2 月 16
 身近にも百歳を超える人がいる世の中において、はるか遠い昔と思えた1世紀の過去もそれ程、昔のことと思えない。「歴史は未来を照らす鏡である」とするならば、現在の世界的規模の大転換期において、近代の日本を取り巻く国際情勢の変化を再考することが大切である。
 
文明の時代すなわち過去5千年間は、人間の歴史の最初の百万年と較べても、またこれからの2億年と較べても、ほんの束の間に過ぎない。文明の興亡盛衰、人間の歴史をパノラマ的・包括的に見ると、歴史は一連の芝居という形をとり、表層的な相違にかかわらず、構造的には驚くほど似ている。と語っているのは、「歴史の研究」を書いた英国の歴史学者トインビーである。
 
トインビーが「歴史には規則性、反復性がある」と示唆するように、約百年前に現在の東アジア共同体構築に類似する興味深いビジョンが描かれている。時は、1920年代、日本で最初に設立された財団法人である南洋協会が、欧州のブロック経済圏に対抗して、東アジアの広域経済圏の建設についての重要性を提示した。
 
 その内容は、日本は中国大陸に進出するのみならず、オーストラリア、ニュージーランド、ニューカレドニアを含む南洋へ進出し、自給自足の経済生活圏を確保すべきとある。特に、日本の10倍の広さの南洋を制するものは世界を制するという南洋協会の表現は、当時の時勢を鑑みれば、否定されるべきものでないと考えられる。しかし、この思想が、大東亜共栄圏へと発展していくのである。
 
南洋協会が設立されたのは、95年前の1915年。第一次大戦の最中で、ロシア革命勃発の前である。欧州で戦争や革命の嵐が吹き荒れている時期に、日本は日英同盟の恩恵を受けながら、東アジアの真空状態の空間に伸縮自在の外交政策を展開することが可能となった。
 
日露戦争前に調印された日英同盟が、ワシントンの軍縮会議を経て、1923年に失効するのだが、その後の日本は、アングロサクソンを敵に回し戦争へと暴走するのである。艦艇の保有比率が米英日仏伊で討議されたワシントン軍縮会議において、日英が組めば米国を上回るという米国のジェラシーにより、日英の関係が割かれたのである。日本が、米英日のトライアングルの国際政治力学を見誤ったことが、当時、理想とされた大東亜共栄圏の建設も負の作用としてアジアを敵に回し、敗戦へと導いたのであった。
 
歴史は繰り返すの如く、百年近くの時を経て、来るべきアジア・太平洋の時代に備え東アジア共同体がクローズアップされている。南洋協会が推進した東アジアの経済圏構築は、東アジア共同体との共通項が多くある。注目すべきは、日英同盟の恩恵を受けながらオーストラリア等の南洋も包括し大東亜の建設を推進したことである。
 
東アジア共同体の構築にあたり歴史の教訓から学ぶべきことは、日米同盟という国際政治力学に多大な影響を及ぼす礎を揺るぎなきものとし、日米中のトライアングルの勢力を最適な状態に求めながら東アジア共同体を推進する外交のベストシナリオを描くことだと考えられる。あるもの探し、歴史を時空を超えて鳥瞰すれことも大切だろう。