3月 05

平成30年11月14日
龍谷大学瀬田キャンパス
セミナー開催 15:20-16:50
参加者 龍谷大学学生と留学生 150人
テーマ: 東アジアの平和構築について トインビーの歴史の研究と哲学思想 東アジアも平和構築を考察するためには近代史の歴史を考察するのみならず2500年の哲学思想や歴史学者トインビーが研究した人 類の潜在的な行動や歴史の同時性についての鋭く深い洞察力を養う必要がある。アクティブラーニングの形式で学生が主役となる意 義のあるセミナーが開催された。

歴史のリズムを眺望                           中野 有

 本日の講義は、150年の近代史を眺望し、歴史のリズムを把握し、現代の日本の座標軸を考察する。
1・マスメディアは、現代社会の世相を反映する大衆のメッセージである。また、歴史は、その時代を生き抜いた先人たちのメッセージである。歴史というメッセージには、普遍的な法則があると考える。

2・歴史というメッセージを解読することにより、揺れ動く現代が客観的に観察できると同時に、来るべき未来のシナリオが漠然 と観えてくるものである。

3.人類の歴史を何百万年と考え、今後何百年間、何億年、人類が生き延びると考える。延々と継続する人類の何百万年から考えると文明の数千年は、比較的短い期間である。

4.歴史は未来を照らす鏡である。近未来は自ら創造するものである。

5・アーノルド・トインビー 1889-1975 イギリスの歴史学者
まずトインビーは国家を中心とする歴史観を否定し、文明社会を中心とした歴史観を提示する。トインビーは西欧文明の優位を退けながら、第一代文明であるシュメール、エジプト、ミノス、インダス、殷、マヤ、アンデス、第二代文明であるヘレニック(ギリシア・ローマ)、シリア、ヒッタイト、バビロニア、インド、中国、メキシコ、ユカタン、そして第三代文明であるヨーロッパ、ギリシア正教、ロシア、イラン、アラブ、ヒンドゥー、極東、日本、朝鮮、以上の21の文明を世界史的な観点から記述することを試みる。トインビーはこの第三代までの諸文明は歴史的に概観すると親子関係にあり、文明は発生、成長、衰退、解体を経て次の世代の文明へと移行すると考えていた。

6・トインビーがこのような歴史観に基づきながら文明は外部における自然・人間環境と創造的な指導者の二つの条件によって発生し、気候変動や自然環境、戦争、民族移動、人口の増大の挑戦に応戦しながら成長する。しかし文明は挑戦に応戦することに失敗することによって弱体化をはじめ、衰退に向かうようになる。そこで指導者は新しい事態への対応能力を失い、社会は指導者に従わなくなり、統一性が損なわれる。最後には内部分裂が進むことで指導者は 保身のために権力を強化し、結果的に大衆はプロレタリアートによる反抗を通じて文明は解体されるとトインビーは定式化する。

7・アーノルド・トインビーの「歴史の研究」
歴史的・文化的背景を透徹する哲学的な眼光
トインビーは、英国の王立国際問題研究所の研究部長として1925年から54年まで30年かけて既存文明の生起興亡、則ち文明の発生、成長、衰退、解体という歴史過程を支配している法則を研究した。それを応用し、文明の統一性、持続性、並行性、同時性の観点から現状分析を行ったのである。

8・ 具体例として、トインビーは、1914年の世界大戦がヨーロッパ文明にもたらした経験と、紀元前431年のペロポネソス戦争がイギリス文明にもたらした経験とが同時性があると分析し、また満州事変勃発に際し、日本の責任の重大性についてローマ帝国と戦ったカルタゴの運命であるという洞察を行ったのである。

9・ インビーの視点では、人類の歴史の長さから観ると文明を生みだした期間はほんの短期間であり、その文明の何千年という期間に人類は同じことを繰り返すという考えに達するのである。

 10・トインビーの着想をシンクタンクの活動として応用することにより、より信頼のおける構想が生み出されるように考えられる。以下、トインビーの歴史の研究を読み特に感銘を受けた示唆を列挙する。

11.現在を遠い過去の出来事のように考えてみることにより、歴史上にある過去の時代との同時性を冷静に展望できる。歴史を双眼的に見る。歴史は単なる事実の集積でなく、啓示なのである。

12.歴史と社会科学とがアカデミックに区別されていることは、偶然なことであって、この伝統的な障壁を破って、人間的問題の総合研究に投げ込まなければいけない。

13.異なる文明に属する同胞を助け、互いに他の国民の歴史を理解することにより全人類の共通の成果と共通の財産を見いだし、敵意をいだくことを少なくすることができる。

14.衰退に至った文明の歴史の中に、必ずしも実現することに成功しなかったとしても、事態を収拾する別の解決法が発見されたことが認められる。それが協調の理想である。その精神が現代に現れたのが、国際連盟と国際連合である。この協調の理想は、孔子や老子がいだいた思想でもあった。政治における目標は、致命的な争 いやノックアウト的打撃のあいだの中道を発見することである。

15.平和競争という形での平和共存においては、相手にうち勝つためには相手の長所をとり入れて自分の弱点をカバーしなければいけない。そうすると、そういう作業の中で相互接近が行われる。この線が中道の線である。

16.国連そのものは、世界のそれぞれの国の人民とは直接つながっていない。政府を通じてつながっている。人民に直接つながる国連が必要である。

17.貧しい国の利益のために、富んだ国に重税を課すことができるような強力な世界政府を作ることが重要だ。貧乏な人達があまり挑発的・暴力的になったら、これはどうにもならない状態が生み出されるので中道の道を見つけなければならない。

18.西欧の宗教戦争の歴史の示すところは、精神上の問題は武力によって解決できるものでないことを証拠だてている。そうだとすれば武力解決でなく、新しい世界政治体制を造り出すことによって解決する以外に方途はない。

19・歴史を眺める際に、我々の見地が、たまたま我々のおのおのが生まれた時代と場所によって、大部分決定されていることに気がつく。人の見方は特定の個人、特定の国民、特定の社会の見方である。歴史をあるがままの姿において見ようとするならば、われわれはどうしてもそこから出発するほかないが、この局部的な見方を 超越しなければならない。

20.原子力時代においては、人類は、自分たち自身を滅ぼすまいとすれば、一つの家族となって生活することを学びとらなければいけない。これこそ、日本が学びとり、そして他に伝えることのできる真実である。

21.文明の歴史が複数であり、繰り返しであるのに対して、宗教の歴史は一つであり、前進的であるように思われる。ユダヤ教から派生したキリスト教とイスラム教において、宗教は異なっても啓示は一つであることの寛容的精神が重要である。

22.マスメディアを相手にしているかぎりは、われわれはつねに洗脳されたかのようなのだ。そこで決然とすべてのニュース・ページをバタンと閉じてこれらの順序を離れ、事態の底辺にひそむであろう来し方行く末を、しばし眺めたくなってくる。歴史に戻ってみたいとおもうのも、そういうときである

23・アーノルド・トインビーが歴史の研究を書いたのは1966年である。
 まだアメリカとソ連がキューバ危機とケネディ暗殺とフルシチョフ主義を挟んで冷戦の凌ぎを削り、アメリカ空軍がベトナムへの北爆を開始し、中国が文化大革命に突入していた時期である。 日本は韓国政府と日韓条約を結んで、極東アジアの最低限の保障を手に入れようとしていた。全学連は連日のデモを敢行して「 アメリカ帝国主義反対・ソ連スターリニズム反対・日韓条約反対!」を叫んでいた。

24.マクルーハンが「メディアこそがメッセージなんだ」と書いたのがこの時である。
トインビーの『歴史の研究』を一言でいえば「文明は成長しすぎれば消滅する」ということである。

近代史の10大出来事
1・セポイの反乱1857-59年
インドでイギリス支配に反抗し、農民が反乱を起こすが失敗。イギリス直接統治が始まる。最初の独立戦争。

2.明治維新 1867年
尊皇攘夷、薩長同盟、大政奉還等で貢献した志士達は、南北戦争(1861-65年)で勝利したリンカーン大統領の影響を受けた。
岩倉具視一行の欧米視察 1871年から1年10ヶ月、伊藤博文の「日の丸演説」、最初の英語による日本人の演説

3・日清戦争 1894年、三国干渉 1895年
日清講和条約締結後、ロシア、フランス、ドイツが干渉
1902年 日英同盟 ロシアのアジア進出をけん制

4.日露戦争 1904-5年
東郷平八郎 バルチック艦隊を破る、ポーツマス条約 小村寿太郎

5.安重根による伊藤博文暗殺 ハルピン駅 日本帝国主義批判 日韓同盟 1910年

6.中国の革命 辛亥革命 1911年
1924年 孫文 大アジア主義 西洋覇道の犬となるか、東洋王道の干城となるか、それは日本国民の詳密な考慮と慎重な採択にかかる

7.満州事変
1931年 関東軍が南満州鉄道の路線を爆破(柳条湖事件)、1932年リットン調査団、国際連盟特別総会で勧告、松岡洋右 国際連盟脱退 1時間20分の英語の原稿なしの演説 
新渡戸稲造 国際連盟次長 武士道

8.太平洋戦争 真珠湾攻撃 1941年12月8日 日曜の早朝オアフ島の太平洋艦隊を攻撃 アリゾナ号 1945年 広島・長崎原爆投下

9.朝鮮戦争 1950-53年 ベトナム戦争 1965-73年 米軍が北ベトナムを爆撃、米軍が南ベトナムから撤退、共産主義、民族主義勢力がゲリラ活動、共産主義封じ込め政策

10.冷戦の終焉 ベルリンの壁崩壊 1989年11月9日 1991年 ソビエト崩壊
同時多発テロ 2001年9月11日、イラク戦争 2003年、リーマンショック 2008年