不安定な形で解決することによって、せいぜいその道義現実が実現に近づけられるということにすぎない。

5・政治の法則は、人間性のなかのその根源をもつ。

6・政治的リアリズムが国際政治という風景をとおって行く場合に道案内の助けとなるおもな道標は、力によって定義される利益の概念である。

7・国際政治の本質は国内政治のそれと同じである。国内政治も国際政治もともに権力闘争である。

8・政治の基本的なパターンは、力を維持するか-、力を増大するか、力を誇示するかのいずれかである。これらに三つの典型的な国際政策が対応している。ある国家は現状維持政策を追求する。これに対し、現存の力関係を逆転させることにより、現に持っている以上の力を獲得すること-いいかえれば、対外政策によって力の状況の中で自国に有利な変更を求めること-をその対外政策の目的とする国家は、帝国主義を追求する。また現に有する力を対外政策によって誇示しようとする国家は、力の維持あるいは増大のために威信政策を追求する。

9・帝国主義の経済理論は、三つの異なった学派をとおして発展してきた。マルクス主義、自由主義、それにいみじくも帝国主義の「悪魔」理論と呼ばれてきたものがそれである。

10・マルクス主義論によれば、資本主義社会はその生産物のための十分な市場と、その資本のための十分な投資対象とをこの社会自体の内部に見出すことはできない。したがって、資本主義社会には、その余剰生産物のための市場と余剰資本の投資の機会を得るために、より大きな非資本主義的地域や、ついには資本主義地域までをも自らの支配下におこうとする傾向がある。
11・自由主義学派は、おもに帝国主義に関心を寄せているが、彼らは帝国主義を資本主義そのものの結果としてではなく、資本主義体制の内部におけるある種の不適応現象であるとみなした。自由主義学派は、マルクス主義と同様、外国市場にはけ口を求めようとする余剰商品と余剰資本が帝国主義の根源だと分析する。

12・帝国主義の悪魔理論は、軍需品製造業者(死の商人)、国際金融業者(ウォール街)など、明らかに戦争で利益を得ている幾つかの集団を同一視している。戦争の受益者は、自分自身を豊かにするために戦争を計画する「戦争屋」、「悪魔」に変身するというわけである。

13・帝国主義政策は一般には政府によって立案され、資本家はこの政策を支持するように要求されるのだと言って良い。歴史上の証拠は経済に対する政治の優位を示している。

14・帝国主義には、軍事帝国主義、経済帝国主義、文化帝国主義がある。

15・帝国主義は絶えずその正統性を立証しなければならない。東アジアの「共栄圏」という日本人のイデオロギーは人道主義的使命といった意味をおびている。アラブ帝国主義はまずアラブの膨張期を通じて宗教的義務を遂行するものだとして自らの正当化した。ナポレオンの帝国主義は、「自由、平等、博愛」の旗印の下にヨーロッパを席巻した。

16・適者生存の哲学を国際政治に適応してみた場合、この哲学は、弱者が強者の力の予定された客体であるという自然現象を、強国の弱国に対する軍事的優越という形のなかにみてとるのである。

モーベンソーの「国際政治」中のエッセンスです。

1・力を求めようとする諸国家-それぞれの国は現状を維持あるいは打破しようとしている熱望は、バランス・オブ・パワーと呼ばれる形態と、その形態の保持をめざす政策とを必然的に生みだすものである。

2・国際社会の基盤には二つの要因がある。ひとつは多様性であり、他の一つは、その構成要素である各国の対立である。

3・二千年以上もの間、朝鮮の運命は、朝鮮を支配する一国の優位、あるいはその支配をめぐって競争する二国間のバランス・オブ・パワー、のいずれかによって左右されてきたのである。

4・バランサーは、「光栄ある孤立」の地位にある。それは、自らの選択のよって孤立している。なぜならバランスの二つの秤皿は、成功のために必要な優位を獲得する目的で互いに競ってその皿に勢力を加えようとしなければならないのに対して、バランサーは、いずれの側とも永久に統合するなどということはしないからである。

5・バランス・オブ・パワーの最大の不確実性は、誰が自らの同盟者であり誰が対抗者であるかをいつも確信できるわけではないという事実のなかにある。同盟条約に基づく諸同盟は、戦争という実際の争いにおいて互いに対立し合う諸同盟と必ずしも同一ではない。

6・権力闘争に積極的に関与しているすべて国家は、バランス ・オブ・パワーではなく、彼ら自らのための力の優位を実際上目ざさなければならなくなる。実際には、予防戦争はバランス・オブ・パワーの当然の産物である。

7・集団安全保障は、完全に分権化された法執行制度の不備を克服するために、未曾有の最も偉大な試みである。集団安全保障は、国際社会の全構成国-それらの国々が特定の場合に被害を受けたかどうかを問わず-による国際法規の執行を考えているのである。

8・全面戦争を可能にする要素-つまり近代生活の機械化-は、全面戦争という手段を通じて全体支配を遂げようとする道義的な力を生み出すこともできる。現代の三大革命-道義的、政治的、技術的革命-はどれもこの要素を持っている。つまり、これら三つの革命は、互いに支え合い、強め合い、同じ方向-世界規模の戦争という方向-に作動する。

9・これら三大革命の連鎖は、三つの重要な結果をもたらした。すなわち、第一に、政治世界の中心としてのヨーロッパが永久的に衰退したこと、第二に、二つの超大国が他の国の挑戦を受けつけないほど卓越した地位にのぼったこと、そして第三に、アジアが政治上、道義上の独立要因として登場したことである。

モーゲンソーの古典的名著である「Politics among Nations(国際政治)」の上・中・下1400ページをのエッセンスを三回に分けてまとめてみました。モーゲンソーは1980年に76歳の生涯を閉じましたが、シカゴ大学等で教鞭を執り、国務省や国防省で実践的な仕事にたずさわり構築した体系的な国際政治理論書は現代の国際情勢を解読するに非常に有益だと思われます。

1・外交が自由に利用できる方法は三つある。すなわち、説得、妥協、および武力の威嚇である。武力の威嚇のみ依存する外交はいかなるものも、理性的、平和的であると称することはできない。説得と妥協にすべてを賭ける外交はいかなるものも、これまた理性的といわれるに値しない。

2・一般に大国の外交官は、自国の利益と平和の利益の両方に役立つように説得を行ったり、妥協の利益を示したり、自国の軍事力を相手側に印象づけたりする、といったことを同時にやらなければならないのである。

3・すべての政治-実際には人間のあらゆる恩恵と喜び、そしてすべての徳と慎重な行動-は、妥協と交換とに基礎づけられている。われわれは不都合を釣り合わせる。われわれはギブ・アンド・テイクをする。

4・国内社会の統合と平和は、調整と変革のテクニックを地味に,ほとんど目立たない形で日常的に操作することによって発展する。それと同じように、国際社会の究極の理想-すなわち超国家社会へ飛躍していくという理想-は、外交の伝統的手段である説得、交渉、および圧力といったテクニックを使うことのよって実現されるのである。

5・指導的な立場にある政治家の一方または他方が、国力の諸要素をひとつでも誤って評価すれば、それが平和と戦争の分かれ道をつくることになるのである。計画や力の計算を誤らせる偶然の出来事というものが、このようにその分かれ道をつくるのかもしれない。

6・現代テクノロジーによって国家に手渡された破壊手段を国家が自己より高い権威に引き渡してはじめて、つまり国家が自己の主権を放棄してはじめて、国際平和は国内平和と同様に確かなものになる。

7・世界国家が曖昧なビジョン以上のものであるためには、対立を緩和し最小限にするような、外交の調整過程が復活しなければならない。

8・戦争防止の最大のチャンスは、機を逸しないうちに問題をはっきりさせて話をつけ永続的な和解に至るようにすることである。

プリンストン大学経済学部教授で2008年にノーベル経済学賞受賞し、またニューヨークタイムズ紙のコラムニストであるポール・クルーグマン教授のマクロ経済学は読み応えがあり実践に役立ついくつかの要点をまとめてみました。

クルーグマン マクロ経済学

1・経済モデル自体を理解するだけでなく、モデルがいかに現実の世界に応用できるかを学生に理解してもらうことに重点を置いた本である。

2・マクロ経済学とは、経済全体の浮き沈みを研究対象とする経済学の一分野である。マクロ経済学の積極主義とは、景気循環を平準化するために金融・財政政策を活用することである。

3・ミクロ経済学とは、人々がどのように意思決定をし、そのような意思決定がどう相互活用するかを学ぶ経済学の一分野である。

4・マネタリズムとは、ミルトン・フリードマンと結びつけられる景気循環に関する理論で、貨幣供給量が一定率で増加すればGDPも一定率で成長すると主張する。この理論によれば、景気循環を平準化しようとする政策担当者の試みは非生産的なものということになる。

5・ケインズ経済学とは、ジョン・メイナード・ケインズが仕事から生み出された学説で、次の二つの重要な概念を強調する。総需要の変化が短期的に産出量に影響を与えることと、貨幣供給量以外の要因が景気循環を生み出すといいことである。

6・需要法則は、ある財の価格が上昇すると、他の条件が一定なら人々はその財の需要量を減らすというものである。需要曲線は右下がりである。需要の増加は需要曲線の右へシフトし、需要の減少は需要曲線の左へのシフトを引き起こす。

7・供給曲線は、人々が財・サービスをそれぞれの価格水準でどれだけ売っても良いと思うかをグラフで示すものである。供給曲線は通常右上がりである。供給曲線のシフトは、投入物価格の変化、技術の変化、期待の変化の要因によって生じる。

8・供給と需要のモデルは、市場の価格が均衡価格すなわち需要量が供給量に等しくなる価格に向かって動くという原理に基づいている。

9・クラウディング・アウトとは、財政赤字が民間の投資支出に与える負の効果のことで、政府の借り入れによって利子率が上昇するために生じる。

10・緊縮的金融政策とは、利子率を引き上げることで総需要、すなわち産出量を減少させる金融政策である。緊縮的財政政策とは、増税や政府移転支出の減少、財・サービスの政府購入の減少などによって総需要を減少させる財政政策である。

11・購買力平価とは、財・サービスのある一定のバスケットがそれぞれの国で同額になるように計算された名目為替レートのことである。

12・ 70の法則とは、時とともに成長する変数が2倍になるのにかかる時間は、70をその変数の一年間の成長率で割った値に大体等しいという公式である。

13・フィッシャー効果とは、予想インフレ率の上昇は名目利子率のみを上昇させ、予想実質利子率は変化しないという原理である。

14・ 45度線図(ケインジアン・クロス)とは、意図した総支出を表す直線と45度線との交点として所得・支出均衡を表現した図。

15・名目値とは、時間を通じた価格の変化を調整していない数値である。実質値とは、時間を通じた価格の変化を調整した数値である。

16・資金の循環フローは、家計、企業、政府、外国という4つの経済部門を、要素市場、財・サービスの市場、金融市場という3種類の市場を通じてつないでいる。企業から家計へは、要素市場を通じて、賃金、利潤、利子、賃貸料などの形で資金が流れる。政府に税金を支払い、政府移転支出を受け取った後、家計は残った所得である可処分所得を民間貯蓄と消費支出に振り分ける。

17・ AS-ADモデル 経済の動きを理解するには、総供給曲線(AS)と総需要曲線(AD)とを組み合わせる必要がある。総供給曲線とは、物価水準と総供給量(総産出量)の関係を図で表現したもの。総需要曲線とは、物価と、家計・企業・政府・外国による総需要量との関係を図で表現したもの。物価変動の資産効果と物価変動の利子率効果のために総需要曲線の傾きは負となる。

18・ヘクシャー・オリーン・モデルによれば、各国は国内に豊富にある生産要素を集約的に使う財に比較優位を持つ。

19・GDP=C+I+G+X−IM 消費+投資+政府支出+輸出−輸入を加えたもの

経済学41の巨人 古典から現代まで 日本経済新聞出版社

1・カール・マルクス
マルクス(1818-83)ドイツのライン州生まれ。法律家の父の勧めでボン大学で学ぶがヘーゲルの傾倒し、哲学と歴史への関心を深める。ライン新聞の主筆とあひてジャーナリズムの世界に身をおく。「資本論」の出発点は「労働価値論」であった。労働価値論とは、人間の社会的な労働こそ人間が消費するあらゆる財貨の「価値の実体」であるという原理のことである。マルクスはこの原理をリカードから受け継ぎ、それに基づく経済理論も基本的な枠組みもすべてリカードから受け継いだ。

2・アダム・スミス 市場メカニズムを発見
アダム・スミス(1723-90)スコットランドが生んだ現代経済学の父。経済学を社会科学として初めて体系化させた。「国富論」の中でもっとも有名な部分は、ピンの作業の特別な分業によって作業効率を大きく向上させる分業の考え方である。基本的な定理のエッセンスは、「見えざる手」である価格によってすべての経済主体の行動が「正しい方向に導かれる」ということである。

3・ジョン・メイナード・ケインズ(1883-1946)は、イギリスが生んだ20世紀最大の経済学者。ケンブリッジ大学で数学を専攻、第二次世界大戦後の世界経済体制を決めるブレトンウッズ会議でイギリス代表、「雇用・利子および貨幣の一般理論」「貨幣論」。政府が財政・金融政策を積極的に活用することにより総需要を「管理」し深刻な不況を回避する。「一般理論」の最も重要なポイントは、現実の産出量・経済の活動水準は潜在的な生産能力でなく、需要によって規定されるとする「有効需要の原理」である。
設備投資を規定するのは「マネーゲーム」とは異なるやむにやまれず衝動としての「アニマルスピリッツ」によるのである。

4・シューペンター  経済発展の本質をとらえる
シューペンター(1883-1950)は、ウィーン大学で法学と経済学を学び、オーストリア蔵相、ハーバード大学教授。資本主義の本質を追求し続け、イノベーション、創造的破壊に象徴される循環、発展理論に結実させた。企業家の創造的破壊を通じて、資本主義は発展し生産力を高めるとともに、人々に豊かさをもたらす。しかし、革新の担い手は個人から企業へと移行し、創造的破壊をおし進める資本主義のエトスが衰弱していくと考えた。資本主義の経済的成功こそが資本主義を崩壊させ、社会主義への移行をもたらすというものであった。

5・ハイエク 人間は全能でない
ハイエク(1899-1992)は、ウィーン生まれ、ウィーン大学で法学・政治学の博士号を取得し、ロンドン大学、シカゴ大学等の教授。現代社会を極めて複雑な社会と考え、様々な偶然性、不確実性が人間行為を取り巻いている結果、全体的な計画はもとより、あらゆることがあたかも機械のメカニズムのようにうまくいく「均衡」まどあり得ないと考えた。社会主義計画もだめだが、またオーソドックスな経済学のような市場均衡の考えも現代社会には妥当しない。

6.リカード  証券ブローカー出身の経済理論家
リカード(1772-1823)は、証券取引人である父の仕事を少年のころから手伝い証券の実務を学び成功した。国際分業の原理として比較生産費(比較優位)説を確立。国際収支黒字国には金が流入して通貨増大、物価上昇、輸出減少、輸入増大が起こり、また赤字国は逆のことが生じて、それぞれ国際収支の均衡が回復するメカニズムが働くと考えた。資本蓄積が進むと賃金が圧迫されて資本蓄積自体が停止する。これはリカードの長期成長モデルである。

7・マルサス  保守派経済学の源流
マルサス(1766-1834)は、イギリス生まれ、ケンブリッジ大学卒業、東インド専門学校の歴史と経済学の教授を歴任。「人口論」「経済学原理」経済成長や人口増加に、自ずから限界のあることを初めて指摘した。人口は幾何学的に増加するのに対し、食糧供給は算術級数的にしか増加しない、ゆえに過剰人口による貧困と悪徳が理想社会の実現を阻む。マルサスの人口を石油に置き換えたのが有名なローマクラブの「成長の限界」である。

8・ベンサム  功利主義と社会改革
ベンサム(1748-1832)は、富裕な弁護士の長男としてロンドンで生まれ英才教育を受け15才でオックスフォード大学を卒業。最大多数の最大幸福の原理を立法、経済、道徳、社会の分野に功利主義の考えとして提唱した。

9・パレート  完全競争とファシズムの共存
パレート(1848-1923)は、イタリア人の経済学者で、経済資源の最適配分を達成するための基本的な条件を示した概念(パレート分布)を生み出した。一般均衡理論の大きな特徴は「相互依存性」であり、消費者や生産者が各々その効用や利潤の拡大化を図るように行動すれば、一定の条件の下で、市場のすべての財・サービスの最適な需給均衡をもたらすことである。

10・マーシャル  人間の研究としての経済学
マーシャル(1842-1924)は、ロンドン生まれの経済学者、ケンブリッジ大学の教授で、ピグー、ケインズなどを門下生に持つケンブリッジ学派の創設者。マーシャルの経済学上の業績として最も有名なのは、やはり「部分均衡分析」(ある特定の市場のみを取り上げ、他の事情にして等しければという条件の下で)そも財の市場の均衡を考える分析方法による需要・供給均衡理論である。
マーシャルの定義とは、政治経済学または経済学は人生の日常の実務における人間の研究であり、人間の個人的、社会的行為のうちで、福祉の物的条件の獲得と利用に最も密接に結びついた部分を考察の対象とする。

11・ピグー  厚生経済学の体系化
ピグー(1877-1959)は、イギリス生まれケンブリッジ大学を卒業、マーシャルの後継者として31歳の若さでケンブリッジ大学の教授に就任した。利潤と技術的能率については利潤動機があるので、資本主義の方が有利といわれるが、社会主義においては、義務、責任、公共心、奉仕のどうきがあって、これが創意を刺激するのでどちらがいいかわからない。このようにピグーは両体制を比較し、「この国の運命を定めることが、著者の権力のうちにあるとするならば、著者はしばらく資本主義の一般的構造を承認し、そして徐々にこれを修正していくであろう」と述べている。

12・フィッシャー  貨幣価値の安定
フィッシャー(1867-1947)は、ニューヨーク生まれ、エール大学で数学、物理学を専攻。経済学の研究に数学的、統計的分析方法を本格的に導入し、計量経済学の創始者の一人として偉大な業績を残した。実証分析上の興味は一貫して物価(貨幣価値)の安定にあった。
新古典派の利子理論を完成した。。

13・サムエルソン 科学としての経済学
サムエルソン(1915-2009)は、アメリカ生まれ、シカゴ大学、ハーバード大学で学びMIT教授。1970年にノーベル経済学賞受賞テーマは「静態的および動態的経済理論の発展と分析水準の向上」。「混合経済体制」という言葉は、ネストセラーのサムエルソンの「経済学」に登場。その意味は「民主主義を唱える政府が課税などを通じて、所得の不平等など市場経済の欠陥を補うシステムである。純粋な意味で資本主義は現在、存在しないとした上で、国によって混合の度合いはまちまちだが、現実の世界では政府の介入が必要であると考えている。

14・フリードマン  マネタリズムの総帥
ミルトン・フリードマン(1912-2006)は、ニューヨーク生まれ、シカゴ大学教授、通貨供給量を重視するマネタリズムの総帥。1976年、消費分析、貨幣史、貨幣理論などの貢献を理由にノーベル経済学賞を受賞。フリードマンによると、大恐慌の原因はただ一つ。アメリカのFRBの金融政策の失敗にあるという。不況下で貨幣の供給を増やすべきところを逆に、引き締めた結果である。ケインズ派の不況対策が公共事業を中心に需要の拡大にあるのに対し、マネタリズムは貨幣の供給を一定のルールで増やすことを主張する。

15・ハロット  現実的課題への挑戦者 経世済民の学
ハロット(1900-78)、イギリス生まれ、オックスフォード大学卒業、ケンブリッジ大学でケインズのもとで経済学を研究した。ハロットの経済動学はケインズのマクロ経済学に、資本や労働力の増大という要素を取り入れ、経済の成長や変動の条件を明らかにした。
ハロットは一国の経済政策のインバランスは4つのケースがあると指摘する。すなわち、①不況と経済収支黒字、②インフレと経済収支赤字、③不況と赤字、④インフレと黒字、このそれぞれについての正しい対策は、①では公共投資の増大と金融緩和という拡張政策、②では引き締め政策、③では為替レートの切り下げ、④では為替レートの引き上げであるという。この主張は非常に簡明で現実的であり、現在の世界でも当てはまる。

16・トービン 代表的ケインジアン、資産選択の理論
トービン(1918-2002)は、ハーバード大学で学びエール大学教授、81年に「金融市場と財政支出、雇用、生産、価格との関係」の分析でノーベル経済学賞を受賞。トービンの最も有名な学門的業績は、資産選択理論を貨幣需要、そして金融資産の保有行動に応用し、マクロ的基礎を与えた一連の仕事である。

17・ブキャナン  公共選択学派の創始者
ブキャナン(1919-2013)は、シカゴ大学で学び、ジョージ・メーソン大学の教授。1986年にノーベル経済学賞受賞。徹底したケインズ経済学の批判者。個人の存在から超越した国家とか公共的利益はそもそも存在しない。国家の構成員は個人であり、究極的には、個人主義的な集団の概念まで行きつく。と同時に、国益あるいは公共的利益もすべて個人の行動に還元される。個人主義的民主主義がベース。議会制民主主義の下では政治家は有権者の支持を得るために予算のぶんどり合戦に血眼になり、有権者の方も国の予算をあてにするタカリの精神がはびこる。

18・ガルブレイス  資本主義の暴走を憂う
ガルブレイス(1908-2006)じゃカナダ生まれ、カリフォルニア大学バークレー校を卒業、ハーバード大学教授、ケネディ政権下でインド大使。今日の豊かな社会で必要なのは、これまで軽んじられてきた公共サービスの増加のための生産であり、経済的保障に必要な生産でなければならない。依存効果による消費需要の造出を指摘。依存効果とは、生産のための需要である。豊かな社会の欠陥は社会的不均衡であると指摘し、その理由としてして私的需要に対応する生産と投資の成長と比較して、社会的需要-公共サービス-に対応する生産と投資が不足する傾向にある。

ケース・メソッド 教授法
世界のビジネス・スクールで採用されている

エッセンスをまとめてみました。

1・何らかの「事例」について学生たちが積極的にディスカッションすることにより、興味、学習、記憶、満足、そして知識を得られるという事実。

2・学生を知能と価値を持つ人間として尊敬することが不可欠。

3・ケース・メソッド授業では、教師が教科書を使いつつ講義するオーソドックスな授業のやり方に比べ、クラスじゅうで双方向の発現がたくさんなされる。ハーバード大学で1900年代初頭に開発された教育法である。

4・学生に対し、自発的な学習意欲を喚起し、経営に関する学習と思考を刺激する。ケース・メソッドは、学生に現実問題の解決という経験の中で概念や考え方を生み出させる。

5・実践に用いる学問こそが実学なのである。

6・教育のやり方は自ら掴み取るしかない。

7・人は実行して初めて学ぶ。

8・問題を解く方法はいくらでもある。

9・講義プラス討論形式

10・事実の断片から一般的な法則を導く帰納法を使う。

11・ビジネスを成功させる方法、例えばファッションやレストランビジネスを例にあげ200人の学生と一緒に考え討論すれば自ずと新しいアイデアやヒントが生まれる。90分の講義を受けることによりスマートになる。これがケース・メソッド教授法である。

33年前に出版されたジョン・ジョン・ネイスビッツの「メガトレンド10の社会潮流が近未来決定を決定付ける!」竹村謙一訳は、現代のメガトレンドを見事に予測している名著です。

これらのメガ・トレンドは見事に的中しており、昨晩の「大阪都構想・橋下市長の限界」もトレンドの一つだと理解できる。

Megatrends

1.Industrial Society →Information Society

2.Forced Technology→High Tech/High Touch

3.National Economy→World Economy

4.Short Term→Long Term

5.Centralization→Decentralization

6.Institutional Help→Self Help

7.Representative Democracy→Participatory Democracy

8.Hierarchies→Networking

9.North→South

10.Either/Or→Multiple Option

1・現代は「括弧つきの時代」である。つまり、時代と時代の中間期であり、不安定な要素に満ち溢れた過渡期である。ところが、見方を変えれば、それは発展の好機がいたるところにある、活気にあふれた素晴らしい時代なのである。

2・農耕時代から工業化時代の移行には100年を要した。が、工業化社会から情報化社会の移行には、20年もあれば充分なのである。

3・高度な技術が導入されればされるほど、その反動として、より人間的なあたたかみのあることが流行するのである。

4・情報化時代においては、価値は労働によってではなく、知識によって生み出されることとなる。マルクスの「労働価値説」は工業化時代の初期に生み出されたものだが、いずれ「知識価値説」にとってかわることになろう。

5・一つの国が同時に農耕・工業化・情報化社会であるのは充分可能なことである。農耕社会では、人間の追求対象物は自然であった。工業化社会では、組み立てられた自然が相手であった。工業化社会でははじめて、追求対象が相互に作用し合っている人間となる。

6・全仕事の75%をロボットに奪われる。

7・新技術が社会に導入される時にはいつでも、平衡を取り戻そうとする人間的反応があり、それがすなわち「ハイ・タッチ」であって、ハイ・タッチがなければ技術は拒否される。

8・ヨガとコンピューターの不思議な共存

9・地球的に考え、地方的に行動せよ。国民経済から、相互に依存し合う、いわば「地球経済」の一部へと変化する。

10・長期的展望に立つ企業経営を行おうとする場合、まず必要なのは会社の事業内容を長期的観点から見直すことである。世界情勢の変化に応じて、その事業内容を状況に応じて適応させる「状況の法則」を適応させる必要がある。

11・産学協力という新時代を迎える。

12・教育については、高校や大学では教育は終わったものとする短期的な考え方から、生涯教育や再訓練といった長期的な考え方に変わりつつある。

13・分散化の影響としてわれわれは今、産業・文化・政治のどの領域においても偉大な指導者をもたない。必要とされるのは、もっと小さな集合体、もっと身近な隣人の中での指導者なのである。強力な指導者は民主主義によって否定されるべきであるという原則。

14・地方にかたまる諸州は、お互いの固有利益を保護するため団結すべきである。という考えに到達する。これは経済的地域主義の新しい方向であり、またグループに属する州すべてに共通した問題から派生した一種の愛国心である。

15・労働神話を崩壊させた働く女性たち。

 ビジネススクールで学ぶ101のアイデア

気になるエッセンスをまとめました。

1・シックス・ディグリー理論
1967年にアメリカのスタンレー・ミルグラム博士が発表した「共通の知り合いの連鎖を6人分繰り返していけば世界中のすべての人と間接的な知人関係が結べる」というスモールワールド現象を表現した理論。人脈は新しいビジネスの機会を生み出すのに最適な方法である。私たちがあまりよく知らない人たちは、全く異なる機会を持つネットワークに繋がっている。

2・反対することが不可能な社是、企業理念はあまり大したことを言っていない。
同業者が行っていないことを、その組織が行おうと追求することが重要。

3・その会社で働く前に、その企業文化を学ぼう
企業文化は、その企業に設けられている、企業内の行動、規範、考え方、優先事項、信条の組み合わせである。

4・一般的に、管理職は報告してくるメンバーを6人から8人以上持つべきではない。
大多数の組織においてコントロールの適した範囲は6-8人の範囲である。

5・交渉の結果に心配していない側が、交渉で強い立場を持っている。
win-winの交渉とは、包括的な戦略を用いることで、交渉の当事者たちの両者を満足させることを目指すものである。

6・短期的には、いくつかのコストが固定費で他は変動費だが、長期的にはすべてのコストが変動費である。

7・ひとつの広告には、ひとつのメッセージ

8・72のルール
金利がわかっている時に投資を2倍にするのに必要な年数を見積もるためには、単純に72を金利で割ればよい。例えば、金利が1%なら投資を倍にするのに72年かかる。金利が9%なら8年である。

9・うまい話し手は、自分が話す主題を知っているだけでなく、最初に聞き手を知ろうとする。
次の3つの鍵となる質問が、プレゼンテーションの焦点を絞る準備に役立つ。
1)聴衆は何をすでに知っているのだろうか?
2)何が彼らにとって問題なのだろうか?
3)聴衆は何を学ばなくてはいけないのだろうか?

10・プレゼンの本当の目的は出席者にパワーポイントのデータや映像を見てもらうのでなく、明瞭で、簡潔で、簡明なものを聴いてもらうことでことである。

11・ヤークス・ドッドソンの法則
ストレスが上昇するにつれて効率とパフォーマンスも上昇し、ストレスが一定レベルを超えると、その恩恵が消えてパフォーマンスが低下するという法則。

12・ホーソン研究
人間の動機付けに関する社会心理学の有名な実験。作業上の物的環境の善し悪しよりも、労働者の人間的側面と社会的動機が重要。

人気教授マイケル・サンデルの話し方とは?
ハーバード大学史上最大の履修者を誇る

丁度これから大学の講義の採点を行うにあたりサンデル教授の教授法は参考になります。エッセンスをまとめました。

1・サンデルの説く教育の定義がある。それは「最高の教育とは自分自身でいかに考えるかを学ぶことである」というものだ。
2・質問-要約-再質問
3・1対1のコミュニケーションを多人数で行う
4・対話型には原稿不要
5・原理と事例を往復させる
6・答えはいくつもある
7・どんどん反対意見を出させる
8・大きなシナリオを持って話す
9・貯ネタを100位用意しておく
10・歩きながら話す
11・自由さ、話の広がり、盛り上がり

 高知の自由民権運動の流れをくみ英国で養った外交感覚をベースに戦後の混乱期に8年間にわたり総理大臣を歴任された吉田茂。半世紀前に出版された「世界と日本」270ページのエッセンスをまとめました。
冷戦が終わるまでの吉田茂のビジョンは正しかったと考えら、戦後の復興に多いに貢献したビジョンを活かし、戦後70年のビジョンと平和構想を模索する必要があると考えます。

1・国際政治外交の舞台において、外交的感覚、あるいは国際的意識の豊かな国民は繁栄し、それを欠く国民が衰退するというのが、私の多年の持論である。

2・ケネディ大統領は、「キューバの社会的、経済的政策は結構なことである。それらの問題はいつでも交渉できる。しかし、西半球における共産主義の支配は断じて交渉の対象たり得ない」といっている。

3・ケネディ大統領は一般教書において、「アメリカ大統領の紋章の中の鷲は、右の爪にオリーブの枝を持つと共に、左の爪では矢の束をつかんでいる。私どもはその双方に対し同等の関心を払うものである」と述べていることは私の興味を引く。

4・マッカーサー元帥と我が皇室との関係については、特に忘れられぬことが多い。元帥は若かりし頃、フィリピン駐在米軍司令官だった父君アーサー・マッカーサー中将の副官として、日露戦争の観戦に随行し、我が将軍たちにも会う機会を持ったなどの関係で、日本の事情にも通じ、日本人を知ることも深かったようである。元帥が日本駐在の司令官として考えたことは、日本の降伏を円滑に実現するためには、天皇陛下のお力に頼るべきであるということであったと想像される。

5・憲法の平和条項は目的に叶ったとでもいうか、とにかく日本は侵略国、好戦国の汚名をやがて一掃することができたと私は信ずる。また、第九条第一項の戦争放棄に関しても、その後日本政府はこの条項に忠実に従い、幾多の国際紛争に直面しても、武力行使による解決を敢えてしようと試みたことはない。行使するに足る然べき武力がないからであろうが、同時にまた戦争放棄項に関する理解と尊重とが国民の間に広く浸透し、それが政府の態度に対する無言の支持となっている点も見逃してはならないと思う。

6・しかしながら、第九条第二項の軍備否定の条項は、永きに亘って堅持すべき憲法の規定としては、多かれ少なかれ問題であることはこれを認めねばなるまい。この点に関して改正意見が広く行われているのも問題の一つだし、裁判所に駐留軍違憲判断の現れたのも、そこに問題があることを意味するであろう。

7・日本に再軍備を要請して、判然と憲法九条に触れるかのような提案をしたのは、故ダレス国務長官であった。朝鮮戦争の直前で、ダレス氏はまだ国務省顧問、大統領特使の資格であったが、私はいろいろの理由を挙げてこれに反対し、最後には憲法第九条をまで持ち出してその不可を説いた。そして結局マッカーサー元帥の仲裁のような形で、辛うじてダレス氏の了承を得ることができた。

8・当時の私の意見では、第一に、現代の軍備というものは非常に巨額の費用を食うものであって、とうてい敗戦日本の堪え得るところではないというにあった。そのうえ、再軍備の背景たる国民の心理的基盤は全く失われている。また理由なき戦争に駆り立てられた国民にとって、忘れ難い戦争の傷跡が幾つも未解決のまま残っている。こうした種々の条件を考え合わせて、私としては再軍備には極めて消極的だったのである。

9・現在の私の軍備観について附記するならば、現代は孤立自衛の時代でなく、集団防衛が基本であると考える。日米共同体制は、その集団防衛の一つの形であって、日本はそれによって自国国土の安全を所期しうると同時に、本来ならば軍備のために傾注される経済力を、主として国民生活向上のために活用し得るのである。しかし、いつまでも他国の力を当てにすることは疑問であって、自らも余力の許す限り、防衛力の充実に努めなければならない。日米相互安全保障条約にいうところの防衛力の増強の努力を進めねばならぬと思うのである。

10・西欧においては西独が、極東においては日本が防共の堅塁となっているからこそ、西欧と東洋が共産勢力の侵蝕から保護されているのである。もし日本、西独などが中立に赴けば、自由陣営の共産陣営に対するバランスは破綻し、その結果東洋も西欧もたちまち共産勢力の威圧の下に置かれる恐れがある。

11・或る時期において、また或る環境において、核武装をせざるを可とすることが、政府責任者の国際感覚として一つの見識を物語る場合もあろう。国土防衛の手段たる武器の範囲を限定するなど、自らの手を縛るような道を選ぶべきであるまい。

12・わが国としては、むしろ堂々と親米一途に徹すべく、これを追随などと自ら卑屈に解すべきではない。それが自由陣営においては、はたまた全世界において、わが国の外交的比重を増大する所以である。

13・独立後のわが国では物質的復興は目覚ましいにも拘らず、精神面では敗戦以来の思想の混乱が続いており、歴史を忘れ、伝統を軽んずる風潮の著しいのにかんがみ、道義を確立し、祖国愛を培養する一端として、神宮皇学館大学を是非とも復活させたい。

世界のエリートは人前で話す力をどう身につけるか?
元 国際連合事務次長 赤坂清隆
国連外交の第一線の広報を担当された赤坂氏のスピーチのコツについての本は大変参考になります。エッセンスをまとめました。

1・日頃、人前で話すことに苦痛や劣等感を抱き、なんとか上手になりたいともがき、努力している人が多い。そのような人たちに、世界の話し上手のエリートたちも、同じような苦労をしている。

2・自分の経験や意見、感情などを人に向かって話すときには、メモを読まないというのが国際社会の鉄則。

3・話しベタの三つの原因 
第一に「自分の言葉を使って話していなかった」
第二に「話す言葉に心が通っていなかった」
第三に「他人と比較して自分を卑下したり、自信を失っていたことが多かった」

4・人前で話すコツ
第一に「自分で何を話そうとしているかを事前に明確に理解し、頭にたたきこんでおくこと」
第二に「熱意を込めてメッセージを伝えること」
第三に「他人と比較せずに、自分自身に自信をもつこと」

5・多くのアメリカ人は、聞く人が理解しているかどうかはお構いなしに、自分勝手にしゃべる。
フランス人は議論好きですが、人の言うことに耳を貸さない。
私たち日本人がお手本にすべき話し上手な国民は、断然、イギリス人。話ぶりがエレガントで、穏やかで、激することがめったにない。

6・人前で話すということに対する真摯・真剣な態度。事前の周到な準備もさることながら、自分の言葉を選ぶ上での強い責任感。

7・第二次世界大戦の当時、宰相としてイギリスを率いたチャーチルは、「永遠に残るのは言葉だけと」信じていたようで、議会演説やラジオ演説いことさら精力を傾け、結果として多くの名演説を残した。

8・チャーチルによれば「短いスピーチほど、準備に時間がかかる」

9・長い演説とは反対に、「世界でもっとも短いスピーチ」というのも話題になった。エミー賞の授賞式で最優秀女優賞を授賞したメリット・ウィーバーの「サンキュー・ソー・マッチ。行かなくちゃ、バイ」
10・話を短くすれば単純に喜ばれることが多い。

11・何をしゃべるかをメモ帳に書いて、ちゃんと準備すること。三点ほどに絞って、言いたいことを整理し考え抜けば、人前で話すことが自然と楽になる。

12・話の内容よりはプレゼンの仕方のほうが大臣という意味で、日本では「メタビアンの法則」がよく知られている。人は見た目が9割。

13・自信を示す姿勢と、聴衆とのアイコンタクトが大事。

14・個人の家での食事やパーティーに呼ばれたときの「到着するタイミング」は、国によって習慣が異なる。一般的に、だいたい時間通りに到着するのが、生真面目なドイツ人とアメリカ人。ホストがあたふたと準備にするのを考慮して、5分ほど遅れて到着するのがイギリス人。もう少し遅れるのが、フランス人とスペイン人で、さらにもっと遅れるのがブラジル人。

15・引きあげ方も国によって異なる。きちんと挨拶してから帰らないと、日本では無礼にあたるかもしれませんが、欧米の国々で開かれるレセプション出は、帰りぎわにときにあいさつせずに、黙ってそっと去るのもスマートで、問題ないとされている。この帰り方は、「ア・ラ・スイス(スイス方式)」。

16・敵をつくらないために、自分の主張したいことを他人に話させて、自分はその背後にまわるという手法もある。これはアメリカやロシアが、国際会議でよく使う手。

17・会議を成功させる四つの秘訣
一つめは、議長には「熟練かつタフな人物」
二つめは、議長は、参加者全員に信頼されることができるよう、議事の透明性を確保しなければいけない。
三つめは、議長が事務方の意見をよく聞くと、成功の確率が高まる。
四つめは、会議は失敗する可能性もあるわけですから、そうなったときの対応を前もって十分に考えておくことが大事。

18・会議での議論を闊達で意味のあるものにしようと編みだされたのが、「チャタムハウス・ルール」という会議の方法。「会議の参加者は、そこで得た情報を外部で自由に引用・公開することができるが、その発言者や他の参加者の身分および所属は秘匿しなければならない」というもの。

19・パワーポイントを操るテクニックが凄すぎて、聴衆は画面ばかりに気をとられてしまい、肝心の話のほうは聞かないというプレゼンテーションもある。
心に訴えかけるスピーチをしたいのであれば、むしろ何もない方がいいかもしれない。大学の講義などでは黒板を使うのが一番いいという人もいます。
20・落ち着いてゆっくり明瞭に話す。

21・ユーモアのあるスピーチや発言で人気のあったレーガン大統領は、あるときなど「私は大統領になるための資質をすべて備えております。第一に、抜群の記憶力。第二に、・・・えっと、何だっけ?」とやって笑わせたそうです。

22・「国連事務局では、どれくらいの人が働いているのですか」と質問されて、国連事務総長だったブトロス・ガリは、「さあ、働いているのは、きっと半分ぐらいでしょう」と、聞いた人を煙に巻いたことがあります。

今月に出版された田中修 『世界を読み解く 経済思想の授業 』(日本実業出版社、310項)のエッセンスをまとめました。

1・ケンブリッジ学派 マーシャル、ピグー、ケインズ、ロバートソン
  ①自由放任主義には明白な限界があると率直に認めている。ピグーの「厚生経済学」
  ②貨幣数量説(マネーサプライと物価水準の関係についての伝統的な学説)の一種を遺産として残した。これは、ロバートソンの投資-貯蓄に関する研究を経て、最終的にケインズの「有効需要の原理」へと発展。
  ③経済学を「果実を求める学問」としてとらえる。

2・五つの資本主義
  ①市場ベース型 アメリカをはじめとするアングロサクソン諸国
製品市場での競争力が強いため、労働市場に対する各種規制が撤廃され、労働市場の自由化が進んでいる。つまり、低賃金で短期・不安定雇用が多くなるが、その代わりに失業期間は短期で再就職が容易となる。他方で、企業の資金調達は株式市場が中心となり、忍耐強くはないが迅速に資金を供給してくれる。福祉制度は遅れている。

②アジア型 :日本、韓国
大企業中心に経済・社会が編成されており、しかも日本を例にとって言えば、系列、企業集団、業界団体、金融機関、そして政府との緊密な協調関係にある企業が、全体を主導している。製品市場も労働市場も、大企業によってある程度コントロールされており、メインバンクが長期的な融資をしてくれるので、大企業は長期的な戦略を立てることができる。また大企業が長期の雇用を保障する慣行があるので、労働者は特殊な技能を身につけることができる。

③大陸欧州型:ドイツ、フランス、オーストリア、オランダなど欧州大陸の中央部に位置する多くの国
社会保障が進んでいるグループに入っているが、次の社会民主型モデルほどではない。その代わり、社会民主型モデルよりも雇用面での保障は進んでいる。

④社会民主型:北欧諸国
貿易に依存している国が多く、対外競争の圧力が強いため、労働市場の自由度はけっこう高くなっている。しかし、その自由さを市場による調整に任せるのでなく、政府による高度な技能教育、積極的な労働市場政策、適度な雇用面での保障、高度な社会保障など、制度的な工夫によって実現しようとするのが特徴となっている。

⑤地中海(南欧型):イタリア、スペイン、ポルトガル、ギリシャ
製品市場も労働市場も規制が強く、大陸欧州型に比べて雇用面での保障は充実しているが、社会保障は劣っている。

3・1989-91年の冷戦終結・ソ連崩壊により、ソ連型の社会主義モデルの歴史的な敗北が
確定した。問題は、そのときアメリカが、これをアメリカ資本主義の勝利と錯覚してしまったことにある。おそらく、資本主義陣営が社会主義の攻勢に持ちこたえたのは、各国が、アメリカ資本主義とは異なる様々な資本主義モデルを模索したからである。ドイツの社会的市場経済、フランスの混合経済・社会的経済、日本の国家主導型の資本主義、これらはいずれも政府が市場と社会の調整に一定の役割を果たし、所得格差の拡大・貧困の増大を防いでいたのである。

4・我々は、まず社会のあり方から議論しなければならない。少子・高齢化が進むなかで、20年後にどうゆう社会を作っていくのか、国民的な議論が必要である。社会のあり方が決まれば、おのずと経済の規模とあり方、さらには市場の役割の程度が決まってくる。先に経済ありきではなく、経済が社会を規定するのでもなく、社会が経済を規定するのである。

5・それぞれの社会には、伝統、文化、倫理観が存在している。社会のあり方を考える場合、これらを再認識する必要がある。経済・社会が停滞を免れ、続けて発展していくためには、高い倫理観だけでなく、何らかの心理的な動機つけが必要である。

6・ケインズはこれを「アニマル・スピリット」、シューペンターは「企業家精神」、渋沢栄一は「士魂」と呼んだ。このような精神がたえず再生産されなければいけない。

7・日本経済・社会の活力を取り戻すためには、アニマル・スピリット、企業家精神、士魂を持つ人材の育成が必要である。これには教育の改革が重要となる。

東洋的な見方 鈴木大拙 岩波文庫 
鈴木大拙(1870-1966)は、禅文化を海外に広くしらしめた仏教学者。ニューヨークのコロンビア大学客員教授としてハーバード大学、プリンストン大学、ハワイ大学等で講義を行った。鈴木大拙の思想は現代の大学の在り方を考え、西洋を凌駕し、調和する大学を創造するのに参考になります。「東洋的見方」349項のエッセンスをまとめました。

1・すべて普遍化し、標準化するということは、個々の特性を減却し、創造欲を統制することになる。

2・知性が、欧米文化人のように、東洋では重んじられなかった。われわれ東洋人の心理は、知性発生以前、論理万能主義以前の所に向かって、その根を下ろし、その幹を培うことになった。

3・西洋では物が二つに分かれてから基礎として考え進む。東洋ではその反対で、二つに別れぬ先から踏み出す。

4・東洋では、何事も人格の完成ということに関係させているが、西洋では、科学は科学のため、芸術は芸術のためなどといって、そのものの独立性をやかましくいう。

5・西洋に科学が発達した原因は、主として人間を客観的に見て、いわゆる人情をその間に挟まぬところから来るのではないか。

6・西洋のリバティやフリーダムには、自由の義はなくて、消極性をもった束縛または牽制から解放せられるの義だけである。自由には元来政治的意義は少しもない。天地自然の原理そのものが、他から何らかの指図もなく、制裁もなく、自ら出るままの働き、これを自由というのである。

7・東洋には、昔から二つの主な思潮が流れてきた。一つは儒教的なもの、今一つは老荘的なものである。儒教的なものは、形式的・律法的・機械的方向に動かんのする。老荘的なものは、これに反して、無規律的放蕩生を帯びており、自由性・創造性に重きを置く。この二つの傾向は人間性の基本的なもので、いつの時代にも、何らかの形相で現われ出る。

8・法則・機会・必至・圧迫などという一連の思想、そうして、これと正反対の思想・・・人間・創造・自由・遊戯自在、これらが、どうゆうふうに協調していけるか、あるいは、また、どうしても協調していけぬか。

9・民主主義などを実行するには、自主の精神、独走の思想、付和雷同の排斥、いかなる責任をも辞せぬという自信と覚悟、このようなものが、是非とも必要である。

10・一口にいうと、「自然」にかえれである。乾燥した概念性のものをやめて、原始的心情に戻って「自然」と一つになりたい。自然を向こうにおいて、それと対峙するのでなくて、「自然」の中に入り込んで、一つになるというのが重要である。

11・共産主義でも資本主義でも、根本の問題は精神的自由主義にある。

12・海外の放浪も時には何の役に立つのかと思ったこともあった。が、今になって見ると、またとない経験であった。

13・要するに、東洋でも西洋でも、政治の機構は自由を主としたものでなくてはならぬ。そうしてこの自由の出処は霊性的自由である。自由とは、自らにあり、自らで考え、自らで行為し、自らで作ることである。

14・欧米人の戦争観は日本人のと違う。日本では人を戦争の主体としているが、欧米人に在りては戦争は力の抗争である。

教育学」昭和8年出版 岩波書店、長田新(1887-1961) 京都帝国大学卒業、広島文理大学学長、学制改革により広島大学が設立され退官まで教授、日本教育学会初代会長等を歴任。「教育学」359項のエッセンスをまとめました。

1・教育の実際に携わる者の為に教育学という一科学の基礎と教育活動と呼ばれるものの本質を平明に叙した著作である。

2・教育学が本質上理想主義に立つのは教育学の課題が将来の人間形成にあるからである。

3・教育活動は要するに経験的な歴史の中に論理的の理想を実現することである。此の意味に於いて教育学は歴史と倫理学との中間に位する。此処に教育学の立場・基礎若しくは方法の二重性がある。

4・教育学の全課題は要するに我々個々人が自然的環境と文化社会との中で成長することを具案的に助成するにある。教育者は此の課題を解くにあたって就中先ず精神生活の構造に着眼し、其の構造に宿る普遍的な法則性に従って自己の具案的活動を企画しなくてはならない。

5・教育の仕事はそれ自身が目的でなくれ、生命の発展に対する手段である。

6・教育学の基礎を探求して、教育学は生活の中に理念を実現することに関する科学であるという結論を得た。

7・子供の先天的な素質は後天的には自然環境と社会的環境とから受ける偶然的な影響と親の本能活動に依って発展する。

8・教育とは先立つ世代が後る世代に理念的文化財を伝達することである。

9・人類の天職は価値の実現にあるが、ただ其の価値実現の様式は各自にあって決して一様ではない。価値実現の具体的主体ともいうべき各自の個性に依って実現の様式は種々ある。

10・我々の教育活動は感性と精神との弁証法的発展に対する計画的な助成作用である。

11・文化を創造する精神の教養こそ教育活動の目的でなくてはならない。

12・現象学的方法の特色が若し対象の本質を直視し、分析し且つこれを記載するところにありとすれば、それは今我々の問題としている児童生命の本質の把握に適用されなくてはならない。

13・教育活動の本領は人間の内に働く神性の自己発展である。

桜沢如一(1893-1966) 思想家・食文化研究家。マクロビック提唱者。「世界を股にかけた信念の実践家 自由人思想の学ぶ」215項。松本幸夫 BABジャパン 1998年。桜沢は、シベリア鉄道でパリに入り、フランスのみならずアメリカからアフリカ、アジアの各地に至るまで自ら乗り込んで自由人として生きた人物である。桜沢の考えはシンプルそのものである。そのエッセンスをまとめました。

1・桜沢は自らの人生哲学を「無双原理」と称しており、そこには中国の「易」「陰陽」といった思想が底流にある。

2・新しい時代のキーワードとして「3K」が考えられる。それは、国際化・共存共栄・貢献」である。

3・宇宙の森羅万象は「陰」と「陽」から成り、そしてこの陰陽の織り成していく無限の「変化」が大自然であり、生命であり、当然私たちの人生もこの大いなる流れ、変化の中にある。

4・最高医学とは、「人生観、世界観の教育学的、生物学的、生理学的、弁証法的応用技術」を包括する。

5・自分は自由人である。仕事を楽しみの生きる。

6・健康の七大条件 1)疲れを知らない、2)よく眠る、3)ご飯がおいしい、4)いつもニコニコ、5)物忘れしない、6)思考も行動も万事スマート、7)決してウソをつかない。

7・空腹は最高のソース。現代人は「時間だから食べる」「三食食べないと身体がもたないから」というように、お腹が空かないうちに食べるようなことをしているから悪循環である。

8・食べ方としては、とにかく「かむ」ことを徹底すべきである。一口に30回かむ。

9・生き生きと毎日を生き抜く「高感度」な人間のことを「三感人間」と称している。三感というのは、「感謝、感動、感性」の三つの感をとったものである。

10・「自学自習」こそが学びの王道である。

ガンジー(1869-1948) インド独立の父、英国で弁護士の資格を取り南アフリカのダーバンで20年間、公民権運動に参加し、インドに帰国後、英国からの独立運動を指揮し、ヒンズーとイスラムの融和活動中に暗殺。

僕が南アフリカのダーバンに留学したのはガンジーの影響であり、ワシントンの住居は偶然にもインド大使館の数軒先であった。インド大使館の前にガンジーの像があり、そこにはガンジーの明言「My life is my message」と記されている。

軍事大国日本を経て、戦後は経済大国日本になった。戦後70年を経て日本の進路を描くにあたりガンジーの非暴力や永遠の真実は参考になると考えられます。

中央公論社 世界の名著 ガンジー ネルー 1967年 ガンジーの解説と自叙伝 379項もエッセンスをまとめました。

1・原子力爆弾が引き起こした最大の悲劇からひきだせる正しい教訓は、ちょうど暴力が対抗的な暴力によっては打ち被られないように、原子力爆弾も原子力爆弾の対抗によっては破壊されないということである。人類は、非暴力によってのみ、暴力から脱出しなけれなならないのである。

2・私たちの祖先は、機械の作りかたを知らなかったわけではない。ただ、もしそんな欲したら徳性を失うだろうということを知っていた。だから熟考したうえで、できる限りのことを、手や足で行うべきであると決めた。彼らは、真の幸福と健康とは、手足を正しく動かすことであると見抜いていた。

3・暴力は相手に苦痛を与え、それによって自分を堕落させるが、非暴力は自分に苦痛を与えることによって、相手の道徳的琴線にふれて相手を強くする。

4・非暴力手段は、ただたんに人を打たないというばかりでなく、他人のことを平和的に考え、他人に友愛をもって対するということであった。

5・今でこそ、文化的に言って東洋は西洋に征服されているが、もとはといえば、西洋こそその知恵を東洋からもらったのである。

6・西洋の眼鏡や原子爆弾を通じて、ものごとを習ってはいけない。西洋に与えるべきメッセージがあるとすれば、それは愛のメッセージであり、真実のメッセーである。西洋はこの知恵を待ち望んでいる。

7・わたしは、なにか新しい原理を創出したと主張するつもりはまったくない。わたしはただ、わたしのやり方で、永遠の真実なるものをわたしの生活と問題にあてはめようとしたにすぎなかった。

8・人間個人の魂は神の創造でない。それは神の一部である。人間の魂は神に依存するものであるが、しかし、神と同じく始元的なものであって、神と共存するものである。すべての人間は神と根元を一つにする。

9・ガンジーの基本的信条は、人間の能力を信ずることであった。

10・ガンジーは、なにか疑いが起きたとき、かならず自分をかえりみて、内心の声を聞こうとした。

11・日中両国のかけ橋に
あの古い国(中国)の人々は、あなたがた(日本)が自分のものとしている古典文芸の所有者であり、あなたがたの隣人です。この事実にあなたがたは誇りを感じているのではないか、とわたしは思っていました。お互いの歴史、伝統、文芸の理解は、あなたがたを友人として結びつけこそすれ、今日のように敵方に回すことはないはずでした。

12・ガンジーは日中両国の和解のために努力した。アジアの諸国が、たんなる経済的利害に動かされて世界の権力外交の道具になることなく、友好と平和の歴史の重みによって、静かに、自主的にアジアの共通の使命にめざめることを前提して発言し、行動しようとしたのである。

13・農村生活の単純さの中でのみ、真実と非暴力を実現できる。人間は必需品だけで安らぎ、満足しなければならない、ということである。

14・ガンジーは自分の行う真実探求のための実験が、自分だけでなく、すべての人々が実行できること、それが人間の存在そのものにじかにかかわっているものである。人間精神の共感性に対して不滅の信念が置かれていたからである。

15・古代から美徳として伝えられる真実というもの、善というものの証明を明示しようとして、他人の手を借りずに自分を実験台にして行ったことを忠実に記録された。

16・人間精神の同一性とその共感性を信じたガンジーは、道徳その他一般精神に関することを取り扱う方法としては、理性に訴える説法ではなく、心臓に直接訴えるような精神生活の実例を示す以外に、よいやりかたはないと思った。

17・自分で規範を示さなくては、仲間はついてくるものではない。

中曽根康弘が語る 戦後 日本外交 新潮社
2012年 663頁のエッセンスをまとめました。
10年前ブルッキングズ研究所のvisiting fellowの時に中曽根首相の事務所で30分ほど一対一でお会いする機会に恵まれました。中曽根首相は軍人のようであり首相であり世界の一流の地球人だと感銘を受けたことを今も記憶に新しいです。もうすぐ100歳を迎えられる中曽根首相のビジョンは現実的理想主義であり、参考にすべきだと思われます。

1・宇宙的地球学の見地から国家のあり方や世界観を考える

2・地球と人類の存在と意義、その将来を考え全人類的な世界を作ろうという理想

3・日本は何処へ向かっていたのか、何処へ向かうのか、先人たちが果たした事、目指した国の形、願った世界秩序、今の信念と国の行く道

4・理想と現実、理念と行動は時代によって様々に交錯する

5・共同民主主義的思想、極端な自由やナショナリスティックな性格を制御した中道的自由主義

6・冷戦下、米ソの対立を緩和しなければいけないという発想から、軍事以外に道徳が世界平和に反映させなければならいとする理想

7・日英同盟のおかげで、日本は日露戦争に勝ったし、国際的に飛躍した。今度は日米同盟で、敗戦国から立ち上がり、経済的にも復興すべきであるという思想

8・大東亜戦争は、米英に対しては普通の戦争だが、アジアに対しては侵略的要素があったと考える。アメリカについては策略でやられたところもある。しかし中国に対しては難題を吹っかけ無礼なこともやった。

9・ハーバードで演説する場合、日本的民主主義的

10・アメリカに行く前に東南アジア諸国を回ることで、対米交渉における日本の立場を強化

11・政治家の仕事は統治にある。統治とは外交、内政、経済, 教育全般にわたる政治的問題

12・モットーは、血縁・尊縁.・随縁

13・日本の立脚点は、本来アジアにある。アジアをしっかり見方につけ、そこに本拠地を作っていく努力をする

14・自主防衛五原則
憲法を守り国土防衛に徹する
外交と一体、諸国と調和を保つ
文民統制を全うする
非核三原則を維持する
日米安全保障体制をもって補完する

15・外交に自分のプリンシプルを持っていなければ政治家でない

16・外交は生き物だから、相手の状況をみて、自分の手元を熟知しながらやれるという確信を持った時に、いくら危険性が高くとも責任を持って突っ込んでみる

17・重要なのは、どの国が一番阻害要因を持ち、どの国が協力し合えるかという判断をアメリカ、ソ連、中国を交えた国際関係で選択する

18・1966年の訪米中に太平洋経済文化圏の建設についての演説 略してPEACE (Pacific Economic and Cultural Enclave)

19・現実的理想主義

20・クロス承認問題 これは日本が北朝鮮を承認する代わりに、同時に中国が韓国を承認するというもの

21・サミットは、単なる政治論議だけでなくて、人類の課題をG7のトップが話し合う場、各国の政治のオリンピック

22・アメリカとの良好な関係をまず軸にして、それを背景にアジア外交を展開していく。緊密なロン・ヤス関係がアジア外交にかなり反映した

23・日本は皇室を抱き2000年の長い歴史と伝統があるから、政治と社会の枢軸は固まっている

24・1985年の国連演説 我々の基本的哲学は、人間は宇宙の大自然の恩恵によって生まれたという考え方であり、こうした哲学への理解の増進は、今後の国際社会における普遍的価値観の創造に大きく役立つのではないかと思う、地球は一つであり、全人類は、緑の地球の上で、全生物の至福のために働き、かつ共存している

25・世界の連帯と平和の積極策を述べ、協調、連携を確認し、経済問題の処理を述べ、そして日本文化の独自性を強調し、哲学を説いた。

26・国連や国際会議のような場で話をする場合、日本人には哲学があるということ、日本的個性や日本的思想を表明しないといけない。

石原莞爾(1889-1949)、関東軍作戦参謀として満州事変を成功させた首謀者であるが、支那事変、大東亜戦争に強く反対。「世界最終戦論」などを著した軍事思想家。開戦時に立命館大学教授、立命館国防学研究所長となる。

石原莞爾  藤本治毅著 時事通信社 昭和39年初版出版
エッセンスをまとめました。

1・石原莞爾氏は、近代兵学のエポックを画した兵学の権威者であるのみならず、実戦においても青史に記さるべき名将であった。しかも石原氏は単なる軍人ではなく、日本民族の試練と苦悩に真正面から取り組んで国家民族の進路を打開しようとした経世家であり、また求道者でもあった。

2・ただ彼は職業軍人であったので、いかにせば戦争に勝利を得るかを研究したことは事実である。そのために古今東西の戦史を探求したが、その過程において彼は戦史を通じて新しい史観を確立して「戦争史」および「世界最終戦論」を著した。

3・すなわち彼は苛烈な戦争という現実と対決していた軍人の立場から、世界の平和、人類の共和への欲求を、宗教とか教育とか政治の改革によってすべて解決し得るとは考えなかった。人類は自ら作り出した究極兵器をもって戦争することによって人類自身が破滅する事態に立ち至ったとき、初めて宿命的な戦争の悪行から開放される契機をつかむことができると達観した。

4・世界最終戦についての、石原莞爾の講演(1940年3月)の一節を引用
「いまや人間の歴史の一番大きな変動期というものが来ているのです。やがて世界は一つになるのです。でありますから、私どもは今は準決勝の状態だといってよいのであります。ご覧のとおり今日におきましては、世界は見方によって四つの大きな集団になりつつあります。ソビエトの団りとヨーロッパの団りとアメリカの団りと、そうして東亜の団りとです。

5・われわれ日本の東亜の組と、あと三つの中のどこかとが準決勝に残るのであります。この準決勝の残った奴が、もう人類の歴史で未だかつてみざるほど残虐極まる大戦争をし、しかも短期間でバタバタとやってしまいます。これで、とても戦争はできないということが心からわかりまして、世界が一つになる。

6・この主張は石原の多年にわたる戦争史研究の結論であって、軍事科学的考察を基礎に、政治史の大勢、科学技術の進歩、産業革命の状態、仏教の予言の各方面から推断しての石原の確信であった。

7・最終戦争の動機については、主義の争いであるといっている。「昔の単純な人種間の戦争、宗教戦争はともかく、近代の自由主義時代にあっては、戦争の動機は経済以外には考えられない現状であるが、やがて世の中は、高度の文明により、人類は生活資材を急速に充足するようになるから、国家は戦争という多大の犠牲を払ってまで物資の取り合いせずに済む。こうして人類が経済の束縛から免れることとなれば、再びその最大なる関心は精神的方面に向けられて、すなわち戦いは、主義の戦いとなる」

8・ここでいう主義とは、東洋の徳治主義の王道と欧米の物質万能の帝国主義、権力主義の覇道である。

9・満州事変以降の石原が、支那事変、大東亜戦争に強く反対したのも、最終戦争の分析という透徹した達観に他ならなかった。

10・人類は自然に心より国家の対立と戦争の愚を悟る。かつ最終戦争により思想・信仰の統一を来たし、文明の進歩は生活資材を充足するから、人類はいつの間にやら戦争を考えなくなるであろう。

11・最終戦争以降は、その闘争心を国家間の武力闘争に用いようとする本能的衝動は自然に解消し、他の競争、すなわち平和裡に、より高い文明を建設するあらゆる競争に転換するのである。

12・すなわち農民は品種の改善に、増産に、工業者は優れた制作に、学者は新しい発見、発明に等々、その職域に応じて今日以上の熱をもって努力し、闘争的本能を満足させるのである。

13・1941年の開戦時に石原は立命館大学学長の推薦で立命館大学教授に就任。国防学の講義を担当。全くの無報酬でこの講義に一年半だけ全力を注いだのであった。

大学4年間の経済学が10時間で学べる 井堀利宏 東京大学元教授

1・経済学では、人々が自分の意思で物事を決めて、自分にとって最も合理的に利益となる行動をとることを前提に世の中の動きを予測する。

2・市場メカニズムは、うまく活用しさえすれば、そうでない社会(たとえば、かつての旧ソ連のような計画経済)よりもはるかに豊かな社会を実現できることもひとつの事実である。

3・経済学とは、「さまざまな人や組織(=経済主体。家計、企業、政府など)が市場でモノ(=財、サービス)やお金を交換しあう行動(=経済活動)を、ある仮説をもとにモデル化し、シンプルかつ理論的に説明しようとする学問」。

4・ミクロ経済学=家計、企業
ミクロ経済学は、個々の経済主体の主体的な最適化行動を前提として、ある個別の市場でどんな経済活動が行われているかを分析したり、産業の間の関連を考えたりするものである。

5・マクロ経済学=国全体
マクロ経済学では、物価、インフレーションや失業、国民総生産の決定、経済成長など国民経済全体(マクロ)の経済の動きに関心を寄せている。

6・ミクロ経済学 経済用語
・限界コスト 一単位だけ余計に財を購入するときにかかる総コストの増加分。
・限界メリット 財をひとつ買うことで得られる満足度を金銭的な大きさに直したもの。
・需要の価格弾力性 価格が1%上昇したときに需要量が何%減少するかを示したもの。
・供給の価格弾力性 価格が1%上昇したときに供給量が何%増加するかを示したもの。
・限界効用 その財の消費を増やしたとき、どれくらいの効用が増えるかを示したもの。
・完全競争市場 財の同質性、情報の完全性、多数の経済主体の存在、参入の自由という4つの条件を満たした市場。
・価格の資源配分機能 各々が私的な利益のみを追求していても資源の量も効率的な配分をもたらす、価格機能のこと。
・パレート最適 社会全体の資源が効率的に利用されている資源配分の状態。

7・ゲーム理論 ある主体(プレーヤー)が意思決定をする際に、他の主体(プレーヤー)が自分の行動にどう対応してくるか予測した上で、自分にとって最も有利となる行動を決定するというもの。お互いの戦略を前提に、双方のプレーヤーが最適な戦略を選択している状態を「ナッシュ均衡」といいい、これがゲーム理論の基本的な均衡概念。

8・ピグー課税 外部不経済を生じさせている経済主体に対して、不経済の分だけ課税することでその効果を減殺しようとする課税。ピグー課税の代表は「環境税」

9・コースの定理 政府の介入でなく民間の経済主体の自主性にまかせておくだけで市場の失敗が解決できる可能性を示したもの。

10・サムエルソンの公式 公共財の最適供給 「公共財の社会的限界便益=公共財の限界費用」政府が公共財の社会的限界便益の総和を知っていれば、最適水準まで供給することができる。

11・需要とケインズ経済学
ケインズ経済学は不況のときに有効。基本的な立場は、「需要と供給との差を調整するのは価格ではなく数量である」というもの。政府が公共投資や減税を行う。

12・有効需要の原理
A=C+I+G
財市場の総需要Aは、消費Cと投資Iと政府支出Gの合計になる

13・消費関数とは、家計における所得と消費の関係を表したもの。所得は消費とともに増加する。ただし、1万円の所得増に対して消費増は1万円より少ない。消費関数の角度は45度以下となる。

14・資本の限界生産が限界費用を上回る限り、企業は市場からの資本の借り入れを増加させたほうが得。

15・リカードの中立命題
政府支出を増税で賄うか公債発行で賄うかは、いまか先かの違いだけで、いずれ税金を負担するのは同じ。税負担の総額が変わらなければその人の長期的な可処分所得も変化しないから、家計の消費行動も変化しない。この議論は「リカードの中立命題」と呼ばれている。

16・戦後日本の経済
1955-1970 経済成長などGDPで世界第二位に
1971 ニクソンショック 1ドル360円の固定相場制廃止
1974 オイルショック 激しいインフレ
1980年代 貿易摩擦 企業の海外進出 空洞化
1990年代はじめ バブル経済の崩壊
1990年代以降 失われた20年

17・大きな政府には公共投資の拡大はマイナス
公共投資は、ある時点までは経済成長に寄与する。しかし、この点を超えると経済成長にマイナスが働く。

18・政治的景気循環論
・政治当局者は、政権の維持のみ関心がある。
・彼らは、失業率とインフレの関係(フィリップ曲線 インフレを起こせば失業は減らせることができる)を利用できる。
・有権者は政治家にだまされる。

19・政府の信頼性
マクロ経済政策が有効であるためのは、民間の経済主体が政府の行動を信頼する必要がある。民間部門が不信感を持っていれば、家計の消費や企業の投資は刺激されない。たとえ一時的に減税しても、将来に逆の増税が行われると民間部門が予測していれば、減税の効果はその分限定さる。恒久的に減税が行われるという信頼感を民間部門にもってもらうことが重要。政府は無駄な歳出を削減し、減税が恒久的に可能であることを示す必要がある。

世界で生きる力  マーク・ガーソン 英治出版 314項 2010年
エッセンスをまとめました。
1・遺伝的、身体的、社会的、経済的、生態学的、技術的、政治的、宗教的に-私たちは間違いなくグローバルである。

2・グローバル人材に求められる4つの力
・直視する力
・学ぶ力
・連帯する力
・助け合う力

3・現実を認識すること。自分の観点をおしつけようとするのでなく、視点を内側にむけ、自分のものの見方が自分の文化によっていかに理解不能な方法で形作られてきたかということを認識することが重要。

4・教育とは、事象間の隠れたつながりを読み取ることができる能力である。

5・対立する視点を統合させる方法を学ぶ 共通点を見出す

6・対話とは自分の意見を曲げ、あるいは好戦的で極端な戦略を捨てるという意味ではない。自分の仮説に疑問を抱き、他人の真実を受け入れる用意があるというもの意味を持つのだ。弁証法の活用

7・多様な人々のグループが、人類の直面する複雑な問題に対して思考や心を開くと、しばしば驚くべき化学反応が起こる。

8・連帯を可能とする能力 
・可能性を広げる質問を投げかける
・自分や他人を人間として形作っている複数のアイデンティティを直視する
・好ましいものでなくとも、他者の言葉に真摯に耳を傾ける
・相手を判断するのではなく、共通点を見出すためのコミュニケーション転換ツールを活用する
・敵対する相手と対面し、意見を聞く自制心を持つ
・不当な行為に対して復讐ではなく和解を模索する。

9・世界規模の問題に目を向ける
・貧困の削減
・環境の保全
・平和の構築、紛争の抑止、テロとの戦い
・水不足の解決
・国際機関の強化
・教育機会の拡大
・世界的伝染病の撲滅
・自然災害の防止と緩和

10・利益と価値の両方を考える

11・遠近両方に旅する

12・地球規模でのインテリジェンスを鍛える グローバル・インテリジェンスをを高める

アルフレッド•アドラー 『人生に革命が起きる100の言葉』小倉広  ダイアモンド社 2014年 
エッセンスをまとめました。
1・オーストリアのウィーン郊外に生まれたアルフレッド•アドラー(1870年〜1937年)ほど、現代の心理学に多大な貢献を残しながらも、無名である巨人は他にいないでしょう。アドラー心理学は「人間性心理学の源流」と呼ばれている。

2・経営コンサルタントの大前研一氏はコラムの中で「じつは私も典型的なアドラー派である。どのくらいアドラー派かというと、人生で『私にはできない』と思ったことはない」と述べている。

3・人生は困難なのではない。あなたが人生を困難にしているのだ。人生は、きわめてシンプルである。

4・遺伝や育った環境は単なる「材料」でしかない。その材料を使って住みにくい家を建てるか、住みやすい家を建てるかは、あなた自身が決めればいい。

5・人は未来への「目的」により行動を自分で決めているのだ。だから、自分の意思でいつでも自分を変えることができる。

6・過去と他人は変えられない。しかし、今ここから始まる未来と自分は変えられる。

7・世話好きな人は、単に優しい人なのではない。相手を自分に依存させ、自分が重要な人物であることを実感したいのだ。

8・最も重要な問いは「どこから?」ではなく「どこに向かって?」である。

9・意識と無意識は矛盾しているように見える場合でさえも、同じ目的に向かって統一的に相互に補うように働いている。

10・ライフスタイルとは、人生の設計図であり、人生という舞台の脚本である。ライフスタイルが変われば、人生がガラリと変わるだろう。

11・アドラー心理学では、仕事•交友•愛の3つの問題のいずれかに分類できない人生の問題はない。

12・性格(ライフスタイル)は人生の脚本であり、地図です。人は幼少期10歳位までに完成されたこのシナリオと地図を使って、生涯にわたって同じ思考•感情•行動のパターンを取り続けるのです。

13・人は失敗を通じてしか学ばない。失敗を経験させ、自ら「変わろう」と決断するのを見守るのだ。
14・教育とは相手が一人で課題を解決できるようにすることです。

15・大切なことは「共感」することだ。「共感」とは、相手の目で見、相手の耳で聞き、相手の心で感じることである。

16・楽観的であれ。過去を悔やむのでなく、未来を不安視するのでもなく、今現在の「ここ」だけを見るのだ。

17・陰口を言われても、嫌われても、あなたが気にすることはない。「相手があなたをどう感じるか」は相手の課題なのだから。

世界中のエリートの働き方を一冊にまとめてみた』ムーギー•キム 東洋経済新報社 2013年、286項
エッセンスをまとめました。

1・部下の使い方がうまい人の共通点
①部下の認知欲を満たして安心させ
②部下の成長を願っていることを言動で示して信頼を勝ち取り
③「役職上の権力」ではなく「人と人との信頼関係」で部下を動かし
④無駄な仕事をつくらず部下の仕事を減らし
⑤部下が失敗したときには盾になって守り
⑥自分の人脈やノウハウを積極的に部下とシェアする

2・賢く強いことよりも、環境の変化に適応することが競争の勝敗を分ける。

3・問題を構造的に把握し、根本的に解決する。

4・根本的な解決策に必要な3ステップ
①バラバラに存在している問題をすべて洗い出し
②これに問題点の優先順位をつけ
③問題同士を因果関係などの線で結び、原因の仕組みを把握する

5・表情や声の質、腕の位置や服装などで親近感や信頼感が大きく変わる。

6・どんな場合でも10分前に着く。

7・プレゼン資料は数ページにまとめる。分厚い資料は何ら魔法を起こさない。

8・プレゼンする前に「どうしても伝えたいメッセージは何か」を意識する。

9・知的に深く刺激的な話をする素養を磨く。

10・出世の基本は「好き」を仕事にすること。

が世界を周りながら多角的な経験を通じ習得したことは弁証法そのものでした。この本は20年前に著者からもらった本で改めて読み返しますと明確かつシンプルにヘーゲルの弁証法をまとめたものだと思われます。エッセンスをまとめました。

『方法論としてのヘーゲル哲学』 中埜肇 + 東北アジア問題研究所 1996年 213項

1・現実を概念的に把握することこそ哲学の使命である。

2・ヘーゲルは1770年にドイツのシュツットガルトに生まれ、ベルリン大学の総長を経て1831年、61歳でコレラで亡くなった。

3・ヘーゲル哲学は、論理学と自然哲学と精神哲学の哲学構成がある。ヘーゲルは三といういう数字が好きで弁証法でも正•反•合とか、定立•反定立•総合とかのトライアングルの思考が用いられている。

4・世界史というものは、客観精神の最高段階である世界精神の弁証法的な発展によって形成されていくという歴史哲学である。

5・ヘーゲルはたいへん強い学問的な野心を持った人物であった。「古代から自分に至るまでの哲学は、いわば全部自分の哲学のためにあり、したがってすべての哲学は自分の中に否定されながら吸収されている」。自分以前の哲学は、全部自分の哲学の中にアウフヘーベン(止揚)されているという強い意識があった。

6・ヘーゲルによれば、真理は直観によって得られるものでなく、地道に着実な概念的な思考によって、つまり深く考えることによってのみ達せられる。

7・ヘーゲルの基本的な考えは、すべてのものを運動の中に捉える。真理もけっして固定したものでなく、運動し発展すると考えた。

8・弁証法の原理とは、すべてのものは否定を通って発展していくことになり、要するに否定による発展と運動の論理である。

9・最初は自分で思いこんでいるものを真理だと思っている。しかしやがてその真理、思い込みの真理が挫折して、客観的な真理が出てくる。一層高次の真理が出てくるのである。

10・矛盾を活用した真理の発展が弁証法である。

11・ヘーゲルは、全と個とが常に媒介し合っていると考えた。個は全のためにあると同時に、全も個のためにあり、この相互作用がなければへヘーゲル哲学は首尾一貫しない。

12・ヘーゲルの弁証法では、発展が結局もとに還ってくることになり、つまり円を成し、サイクルをつくってはじめに還るということになる。弁証法というものの最高点は原点に戻るということである。

13・ヘーゲル哲学は、闘争の論理ではなく、和解にもとづく協調と発展のための論理的方法である。

14・東北アジアの諸国市民は、相異なる社会秩序や国民感情をもって、分裂を深めているが、この分裂と対峙は厳しい歴史的背景をもって形成されたものである。いま東北アジアの諸国民と民族に求められているものは、なによりもまず自己の国民感情や価値観を、相互に相対化しうる哲学的方法論を模索することにある。

本物の教養  人生を面白くする 出口治明 幻冬社新書 2015年 261項
エッセンスをまとめました。

1・教養とは、人生におけるワクワクすること、面白いことや、楽しいことを増やすためのツールです。

2・自分の頭で考え、自分の言葉で自分の意見を表明できるようになるために勉強する。

3・教養とは、人生のPDCA(Plan➡Do➡Check➡Act)サイクルを動かすためのツール。

4・さまざまな相手を惹きつける「面白さ」「人間的魅力」、自分の頭で考える力など教養の力を全開することが切実に必要。

5・「タテ」は時間軸、歴史軸、「ヨコ」は空間軸、世界軸。

6・物事の本質は、たいていシンプルなロジックでとらえることができる。

7・数字、ファクト、ロジックが大事。

8・教養の源として「本・人・旅」

9・社会問題や時事問題は、表面的な「枝葉」に目を奪われず、「幹」や「森」の部分で本質をとらえるように努めれば、何事もよく理解できる。本質をとらえるときの第一の着眼点は「動機」である。

10・「本音」と「建前」を見分けること。現代社会では何事であれ大義名分が必要だから、表に出てくるのは建前ばかりである。しかし、建前の裏には必ず本音が潜んでいる。

内観外望 新渡戸稲造 1932年出版 実業之日本社 396項
武士道を英語で出版、国際連盟のナンバー2を歴任した新渡戸稲造の早稲田大学での講演のエッセンスをまとめました。

1・教育とは学校で習ったことを悉く忘れた、その後に残っているものをいう。
2・学説というものは、はっきりしているようであって、その実は灰色である。新しいような古いものである。
3・今日の東洋は西洋から知識を得ている。その西洋の知識の淵源を遡って行ったならば、恐らくプラトンかソクラテスというところであろう。
4・自由とは他人の自由を妨げない程度において、己の好きなことをすること。
5・政治というものは、人間の持っているものをそのままアクセプトする。人間とはこんなものだ、人間はこうゆう弱点を持っているものであると、事実をそのまま見て、それに相応な政治をするところに、初めて政治は成功するのである。
6・思想は生き物である。思想は思想を持って戦わねばならぬ。
7・実世界においては、空気もあれば引力もある。そのありのままの有様において、どれほど応用できるものであろうか、それを判断するのは、理論や学理というよりは、むしろ常識でありはせぬか。
8・ユニーバーサル・プリンシプル、天下宇宙の公道である。
9・すべて日本の歴史的の根底を尊敬しなければいけない。
10・ヒストリー・メーター、歴史を計る学問。
11・大嘗祭に行はるべきものは南洋にあるものと、いろいろな点において類似している。結局、日本人は南洋からきたものであろう。
12・玄人はとかく先例を追いたがる。新しい思想がでない。自分のオリジナリティーを出してやるから有事の時は却って素人の外交官がよい。
13・デモクラシーは、専門家の政治でない。国民一般の政治である。
14・政治は専門でできるものではない。高いところから、或いは横から岡目八目で、ポリティカル・スピリットを持ってやらなければ、内地外交共に進歩の途はないものである。
15・武士の心がけをもって、実業につく人間を養成したい。

大世界史』現代を生きぬく最強の教科書 池上彰・佐藤優 文藝春秋 2015 254項

出版されたばかりの『大世界史』のエッセンスをまとめました。

1・歴史を振り返ると、かつてのゲルマン民族大移動をはじめ、数々の民族大移動を繰り返して、現代のヨーロッパの民族構成が形成された。いまや、その現代版が始まっている。欧州の今を見ると、そんな歴史的事実を想起してしまう。

2・過去の反省から歴史を学び、歴史は現代と関連づけて理解することが重要。

3・歴史を知ることは自分を知ることである。

4・人類は、第二次大戦後の「冷戦期」を経て「ポスト冷戦期」の時代を生きてきたが、1989年から続いた、その「ポスト冷戦期」も四半世紀が経過して、一つの終わりを告げているかもしれない。

5・人類史が始まって以来、中東こそ、常に「世界史大転換の震源地」であった。ここに端を発した変動が、その後に全世界に大きな影響を与える。

6・イスラエルの参謀本部諜報局が中東の情報報告を首相にあげたが、その結論は「 分析不可能」であった。

7・イスラエル情報機関の元幹部は、現状について、四つのポイントを指摘している。
①イラク情勢の変化(アメリカの影響が決定的に弱くなり、アメリカの占領時代は終わった)。
②「アラブの春」以降の社会構造の変化。
③過激なイスラム主義の急速な台頭。
④「イスラム国」やアルカイダとは異なるテロ組織の急増。
要するに中東では国家、もしくは政府という枠が機能しなくなっている。

8・中東を俯瞰すると四つの勢力に分けられる。
①サウジアラビア、湾岸諸国、ヨルダンなど、アラビア語を使うスンニ派のアラブ諸国。
②ペルシャ語を話すシーア派のイラン。
③アラビア語を話すシーア派のアラブ人。
④スンニ派だが、トルコ語を話し、民族意識も強いトルコ。

9・国には、膨張志向の国と収縮志向の国がある。

10・いまの中国を理解するには、宋の「グローバリゼーション論」よりも、明の「帝国主義論」で見るべきである。
11・高句麗(紀元前37〜668)の捉え方でも、韓国は朝鮮の歴史と考えるけれども、中国は高句麗は中国の地方政権にすぎないと考える。

12・歴史は繰り返す。現在のさまざまな対立は、いずれも、過去に関わりを持っている。第一次大戦から約100年。ヨーロッパが再び、火薬庫になる可能性も否定できない。

13・そもそもアメリカにとって、戦争は、一種の公共事業のようなところがある。定期的に行う必要がある。そろそろ、その周期が来ている感じがある。

14・エリートというのは、地域でのエリート、国政でのエリート、経済のエリート、文化のエリートというように、さまざまな形態がある。エリートは、本来、偏差値競争の枠で考えてはいけない。

15・ヨーロッパの大学では、リベラルアーツと呼ばれる七科目(文法、修辞学、論理学、算術、幾何学、天文学、音楽)が学問の基本だとされた。リベラル(自由)・アーツ(技芸)で、「人を自由にする学問」。こうゆう教養を身に付ければ、偏見や束縛から逃れて、自由な発想や思考を展開できる、という考え方。

16・現代のリベラル・アーツとして、「宗教」「宇宙」「人類の旅路」「人間と病気」「経済学」「歴史」「日本と日本人」も七つが重要。

17・日本と世界に貢献できる人材の育成。

18・日本の視座から世界を見、また世界各地の視座から日本を見え、さらに世界全体を鳥瞰することが重要。

19・歴史だけでなく、哲学、思想、文化、政治、軍事、科学技術、宗教などを含めた体系知、包括知としての大世界史を習得することが重要である。

緒方貞子 回顧録』 納家政嗣 野林健 岩波書店 2015年 309項

エッセンスをまとめました。

1・とりあえず現場に飛び込んでみるというフットワークの軽さ、楽天性が大いに助けになっていたように思う。
2・新しい行動の多くは、実は現場の知恵から生まれた。
3・職員に現場に出ることを促し、何が必要とされているのかを直接掘り起こすことで、
迅速な紛争予防、紛争状態からの脱却、コミュニティ再建の活動に手をつけた。
4・リチャード・スナイダーの外交政策決定過程論: さまざまな政治的、組織的、心理的属性を持つアクターたちが、一定の内外環境の制約のもとで、相互影響しあいながら政策を選択していく過程(プロセス)とその結果(アウトカム)との関係に焦点をあてた分析枠組み。
5・従来の政治制度論や圧力団体が政治を動かす荒削りは政治過程論ではなく、心理学や社会心理学、行動科学の最新の知見を活用して政策決定のダイナニズムを分析する。
6・ある政策が生まれるときの国内外の環境、決定過程、結果との相互連関がモデル化されていて、政策決定の全体像を把握するのに役に立った。
7・満州事変においては、軍の行動の根には単に軍事的な拡張主義という側面だけでなく、富の不均衡を是正するという社会主義的な考えが入り込んでいた。
8・大正デモクラシーや左翼思想から、軍も影響を受けていた。
9・結局、ビジョンと工程表と軍事力を有する勢力だけが事態を動かすことができた。
10・満州事変の政策決定の最も顕著な特徴は、一言にいえば、公式の権威に対する反抗、あるいは挑戦ということである。
11・満州事変以降に残されたものは、合理的で、一貫した外交政策を実施することのできない「無責任な体制」だけだった。
12・責任ある体制というのは、下からの突き上げをうまくすくいあげながら、新しい政策を出していって、全体の統合をはかっていくもの。
13・事実を実証的に突き詰めるというよりも、政治学の枠組みをつかって分析したり解釈することに面白みを感じる。
14・分析の焦点を政策決定過程に合わせた。
15・中国問題については軍事的な侵略は否定していますが、経済的な進出は積極的に主張したい。経済進出にとどめて軍事侵略を否定すれば、国際的衝突は避けられるというのが基本的な考え。
16・個々には優れた判断をした政治家、言論人、学者はいたのですが、結局、彼らは組織化されなかった。
17・政治家が軍部にかなわなかった最大の理由は日本の自由主義者はナショナル・リベラリストだったから。
18・国際秩序のためにはときには国家的要求を厳しく抑制しなくてはならない。
19・一般的に、リベラリストの発言はパンチがきかず、形にならないことが多かった。
20・資料を積み上げて実証研究をするというよりは、ステップをたどってどのようにして政策にたどりつくかを検証することに興味があった。
21・日本は米中が自分たちの頭越しに関係を結ぶのを非常に恐れていた。アメリカとの関係を壊すことを懸念して自分からは動けなかった。実際、ニクソンがそうしたときに、文字通りショックを受けて、政府は対中関係の正常化を急いだ。
22・戦略的思考なしの外交はありえない。
23・たとえば中国とソ連を戦わせて、日本に有利な勢力均衡を模索するというような大胆なことは考えようとしなかった。ニクソン・ショックが日本に自立的な外交を考えさせる契機になったことは間違いない。
24・状況を変えるという発想ではなく、状況がこうなったからどうするか、という発想。
25・実務と研究を分けて考えるのはナンセンス。
26・実務をするようになって、物事を動かそうとするときに、政策決定過程論の思考方法が本当に役立った。誰がどのぐらいの力を持っていて、何を主張しているのか、どのような力学が働いているのか、それらを見極めて初めて、人や組織にうまく働きかけることができる。
27・決断するために直感は大事。ただし年季を積まないと直感は磨かれない。スピードと質のせめぎ合い。両者のバランスが決断の要諦だと思う。
28・抽象的な概念から議論するよりも、目の前の状況にどう対応するかという現実を起点とする発想の行動家。
29・所得が下がると紛争のリスクは増えるという関係があるので、開発と安全は一体として取り組まないてはいけなくなっていた。
30・人間の安全保障には、最初から二つのアプローチがあった。紛争を背景にした人々を暴力から「保護(プロテクション)」することに力点を置くUNHCRなどの人道支援系のアプローチと、貧困を背景にした人々の「開発・能力向上」を重視するUNDP系のアプローチ。
31・人間の安全保障の幅が広くて、経済安全保障から、食糧、健康、環境、人間、コミュニティ、政治的安全保障まで七つの安全保障が挙げらる。平和の確保と開発は一方だけでは実現することはできない。
32・人間の安全保障の具体的な議論は、ブルッキングス研究所に依頼した。報告書では「必要に基づいたアプローチ」の重要性が述べられている。
33・プラグマティックな対応を優先するソフト・アプローチ。
34・人間の安全保障というのは、現地の具体的な状況に応じて、コミュニティの問題解決法を生かしながら多様な手を打つこと。多種多様な方策をローカル、ナショナル、グローバルというレベルを包括的に、シームレスに行うことが重要。
35・保護と能力向上の片方だけ実行するのではなく、両方を一体的に強化すること、つまり統治と自治が出会うことで、初めて「人間の安全保障」は実現可能と なる。
36・人間の安全保障というソフトなアプローチが、冷戦後の試行錯誤、紆余曲折した議論の中でわれわれが手にした唯一の成果ではなかったかと思う。われわれは交渉や妥協に基づく、もっと巧妙な解決やパートナーシップを導くいろいろなツールを探ってゆくしかない。
37・国と国の戦争のために軍事力を使う時代は終わった。人々を守るためにのみ使うのがこれからの軍事のあり方である。
38・ナショナリズムというのは、一度過激になると、手がつけられなくなるものである。火遊びは絶対にしてはいけない。一般民衆の間でナショナリズムが燃え盛ると、外交で処理するのが難しい時代になっている。
39・国と国との関係は、国家のレベルだけではない。地方自治体や企業、大学、NGO、学生や市民など、政府機関以外のさまざまなパートナーが交流していくことが大事である。40・日本と中国の両国が、何か共通の課題に取り組みながら、国際社会に関与(エンゲージ)していけばよい。
41・いまの日本がすべきことは、自分たちの立っている位置を認識し、どこへ向かって進んでいくべきか、どのような社会の構築を目指すかについて、はっきりしたビジョンを持つことである。
42・日本はまず足元を固めることから始めなくてはいけない。そのために何が必要かといえば、それは多様性、英語で言えばダイバーシティだと思う。世界は多様性に基づく場所だということを心底から受けとめ、自らも多様性を備えた社会に成長していくことだと思う。創造性とか社会改革の力はいずれも多様性の中からしか生まれようがないのですから。43・より広がりのある視野を持とうとする好奇心、異なる存在を受容する寛容、対話を重ね自らを省みる柔軟性、氾濫する情報をより分ける判断力、そうした力の総体こそが求められている。これからの日本に本当に必要な力はそうしたものである。
44・日本のみが孤立して暮らしていけることはない。
45・国を開き、多様性をそなえ、高い能力を持って外との関係を築くこと、そして国際的な責務を果たすこと。これなくして、日本に明るい展望は望めません。そうした方針を積極的に打ち出し、果敢に行動すべきです。このまま孤島に閉じこもる道などありえないのです。

1915年に設立された「財団法人 南洋協会」に関する文献
京都府立総合資料館にあるこれらの書物は、京都知事を歴任された蜷川虎三氏の旧蔵図書の寄贈である。
『大南洋圏』南洋協会 昭和16年 458項
『南方圏の経済的価値』南洋協会 編者 緒方正 昭和16年 788項
『南方鉄産資源』南洋協会 昭和15年 679項
『南洋の華僑』南洋協会 昭和15年 362項
『南洋年鑑』南洋協会 昭和12年 1707項
エッセンスをまとめました。

1・南洋の面積は日本の10倍。
2・熱帯を支配するものは、世界を支配するという。
3・支那事変の進展は、大陸経済に対して多大の物資を要するために、南洋の資源を渇望すること非常である。
4・来るべき大戦後の世界に於いて、欧州の新秩序、ブロック経済等に対応して東南アジアの広域経済圏を建設することは、今後の目標でなければならぬ。
5・南洋がやや明瞭に日本人の眼に入ってきたのが日露戦争前後になる。
6・南洋の近代史は、結局これを巡るオランダ、スペイン、英国、フランス、ドイツ、アメリカ各国の領土拡張の歴史である。
7・南洋に於ける原住民族は大体にアニミズム又は自然崇拝であった。外来人の影響によって新興宗教やキリスト教が移入された。
8・ブロック経済主義が指導圏の独占資本的支配の下に行われる場合には、ブロック内部の諸国の関係は相互に完全な共存共栄的なものになることが出来ず、ブロックの盟主を中心とし、植民地、半植民地的な関係を構成し、盟主の利益本位の経済計画が設定される。
9・他の隷属国はその犠牲となり搾取されることが免れ得ない。
10・ドイツ、イタリアは欧州において新秩序を建設せんとしている。日本は大東亜の地域に於いて、アジア本来の姿に基づく新秩序も建設を行っている。
11・そもそも世界歴史の現段階に於いて、直ちに世界を一単位とする組織の完成を期待することはできないので、世界の諸民族が数個の共存共栄圏を形成することは必然の勢いである。
12・孫文一派に援助と保護を與へて支那革命を成就せしめたのは全く華僑の力であって、そんぶんをして「佳境は革命の母なり」とさえ叫ばしめた。

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