2 月 04

中野:みなさん、こんばんは、火曜日夕方6時はラジオカフェ―シンクタンクジャーナルの時間です。パーソナルティの大阪学院大学経営学部教授並びに一般財団法人アジア・南洋協会理事長の中野有です。
 本日は南洋協会100周年記念ということで、今日は最終のバージョンで8回目です。(長かったですね)龍谷大学経済学部教授の竹中先生、社会学部教授の李相哲先生、そして評議員の松本先生、慶應義塾大学経済学部教授の大西先生。この5人で、最後はこのアジア南洋協会が100年前にできたんですが、本当にそうそうたるメンバーで、だけど悲しいかな日本は、戦争ということで広島と長崎に原爆を落とされて、そしてその後、共産主義封じ込め政策のおかげで日本は敗戦国にも拘わらず戦勝国の中国より強い立場になったりいろんなことが奇跡的にお起こりました。ラッキーだったのですね。
 さて、21世紀の今日、ヨーロッパあるいはシリアにおいて、イスラムの過激派が世界的なテロ行為を行っています。ロシアの旅客機が標的にあい爆破されたり、トルコにおいてもロシアの戦闘機がトルコ軍によって撃墜されたり想像を絶する問題が発生しています。さて、21世紀の今日、今そしてこのアジア・南洋協会がどういうビジョンを示す必要があるかということで、それぞれ専門家の視座で、一人1分くらい思いを語っていただきたいと思います。まず理事の竹中先生からいかがでしょうか。
竹中:僕はやはり次の世代を育てるということが、50代60代の私たちの使命だと思いますね。今の若者に関しては、いろいろネガティブなことも言われていますが、そんなことはないと思います。大体人間は年取ってくると昔自分の若かった頃を美化して、昔は良かったみたいなことをいう人が多いのですが、今の若者はまだ捨てたものじゃないと思います。ただ、やはりグローバルで非常に速い速度でイノベーションが進んでいく世界だから、そういう状況に日本の社会が適用できてないというのがやはり問題だと考えます。とにかく留学でも、仕事でもいいから世界に飛びだしなさいと、それをなんか後押しするようなものがこの財団でできれば、僕は良いと思います。
中野:アジア・南洋協会のビジョンというのは、井上雅二のとりあえず現地でプランテーションでも行えということを言われたのがこの南洋協会のエッセンスなんですね、やはり現場に行った方がいいと思います。李先生いかがですか。
李:僕はどういう運命かわからないけど、ある意味真面目に受けとめると100年前に新渡戸稲造とか、そういう人たちが作ったこの協会に我々が今かかわっています。当時南進論とか南の方が大事だった時期がありました、同時に満州が大事だったから南の方をどうするかということで日本がいろいろ考えていましたが、今やはり日本にとってアジアの事を考えた場合、僕は専門とする北朝鮮問題とかが財団の仕事として重要であると考えます。
中野:同感です。
李:真剣に考えていて、朝鮮半島はここ2、3年の間に必ず劇的な変化があります。そういう時に我々アジア・南洋協会がすごいことができます。本当に、歴史を変えるような(なるほど)いや、本当に、僕の力は限られていますけれど、ここに素晴らしいメンバーがいて、アジアをもう一回ちょっと変えるようなことをしなければならないですね。アジア・南洋協会にせっかくかかわっているのだから、僕は朝鮮半島の問題を当面は集中的に調査したく思っています。
中野:アジア・南洋協会の活動にとって朝鮮半島の問題は非常に重要で、李先生は朝鮮半島のエキスパートの中心ですから。
李:最初から調査研究が財団の中心なので、これから今その時代によってもちろん焦点を当てる部分は違うんだが、今世界で、アジアで一番大事な問題は(中野:この地域ですね、)そうです。その問題にちょっと集中して、ぜひアジアを変えるような(中野:最初の財団法人と言われている、アジア南洋協会の会長である李先生がね)政策の提言をこのメンバーでやってアジアを変える、とという意気込でやってほしいと思います。
中野:評議員の松本先生。
松本:ありがとうございます。ちょっと李先生の構想に関して言うと、非常にチープなんですが、私はこの南洋協会が何しようが、どんな調査研究しようが、それから左翼思想だろうが、右翼思想だろうが、経済主義だろうが、金融資本主義だろうが、とにかく近代はヨーロッパに始まり、EUになりました。アメリカはパクスアメリカーナまで行きました。次はどう考えてもアジアだし、どう考えても中国だと僕は思うんです。あまり好きだったり嫌いだったりとういう個人的なことを除いて別にこれは歴史的な必然みたいなことで語るのではなく、現実視しなければいけません。
 次はじゃどこかというと、中東だと思うんです、中東が出てくるともう最期かなと、もうアフリカはないんじゃないかと位に今の私には見えますね。世界が、もうインド、中国を超えて海のシルクロード、陸のシルクロード、シルクロードの果てはヨーロッパじゃないんですよ、かつて日本だったんですよ。だからここで日本の立ち位置が出てくるのではないかと。これ以上言いませんが、李先生のこの非常にピュアな結晶のような思想に泥水をかぶせるようなことを言って申し訳ないです。
中野:李先生は、ほとんどポケットの中にお金がない状態で中国から日本に30年前にいらっしゃって、龍谷大学の教授になられました。
 大西先生、21世紀の今日、東アジアのいろんな問題を展望しながら、日本はどうすればいいか、北東アジア学会の会長、世界マルクス学会の先生からみればどうですか。
大西:そうですね。私は北東アジア学会の会長もやっているんですが、その学会が交流する中国のひとつとしての延辺自治区の延辺大学にこの9月に行ってきました。ここには朝鮮族の人がいて、一応中国の一部でもあり、かつまたその国際会議には北東アジア全域から人を集めているんですね。どなたかがおっしゃいましたように今後はいずれアジアの世界になると、そういう大きな流れでやはり今後はとらえたいという風に一応思うんですね。
 ただ、ヨーロッパの国際環境はかなりよくなってきていますが、それに到るにはかなり長い戦争もありました。第一次世界大戦いうのは相当ひどい戦いでした。また、第一次世界大戦に限らず普仏間の戦争とかが相当たくさんあって、それらを経て初めてとりあえず現状に納得するようになったわけです。
 そういう意味ではちょっと変な話なんですが、今、日中韓で争ったりしてるのは、そのステージにまだアジアがいるのだと私には見えてきます。ですので、いずれ必ずいい環境が来る。そのために今ある種の軋轢をかなり大規模に経験しているのだと。そういう意味では、もちろん日中韓の軋轢はやりすぎだと思うし、抑えたいとは思うのですが、でも大きな流れの中での軋轢であると考えれば、何かある種ポジティブに現在を捉えることができるのではと楽観的に考えています。
中野:今日は、アジア・南洋協会の理事、評議員の皆様方に集まっていただいて侃々諤々の本質的な問答ができたように思われます。
 結論として、僕は日本の郭を破って世界に出て、国連工業開発機関を経て、ブルッキングス研究所なり、あるいは新潟県の環日本海経済研究所、鳥取県の鳥取総合研究所、ハワイの東西センター等でアジア・太平洋の安全保障や経済協力の活動に従事してきました。日本に戻ってきて一つ本当に言いたいことがあります。ここでどうせなら、世界に通用するようなアジアにおける、東アジアにおける経済社会開発機構という壮大な国際機構を日中韓の協力の下で設立したらどうかということです。中国が主導してAIIBが北京に設立されればいい、将来朝鮮半島の統一が起こるときにソウルは朝鮮半島統一のための社会的機能を持った国際機構を設立すればいい、日本はIMFの機能とドルやユーロと並ぶアジアの共通通貨を作るための国際機構を日本に設立すべきであると思うのです。それら3つ合わせて国際機構を北京とソウルと東京か大阪でもいいから作ってくださいと。それが東アジア経済社会開発機構ってね。
 僕が国連にいても思ったのは、ほとんどすべての機構は全部ニューヨークとかワシントンとかジュネーブとかにはあって、アジアには世界を動かす国際機構が存在していません。アジアに堂々と作ってくれと、このアジア・南洋協会がそういう国際機関を中国と韓国と日本で力を結集させて設立すべきだと主張したいです。
李:おっしゃる通りで今世界の中心はアジアに戻りつつあるんですよ。いいものをアジアが作る。それから世界のお金もアジアに集まっていますね。アジアがあって、その中心にアジア・南洋協会があるんです。そういうことで乾杯しましょう。

1 月 28

中野:みなさん、こんばんは。今回は、AIIB(アジアインフラ投資銀行)と日本の役割をテーマにしたく思います。
 中国がユーラシア大陸全体に対してインフラ整備や投資の役割を担うということで、英国をはじめドイツ、イタリア、フランス等のヨーロッパの国々が、AIIBの創設メンバーとして協力しました。日本はアメリカの事を考えて協力しなかったのですが、僕からすれば何を言っているんだと、日本はAIIBに協力すべきだと思うんです。この100年の歴史を振り返れば、軍国主義で失敗して経済協力のソフトパワーを推進してきました。AIIBはアジア主導で経済協力を推進する点で日本はAIIBに貢献すべきだと思うんですが、いかがでしょうか。
李:僕はこの分野の専門家じゃなく、竹中先生がその辺の専門家ですが、社会の分野から観察してみると、中国のやり方が世界から信用されていないのが問題ですね。(その通り)中国が本当にピュアな気持ちでやっていればすごくいいことなんですが、その辺どうですか?
竹中:もう一つ銀行がありましたね。BRICs銀行と一般に言われる、ロシア、インド、ブラジル、中国で作った銀行です。ところがその辺が全然話題になってないでしょう。何で話題になっていないかというと、結局この4つの新興国の中で、中国が好き勝手にやる主導権を得られなかったのでなんとなく曖昧になっている。中国はそれに懲りて自分が好きなようにできる銀行としてAIIBを構想して、仕組みを作っている。それはある意味では海外に中国型のインフラ建設を輸出して、それにファイナンスして自分の国からも資材も労働者も輸出して稼いでいこうと、そういう構想だろうと僕は思っています。
 でも中国の国内のインフラ建設はどういうことが起こっているかというと、例えば典型的には三峡ダムですね、膨大な環境破壊が起こっているのです。そのようなことを世界の一つのモデルとして拡大することになるのではないでしょうかね。
中野:大西先生いかがですか。
大西:先ほども言いましたが、私の属している世界のマルクス学会でも中国を帝国主義的だという議論があるんです。先ほどの議論からいうと、中国が自分の国益を考えていないというようなことはあり得ないですね。どの国も自分の国益で動くんです。それはあたりまえ、日本だってそうなんであって、そんなものを一所懸命説明するのは意味がありません。
 例えば、中国はADBとかIMFとか世界銀行とかの出資費率を変えましょうと言っているわけですが、それはなぜなら中国は今、日本のGDPの倍もあるからです。でも日本は例えばADBは断ったんです。なぜ断ったかははっきりしています。出資率が日本の倍になれば、総裁の椅子を取られるからです。だから中国がAIIBで主導権を持つことをけしからんと言うのはいいけれども、それじゃ日本は自分の主導権を維持するために中国の出資比率の引き上げを断ったのはどうなるのでしょうか。だから同じことを日本もしているってことです。このことを一応認めないと、ファイナンスを受けたいと思っているアジアの諸国民から見れば日本は何なんだということになります。
それともう一つ言いたいのは、南洋協会で問題になっているのは、昔と現在はやはり違うということですね。当時は世界の枠組みを、フランスとか、オランダとか、イギリスとかが決めていた時代ですよね。ただ、今は違っていて、多少ありがたいことにどの国にも日本もイギリスもフランスも行けるわけで、その中で勝負しているということです。ということは、AIIBがアジアのいろんな港湾を整備し、中央アジアの鉄道を整備すると、そういうものを日本の貨物も使うことができるということです。その事を考えると、我々がAIIBによる港湾とか鉄道とか道路とかの整備に反対してどうするの、となるということです。
中野:僕は大西先生の考えに大賛成です。僕はずっとライフワークとして国連とかブルッキングス研究所とかずっとこの分野の研究を行ってきて、軍事じゃなくて経済協力を通じて、ユーラシア・アジアを大切にしようと。その時に本当に中国が軍事じゃなくてインフラ整備を通じて貢献しようと言うことに対して、イギリスとかフランスとかイタリアとかが賛成した時に、アメリカの意向に従って反対したことが大いなる日本のミステイクだと思うんです。日本はもっとそこでソフトパワーとかスマートパワーとかを推進すべきです。アジアの開発に関しては戦前の日本の反面教師として考察すべきです。南洋協会もそうですが、いろんな行為、間違ったことをやったと思いますが、それを反省しながらね。
大西:同じことを、AIIBに入るべきだったと日経新聞の社説で述べているのですよ。日経新聞って大事なのは、私の意見は右とか左じゃなくて財界の、つまり経済界の意見なんですよ。その意見は重視すべきだと思います。
中野:李先生、中立的な立場からいかがですか。
李:あのう、僕は経済の事はあまりわからないのですが。
中野:それは卑怯ですよ、社会学者がですね、全部わからないとだめですよ、ははは(李:わかりました)
李:中国は今経済力が増しているので、覇権とまで言わないけど、世界をリードしたいと、アメリカの言いなりにはなりたくないんだと、というような意思表示を示し始めている。今お金が集まっているから、アジアのリーダーは今まで日本だったが中国がそこにかわって何かをやりたいんだという意思表示だと思うんですね。
松本:中野先生、この地球展望に書いているのを覚えていますよね。これ2000年に、その時にちゃんとこれは基本的インフラ整備を市場経済の視点ではなくて、安全保障の視点から展開すべきであるとかこういうのをずっと持っておられて、最後は北東アジア開銀構想まで言っているわけでしょう。今の中国の言ってることとどう違うのかと僕は思うんですよ。(中野:一緒です)そうなってくるから、この方を論破するとか、変えさせるが難しい。私は、それでいてちょっと違うのは、高校の世界史の先生が最近世界史が教えられていない、特に現代が教えられてないというんです。
李:テレビじゃないのでちょっと説明が必要ですね。
松本:それで、いわゆる東アジアが行方を握る21世紀の世界経済とこういうことまで書かれているのです。中国を中心とした北東アジアそして、ヨーロッパ、EUこれは2005年度です。もう2015年度はこれがもっと変化しています。一般の人の庶民感覚で反論できない、これが専門家となると何ぼでも反論できるんですよ、これが100万部売れているんですよ。受験生は一生懸命これを勉強していると思ってますし、一般の人も読んでいると思います。
中野:李先生、売れる本って。
松本:売れる本とかに話を持っていかないでください。
李:とても大事な話で、本はそれなりの理由があるんですね、しかし僕も大西先生も竹中先生もそうだと思いますが、本を1、2年かけて一生懸命やっても1万部とか2万部です。しかし、それが歌になりますと、瞬く間に100万枚とか売れたりすると我々の知的な働きはどうなんだという風にちょっと悲しくなります、先生どうですか。
大西:うん、難しいですね、私の受講生には芸能人もいます。
李:つまり100万部売れなくてもやはり日本の知的なレベルを高めるためにも、なにかを蓄積するためにやはり地道な仕事が必要なんですよね。
松本:その通りです。
竹中:僕は世の中を変えるなんてそんな途方もない考えを持っていませんが、僕と出会ってですね、100人に一人ですね、なんか覚醒するような若者がいれば僕の人生はそれで充分です。
李:すごく大事なのは、歴史を変えるのは一人か二人ですよ。だからそういうのは、やはり教育者、ここで議論しているのはみんな先生ですが。
中野:最終的には教育が大事だということで。ではまた来週。

1 月 21

中野:さて、いよいよ、今日のテーマですね、アジア・南洋協会のグランドデザインということで21世紀の今日このアジア、東アジア、世界平和のために、世界の福祉に、平和に、どのように貢献できるかということを考察したく思います。アジア・南洋協会会長の李相哲先生の方からメッセージをいただきたいと思います。
李:メッセージというか、歴史の前ではやはり謙虚にならなければ、私たちが今やっていることが正しいか間違っているかというのはわからないですよ。それを自分が知っているふりをしてこうだというふうにするのはちょっと驕りですね。
 歴史に学ぶというのはすごく大事で、私たちのアジア・南洋協会の話に戻すと、近衛さん、その4代目の会頭が内閣を投げ出したというか、それで東条英機が登場するんだけれども、当時彼がこうすればよかった、あーすればよかったというのは、今考えるといろいろ意見はあるんですが、ただ彼の当時の立場からするとあの人ができる最善の事だったかもしれないですね。
 僕は、今の我々にそういうことから何を学ぶかというと、今あまりに平和すぎて、生活も安定して、だから情熱がなくて、使命感がなくて、アジアを変えるんだとか、大アジアを作るんだとか、あるいは日本がアジアを何とかするんだとか、そういう使命感とか、何かがなくなってるような気がします。
 我々アジア・南洋協会の5人が今集まっているんだけれども、実は歴史というのは数人、2・3人でも歴史を変えられるんですよ。我々で歴史を変えようとすることではないんだけれど、僕はアジア・南洋協会のビジョンを、この5人で最初からあきらめないで、歴史を変えることはできないと考えずに、我々はそういう使命感を持って、100年の歴史があるんだから、そういうビジョンを提示すべきだと僕は思うんですね。
中野:アジア南洋協会の、李先生が会長で、僕が理事長。だけど僕は本当に何かできるかもしれないと思うのは、ここに世界マルクス学会副会長の大西先生、竹中先生は三菱東京UFJ銀行から実務を経験された最高峰のエコノミスト、民間から学者になられた教育の松本先生、日中韓と、僕も研究所なり、国連なり、この5人で何か変えようと夢想するのもいいんではないでしょうか。
 もう相当ブランデーで酔っていますので、思う存分アジア南洋協会のグランドデザインを語りましょう。どうすればいいか、今の日本は。
大西:もし我々が80年前くらいに前に住んでいて、歴史がどうも悪い方に行っているなと思ったとすると、たぶん二つの事を考えると思うんですね。
 一つはとにかく俺は死んでもいい、破滅してもいいけれども、とにかく正義の旗をかかえて戦うというものですが、もうひとつにはとりあえずちょっとでもましになるように頑張ろうというのがあります。自分はそのどちらを80年位前に選んだだろうかよくわからないですが、ともかく、今とりあえず南洋協会の話として言うと、先ほど言ったように当時の財界人の中にも、この世の中がどうも好戦的に動いていて何かおかしいと、マスコミがおかしいことを言っていると思っていた人がいたということです。財界人からすればすごく自然な話ですね。だから私は現在も、例えば日中関係をすごく悪くしようとする人もいるけど、そんなことしたら中国事業を進められない、もうちょっと冷静に考えましょうという人もいろいろいて、そういうことがすごく大事だと思うのです。
松本:結構なお話、ありがとうございます。李先生は僕は情熱の人だと思います。ちょっとこの場で運動を起こすことは非常に危険な気がするんです。大西先生は歴史超越主義のようなところがあって(李:僕は運動家じゃないですよ、学者ですよ)それは理性で情熱を抑制してるような感じがあるんですが、大西先生は一方、マルクスの情熱の思いをね、なんかこう理性、良心とか、人間性で語れないかという所で生きておられると思うんです。
 私たちがこの会で目指すべきは、大風呂敷を広げるみたいなことはもうできません。これは普通に歴史を勉強すれば不可能です。一方では少しでもという、先生の言葉はすごくうれしいですね、私たちができることは少しの事なんですね。でも、最近よく使われるので気になるんですが、神は細部に宿り賜うという言葉があるんですが、小さなことしか、小さなことでしか大きなことは起こらないという。こういう逆説的なことが、先生も先ほどちょっと言われたことに通じますよね。
竹中:僕たちはもう50歳を過ぎているわけですが、何ができるかというと、僕は次の世代を育てることだと思います(松本:いいですね)。僕は30年間、銀行で国際金融の世界で生きてきましたが、最後にエコノミストになって、今は大学の先生をやっておりますが、自分が大学の先生になるまで、自分が教育をおもしろいと思うと思ってなかった(松本:そうでしょう)。ところがやってみるとなかなかおもしろい。僕と接することによって、以前と以後とで変わったという学生はおそらく10人に一人か、その中でも突出して変わる奴は100人に一人か二人でしょうが、そういう若者が一人でも二人でも出てくることに対して僕はかなり喜びを感じているのです(いいですね、素晴らしい)。
有権者も年寄りばかりなってきて、若い連中があまり投票に行かなくなっているのに、高齢者ばかり投票に行くもんだから、結局、政治はそっちの方向に傾くばかりです。いわゆるシルバーデモグラシーで、世に中の変革を止めるような状況が出て来ている。それじゃ日本は沈没するばかりだ。ここは若い連中に高齢者は身銭を切ってでも、支援するとか必要で、それがなければ21世紀の日本はないぞと思っています。
中野:財団の専務を長く経験された井上雅二は、衆議院議員も経験して幅広い分野で活躍されている人々を巻き込んで行動しました。また人材育成というビジョンもありました。
李:第三代目会頭の蜂須賀正韶という人は、ケンブリッジ大学で勉強しています。100年前の時代にケンブリッジ大学に行っているというのはやはりすごいことなんですよ。僕の事を言って申し訳ないですが、ケンブリッジ大学という名前を知ったのは10年20年前ですよ。日本はその位アジアでは進んでいたんですよ。その位世界を見る目があった。韓国は鎖国をやっていて世界の事全くわからない。中国はもっとそうだったんです。ですからそういう意味で、アジアは日本に学ぶべきことは当時たくさんあったんですね。
竹中:その点に危機感もあります。やはり海外に留学する日本の学生は数的には減っている。海外に出ることはどういうことかって、僕だって最初はわからなかったですよ。わからなくてもいいから、あらゆることがグローバル化する時代なのだから、とにかく飛び出してみろと言いたい。留学でも、仕事でもなんでもいいから。僕たちシニア層がそれをサポートする、後押しする仕組みが今の日本には必要で、そのためには何が必要か考えなければいけないですね。
李:先生のところの学生はどうですか?
大西:割と海外に行っていますね。
中野:大西先生は京大から慶應に行かれましたが、財団は慶應の人が多いと思うのはすごくおもしろいですね。
大西:ありがとうございます。
中野:ではまた来週。

1 月 14

中野:みなさん、こんばんは、火曜日夕方6時はラジオカフェ―シンクタンクジャーナルの時間です。
 本日は、南洋協会100周年ということで、南洋協会の理事、評議員の方々に集まっていただきまして、世界を語りたいと思います。慶應義塾大学教授経済学部教授の大西先生、そして評議員の松本先生、龍谷大学社会学部教授の李相哲先生、龍谷大学経済学部教授の竹中先生、そして私を含めて5人でよろしくお願いします。
 だいぶヘネシーで酔っぱらってですね、松本先生のお父さんは満鉄で勤務されたと聞いているのですが、今日のテーマはジャパン、チャイナ、USということで討議したく思います。実は僕がワシントンにいる時に、ブルッキングス研究所、ジョージワシントン大学を経てアメリカ大学でジャパンチャイナUSというか東アジアの外交・安全保障に関する講義を担当しました。今世界を動かしているのはジャパンチャイナUSについて、具体的に分析する必要があると思うんですが、松本先生どうですか、
松本:ちょっと、満州の事は堪忍してください。李先生がいるので。ただ、私の母親は、釜山高女卒です。当時、朝鮮人の富裕層と交流があったようです。みんな朝鮮人というとひどい人みたいにいうけど、実は本当に李朝というんですか、その伝統を受けた人たちで素晴らしい人達だったと。教養もあり、素晴らしいと言ってました。
 親父はその影響があったかどうか知りませんが、当時朝鮮の学生を何人も下宿させているんですね。例えば試験を受けに来る時とか、商業高校の人もいたし、師範の人もいました。ところがそういう私的な、これは大西先生の話ですが、私的に非常に深い交流関係もあり、文化交流もあった、にもかかわらず、その満州とか朝鮮とかなると、国家レベルになるとこれは全然別問題なのですね。
中野:大西先生、僕が2003年ブルッキングス研究所にいる時、大西先生はニューヨークのコロンビア大学院で京都大学からのサバティカルで研究されていましたね。ブルッキングス研究所に来られて大西先生と初めてお会いしたんですが、あの時、熱くワシントンからチャイナの事について語ったんですが、覚えておられますか。
大西:そうですね。まず2003年から比べると今はだいぶ違う中国ができ上がっていますね。これは一つのポイントですね、すごく大きくなってきて、後に議論されるAIIB(アジアインフラ投資銀行)とか、この中国をどう評価するかという点では、この変化に対応することが大切ですね。私は日中友好協会に関わっているのですが、やっていてもそう思うんですね。それはやはり、どの国も割と似たような経過で、産業革命があってものすごい経済成長があってその後に対外的な拡張というのが起こります。だから中国はそんなにいい話ばかりではなくてそういう対外的な拡張という危険も持っています。
 ただ、私が言いたいのはそれを批判するだけではだめで、日本はまるきり同じことをしてきたので、うちはしていませんと、あなただけがしてるというのは、通用しないということです。ここら辺が大事かなと思います。
中野:李先生どうですか、大西先生のリスポンス。
李:あのう、中国の事ですか? 中国はやはり、この20年間に想像を絶するというか想像できないくらい大きくなりましたね。
中野:だけどもともと中国って、アヘン戦争までは世界の中心でもありましたね。
李:当時世界のGDPの30%近くを占めていました。当時どういう風に計算したかちょっと知りませんが。今の中国はでちょっと問題なのは、大西先生がおっしゃったように、昔の価値観、帝国主義時代のそういう価値観からまだ抜け出せてないんですよ。だからその、例えばアヘン戦争で負けて我々はひどいめにあったから、富国強兵じゃないけどそういうパワーで世界を何とかやろうと考えているんですね。そのような発想はだめなんですよ。
 しかし、中国はその時代のことが頭の中に残っていて、ハードパワーばかりで考えようとする。中国はソフトパワーを備えてないですよ。アメリカとか特に日本はそういう面ではとてもすぐれているんです。
中野:まだ未熟ということですか。
李:中国はそこをやはり強化していかないと。
大西:経済力の全くない毛沢東時代にはある種のソフトパワーでやるしか方法はなかったと思うんですね。経済力も軍事力もないから、それで共産主義のイデオロギー——これもソフトパワーです——とか人道外交で中国は良いことも行ってきました。それが今経済力がついてきたもので、アフリカにお金出したり、大きな軍艦を作ったり、といういう風に変ってきています。すごく残念ですね。
中野:すみません、大西先生は世界マルクス学会会長であり慶應義塾大学の経済学者。竹中先生はどちらかと言えば、反マルクスの考え方ですね。
竹中:いやいや、それは誤解です。僕は1970年代後半の東大の学生ですからね、どっぷりとマルクス経済学を勉強した学生でした。その後は民間の銀行でマーケットの世界に入って、30年かけて世界観が大きく変わった人間です。日本、中国、米国の問題でひとつ気になるのは、象徴的にいうと米国の大統領候補選でトランプ候補が台頭していることです。最初はみんなアメリカの知識人たちはあんなのは一時の事だよと思ったにもかかわらず、共和党保守の有力候補としてトランプがトップを走り続けるわけですよ。これはいったいどういうことだ。これはアメリカにとって非常に危険な兆候だと思っています。
 同じような兆候は例えばフランスでもあるわけでしょう。ルペンが率いる極右の政党が勢いを伸ばしていますね。こうした右派ポピュリズムみたいな勢力が選挙で、ものすごい支持を集めていますね。その背景には何があるかというと、一つは富の不均衡、所得格差の拡大に対する大衆的なレベルのフラストレーション、後はやはりテロリストの脅威にさらされるという緊張感もあるでしょう。これは消して日本にも無縁なことではないと思います。
中野:20世紀の今日チャイナUSが世界の第1第2の経済大国であり安全保障の面でも影響力は極めて大きいです。大国の狭間の中でジャパンとしては太平洋を挟んで何ができるのでしょうか?
李:先のマルクスの話ですが、僕は他の知識は乏しんですが、修士学位論文でマルクスを書いたんですよ。マルクスは実は新聞とかのジャーナリストで、何かメッセージを発信したいと考えていました。ライン新聞ですが。
 当時、わたしはマルクスの全集、それを全部あさって、そこから新聞に関する論文を全部読んで、(中野:ロンドンの図書館へ毎日いかないとだめじゃないですか)幸いに日本に全部あるから、それはなかったですが、それで結局得た結論は、マルクスは社会主義国のそういう新聞と全く真逆の新聞の自由を一番強く主張している自由主義者なんですね。ただ、マルクスを正確に理解するには専門家が必要ですけれど。
大西:かなり賛成ですね。要するに、マルクスというものにはそれを自由主義的に解釈するものと権威主義的に解釈するものという2種類の全然違う種類の解釈があるのですが、私はマルクスは明らかに自由主義者と思っています。
中野:え、自由主義者なんですか。
李:あの人の魂というのはすごく自由ですね。
竹中:これは歴史の皮肉で、例えば既に崩壊しましたが80年代のソ連は、「我々はマルクス主義に基づいた国家です」と言っていたわけです。また今の中国も随分変質しましたが、依然「マルクス主義の国家です」とか、「その末裔です」とか言っていますが、今マルクスが蘇ってそれを見たら、とんでもないと言ってびっくりするのか、爆笑するのか驚くのかよくわからないが、そういうことになりますよ。
大西:自分を正当化するために全然違うものを取り入れるなど、世の中ではいろいろありますが、それと同じですね。「平和」というスローガンで戦争をしたみたいなものですね。平和と言われれば平和なのだろうと思う人もしますが、まるっきり逆という人もいくらでもいます。
中野:もしも1915年って100年前の南洋協会に戻ったとしたらと想像してラジオでトークをしているんですが、100年前、もし我々がどうなるということを知っていたと、だけどここでどうなるってわかっていてもどうすることもできなかったでしょう。だから、中江兆民の三酔人経綸問答に登場する中江兆民の分身の豪傑君、洋行帰りの紳士、南海先生の三人は、自分の力の限界を超越した世界情勢の矛盾の中でアウフヘーベンを探求しようと試みたのだと思います。
 どうしたらいいか、僕はこうしたらとわかっていてもその時の国際情勢の変化とか天皇との関係とか、いろんなことを考えると行動できなかったと思いますね。
李:近衛さんは第4代目の会頭ですが、彼の行動を見ていると、当時戦争は負けると、しかしもう東条英機に任せようと、いう風に消極的にやっているんですよ。どうしょうもないと。その時天皇陛下に責任が行かないようにするにはどうしたらいいかと考えていたのでしょうけれど、歴史には逆らえななかった。
中野:では来週。

1 月 07

中野:今日も引き続き南洋協会100周年ということで、ヘネシーというブランディーを飲みながら思う存分語りたいと思います。
 龍谷大学経済学部教授の竹中先生、龍谷大学社会学部教授の李相哲先生、そして評議員の松本先生、慶應塾経済学部教授の大西先生でよろしくお願いします。
 さて大西先生、なぜ日本は戦争を行い、敗戦国になったかということなんですが、その前に何かありましたらお願いします。
大西:先ほどの話でありましたのは、やはりそのような戦争に向かうのはある種の強い大きな流れがあったという話ですね。先ほども言いましたように、いろいろと南洋協会の書籍や講演とかに目を通して思ったことの一つは、正当なことも言っている、ということなんですね。例えば、フランス領インドシナに日本の企業が入れなかったのはフランスがそういう政策をとっていたからなのですが、その結果、ここには南洋協会の支部もないですね。なので、当初、南洋協会はそういう政策をやめてくれとか、イギリス植民地での日本人の土地の取得制限をやめてくれとか、オランダ領インドネシアでの電信の検閲をやめてくれというような要求をしています。
 これは要するにフランス帝国主義とかイギリス帝国主義とかオランダ帝国主義とかの不当な事業活動に対する制約に対して戦ったということで、これは正当な要求だったと私は思うんですね。そこまでいくと、その後こういう制約の中で戦争に突入していってしまったということは帝国主義間戦争ということになります。第二次世界大戦というものは植民地・反植民地の戦いであり、ファシスト・反ファシズムの戦いという性格も持っていましたが、同時に帝国主義と帝国主義の間の戦いでもあったと、このことを忘れて、ただただ日本が悪いことをしたという単純な理解は良くないと思います。
中野:南洋協会設立の中心人物であった牧野伸顕がベルサイユ講和条約の時に大使だったのですが、人種差別撤退提案を通じて大西先生がおっしゃったように アングロサクソンとか白人中心の行動に真っ向から異を唱えました。
李:僕はほかの地域はあまり詳しくないんですが、満州をいいますと、満州の利権はアメリカもほしかった。それを日本が、我々はたくさんの人命を犠牲にしてロシアと戦って勝ち取ったんだ、だからこれは日本の物だと。その当時、大局的に観て、アメリカと鉄道の利権とかを少しでも分け合っていたら歴史は全然変わっていたと思いますね。
中野:フォーリン・アフェアーズという権威ある外交雑誌に興味がある論文の中に、李先生がおっしゃたようなことが掲載されています。ユダヤ系のハリマンという鉄道王は、北米大陸を横断し、太平洋を渡り、シベリア鉄道の如くユーラシア大陸を東西につなげるという壮大な開発構想を描きました。そのためには、満州が重要な拠点となり日本に協力を求めたのです。ユダヤ系が北東アジアにおいてイスラエルのような国家を作るという構想に対して、日本は協力すべきであったと考えます。そうすることによって、日本はドイツのように反ユダヤ的な動きと関係を深めるよりも、アングロサクソンと組みながらユダヤと一緒なってやることによって第二次世界大戦を回避できだと思うんですね。
 第一次世界大戦の時と同様に、日英同盟とアングロサクソン・ユダヤと協力関係にあれば、第二次世界大戦の犠牲になることはなかったように思うわけです。
李:ですから、日本は歴史から学ぶとすれば、各論で言えば日本が正しいんですよ、例えば鉄道利権は我々が正当に勝ち取ったんだと。しかし、世界全体の雰囲気というかそういう大局的な観点から満州をどうするかとかのそういう部分で日本は誤ったんですね。もう一つは満州の利権に留まればよかったですが、欲張りすぎたんですね。
竹中:歴史を振り返る時に一番やってはいけないことは、今の価値観で以て50年、100年前の出来事を良いの悪いのっていうのは非常に簡単で、俗流の歴史の議論の中で横行していますが、それはやはり決定的に間違いだと思います。
 第二次世界大戦というのは3つの要素があって、植民地の独立運動の要素は確かにあった。それからファシズムと民主主義の戦いいう要素もあった。それから帝国主義と帝国主義の戦いもやはりあっただろうと思います。しかしながら、当時を生きた人達にとって帝国主義対帝国主義という面が最も一般的であり、最初の二つは実は戦争が終わってから、強調されるようになったイデオロギーであると僕は思っています。それでも敗戦国と戦勝国とにわかれ、敗戦国の敗戦を批判するイデオロギーと議論とそれから戦勝国を正当化する議論、そういうものがやはり戦後支配的になったわけです。
 僕たちが歴史を振り返るときにはその辺の問題を一度取り払って考えてみる必要があって、この日本の戦後の支配的な考え方は歴史を見る目としてはちょっとおかしいと思っています。
中野:今のこの価値観を全部忘れて1915年とか30年の時代で日本は日清、日露戦争、第一次世界大戦に3連勝し勢い乗っている、そのような状況の中で考えるといろんなオプションがあったと思うんですが。
松本:今お話しいただいた、竹中先生の話はその通りでね、私もそう思うんですよ。どうしてもその当時の人たちの感覚というのはなかなか想像しにくいんですよ。それをしっかりと捉えなければいけないので、そのためには当時の演説とかの個人少数者の思想とかを研究する必要があると思うんです。結構この人達がいわゆる大衆とか世間を代表するところがあるんです。僕がどうしても言いたかったのは後藤新平と孫文です。これは人物伝になるからいいですが、辛亥革命、これに命かけた日本人、犬養毅もそうですが、軍事的な援助に関してもいろんな日本人がかかわっています。やはり中国の革命思想、毛沢東に至るまでの、これは必ずしもフランス革命ばかりと言えなくて、やはり孫文に始まる王道の道があったのです。
中野:孫文の神戸女学院での演説は有名ですね。「西洋の覇道でなく、東洋の王道の干城になれ」と日本の進むべき道を示しました。李先生のご両親は韓国出身で先生は中国で生まれて、韓国・中国・日本とバランスよく東アジアを展望できる立場にあります。李先生がもし100年前いわゆる国策というか、これからの日本をどうしようとか、これからのアジアをどうしようという立場だったらどのように考察されるのでしょうか。
李:当時、韓国の若者は日本にやってきて、福沢諭吉先生にいろいろ教えを仰いだのですよ。しかしこれはそもそも論に戻るんですが、歴史には人間がどうしようもない部分があるんですよね。韓国のその先駆者たちが韓国に戻って福沢諭吉先生のアジア主義を実践しようとして全くダメだったかというと、韓国がそういう風になってないんですよ。それを考えると僕は優秀な人間でもないですが、当時生きていたら、やはり日本と一緒になって当時の知識人みたいに日本になろうとしたんでしょう。当時の若い韓国人たちはね、慶應義塾に来て勉強して帰った人もいるし。
大西:明治維新と同じことをやろうとして、立ち上がったけれど失敗しました。それで朝鮮も中国はだめだという風に福沢が思ってしまったので「脱亜入欧」という言葉ができてしまったわけです。
中野:福沢諭吉の脱亜入欧・和魂洋才や大隈重信のアジア中心の和魂漢才というけど、僕は和魂萬才(わこんばんさい)という考え方が良いと思っています。いまでいうグローバリゼーションというか多極化の時代において、ヨーロッパもアジアも、先進国も途上国も大切だという地球を鳥瞰する「萬」の考え方に重きをおくべきだと思うのです。
 実はこのアジア南洋協会の中心的な役割を果たした井上雅二という人物は、アジアだけを見てはあかんとヨーロッパもみなあかんとグローバルに行動しました。僕も井上のように国連等を通じて世界の様々な地域で開発援助、研究、教育の仕事に従事したのですが、そこで習得したことは、世界を鳥の目のように鳥瞰すること、虫の目のように狭く深く観察して、魚の目のように潮の流れや潮流を感じる能力を高めることです。財団の活動にこのようなことを取り入れたく思っています。
竹中:マクロでもなくミクロでもなく、魚の目というのは潮の流れを感じとることですね。
僕はマクロのエコノミストだから典型的な鳥瞰・俯瞰が大好きです。地球の衛星軌道から地球の大地を見下ろすような鳥瞰が大好きですが、同時に潮の流れというのは非常に重要な見方ですね。特に経済、市場の流れは、時々大きくガラッと変わるときがあります。今また100年に一度の転換点のような気がしますが。時間がなくなりましたので、それはまた次回にします。
中野:15分というのがあっという間に過ぎますね、引き続きそのまま酔いに任せ経綸問答を継続したく思います。アジア南洋協会の理事・評議員の皆様、集まっていただきどうもありがとうございました。

12 月 31

中野:みなさんこんばんは。火曜日夕方6時はラジオカフェーシンクタンクジャーナルの時間です。
 100年前に財団法人南洋協会が設立されたんですが、その創設メンバーは本当にすごいです。犬養毅、第29代内閣総理大臣、文部大臣、外務大臣を歴任し、五・一五事件で暗殺されたのですが、ロンドン軍集会議で活躍され、カンジー、ネール、タゴール、孫文と並ぶアジア主義者でした。新渡戸稲造は、京大教授、東京女子大学学長、国際連盟のナンバー2として活躍されました。日本の資本主義の父と言われた渋沢栄一、第42代内閣総理大臣鈴木貫太郎、外務大臣、大東亜大臣を経験され、陸軍の反対を押し切って大東亜戦争を終戦に導いています。セイコーの創業者の服部金太郎、読売新聞主執で衆議院議員の竹越興三郎、中野武営は衆議院議員で初代の東京商工会の会頭、陸軍大臣の大島健一、第4代慶應塾長の鎌田栄吉、満鉄総裁の中村是高、ロシアの世界最強といわれたバルチック艦隊を破った戦艦三笠で指揮をした秋山真之、東京芸大創設者の目賀田種太郎などなど。
 その中でも事実上の中心人物が実は井上雅二で非常に魅力的な人です。中国朝鮮台湾を歩き回って、ウィーン大学やベルリン大学で学んだ東西のバランスがとれた人物です。設立の時から20年程、専務理事として人材育成を中心に据えたのです。以上、南洋協会のメンバーの一部を紹介させていただきました。
李:南洋協会の4代目会頭に近衛文麿さんがいますよね。彼はすごい人ですよね。近衛さんが、私勉強不足で何年に4代目の会頭に就任したかというのはちょっとまだつかめなかったんですが、彼の生涯を見てみますと、太平洋戦争に突入する前に内閣を投げ出すんですね。自分は自信がないと、もうあなたたちやりなさいと。東条英機がその後、内閣総理大臣に就任するんだけれども、この戦争は間違いなく負けるんだということで東条英機に引導を渡しました。
 その当時、南洋協会というのはかなり活動的で、ベトナムに南洋協会の学校を作ったりしています。当時に会頭に就任した人の考えが南洋協会にすごく影響を与えたのは間違いないですね。ですから、終戦間際、そのまえに近衛さんが会頭になったというのは南洋協会にとってある意味戦争と一線を画したと言えるのではないかと僕は思うんですが、先生はどうですか?
大西:個別的な人物の動きというのは知らないですが、私は当時の雑誌とか講演録をいろいろ眺めて、おもしろいと思う発言がいくつかあるんですね。先ほど2回目に述べたように聖戦とか、戦争に向かわせるような発言はもちろんあるんですが、彼らは実業家たちですからこういう風にも言ってますね。
 「指導階級の無責任な一方的な報告を鵜呑みにしたる、不謹慎なる南進論、南方旅行者の軽薄な行動、興味本位の旅行団など」といった表現や、こうした新聞雑誌に掲載される記事によって不利益を得ているとか、どこか儀礼的な親善工作は逆効果であるとか、書かれています。いかにも財界人というか、経済活動をその場でやっている人間ならではの内容ですね。そういうものも実は南洋協会のいくつかの活動の中の一項目でした。
李:実は僕は南洋ではなく、満州が博士論文です。だからそういう立場からすると、政治の事はさておいたとしても、当時日本が南洋に行かなかったら、ある意味歴史は変わっていたんですよ。最初満州をどうするかいろいろありましたけれども、日本は南洋に積極的に取り組んでからおかしくなったんですよ。
中野:ドイツが世界大戦で負けたからドイツの南洋の領土を日本が取ることができた。アメリカのモンロー主義がありましたから、太平洋を自由に支配できた時代ですね。
李:日本の当時の構想はね、朝鮮半島、それから満州、それからモンゴルとかという風につなげて日本列島と繋げると。そうするとものすごい豊かな地域ができるんですよ。本当はそれも日本にとって大きな仕事だったのに、南の方に拡張したことが問題だったと思います。
中野:大東亜共栄圏というのは、南洋も含めるのですね。
大西:ある種含まれていると思うんですね。例えば、今でいう南沙諸島、西沙諸島は、当時台湾の一部でした。だからそういう意味でも南洋協会のベースが台湾にあったというのは割と自然なことです。
中野:いまだ台湾の日本に対するイメージがいいですね。
大西:とにかく南洋諸島に対する基地として台湾が存在したわけです。
松本:今のお話に引き継ぎますが、台湾がうまくいきすぎたんです。これはアメリカが戦後日本でうまくいきすぎたのと同じような構造があって、台湾にとって不幸なことともいえます。今もって台湾が中国と対立するのに、日本との歴史的な交流があったことが、非常に大きいと思います。李登輝とか具体的な人物を上げなくてもわかると思います。
 もう一つは李先生の話ですが、なぜ満州が生命線とか、言い出したのか? これは緒方貞子さんの本を読んでわかったんですが、私たちが考える以上に関東軍というのは左翼思想の影響を受けているということ。この点は僕、日本人はもっと知る必要があると思うんですね。だから満州で理想の国をつくろうとか言いますが、それは確かに貧しい東北の兵士の中にはあったんですよ。
中野:松本先生がおっしゃるように戦争の一つのファクターというのは経済的貧困とかあると思うんですが、いかがですか竹中先生。
竹中:貧困……、経済と戦争の関係は、それほど単純じゃないと思います。
松本:今の話の続きですが、新渡戸がですね、アメリカからお前何言ってるんだと言われたのと、もう一つ、先ほどの共産主義と軍閥だけれども、軍閥がだめだと言ったんです。
中野:緒方先生の本からの知識ですが、左翼思想と軍部とが結びついていると、天皇陛下が暗殺される可能性があるから、知識人を含めて何も行動できないような状況ができてしまったことに大きな日本の過ちがあるという見解です。
李:僕はここでは異質な人間かもしれませんが、日本の過去の歴史を批判する人がたくさんいるということ、政治的なこととは全く関係なく、日本という国は近代明治維新以降一番アジアでは外の世界をよくわかっていた。だから日本が戦争で負けたけれどもやはり日本はアジアではスターなんですよ。戦争で他の国をいじめたかもしれませんが、(経済的にはね)日本がそれをしなかったら日本がどうなったか。歴史には「もしも」はないんだけれど、そうした場合に日本は明治維新以降、外国に植民地にされないためにいろんな悩みがあったんですね。ですから、南進論もそうなんですが、大アジア主義を唱えて、最初は中国と韓国と力を合わせてやろうとしてたのが、それが失敗して、違うことをやっている、だから歴史からすると日本の選択が必ずしも僕は間違っていなかったと思います。
大西:間違ってないというとちょっとややこしいですが、ちょっと似た主張として述べると、その時代に生きてしまうと、どうしてもそういう気分になるということですね。
(皆:その通りですね)本当にそう思うんですね。つまりちょっとした間違いでひよっと戦争に行ったんではなくて、もっと太い、ある種の必然に近いような、そういう流れだったと。だから話は相当深刻だと。
李:その通りです。歴史について、今みんな賢そうにいろんなことを言うけれど、その時代に生きる人は、好き勝手なことを言えないですよ。
大西:そうだと思いますよ。帝国主義の時代だったのですから、日本は西洋列強の植民地にならないでいるためには帝国主義にならざるを得なかった。そういう時代的な制約があったわけですが、その中でもやはり舵取りの問題があるわけですね。英米との袂をわかってドイツについてしまったと。そこに至る過程の問題ですね。
中野:時間なので次にいきます。

12 月 24

中野:南洋協会の役割と見解ということで、李先生一言お願いします。
李:調査研究が一項目に挙ってるんですね、つまり南洋、当時日本は植民地政策を進めたのもおそらく日本にはエネルギー資源の危機感があって資源が豊富な中国の東北や南洋諸島に進出した。南洋協会の基本的な役割は今も変わってない。つまりシンクタンクというか調査をしてそれをどうするかという、政策にどう反映するかということを行った。その後、次第に南洋協会の役割が変容していくんですね。
中野:まず調査が入って実践ということで、大西先生。
大西:そうですね。慶應義塾には90何年前の南洋協会の雑誌とかが残っていまして、私もかなり見せていただき、またこれらを勉強しました。明治期に征韓論と言われましたね。それが大正期に南進論となり、南洋協会がそれを推進しました。ただし大正期は経済的な進出論が中心だったのが、昭和期に入るとかなり軍事的な色彩を被るようになっています。ので、その推進役を南洋協会が担ったという否定的な面も同時に見て、それをそのまま肯定しないこと、そうしないと戦後の世界では日本は生きていけないということは大事なことだと思います。
ちょっとだけ中味に触れますと、日中戦争を聖戦だと南洋協会の雑誌には書かれています。また、日中戦争以来、世界は中国や列強の宣伝で日本は誤解されているというようなことも書かれています。つまり、あの日本の悪事をこうして合理化していました。南洋協会はそういうプロパガンダの機関でもあったということをちゃんと認めたうえで、同時に思ったのがすごくまともなこともしているということです。
先生がおっしゃったように、商品陳列ショーというのを行っていますが、良い商品を見てもらって買ってもらうのは別に悪くないですね。人類学とか文化研究を行ない南洋にどういうものがあるのかという知識を増やした、企業家の経験を活かしたこうした活動もそれは悪いことではありません。
李:それはいつから方向転換するのですか? 30年代に入ってからですよね?
大西:いろいろ読んだところによりますと、当初イギリスとかは自由貿易の立場に立っていたので、イギリスの植民地では日本も活動することできました。本当はいろんな活動への制約があって、南洋協会としていろいろ注文をしているのですが、その時には経済が大事だと、進出は経済分野だと書かれています。ただ、途中からやはり欧米列強によるABCD包囲網が成立して、今後は単なる経済的なものだけではだめという話になりました。
中野:まず日清戦争が終わって、日本は中国からの賠償金を活かしながら、まず満鉄とか大陸中心、政府の主流が大陸論でした。南洋というのは、マイノリティでした。
李:だから台湾総督府とすごく近いですよ。最初事務局も台湾総督府東京出張所に置いてあったんですね、ということは台湾植民地政策をどうのように評価するかということが重要です。最初の意気込みというか、あれは僕は悪くなかったと思います。
中野:悪くなかったですね。いずれにしろ日本というのは資源がありませんから、南洋で資源を確保するということで、台湾総督府の経済的な成功例を南洋に持っていったのでしょう。
竹中:当時は、やはり経済的な進出と軍事的な進出が一体化してしまう帝国主義の時代だから、今僕のエコノミストの感覚では全然通用しないと思います。
松本:台湾に関してカリキュラムを見たのですが、非常に南洋を勉強しているのですね。向こうの現地の人たちを教師に仕立てるような日本のカリキュラムを持って行って、学校を各地に作っているわけです。先ほど言ったように、最初の目的というのは確かに文化交流みたいなことも含めて歴史的な南洋の勉強ということもありました。端から資源をとか、侵略というのは、一部の人にはもちろんあったと思いますが、これに非常に大きな働きかけをしたのが、新渡戸稲造だと思います。彼を失ったということはやはり西洋から日本が孤立していった大きな動機になると思います。
 それから満州のことを言われましたが、これは間違いなく後藤新平だと思います。中村是高がやはり満州の方に目を向けた。後藤新平に可愛がられて40歳なんかで総裁になったし、東京市長も経験していますよね。ですから日本の政府ともつながっていたと思います。
中野:本当にそうそうたるメンバーで構成されていますね。南洋協会のビジョンは間違いなかったけれども、しかし、実際に戦争という方向に向かったのは事実です。限界という観点から何かありますか?
李:ですからこれは南洋協会だけを見ると、歴史の中で人間も団体組織も歴史をチョイスして存在できないですね。今見ると当時こうすればよかったというんだけれども、歴史の流れというのがあって、当時の日本がおし進めた政策はみんな正しいと思ったわけです。ですから南洋協会もそこに協力したというか、その波に乗ってそういうことをやったと思います。
中野:外交政策決定過程論。その当時人物と人物でどういう化学反応を起こしてどうなるのかという分析。しかし世界情勢の波の中で、これほど人物がいたのに戦争の方向に持っていかれてしまった。財団設立時の1915年というこの時点というのは第一次世界大戦の最中で、日本はその後戦勝国になって豊かな大正時代が来るけど、1929年の経済的クラッシュによって大きく変更していくと思うんです。やはりその辺の経済的なファクターを分析することが大事だと思いますが、どうですか、竹中先生。
竹中:戦前の日本の失敗ということに関して言うと、やはり満州国を作ってしまってそこで止まらなくて、そのまま中国との全面的な戦争に突入していってしまった。その過程で東京が関東軍をコントロールすることができず暴走してしまうわけです。それが結局、戦争の拡大を招いてしまった。よく言われることですが、やはりその辺に決定的な問題があって、中国大陸全般に日本が権益を拡大していく過程で、結局、米英の利益とも決定的に対立しました。第一次世界大戦は米英について戦勝国になったにもかかわらず、結局中国との関係に失敗して、米英と対決するという構図で第二世界大戦、太平洋戦争でボロボロに負けるという、そのへんが失敗の分岐点になったと思います。
中野:当時の日英同盟を中心に考えたらいいと思いますが、やはりアングロサクソン中心のロンドン軍縮会議、ワシントンの軍縮会議で日本国内の不満が高まったと思います。そのへんはやはり問題があると思います。エコノミストの大西先生。
大西:ちょっと違う観点ですが、先ほど李さんの話を引き継ぎまして、大事だと思うのは、実はこういう流れの中で人は動いていたということです。私は新渡戸と後藤は良いとかいうふうには思わないのです。
 私は中国少数民族問題に興味がありますので、マイノリティの目から見たらどうなるかいう視点でものを考えるのですが、例えば北海道開拓も新渡戸ですよね。そこでいくとアイヌ人からはめちゃくちゃ悪いやつとなります。やはりそういうことがあるんで、彼は良い奴、彼は悪い奴と区切られないと、まさに先生がおっしゃったような趣旨で思うのです。世の中全体が変っていったところの内部での話に過ぎながったというのが一点です。
 それから、新渡戸が戦争を主張したかどうかは知らないし、言わなかったかも知らないですが、もし抑圧的な戦争は主張しなかったとしても、少数民族を抑圧したとか、台湾住民を差別したとか、そのレベルの話が戦争と独立にあると思うのです。やはり原住民の反発があったとか、そういう話がやはり一杯出てきますね。それが一つの論点だと思います。
李:もう一点すごく大事なのは、僕がこのヘネシーの存在を知ったのは10数年前なんですが、おそらく中国人はそうだと思う。しかし、日本人は100年前にヘネシーを知って(人によりますが)、新渡戸稲造や福沢諭吉が外国に行ったり、それらのことをどう評価するかはまた長い時間が必要ですが、日本はやはりアジアの先駆者なんですね。悪いこともあったかもしれませんが、そこには試行錯誤があって、満州を占領して南もやってみようという、その時代の英雄たちのなんというか、日本人は当時良い意味での夢があったんですよ。
中野:明治維新から3〜40年の時点でしょう。
李:いろいろ本を読むと、その時代の日本人はものすごい躍動的というか、今とちょっと違う、元気があるというか……。
中野:みなさん今日ヘネシーで酔っぱらいながら思いっきり先人が行ったように国際情勢の変化の中でどの方向に進むべきかを考え語ることが大事ですね。日本は敗戦国になったんですが、当時の状況をもう一度ゆっくり具体的に分析する必要が絶対あると思います。
 あっという間に第2回目が終ってしまいましたが、もう一度南洋協会100周年祝って、乾杯!!

12 月 17

中野:みなさんこんばんは。火曜日夕方6時はラジオカフェーシンクタンクジャーナルの時間です。世界の中の日本・京都を語る番組です。
 パーソナルティの大阪学院大学経営学部教授、並びに一般財団法人アジア南洋協会の理事長の中野有です。本日は、スペシャル番組ということでこれから15分間番組を8回連続で収録していきたく考えています。ちょうど100年前1915年第一次世界大戦の最中に南洋協会が日本の半官半民という国策に近いような形態で設立されました。100年記念番組として、南洋協会の理事並びに評議員のみなさんに集まっていただきまして、ヘネシーというブランデーを飲みながら思う存分語っていただきたく思っています。なぜヘネシーというブランデーかと申しますと、僕は坂本竜馬を尊敬しておりまして、坂本竜馬の弟子の中江兆民が岩倉具視一行の船に乗ってアメリカ、ヨーロッパへ1年8か月旅に出ました。その中江兆民が、3年くらいパリで生活し、東洋のルソーとして自由民権運動等の研究をして、日本に戻って来ました。当時、日清戦争が始まろうとする時勢でした。
 弱肉強食の帝国主義がアジアに蔓延する国際情勢の変化の中で、三人の酔っ払いがヘネシーというブランデーを飲みながら夜を徹して日本の進むべき道について熱く語りました。それは哲学者ヘーゲルの弁証法である正・反・合のアウフヘーベンの考察でもあります。
 3人は中江兆民の分身でありまして、一人は「豪傑君」で今日の日本の進むべき道は、日本が植民地化されることを回避するために大陸に進出すべきであると主張しました。そして酔いに任せて、これも中江兆民なんですが、パリから帰国した「洋行帰りの紳士」が日本の喫緊の仕事は、経済協力と文化交流を推進することで、西欧の列強や周辺諸国からの尊敬や信頼醸成が生まれ日本は決して侵略されないとの持論を述べました。今でいうソフトパワーを強調しているのですね。それを聞いていた3人目の中江兆民の分身、「南海先生」は豪傑君の主張は正しい、日本が大陸に進出しなければ日本というそのものが消滅してしまう可能性がある。しかし、大陸に出ることによって必ず戦争に負けて大変な状況になることは確かである。洋行帰りの紳士が言っていることは単なる理想にすぎない。しかし100年の時を経て、洋行帰りの紳士が語る理想は実現される可能性があるということを示唆しました。
 まさにこの南洋協会というのは南海先生のような南の海の深く広い思想を目指し、未来に向けてのビジョンを構築しようと考えた財団であります。そういう意味で今から、思う存分100年前に設立されました南洋協会についての歴史を振り返りながら考察すると同時に、財団のレガシーを活かしながら21世紀の今日のビジョンを探求したく思います。まずは今回のトークのメンバーを紹介させていただきます。年功序列で行きます。
 松本浩二先生です。
松本:はい、こんばんは。 
中野:松本先生は40年近く京都ノートルダム学院小学校の教員として教育に携わり、そして今は南洋協会の評議員の筆頭としてアドバイスをいただいております。次は大西広先生。
大西:はい、ご無沙汰です。
中野:大西先生は京都大学、若くして京都大学の教授になられて、世界マルクス学会の副会長をされました。
大西:だいぶ前ですけどね。
中野:現在慶應義塾大学の経済学部の教授です。
大西:はい、そうです。
中野:そして竹中正治先生です。竹中先生は僕がワシントンでお会いしたのは三菱東京UFJ銀行のワシントンの事務所に勤務されていた時ですね。
竹中:こんばんは、よろしく。
中野:はい、現在、龍谷大学経済学部教授です。
 そして僕の大の親友の李相哲先生です。財団の会長です。
李:はい、こんばんは。よろしくお願いします。
中野:先生は現在、龍谷大学社会学部教授でテレビでもお馴染みの東アジアの外交・安全保障等の専門家であります。
 ここからスタートですが、我々はヘネシーというブランデーを飲んで酔いが回ってきたところです。そこでまず李先生からいいですか。
李:はい、いいですよ。
中野:会長ですので。
李:100年前にヘネシーを飲みながら世界を語ったというのは今日初めて聞きました。その位歴史のあるお酒なんですね。このアジア南洋協会の前身の南洋協会についていろいろ調べていたんですが、創立メンバーがそうそうたるメンバーだとわかるんだけれども、一番初めの総会が築地の精養軒で開催されました。当時は東京にフランス料理が全然なかったんですよね。だからそこで、やはりワインとかを飲みながらやったんじゃないかと想像します。
 当時創立メンバーの中で一番有名というかみんなが知っている人を一人あげるとすれば、新渡戸稲造です。当時、彼はちょうど今の我々の世代なんですよ。57歳なんですね、ですから僕より少し上です。
中野:新渡戸稲造は財団法人南洋協会設立の数年後、第一次世界大戦の終了後に、国際連盟の事務局長ナンバー2としてジュネーブを本拠地に世界平和のために尽力しました。
李:そうですね。彼が武士道という本を書いたのが1900年ですね。ですから1900年は彼がちょうど38歳ですかね。それから15年後にこの創立メンバーになったというのは当時既にすごく有名だったんですね。
中野:そうですね。大西先生、南洋協会の発起人の一人が慶應義塾大学塾長ですね。
大西:そうですね。創立総会の座長は近藤廉平、それから発起人の筆頭には犬養毅が入っています。一応福沢の弟子です。
中野:犬飼も慶應ですね。
大西:100年くらい前に活躍した人物となると百何十年前に大学を卒業していないといけないですね。そうなるとどうしてもそういう古い大学から出た人間が多くなるのです。また、慶應義塾はあまり官界に行くな、政治家にあまりなるなと教えられましたが、その結果、財界系の人物の多い南洋協会とやはり関係が深くなったのだとこの創立メンバーを見て思いましたね。
中野:さて、竹中先生。経済学者としてこのそうそうたる創立メンバーをどのように思われますか。
竹中:昔のことは詳しくないのですけどね、みなさん昔の話をするので、私も昔の話をさせていただくと。私は大学の教員になる前に先ほどご紹介いただいた通り、30年間、三菱東京UFJ銀行で働いました。もともと入ったのは東京銀行という国際金融専門の銀行です。東京銀行というのは前身が戦前の横浜商金銀行です。いわゆる国策国有銀行です。当時日本の外国為替取引と国際貿易などに関する金融をほぼ独占していました。
 その頭取に高橋是清がなっております。高橋是清はみなさんご存知の通り、30年代前半の日本の大不況の時にケインズがまだ一般理論の本を出版する以前に財政と金融を総動員した一種のリフレ政策を実施しました。混迷する日本経済を救済する役割を果たしました。今日本はデフレという状況に90年代後半以降入っているわけですけれども、いろいろな形でリフレ政策が投入されて、どうなるかという状況にあります。まわりまわっての歴史、大きな循環のようなものを感じます。
中野:外交安全保障の限界の延長線上に戦争というものが勃発しているんですが、その背景には経済的ファクターが大きいですね。松本先生、先生にお願いしたいのは乾杯です。
松本:乾杯? 言いたいことあったんですが、乾杯になりましたので、「アジア南洋協会」創立100周年おめでとうございます。乾杯!! 乾杯!! ありがとうございます。飲めない私が飲むとちょっと興奮してきますが。
 ちょっとみなさんの発言にバイアスをかけるようなこと言いますが、日本は、戦争に対する反省をするとき、必ず出てくるのが国策という言葉なんです。「国策」でとか「帝国主義的」にとか「西洋列強に習って」とか、「植民地政策」でとか、「侵略」でとかね。これを僕は、きれいに排除して、戦後の意味がステロタイプになって新鮮に問えないので、日本の将来が見えないないのではないかと思うんですよ。今みなさんが「国策」云々と言っていましたけどね、『南洋協会』は確かに大正4年1915年にできたんですが、今問うべきは国策設立「南洋協会」100周年ではないと思います。
 実は、来年の1月30日に100周年を迎えるのですが、国策という言葉が使われるのは政府関係者がリードしたのは事実ですが、例えば座長の近藤廉平、彼は男爵で、つまり、宮中との関係、何らかの形で軍部との関係などであれ、やっぱり、当時すでにアンシャンレジュームになりつつあった帝国憲法によるようなところがあったと思います。それがすぐに「国策」という言葉を思い起させるんですが、この設立時には内田嘉吉が代表して挨拶をしているんです。この挨拶が実は素晴らしいですよね、台湾総督府の民生長官でしたね。
 彼がその時に言ったのは、これはあくまでも南洋の調査研究ではあるけれども、実は広く南洋の西洋列強進出を踏まえアジア南洋の理想郷の理念もあったわけです。更に福祉のためにもこの成果は生かすべきであるという話でした。だからそこはちゃんと抑えとかないと。
中野:南洋協会の役割を一言で言いますと、当時第一次世界大戦の最中に設立されたということは不確実性の高い状況における日本の明確な進路を探求する研究機関、今で言うシンクタンクの役割を担っていたように察します。この戦争でドイツは負けるんですが、ドイツが多くの南洋諸島を持っていたので日本が戦勝国として南洋諸島を手に入れました。そこで南洋を制する者は世界を制するということでこの半官半民の南洋協会がかなり力を持って南洋のエネルギー確保のために貢献し、そして教育分野にも力をいれて具体的な政策を実施したのだと思います。日清戦争と日露戦争に勝利した日本が第一次世界大戦でたいした貢献もしてないのに戦勝国になったことで驕りが生まれたという時代背景を想像します。
 15分番組を8回連続して行うのですが、何か最初は乾杯だけで終わってしまったようですね。酔いに任せてまた続けていきたいと思います。最初の予定とちょっと違いますが、最初から酔ってるんでこんなもんかと。みなさんエコノミストや社会学者いろんな分野の専門家ですので語ることは非常に多岐に渡っていくと思います。ということで南洋協会の紹介ということで第1回目これで終わりたいと思います。また乾杯!

4 月 10

ユーラシア大陸の東西は、地政学的に大きく変動している。ウクライナの問題で西は揺れ、東も核、ミサイル、領土問題で荒れている。この変動を大局的に展望するために、日本と目と鼻の先にある東アジアの動向を経営学の手法であるSWOT分析を通じ観察してみたく思う。

SWOT分析とは、S(強み)、W(弱み)、O(機会)、T(脅威)の4つの視点で戦略を練る経営手法である。地政学的に沸騰する東アジア情勢を展望すると日本が行動すべき戦略が見えてくる。

まずは東アジアの強み、良い側面を展望すると楽観的になる。経済的に世界第2位の中国と第3位の日本、そして第15位の韓国が経済協力、特に中国の豊富な労働力、日本と韓国の世界のトップクラスの技術力、北朝鮮、モンゴル、極東ロシアの天然資源が相互補完的に最適化されれば、世界最大の経済圏となる。

負の側面である弱みを観ると危険な様相に溢れている。日清戦争から大東亜戦争までの弱肉強食の軍事的な変遷と戦後の米国による共産主義封じ込め政策の恩恵を受け奇跡的な経済成長を成し遂げた日本への批判が東アジアの歴史認識を複雑化させている。

あまりにも急速に経済成長した中国の環境問題は深刻である。数字で表現される環境問題の悪化をはるかに超える都市部の空気汚染や河川の枯渇は、食料や生活空間といった人間が生きる基本的な要因を揺るがすものであり中国の拡張主義と直結する。

東アジアの強みと弱みを把握した上で如何なる機会を戦略的に構築できるのであろうか。PEST(政治・経済・社会・技術)の観点から熟成されつつある好機を創造できる。東アジア諸国に共通するのは長期政権と強いリーダーシップであり政治的に安定していることにある。中国の経済成長が鈍化しているゆえに周辺諸国との経済協力が不可欠であり、東アジア経済圏構築の可能性が高まっている。
政治・経済の面では競合関係にあっても文化やエンターテイメントの分野においては社会を変えるアジアの共通認識の高揚が新しいパワーを生み出している。領土問題や歴史認識の相違から東アジアが分断されているような報道もあるが、現実的には、紛争が発生するには余りにもリスクが大きすぎてむしろ東アジアの社会は協調へと進むと読む。

情報技術の進展は東アジアの国家の垣根をフラットに導いている。情報を共有することにより対立が生み出されるという側面も否定できないが多角的な視点による東アジアの経済圏の構築の必要性が増す。

東アジアの直面している脅威は、北朝鮮の核兵器、ミサイル、拉致、予期せぬリーダーの行動、崩壊である。また、中国の拡張主義に伴う安全保障上の脅威である。

不安定要因が高い状況の中、韓国は朝鮮半島の統一を最重要の国策として戦略思考している。ベルリンの壁も中国の天安門事件がきっかけに予測を超える速度で崩壊し、東西ドイは統一とヨーロッパの経済統合が実現された。

明確なビジョンがあれば東アジアの発展の可能性が広がるし、そうでなければ致命的な紛争の餌食となろう。

日本は積極的な平和主義を東アジアに具現化させる必要がある。そのきっかけを醸成するためにも拉致問題を主眼とする北朝鮮とのトップの直接交渉も必要だろう。朝鮮半島の統一の機運を高め東アジアの経済圏構築を実現させるためにも東アジア諸国は戦略的な互恵を相互補完的に実現させる積極的な行動が期待されている。

3 月 04

「メディアはメッセージである」と語ったマーシャル・マクルーハンを日本に最初に紹介されたのが評論家の竹村健一先生である。メディアの第一線で半世紀以上も活躍された竹村先生は、「日本の新聞を読むのは海外の新聞に載っているけれども日本の新聞に書かれてないことを探すことにある」と述べておられる。

日本で日本の新聞、テレビ、インターネット等のメディアばかりに接しているといつの間にか偏った考え方に陥ってしまうことがある。日本人という単一民族で構成され社会で日本語だけでコミュニケーションしているとまるで世界は日本を中心に動いているとの錯覚をしてしまうのも当然のことかもしれない。

現代のテクノロジーを駆使すれば日本にいても世界の情報に精通することが可能である。でも圧倒的大多数は、日本のメディアの影響下にあり、どうしても日本の常識からの脱却が難しい。

そこで、メディアを3Dのように立体的に考察することにより日本を中心とする座標軸に柔軟性を持たせ世界観や歴史観を加味したメディアのリテラシーを向上させることができるのではないだろうか。

メディアの力は巨大である。政界、官僚、財界さえも動かす力をメディアは備えている。加えてメディアは大衆を動かす力と大衆の代表であるステータスを兼ね備えている。メディアの本質的な目的は何なのであろうか。読売新聞が1000万部、朝日新聞が800万部と発行部数を競っているように利益追求型である。メディアは情報を提供し大衆に影響を与える。即ちメディアとは大衆に影響を与えながら利益を追求している。

NHKの会長が公共放送のトップらしからぬ発言を行い物議を醸し出している。メディアの権力の頂点にある人物が政官財と癒着し、しかも偏った考え方に固執していたら大衆に悪影響を及ぼすのみならず、世界の中の日本のイメージが大きくそこなわれる。

戦争放棄を憲法で唱えている日本にとってメディアというソフトパワーの役割は非常に重要である。メディアこそ公共の外交である。時の権力が右傾化している時こそメディアとりわけNHKのような公共放送こそ権力を監視する機能を発揮すべきである。

民間のメディアが利益追求型である限り顧客は国内にある。従って民間はメディアのメッセージを海外に発する能力と役割に限界がある。昔、アフリカの奥地で国連の仕事に従事している時、日本との唯一の接点はNHKの国際放送であるRadio Japanだけであった。短波放送の雑音の中で日本語のニュースにかじりついていたことを思い出す。

ウクライナを境にヨーロッパとロシアとの軋轢から軍事的緊張が高まっている。朝鮮半島情勢も予断を許さぬ状況である。歴史問題が根底にある日韓、日中関係も改善の兆しが見られない。尖閣諸島、竹島等の領土問題、靖国問題、従軍慰安婦の問題などの解決にとってメディアの役割は不可欠である。

メディアはメッセージである。メディアにはそれぞれの立場により、また発信し受信する立場によりメッセージは異なるのである。僕はメディアを弁証法的に「正・反・合」と矛盾や否定を超越してより優れた発展段階に導くという姿勢が必要であると思う。

この姿勢とは、3Dのように平面的視点に加え立体的に分析、総合するメディアの能力を高めることである。立体的メディアとは日本という座標軸の他にグローバルな座標軸を加え地政学を眺望する水平的な見方と、歴史観や哲学観といった垂直的な視点をミックスさせた3次元を意味するメディアのあり方である。

日本の平和は軍事というハードパワーでなくソフトパワーであるメディアの役割にかかっていると言っても過言でない。紛争を未然に防ぐ予防外交を実践するためにもメディアを立体的に3次元で発信者、受信者のみならずそれぞれが考察することが重要である。