3 月 08

日本の大学で教えるようになって5年。毎年2月は講義概要を作成する時期である。優れたコンテンツを経験と理論の両方に精通した教員が情熱を持って学生と向き合うことで自ずとその講義の需要は高まるものである。

 大学にとって学生は顧客である。ドラッカーの経営学やコトラーのマーケティングの観点で戦略を練ると、第一は、学生が満足する講義を行う、第二は、その学生が就職する時に役立つ学問を提供する、即ち、企業や社会が求める教養や専門知識を提供する、第三は、グローバリゼーションの進展、地球環境問題の変化、エネルギー、食糧危機、貧富の格差等により今までのどの時代よりも予測が困難な時代に於いて学生が自ら考える能力を養成することが必要となり、教員と学生の双方向の情報交換が求められる。

 講義概要を作成するにあたり以上3点のことを包括しようと思うのだが、要するに従来の日本の大学の講義を大きく変える必要性を強く感じるのである。リベラルアーツ(本質的な教養)を限られた講義の中で最も効率的に提供する方法はあるのであろうか。

 リベラルアーツとは、人間を自由にするための学問である。教養を身につけることにより豊かな生活を手に入れる機会が増すのである。輝かしい未来を築くためには人間が何千年にも渡って考察してきた定理や法則を習得することが必要である。現実を理論的に観る演繹的なアプローチと経験を通じ理論的なことを構築して行く帰納的なアプローチの両方が不可欠なのである。

 大学で重きを於くのは演繹的なアプローチである。また、理論的な構築を行った後、ケーススタディーを通じ帰納的なアプローチを行うことも大切である。大学の一つの講義は15回か30回で構成される。その間にリベラルアーツの手ほどきとして教養のエッセンスを習得するためには何を学ばなければいけないのかを考察しようと思う。

 高校までの勉強は習得することが第一であるが、大学での勉強はリベラルアーツをThink(考察する)、Learn(習得する),それをLead(発表する)することが求められる。Thinkすることを第一義とすると、事細かく一方的に教えるのでなく学生が自ら興味のある学問を徹底的に探求することが重要となる。従って、幅広く世界に通用するリベラルアーツを決められた講義のタイムフレームの中で提供しなければいけない。そこで毎回、あるテーマについて完結型の講義を行うことを試みて見た。

 この講義を受講する学生が毎年増え500人規模に膨れ上がった。少なくとも学生の需要を満たしているからそうなったと思う。講義内容は、メディアやマネージメントのリテラシーを身につける。自ら考え分析する能力を身につけることである。そのためには、哲学、宗教、歴史のリズム、グローバルイングリッシュ(世界共通語としての英語)、実学としての経営学、外交・安全保障、地政学的変化の洞察、エネルギー・食糧・地球環境問題、近代史、マスメディアとソーシャルメディア等である。

 2500年の哲学を90分の講義で学ぶなど不可能であると考える読者は大多数だと思う。しかし、ぼくは4年間かけて哲学を学んでもそれほど頭に入るとは思わない。やる気というミッションが明確であれば相対性理論のようなものが機能し学生自らのパワーで知的直感力に磨きがかかりそれが実を結ぶと考える。また、グローバルイングリッシュを例にとると6年間かけて英文法を学んできたにもかかわらず試験勉強の弊害として実践に役立たないのが90分の講義で朝起きて寝るまで話している日本語を英語にするというテーマで改めて勉強するとさっと要領を得た勉強が成立するのである。

 大学の講義は生き物であり、その時の強烈な刺激が勉学へのミッションを高揚させるのである。有名な禅寺の和尚さんがこんなことを教えて下さった。「先生が教えるのでない。学生が先生のいい処を盗むのである」。ぼくは、リベラルアーツとは、豊かな生活を送るために自ら幅広く自由に学ぶ教養だと思う。不確実性の高い世の中、時空を超えた教養を自ら学ぶことが大切だと思う。