4月 14

龍谷大学経済学部教授 竹中正治

その3:所得格差と政治的な分断の深刻化

 前回まで2回に分けて既存先進国、特に米国を念頭において所得格差の要因を整理した。今回は米国や欧州で顕著な国内の政治的な分断の深刻化と所得格差問題の関係について考えてみよう。

 政治的な分断の深まりについては、筆者が知る限り、米国では2000年代前半頃から指摘されていることだ。最近の調査では、例えば米国ピュー・リサーチ・センターの調査によると、民主党支持者の44%、共和党支持者の45%がそれぞれ相手の政党に「とても好ましくない」感情を持つと答え、その反感の度合いはともに1994年の2倍以上に上昇したという(末尾引用文献参照)。

クルーグマンが語る米国政治史最大の謎

 しかし所得格差はそれがストレートに政治に反映されるならば、一部の富裕層、超富裕層とそれ以外の多数派の対立を生むはずである。ところがそうはならずに、米国では中道的な意見層が減少し、左右二極化の形でほぼ5分5分の分断が生じているのはなぜだろうか。

 この点で米国のリベラル派を代表する経済学者であるポール・クルーグマンの主張が、その著作「格差はつくられた(TheConscienceofaLiberal)」(早川書房、2008年)にまとめられている。クルーグマンにとって米国の現代政治史上の最大の謎は、共和党がその富裕層とビッグビジネス優先の政策にもかかわらず、大衆的な支持を、しかも富裕でもなんでもない層の支持まで獲得、維持することに成功してきたことだ。

 まず技術革新やグローバリゼーションと経済格差の関係については、従来は同氏も「技術革新&グローバリゼーション⇒所得格差拡大」という因果関係をある程度受け入れていた。ところが、実は逆ではないかと考えるに至ったという。つまり共和党がより先鋭に保守化した結果生じた「党派主義という政治的な変化こそが経済的な不平等と格差の大きな要因なのではないか。」(10ページ)

 その結果実現した政策が、例えば1980年代のレーガン政権や2000年代のブッシュ政権による富裕層優遇の大減税や所得税の累進税率のフラット化(あるいは事実上の逆転)である。そして共和党がその富裕層とビッグビジネス優先の政策にもかかわらず、米国の大衆的支持、富裕でもない草の根保守層の支持を維持してこられた理由を以下のようにまとめている。

 戦後1970年頃までは経済的な成長と格差の縮小、あるいはすくなくとも成長の比較的平等な分配が実現したが、1980年代はレーガン政権の下で、所得格差の拡大が急速に進み始めた時期だ。ところが同時に、この時期は「保守派ムーブメント」が大いに強まった時期でもある。

 「『保守派ムーブメント』は、一般大衆の感情にアピールする2つのことを見出し、広い大衆支持基盤を掘り起こすことに成功したのである。その2つとは白人の黒人解放運動に対する反発と、共産主義に対する被害妄想であった。」(82ページ)

 要するに共和党は、この2つの大衆的な情念を巧みに利用することにより、その反大衆的な経済政策から大衆有権者の目をそらすことに成功したのだという。こうした主張は、同書の9章でさらに詳述されるのであるが、筆者には十分に合点がいかない。

 たとえば、黒人の公民権運動が勃興した1960年代には、人種差別的な感覚からそれに反発する白人層が、低所得者層にも広がった。しかし民主党は公民権運動を支持するリベラルな立場をとった。南部の諸州は伝統的には民主党の支持基盤が強い地域だったが、これを機に南部の中・低所得層の白人(従来の民主党の支持層)が、公民権運動に寛容ではない共和党の支持に転換するという政治的に大きな変化が生じた。これは米国政治史の常識だ。

 しかしその変化のインパクトは60年代がピークであり、70年代まで影響が持続したとしても、80年代以降の今日まで保守派の政治的な武器として強い効果を発揮していると考えるのは、かなり無理があるのではなかろうか。なにしろ、今や黒人が大統領になった時代なのである。

 もうひとつの「共産主義に対する被害妄想を共和党が利用した」について言うと、たしかに80年代にはレーガン大統領がソ連を「悪の帝国」と呼び、「ソ連を圧倒する軍事力を築く」という扇動が大衆にもある程度の効果を持ったと考えられる。しかしソ連は91年には崩壊し、米国を脅かす超大国ではなくなってしまった。にもかかわらず、2010年代以降の今日まで共和党が大衆的な支持基盤を維持している。その理由はクルーグマンの説では上手く説明できないだろう。

政治潮流に関するコーエンの異なる見解

 一方、前回紹介したターラー・コーエンはその著作の中でクルーグマンとはやや異なる主張を展開している。

 まず経済的格差の結果、低所得者層は住宅コストの安い地域へ移動する。米国はもともと所得階層による地域の住み分けが、日本よりもずっと進んでいる社会だ。そうした住み分けがますます進む。「所得の二極化が進み、多くの高齢者と貧困層が家賃の安い土地に住むようになる未来。そういう時代に、政治はどのようなものになるか?」「アメリカ社会が抗議活動に引き裂かれ、ことによると政治的暴力が吹き荒れると予測する論者も多い。しかし私の見方は違う・・・・アメリカ社会はもっと保守的になると、私は予想している。政治的に保守的になり、変化を好まなくなるのだ。」(300ページ)

 同氏が語る保守化の理由の第1は、米国でも進む高齢化だ。革命や抗議運動は血気盛んな若い世代がやることであり、高齢者層は中・低所得層も変化を好まない保守的な傾向が強いからだ。第2の理由は、人間の格差に対する感覚は、同じ地域や職場の同僚など自分に極めて身近な存在と自分を比較することから生じるものであり、そもそも中位・下位所得の大衆はスーパーリッチな階層や高学歴インテリの富裕層と自分を比較して不満を募らせるようなことはないのだという。

 社会不安の度合いを数値で評価すると、犯罪率がひとつの指標になるが、米国の犯罪率は過去数十年間にわたり低下してきた。格差が拡大したからと言って、米国のように絶対水準が豊かな国では社会秩序が悪化、不安定化するとは限らないことを歴史が語っている。(302ページ)

 実際、戦後米国でデモと暴動の嵐が吹き荒れたのは、60年代から70年代であり、所得格差が縮小した、あるいは経済成長の成果が比較的平等に分配された時代ではないかという。「左派の論者(クルーグマンなどのリベラル派を想定している。筆者注)は、格差に手を打たなければ、人々が力で問題を解決しようとするだろうと主張する。・・・・この種の主張をする人たちは、そうした暴力の影を利用してみずからの主張に力をもたせよとしている」(303ページ)

 「アメリカでいま保守主義の力が最も強いのは、所得水準と教育水準が最も低く、ブルーカラー労働者の割合が最も多く、経済状況が最も厳しい地域だ。」「一方、最もリベラルなのは、高所得の専門職が多い都市部や都市郊外の住宅地だ。」(305ページ)「低所得層は2つのグループに分かれる。一方は、極端な保守主義を信奉する人たち、もう一方は、民主党穏健派が支持する社会福祉制度を頼りにする人たちだ」(306ページ)

 筆者の意見はどちらかと言うとコーエン氏の見解に近いが、同氏の見解にも足りないものも感じる。同氏の指摘する所得格差が拡大するなかで保守化する人々も「伝統的な保守」に回帰するのではなく、移民や貿易問題についてより排外的で過激な保守に傾斜しているのはなぜか。それが十分にわからない。

保守もリベラルも、大衆は見えやすい敵を求める

 異なる両氏の見解を踏まえて筆者の見解を述べよう。所得格差の拡大への不満は、一部の富裕層対多数の非富裕層の政治的対立、すなわち保守対リベラルの対立で後者への支持の増大にはつながっていない。増大する不満層はポピュリスト的な保守と同様にポピュリスト的な左派に二極化し、その分断を深めている。

 その最大の理由は、不満層には自分らの苦境の原因を見えやすい「敵」に求める人々が多いからだろう。物事を「自国対外国」の対立軸で考える傾向の強い保守層にとって、その「敵」とは比較的低賃金で働く増加する外国からの移民の増加であり、あるいは先進国への輸出を急増させた中国を筆頭とする外国である。そうした状況を見抜いて不満層の代弁者として台頭したのがトランプ大統領である。欧州でも極右政党の台頭の背景には、こうした事情があるように思える。こうして経済のグローバル化と技術革新の波の中で、経済的な繁栄から取り残されていることを不満に思うローカルな労働者層は、従来の伝統的な保守からより排外的な保守層に転じたのだ。

 一方、リベラル支持層は物事を「権力対抑圧された大衆」という対立軸で考える傾向が強く、彼らにとって「見えやすい敵」は超富裕層とそれに支配された権力である。所得格差の拡大に不満を募らせるリベラル層は、従来の穏健なリベラル路線やその指導者に飽き足らず、それを見限ってより急進化する。そうした人々が今進行中の民主党の大統領候補選出過程でも、党内左派のバーニー・サンダース上院議員やエリザベス・ウォーレン上院議員への支持に傾斜しているのだ。

 困ったことに、こうした左右の政治的分断の深刻化は民主主義の不全と危機にもつながる。民主主義というものは、常に何かしらの対立する意見や利害の調整・妥協のプロセスである。調整・妥協を可能ならしめ、社会全体の紐帯となるのは多くの場合、中道的な意見層である。その中道層が細ってしまうことで、調整・妥協が機能しなくなってしまう。

 求められるのは技術革新と経済のグローバル化の恩恵を維持、増進しながら、所得格差の拡大を緩和する包括的な処方箋である。かつては資本主義に対する代替、あるいは競合システムとして社会主義的な計画経済が存在したが、ソ連、中国、東欧全ての国である程度の産業的な発展を実現した後、行きき詰まり、終焉した。社会主義への回帰は選択肢にはならない。この挑戦的な課題についても様々な議論が展開しているが、この点については筆者自身もうしばらく考えを練る時間を頂こうか。

引用文献
PewResearchCenter,“PoliticalIndependents:WhoTheyAre,WhatTheyThink”2019ポール・クルーグマン(PaulR.Krugman)「格差はつくられた(TheConscienceofa
Liberal)」早川書房、2008年
タイラー・コーエン(TylerCowen)「大格差:機械の知能は仕事と所得をどう変えるか
(AverageIsOver)」邦訳、NTT出版、2014年

筆者経歴
竹中正治氏は龍谷大学経済学部教授。1979年東京銀行(現三菱東京UFJ銀行)入行、為替資金部次長、調査部次長、ワシントンDC駐在員事務所長、国際通貨研究所チーフエコノミストを経て、2009年4月より現職、経済学博士(京都大学)。最新著作「稼ぐ経済学~黄金の波に乗る知の技法」(光文社、2013年5月)
以上

4月 13

龍谷大学経済学部教授 竹中正治

その2:情報通信、AI技術の発達と所得格差の拡大

 前回は経済・金融のグローバル化と既存先進国内の所得格差の関係について述べた。今回は90年代以降の情報通信から近年のAIに代表される技術革新の関係について考えてみよう。この点についても既に多くの文献があるが、一般書でひとつ挙げると、タイラー・コーエン著の「大格差(AverageIsOver)」(NTT出版2014年)だ。

 本書の主たる内容は、情報技術革命、とりわけ人工知能の急速な発達が所得格差の一層の拡大をもたらすという技術革新による経済格差論だ。つまり従来のホワイトカラー中間所得層の仕事を機械が代替する傾向が進む。その結果、これまでの中間所得層は、低賃金の現場労働者と高付加価値の知的創造的労働者に二極化していく。

 人工知能の急速な発達で、医師や法律家、エコノミストなどの業務領域もコンベンショナルな業務から次第に人工知能に代替される。そうした技術環境の中で、優位に立ち高所得を享受できるのは、人工知能の機能をフルに活用しながらそれと協業できる業務クラスの人材であるという内容だ。これは近年では目新しい説ではない。同分野の関連書籍としては、「機械との競争(RaceAgainstTheMachine)」(邦訳、日経BP社、2013年)などがある。
コーエンによると、上述した技術革新の波は、おそらく人口の10~15%の人々にますます経済的な豊かさをもたらし、それ以外の人々の所得は頭打ち、あるいは減少するかもしれないという。(275ページ)つまり2極化は1%対99%ではなく、15%対85%だという。

 もちろん機械による労働の代替も複数の発展段階がある。例えば、1970年代から80年代の銀行ATMの普及、さらに90年代後半以降のオンラインバンキングは銀行のカウンターでのテラーとその後方事務作業に従事する雇用を減少させた。近年では比較的専門性が高い業務であった与信審査業務がAIで代替される方向に進んでいる。

 中所得層を成すホワイトカラー労働の機械による代替は、IT革命の初期である1990年代に顕著になり、1990年代前半の米国の景気回復期には従来の回復期より雇用の増加が遅く“joblessrecovery”と呼ばれた。2001年の景気後退からの回復期はさらに雇用の増加が小さく“joblessrecovery”と呼ばれた。

ピケティの格差論

 この論考の次の問題は、こうした所得格差の拡大がどのような政治的な変化を生み出すかであるが、その前に所得格差問題として一時期非常に話題となったピケティの議論も振り返っておこう。トマ・ピケティの「21世紀の資本論」が出版された2014年から15年にかけて世界的な話題となった。私が理解した範囲で、まずピケティの主張の核心と問題点をまとめてみよう。

 ピケティの中核的な命題は次のように要約できる。①資産(資本)のリターン(r:配当、金利、賃料など)は労働所得の伸び率(g)を長期的に上回るので、所得と富の格差は税制などで調整しない限り拡大が続く(r>g)。②20世紀以前は資本のリターン(特に税引き後のリターン)と経済成長による労働所得の伸び率のギャップは、資本のリターンが高い方向に著しく乖離していたが、20世紀はその乖離は縮小し、ほぼ解消した時代だった。しかし21世紀入って、それは再び拡大に向かうだろう。経済が低成長であるほどこの格差は拡大する力が働く。

 このピケティの議論に対しては出版と同時に各種の批判が寄せられた。第1は、例えば米国で1980年以降顕著に見られる所得の格差拡大がピケティの資本主義の原理で主要に説明できるわけではないことだ。実際のところ、「r>g」によって所得格差の拡大が起こるならば、国民所得に占める資本所得と労働所得の分配率が、資本所得比率の増加の方向に趨勢的に変化するはずである。

 ところが1980年から2000年代初頭までの米国の資本所得比率は概ね20%から25%前後のレンジで変動しており、趨勢的な上昇は見られない。資本所得比率の趨勢的と上昇と言えるような変化は2000年代半ば以降見られるものだ。しかし1980年代から2000年代前半の期間に米国の所得分配の顕著な格差拡大が進んだ。

 例えば家計の所得全体に占めるトップ10%の富裕層のシェアは、1980年頃には34%程度だったが、10ポイント以上も上昇し2000年代半ばには40%台の後半に達している。またトップ1%が占める比率は10%前後から20%以上に上昇している。従ってピケティの「r>g」以外の要因がこの時期に所得格差拡大をもたらしていることになる(この点はピケティ自身も認めている)。

 では何が米国のこの時期の所得拡大の要因なのか。これについては連邦議会予算局(CBO)の詳細な分析レポートがある(文末引用文献参照)。それによると1979年から2007年の期間について、所得拡大の70%は労働所得の格差拡大に求めることができる。

 資本所得(除くキャピタルゲイン)も所得格差拡大の要因にはなっているが、家計の総所得に占めるそのシェアはピーク時の1981年でも14%であり、2007年には10%に低下している。またキャピタルゲインの同比率は1979年が4%、2007年が8%である。

 では労働所得の格差拡大要因は何か。これについても様々な議論があるが、観測される事実としては、①CEOと平均労働者給与所得の格差拡大、②高スキル労働者と中低位スキル労働者の給与所得格差の拡大などが指摘されている。①は政治的、経営組織論的な文脈で語られることが多く、②は経済のグローバル化や技術革新、つまり資本(機械)による労働の代替の文脈で語られてきた。

 ピケティの命題でもう一点注意が必要なのは、資産(資本)所得の消費の問題だ。資産所得は配当や利息、賃料を生むわけだが、それが仮に5%(税引き後)だとしよう。一方、労働所得の伸びは3%としよう(名目)。5%複利で資本が富を拡大していくことがピケッティの議論では想定され、当然それは労働所得の複利3%の伸びを凌駕する。しかしそれが成り立つためには、資本所得が消費されずに再投資されることが前提になる。

 しかし資本所得についても労働所得と同じように消費される部分がある。したがって実際には5%複利で資本が増殖することはありえない。実際の資本の増加は、消費によって資本の投資リターン自体よりもかなり低いものになるはずだ。

 またこの点で、ピケティは人的資本以外の全ての資産(含む不動産)を「資本」としているのだが、マクロ的に大きな比率を占める資本は住宅資産、とりわけその中でも大きな比率を占めるのは自己居住用の住宅資産だ。それが生み出す所得(帰属家賃)は100%消費されているわけであり、ピケティの議論の穴になっている可能性がある。

 もっとも筆者はピケティの「r>g」の命題が、現代の所得格差の要因として否定されるものとは考えていない。①前回述べた経済・金融のグローバル化要因、②今回冒頭で述べた技術革新要因、③米国で特に顕著な資産所得への課税が低率で優遇され過ぎている税法上の問題とCEOの報酬がヘッドハンティングやM&Aを通じて過剰に高騰する問題、④ピケティの「r>g」の原理、主要にはこれら4要因が複合された結果として現代の所得・資産格差が拡大しているのだと考えられる。

引用文献
タイラー・コーエン(TylerCowen)「大格差:機械の知能は仕事と所得をどう変えるか(AverageIsOver)」邦訳、NTT出版、2014年
エリック・ブリニョルフソン(ErikBrynjolfsson),アンドリュー・マカフィー(AndrewMcAfee)「機械との競争(RaceAgainstTheMachine)」邦訳、日経BP、2013年
トマ・ピケティ(ThomasPiketty)「21世紀の資本(LeCapital)」邦訳、みすず書房、2014年
CongressionalBudgetOffice“TrendsintheDistributionofHouseholdsIncomebetween1979and2007”2011

筆者経歴
竹中正治氏は龍谷大学経済学部教授。1979年東京銀行(現三菱東京UFJ銀行)入行、為替資金部次長、調査部次長、ワシントンDC駐在員事務所長、国際通貨研究所チーフエコノミストを経て、2009年4月より現職、経済学博士(京都大学)。最新著作「稼ぐ経済学~黄金の波に乗る知の技法」(光文社、2013年5月)
以上

4月 10

龍谷大学経済学部教授 竹中正治

その1:経済・金融のグローバル化と先進国内の所得格差の拡大

 日本経済新聞が昨年12月から今年年初にかけて、「逆境の資本主義」というタイトルでシリーズ記事を連載した。そこで取り上げられている問題は多岐に及び、①先進国内部の所得格差と政治的分断の深まり、②先進国の低成長、③米国に代表される株主中心主義的な企業経営の再考、④情報独占という新しい独占企業群の台頭、⑤世界的な保護主義の強まり、⑥気候変動を含む地球環境問題、⑦中国を念頭に置いた国家資本主義の台頭などだ。

 1月に開催された世界経済フォーラム(WEF)の年次総会(ダボス会議)でも、こうした諸問題をベースに「資本主義の再定義」が大きなテーマになったと言われている。これら全てをこの小論で扱うことは適わないが、経済・金融のグローバル化、並びに現代の技術革新が先進資本主義国の所得格差に与える影響を手短に整理し、さらに政治的な分断傾向との関係を3度程度に分けて読み解いてみよう。

資本主義とその発展段階

 まずそもそも「資本主義経済」とはどういう経済システムのことを言うのだろうか。市場を通じた商品の売買ならば古代から存在していた。資本主義経済が他の経済レジームから大きく異なる点は、労働、土地、資本という経済学で言う生産要素自体が商品化されて市場メカニズムによる取引の対象となっている点だ。

 しかし大枠でそのように定義されても、その様相は過去大きく4つの時代に区分されるのが経済史的に一般的である。第1は18世紀から19世紀にイギリスで典型的に発展した古典的資本主義、第2は19世紀から20世紀中葉にかけた帝国主義段階の資本主義、第3は、第二次世界大戦後の福祉国家型の資本主義、あるいは米国では1930年代のリベラルな改革に基礎をおき、戦後に発展した資本主義レジームである。この第3段階は、マルクス経済学派からは「国家独占資本主義」とも呼ばれていた。ただし今日に文脈では中国の資本主義を「国家資本主義」とも呼ぶことも多く、紛らわしい。

 資本主義経済は18世紀から19世紀にかけての労働者階級と資本家階級への分化の後、マルクスが語ったような「労働者階級の窮乏化」の果てに革命で終焉を迎えることなく、21世紀の今日にまで形を変えながら続いている。極めて大括りに言うと、そのベースには技術革新による所得の増進と、それを労働者階級を窮乏化させずに配分、拡大する仕組みを創出してきたからだと思う。その意味では所得配分と格差の問題は、資本主義のあり様を問う根幹的な問題だ。

経済のグローバル化と先進国内の格差拡大

 初回の今回は、先進国における所得・資産格差問題と90年代以降の経済・金融のグローバル化の関係について取り上げよう。今日の先進国の所得格差を考える上で欠かせない視点は、代表的にはブランコ・ミラノビッチによって語られる「エレファントカーブ」である(掲載図参照)。

 横軸を世界の所得分位、縦軸を所得増加率(期間1988-2008)とすると、図中のAの部分は中国やインドなど新興国の所得中上位層が多く占め、Bの部分は先進国の中下位層、そして右端のトップ1%は先進国の富裕層が主要に分布する。所得の増加率は新興国のAの部分と先進国の富裕層Cの部分が突出している一方で、主に先進国の中下位層のBは増加率がゼロ近傍で停滞している。BとCの部分に焦点を当てれば先進国内の所得格差の拡大であり、AとBの部分に焦点を当てると新興国経済の台頭と追われる既存先進国経済ということになる。

 なぜこのような変化が生じたのか。筆者自身の見解も交えながら説明しよう。ソ連の崩壊による米ソ冷戦の終焉後、旧社会主義圏を巻き込んだ経済のグローバル化が急速に進み、日欧米の製造業の途上国、新興国への企業進出が急激に進んだ。

 その結果、既存先進国の労働者は新興国の労働者との間接的、あるいは直接的に競合するようになり、新興国では労働賃金の上昇、先進国では逆に抑制が起こった。これは経済学で言う要素所得(この場合は労働所得)の均等化作用が強く働くようになったことを意味する。

 同時に90年代から急速に進んだ情報通信技術の革新は、主に先進国のホワイトカラー労働を機械でより安価かつ効率的に代替すること可能にし、ホワイトカラー層にも賃金に対する抑制要因が働いた。

 一方で、外国語(主に英語)と情報通信技術を使いこなし、グローバル化した経済・金融市場に適合した先進国の高学歴労働者の一部は所得を伸ばす一方で、ローカルな労働者との間での格差の拡大が起こった。このような先進国内部での経済格差の拡大は、実はかなり前から予見されていたことでもある。例えば筆者自身が2002年の著作の中で次のように述べている。

 「経済のグローバル化に伴い、外国で経営・管理に従事する国際的な経営職階、あるいは海外で技術指導や開発に従事する専門職階として、資本の移動性に適応する人材層が形成されている。こうした人材は雇用者全体に占める割合は少数であろうが、そのスキルと知識、希少性の故に高額所得層となり、しかも働く現地の一般的給与水準とは別の国際標準的な給与相場水準を形成しつつある。

 一方、製造業のブルーカラーに代表される労働については、貿易のみならず直接投資による資本移動が飛躍的に活発化した環境では、先進国と途上国の間で労働コスト(労賃)平準化の作用が強まる。したがって先進国の労働者についてはあまり楽観的な見通しは立たない。つまり、海外への生産シフトと技術移転が途上国の労働による代替圧力を強める結果、先進国においては趨勢的な労賃水準の抑制が働こう」(竹中2002、257ページ)

 エレファントカーブに示される世界的な所得階層の変化は、既存先進国と新興国との平均的な所得格差を縮小した。その一方で先進国内部では、グローバルなビジネス環境に適応し、その資産運用についても国際的なリスク分散投資から恩恵を受ける高所得層と、企業の新興国や途上国への移転で製造業が空洞化する中、ローカルな労働力にとどまる中下位の所得層の間の格差が拡大したと言えるだろう。

出典:ブランコ・ミラノビッチ

引用文献
ブランコ・ミラノビッチ(BrankoMilanović)「大不平等」(GlobalInequality)邦訳、みすず書房、2017年
東京三菱銀行調査室編「米国経済の真実」東洋経済新報社2002年
竹中正治「終章~米国を基点とした経済グルーバル化時代のメッセージの検証~」

筆者経歴
竹中正治氏は龍谷大学経済学部教授。1979年東京銀行(現三菱東京UFJ銀行)入行、為替資金部次長、調査部次長、ワシントンDC駐在員事務所長、国際通貨研究所チーフエコノミストを経て、2009年4月より現職、経済学博士(京都大学)。最新著作「稼ぐ経済学~黄金の波に乗る知の技法」(光文社、2013年5月)
以上