1月 28

中野:みなさん、こんばんは。今回は、AIIB(アジアインフラ投資銀行)と日本の役割をテーマにしたく思います。
 中国がユーラシア大陸全体に対してインフラ整備や投資の役割を担うということで、英国をはじめドイツ、イタリア、フランス等のヨーロッパの国々が、AIIBの創設メンバーとして協力しました。日本はアメリカの事を考えて協力しなかったのですが、僕からすれば何を言っているんだと、日本はAIIBに協力すべきだと思うんです。この100年の歴史を振り返れば、軍国主義で失敗して経済協力のソフトパワーを推進してきました。AIIBはアジア主導で経済協力を推進する点で日本はAIIBに貢献すべきだと思うんですが、いかがでしょうか。
李:僕はこの分野の専門家じゃなく、竹中先生がその辺の専門家ですが、社会の分野から観察してみると、中国のやり方が世界から信用されていないのが問題ですね。(その通り)中国が本当にピュアな気持ちでやっていればすごくいいことなんですが、その辺どうですか?
竹中:もう一つ銀行がありましたね。BRICs銀行と一般に言われる、ロシア、インド、ブラジル、中国で作った銀行です。ところがその辺が全然話題になってないでしょう。何で話題になっていないかというと、結局この4つの新興国の中で、中国が好き勝手にやる主導権を得られなかったのでなんとなく曖昧になっている。中国はそれに懲りて自分が好きなようにできる銀行としてAIIBを構想して、仕組みを作っている。それはある意味では海外に中国型のインフラ建設を輸出して、それにファイナンスして自分の国からも資材も労働者も輸出して稼いでいこうと、そういう構想だろうと僕は思っています。
 でも中国の国内のインフラ建設はどういうことが起こっているかというと、例えば典型的には三峡ダムですね、膨大な環境破壊が起こっているのです。そのようなことを世界の一つのモデルとして拡大することになるのではないでしょうかね。
中野:大西先生いかがですか。
大西:先ほども言いましたが、私の属している世界のマルクス学会でも中国を帝国主義的だという議論があるんです。先ほどの議論からいうと、中国が自分の国益を考えていないというようなことはあり得ないですね。どの国も自分の国益で動くんです。それはあたりまえ、日本だってそうなんであって、そんなものを一所懸命説明するのは意味がありません。
 例えば、中国はADBとかIMFとか世界銀行とかの出資費率を変えましょうと言っているわけですが、それはなぜなら中国は今、日本のGDPの倍もあるからです。でも日本は例えばADBは断ったんです。なぜ断ったかははっきりしています。出資率が日本の倍になれば、総裁の椅子を取られるからです。だから中国がAIIBで主導権を持つことをけしからんと言うのはいいけれども、それじゃ日本は自分の主導権を維持するために中国の出資比率の引き上げを断ったのはどうなるのでしょうか。だから同じことを日本もしているってことです。このことを一応認めないと、ファイナンスを受けたいと思っているアジアの諸国民から見れば日本は何なんだということになります。
それともう一つ言いたいのは、南洋協会で問題になっているのは、昔と現在はやはり違うということですね。当時は世界の枠組みを、フランスとか、オランダとか、イギリスとかが決めていた時代ですよね。ただ、今は違っていて、多少ありがたいことにどの国にも日本もイギリスもフランスも行けるわけで、その中で勝負しているということです。ということは、AIIBがアジアのいろんな港湾を整備し、中央アジアの鉄道を整備すると、そういうものを日本の貨物も使うことができるということです。その事を考えると、我々がAIIBによる港湾とか鉄道とか道路とかの整備に反対してどうするの、となるということです。
中野:僕は大西先生の考えに大賛成です。僕はずっとライフワークとして国連とかブルッキングス研究所とかずっとこの分野の研究を行ってきて、軍事じゃなくて経済協力を通じて、ユーラシア・アジアを大切にしようと。その時に本当に中国が軍事じゃなくてインフラ整備を通じて貢献しようと言うことに対して、イギリスとかフランスとかイタリアとかが賛成した時に、アメリカの意向に従って反対したことが大いなる日本のミステイクだと思うんです。日本はもっとそこでソフトパワーとかスマートパワーとかを推進すべきです。アジアの開発に関しては戦前の日本の反面教師として考察すべきです。南洋協会もそうですが、いろんな行為、間違ったことをやったと思いますが、それを反省しながらね。
大西:同じことを、AIIBに入るべきだったと日経新聞の社説で述べているのですよ。日経新聞って大事なのは、私の意見は右とか左じゃなくて財界の、つまり経済界の意見なんですよ。その意見は重視すべきだと思います。
中野:李先生、中立的な立場からいかがですか。
李:あのう、僕は経済の事はあまりわからないのですが。
中野:それは卑怯ですよ、社会学者がですね、全部わからないとだめですよ、ははは(李:わかりました)
李:中国は今経済力が増しているので、覇権とまで言わないけど、世界をリードしたいと、アメリカの言いなりにはなりたくないんだと、というような意思表示を示し始めている。今お金が集まっているから、アジアのリーダーは今まで日本だったが中国がそこにかわって何かをやりたいんだという意思表示だと思うんですね。
松本:中野先生、この地球展望に書いているのを覚えていますよね。これ2000年に、その時にちゃんとこれは基本的インフラ整備を市場経済の視点ではなくて、安全保障の視点から展開すべきであるとかこういうのをずっと持っておられて、最後は北東アジア開銀構想まで言っているわけでしょう。今の中国の言ってることとどう違うのかと僕は思うんですよ。(中野:一緒です)そうなってくるから、この方を論破するとか、変えさせるが難しい。私は、それでいてちょっと違うのは、高校の世界史の先生が最近世界史が教えられていない、特に現代が教えられてないというんです。
李:テレビじゃないのでちょっと説明が必要ですね。
松本:それで、いわゆる東アジアが行方を握る21世紀の世界経済とこういうことまで書かれているのです。中国を中心とした北東アジアそして、ヨーロッパ、EUこれは2005年度です。もう2015年度はこれがもっと変化しています。一般の人の庶民感覚で反論できない、これが専門家となると何ぼでも反論できるんですよ、これが100万部売れているんですよ。受験生は一生懸命これを勉強していると思ってますし、一般の人も読んでいると思います。
中野:李先生、売れる本って。
松本:売れる本とかに話を持っていかないでください。
李:とても大事な話で、本はそれなりの理由があるんですね、しかし僕も大西先生も竹中先生もそうだと思いますが、本を1、2年かけて一生懸命やっても1万部とか2万部です。しかし、それが歌になりますと、瞬く間に100万枚とか売れたりすると我々の知的な働きはどうなんだという風にちょっと悲しくなります、先生どうですか。
大西:うん、難しいですね、私の受講生には芸能人もいます。
李:つまり100万部売れなくてもやはり日本の知的なレベルを高めるためにも、なにかを蓄積するためにやはり地道な仕事が必要なんですよね。
松本:その通りです。
竹中:僕は世の中を変えるなんてそんな途方もない考えを持っていませんが、僕と出会ってですね、100人に一人ですね、なんか覚醒するような若者がいれば僕の人生はそれで充分です。
李:すごく大事なのは、歴史を変えるのは一人か二人ですよ。だからそういうのは、やはり教育者、ここで議論しているのはみんな先生ですが。
中野:最終的には教育が大事だということで。ではまた来週。

1月 21

中野:さて、いよいよ、今日のテーマですね、アジア・南洋協会のグランドデザインということで21世紀の今日このアジア、東アジア、世界平和のために、世界の福祉に、平和に、どのように貢献できるかということを考察したく思います。アジア・南洋協会会長の李相哲先生の方からメッセージをいただきたいと思います。
李:メッセージというか、歴史の前ではやはり謙虚にならなければ、私たちが今やっていることが正しいか間違っているかというのはわからないですよ。それを自分が知っているふりをしてこうだというふうにするのはちょっと驕りですね。
 歴史に学ぶというのはすごく大事で、私たちのアジア・南洋協会の話に戻すと、近衛さん、その4代目の会頭が内閣を投げ出したというか、それで東条英機が登場するんだけれども、当時彼がこうすればよかった、あーすればよかったというのは、今考えるといろいろ意見はあるんですが、ただ彼の当時の立場からするとあの人ができる最善の事だったかもしれないですね。
 僕は、今の我々にそういうことから何を学ぶかというと、今あまりに平和すぎて、生活も安定して、だから情熱がなくて、使命感がなくて、アジアを変えるんだとか、大アジアを作るんだとか、あるいは日本がアジアを何とかするんだとか、そういう使命感とか、何かがなくなってるような気がします。
 我々アジア・南洋協会の5人が今集まっているんだけれども、実は歴史というのは数人、2・3人でも歴史を変えられるんですよ。我々で歴史を変えようとすることではないんだけれど、僕はアジア・南洋協会のビジョンを、この5人で最初からあきらめないで、歴史を変えることはできないと考えずに、我々はそういう使命感を持って、100年の歴史があるんだから、そういうビジョンを提示すべきだと僕は思うんですね。
中野:アジア南洋協会の、李先生が会長で、僕が理事長。だけど僕は本当に何かできるかもしれないと思うのは、ここに世界マルクス学会副会長の大西先生、竹中先生は三菱東京UFJ銀行から実務を経験された最高峰のエコノミスト、民間から学者になられた教育の松本先生、日中韓と、僕も研究所なり、国連なり、この5人で何か変えようと夢想するのもいいんではないでしょうか。
 もう相当ブランデーで酔っていますので、思う存分アジア南洋協会のグランドデザインを語りましょう。どうすればいいか、今の日本は。
大西:もし我々が80年前くらいに前に住んでいて、歴史がどうも悪い方に行っているなと思ったとすると、たぶん二つの事を考えると思うんですね。
 一つはとにかく俺は死んでもいい、破滅してもいいけれども、とにかく正義の旗をかかえて戦うというものですが、もうひとつにはとりあえずちょっとでもましになるように頑張ろうというのがあります。自分はそのどちらを80年位前に選んだだろうかよくわからないですが、ともかく、今とりあえず南洋協会の話として言うと、先ほど言ったように当時の財界人の中にも、この世の中がどうも好戦的に動いていて何かおかしいと、マスコミがおかしいことを言っていると思っていた人がいたということです。財界人からすればすごく自然な話ですね。だから私は現在も、例えば日中関係をすごく悪くしようとする人もいるけど、そんなことしたら中国事業を進められない、もうちょっと冷静に考えましょうという人もいろいろいて、そういうことがすごく大事だと思うのです。
松本:結構なお話、ありがとうございます。李先生は僕は情熱の人だと思います。ちょっとこの場で運動を起こすことは非常に危険な気がするんです。大西先生は歴史超越主義のようなところがあって(李:僕は運動家じゃないですよ、学者ですよ)それは理性で情熱を抑制してるような感じがあるんですが、大西先生は一方、マルクスの情熱の思いをね、なんかこう理性、良心とか、人間性で語れないかという所で生きておられると思うんです。
 私たちがこの会で目指すべきは、大風呂敷を広げるみたいなことはもうできません。これは普通に歴史を勉強すれば不可能です。一方では少しでもという、先生の言葉はすごくうれしいですね、私たちができることは少しの事なんですね。でも、最近よく使われるので気になるんですが、神は細部に宿り賜うという言葉があるんですが、小さなことしか、小さなことでしか大きなことは起こらないという。こういう逆説的なことが、先生も先ほどちょっと言われたことに通じますよね。
竹中:僕たちはもう50歳を過ぎているわけですが、何ができるかというと、僕は次の世代を育てることだと思います(松本:いいですね)。僕は30年間、銀行で国際金融の世界で生きてきましたが、最後にエコノミストになって、今は大学の先生をやっておりますが、自分が大学の先生になるまで、自分が教育をおもしろいと思うと思ってなかった(松本:そうでしょう)。ところがやってみるとなかなかおもしろい。僕と接することによって、以前と以後とで変わったという学生はおそらく10人に一人か、その中でも突出して変わる奴は100人に一人か二人でしょうが、そういう若者が一人でも二人でも出てくることに対して僕はかなり喜びを感じているのです(いいですね、素晴らしい)。
有権者も年寄りばかりなってきて、若い連中があまり投票に行かなくなっているのに、高齢者ばかり投票に行くもんだから、結局、政治はそっちの方向に傾くばかりです。いわゆるシルバーデモグラシーで、世に中の変革を止めるような状況が出て来ている。それじゃ日本は沈没するばかりだ。ここは若い連中に高齢者は身銭を切ってでも、支援するとか必要で、それがなければ21世紀の日本はないぞと思っています。
中野:財団の専務を長く経験された井上雅二は、衆議院議員も経験して幅広い分野で活躍されている人々を巻き込んで行動しました。また人材育成というビジョンもありました。
李:第三代目会頭の蜂須賀正韶という人は、ケンブリッジ大学で勉強しています。100年前の時代にケンブリッジ大学に行っているというのはやはりすごいことなんですよ。僕の事を言って申し訳ないですが、ケンブリッジ大学という名前を知ったのは10年20年前ですよ。日本はその位アジアでは進んでいたんですよ。その位世界を見る目があった。韓国は鎖国をやっていて世界の事全くわからない。中国はもっとそうだったんです。ですからそういう意味で、アジアは日本に学ぶべきことは当時たくさんあったんですね。
竹中:その点に危機感もあります。やはり海外に留学する日本の学生は数的には減っている。海外に出ることはどういうことかって、僕だって最初はわからなかったですよ。わからなくてもいいから、あらゆることがグローバル化する時代なのだから、とにかく飛び出してみろと言いたい。留学でも、仕事でもなんでもいいから。僕たちシニア層がそれをサポートする、後押しする仕組みが今の日本には必要で、そのためには何が必要か考えなければいけないですね。
李:先生のところの学生はどうですか?
大西:割と海外に行っていますね。
中野:大西先生は京大から慶應に行かれましたが、財団は慶應の人が多いと思うのはすごくおもしろいですね。
大西:ありがとうございます。
中野:ではまた来週。

1月 14

中野:みなさん、こんばんは、火曜日夕方6時はラジオカフェ―シンクタンクジャーナルの時間です。
 本日は、南洋協会100周年ということで、南洋協会の理事、評議員の方々に集まっていただきまして、世界を語りたいと思います。慶應義塾大学教授経済学部教授の大西先生、そして評議員の松本先生、龍谷大学社会学部教授の李相哲先生、龍谷大学経済学部教授の竹中先生、そして私を含めて5人でよろしくお願いします。
 だいぶヘネシーで酔っぱらってですね、松本先生のお父さんは満鉄で勤務されたと聞いているのですが、今日のテーマはジャパン、チャイナ、USということで討議したく思います。実は僕がワシントンにいる時に、ブルッキングス研究所、ジョージワシントン大学を経てアメリカ大学でジャパンチャイナUSというか東アジアの外交・安全保障に関する講義を担当しました。今世界を動かしているのはジャパンチャイナUSについて、具体的に分析する必要があると思うんですが、松本先生どうですか、
松本:ちょっと、満州の事は堪忍してください。李先生がいるので。ただ、私の母親は、釜山高女卒です。当時、朝鮮人の富裕層と交流があったようです。みんな朝鮮人というとひどい人みたいにいうけど、実は本当に李朝というんですか、その伝統を受けた人たちで素晴らしい人達だったと。教養もあり、素晴らしいと言ってました。
 親父はその影響があったかどうか知りませんが、当時朝鮮の学生を何人も下宿させているんですね。例えば試験を受けに来る時とか、商業高校の人もいたし、師範の人もいました。ところがそういう私的な、これは大西先生の話ですが、私的に非常に深い交流関係もあり、文化交流もあった、にもかかわらず、その満州とか朝鮮とかなると、国家レベルになるとこれは全然別問題なのですね。
中野:大西先生、僕が2003年ブルッキングス研究所にいる時、大西先生はニューヨークのコロンビア大学院で京都大学からのサバティカルで研究されていましたね。ブルッキングス研究所に来られて大西先生と初めてお会いしたんですが、あの時、熱くワシントンからチャイナの事について語ったんですが、覚えておられますか。
大西:そうですね。まず2003年から比べると今はだいぶ違う中国ができ上がっていますね。これは一つのポイントですね、すごく大きくなってきて、後に議論されるAIIB(アジアインフラ投資銀行)とか、この中国をどう評価するかという点では、この変化に対応することが大切ですね。私は日中友好協会に関わっているのですが、やっていてもそう思うんですね。それはやはり、どの国も割と似たような経過で、産業革命があってものすごい経済成長があってその後に対外的な拡張というのが起こります。だから中国はそんなにいい話ばかりではなくてそういう対外的な拡張という危険も持っています。
 ただ、私が言いたいのはそれを批判するだけではだめで、日本はまるきり同じことをしてきたので、うちはしていませんと、あなただけがしてるというのは、通用しないということです。ここら辺が大事かなと思います。
中野:李先生どうですか、大西先生のリスポンス。
李:あのう、中国の事ですか? 中国はやはり、この20年間に想像を絶するというか想像できないくらい大きくなりましたね。
中野:だけどもともと中国って、アヘン戦争までは世界の中心でもありましたね。
李:当時世界のGDPの30%近くを占めていました。当時どういう風に計算したかちょっと知りませんが。今の中国はでちょっと問題なのは、大西先生がおっしゃったように、昔の価値観、帝国主義時代のそういう価値観からまだ抜け出せてないんですよ。だからその、例えばアヘン戦争で負けて我々はひどいめにあったから、富国強兵じゃないけどそういうパワーで世界を何とかやろうと考えているんですね。そのような発想はだめなんですよ。
 しかし、中国はその時代のことが頭の中に残っていて、ハードパワーばかりで考えようとする。中国はソフトパワーを備えてないですよ。アメリカとか特に日本はそういう面ではとてもすぐれているんです。
中野:まだ未熟ということですか。
李:中国はそこをやはり強化していかないと。
大西:経済力の全くない毛沢東時代にはある種のソフトパワーでやるしか方法はなかったと思うんですね。経済力も軍事力もないから、それで共産主義のイデオロギー——これもソフトパワーです——とか人道外交で中国は良いことも行ってきました。それが今経済力がついてきたもので、アフリカにお金出したり、大きな軍艦を作ったり、といういう風に変ってきています。すごく残念ですね。
中野:すみません、大西先生は世界マルクス学会会長であり慶應義塾大学の経済学者。竹中先生はどちらかと言えば、反マルクスの考え方ですね。
竹中:いやいや、それは誤解です。僕は1970年代後半の東大の学生ですからね、どっぷりとマルクス経済学を勉強した学生でした。その後は民間の銀行でマーケットの世界に入って、30年かけて世界観が大きく変わった人間です。日本、中国、米国の問題でひとつ気になるのは、象徴的にいうと米国の大統領候補選でトランプ候補が台頭していることです。最初はみんなアメリカの知識人たちはあんなのは一時の事だよと思ったにもかかわらず、共和党保守の有力候補としてトランプがトップを走り続けるわけですよ。これはいったいどういうことだ。これはアメリカにとって非常に危険な兆候だと思っています。
 同じような兆候は例えばフランスでもあるわけでしょう。ルペンが率いる極右の政党が勢いを伸ばしていますね。こうした右派ポピュリズムみたいな勢力が選挙で、ものすごい支持を集めていますね。その背景には何があるかというと、一つは富の不均衡、所得格差の拡大に対する大衆的なレベルのフラストレーション、後はやはりテロリストの脅威にさらされるという緊張感もあるでしょう。これは消して日本にも無縁なことではないと思います。
中野:20世紀の今日チャイナUSが世界の第1第2の経済大国であり安全保障の面でも影響力は極めて大きいです。大国の狭間の中でジャパンとしては太平洋を挟んで何ができるのでしょうか?
李:先のマルクスの話ですが、僕は他の知識は乏しんですが、修士学位論文でマルクスを書いたんですよ。マルクスは実は新聞とかのジャーナリストで、何かメッセージを発信したいと考えていました。ライン新聞ですが。
 当時、わたしはマルクスの全集、それを全部あさって、そこから新聞に関する論文を全部読んで、(中野:ロンドンの図書館へ毎日いかないとだめじゃないですか)幸いに日本に全部あるから、それはなかったですが、それで結局得た結論は、マルクスは社会主義国のそういう新聞と全く真逆の新聞の自由を一番強く主張している自由主義者なんですね。ただ、マルクスを正確に理解するには専門家が必要ですけれど。
大西:かなり賛成ですね。要するに、マルクスというものにはそれを自由主義的に解釈するものと権威主義的に解釈するものという2種類の全然違う種類の解釈があるのですが、私はマルクスは明らかに自由主義者と思っています。
中野:え、自由主義者なんですか。
李:あの人の魂というのはすごく自由ですね。
竹中:これは歴史の皮肉で、例えば既に崩壊しましたが80年代のソ連は、「我々はマルクス主義に基づいた国家です」と言っていたわけです。また今の中国も随分変質しましたが、依然「マルクス主義の国家です」とか、「その末裔です」とか言っていますが、今マルクスが蘇ってそれを見たら、とんでもないと言ってびっくりするのか、爆笑するのか驚くのかよくわからないが、そういうことになりますよ。
大西:自分を正当化するために全然違うものを取り入れるなど、世の中ではいろいろありますが、それと同じですね。「平和」というスローガンで戦争をしたみたいなものですね。平和と言われれば平和なのだろうと思う人もしますが、まるっきり逆という人もいくらでもいます。
中野:もしも1915年って100年前の南洋協会に戻ったとしたらと想像してラジオでトークをしているんですが、100年前、もし我々がどうなるということを知っていたと、だけどここでどうなるってわかっていてもどうすることもできなかったでしょう。だから、中江兆民の三酔人経綸問答に登場する中江兆民の分身の豪傑君、洋行帰りの紳士、南海先生の三人は、自分の力の限界を超越した世界情勢の矛盾の中でアウフヘーベンを探求しようと試みたのだと思います。
 どうしたらいいか、僕はこうしたらとわかっていてもその時の国際情勢の変化とか天皇との関係とか、いろんなことを考えると行動できなかったと思いますね。
李:近衛さんは第4代目の会頭ですが、彼の行動を見ていると、当時戦争は負けると、しかしもう東条英機に任せようと、いう風に消極的にやっているんですよ。どうしょうもないと。その時天皇陛下に責任が行かないようにするにはどうしたらいいかと考えていたのでしょうけれど、歴史には逆らえななかった。
中野:では来週。

1月 07

中野:今日も引き続き南洋協会100周年ということで、ヘネシーというブランディーを飲みながら思う存分語りたいと思います。
 龍谷大学経済学部教授の竹中先生、龍谷大学社会学部教授の李相哲先生、そして評議員の松本先生、慶應塾経済学部教授の大西先生でよろしくお願いします。
 さて大西先生、なぜ日本は戦争を行い、敗戦国になったかということなんですが、その前に何かありましたらお願いします。
大西:先ほどの話でありましたのは、やはりそのような戦争に向かうのはある種の強い大きな流れがあったという話ですね。先ほども言いましたように、いろいろと南洋協会の書籍や講演とかに目を通して思ったことの一つは、正当なことも言っている、ということなんですね。例えば、フランス領インドシナに日本の企業が入れなかったのはフランスがそういう政策をとっていたからなのですが、その結果、ここには南洋協会の支部もないですね。なので、当初、南洋協会はそういう政策をやめてくれとか、イギリス植民地での日本人の土地の取得制限をやめてくれとか、オランダ領インドネシアでの電信の検閲をやめてくれというような要求をしています。
 これは要するにフランス帝国主義とかイギリス帝国主義とかオランダ帝国主義とかの不当な事業活動に対する制約に対して戦ったということで、これは正当な要求だったと私は思うんですね。そこまでいくと、その後こういう制約の中で戦争に突入していってしまったということは帝国主義間戦争ということになります。第二次世界大戦というものは植民地・反植民地の戦いであり、ファシスト・反ファシズムの戦いという性格も持っていましたが、同時に帝国主義と帝国主義の間の戦いでもあったと、このことを忘れて、ただただ日本が悪いことをしたという単純な理解は良くないと思います。
中野:南洋協会設立の中心人物であった牧野伸顕がベルサイユ講和条約の時に大使だったのですが、人種差別撤退提案を通じて大西先生がおっしゃったように アングロサクソンとか白人中心の行動に真っ向から異を唱えました。
李:僕はほかの地域はあまり詳しくないんですが、満州をいいますと、満州の利権はアメリカもほしかった。それを日本が、我々はたくさんの人命を犠牲にしてロシアと戦って勝ち取ったんだ、だからこれは日本の物だと。その当時、大局的に観て、アメリカと鉄道の利権とかを少しでも分け合っていたら歴史は全然変わっていたと思いますね。
中野:フォーリン・アフェアーズという権威ある外交雑誌に興味がある論文の中に、李先生がおっしゃたようなことが掲載されています。ユダヤ系のハリマンという鉄道王は、北米大陸を横断し、太平洋を渡り、シベリア鉄道の如くユーラシア大陸を東西につなげるという壮大な開発構想を描きました。そのためには、満州が重要な拠点となり日本に協力を求めたのです。ユダヤ系が北東アジアにおいてイスラエルのような国家を作るという構想に対して、日本は協力すべきであったと考えます。そうすることによって、日本はドイツのように反ユダヤ的な動きと関係を深めるよりも、アングロサクソンと組みながらユダヤと一緒なってやることによって第二次世界大戦を回避できだと思うんですね。
 第一次世界大戦の時と同様に、日英同盟とアングロサクソン・ユダヤと協力関係にあれば、第二次世界大戦の犠牲になることはなかったように思うわけです。
李:ですから、日本は歴史から学ぶとすれば、各論で言えば日本が正しいんですよ、例えば鉄道利権は我々が正当に勝ち取ったんだと。しかし、世界全体の雰囲気というかそういう大局的な観点から満州をどうするかとかのそういう部分で日本は誤ったんですね。もう一つは満州の利権に留まればよかったですが、欲張りすぎたんですね。
竹中:歴史を振り返る時に一番やってはいけないことは、今の価値観で以て50年、100年前の出来事を良いの悪いのっていうのは非常に簡単で、俗流の歴史の議論の中で横行していますが、それはやはり決定的に間違いだと思います。
 第二次世界大戦というのは3つの要素があって、植民地の独立運動の要素は確かにあった。それからファシズムと民主主義の戦いいう要素もあった。それから帝国主義と帝国主義の戦いもやはりあっただろうと思います。しかしながら、当時を生きた人達にとって帝国主義対帝国主義という面が最も一般的であり、最初の二つは実は戦争が終わってから、強調されるようになったイデオロギーであると僕は思っています。それでも敗戦国と戦勝国とにわかれ、敗戦国の敗戦を批判するイデオロギーと議論とそれから戦勝国を正当化する議論、そういうものがやはり戦後支配的になったわけです。
 僕たちが歴史を振り返るときにはその辺の問題を一度取り払って考えてみる必要があって、この日本の戦後の支配的な考え方は歴史を見る目としてはちょっとおかしいと思っています。
中野:今のこの価値観を全部忘れて1915年とか30年の時代で日本は日清、日露戦争、第一次世界大戦に3連勝し勢い乗っている、そのような状況の中で考えるといろんなオプションがあったと思うんですが。
松本:今お話しいただいた、竹中先生の話はその通りでね、私もそう思うんですよ。どうしてもその当時の人たちの感覚というのはなかなか想像しにくいんですよ。それをしっかりと捉えなければいけないので、そのためには当時の演説とかの個人少数者の思想とかを研究する必要があると思うんです。結構この人達がいわゆる大衆とか世間を代表するところがあるんです。僕がどうしても言いたかったのは後藤新平と孫文です。これは人物伝になるからいいですが、辛亥革命、これに命かけた日本人、犬養毅もそうですが、軍事的な援助に関してもいろんな日本人がかかわっています。やはり中国の革命思想、毛沢東に至るまでの、これは必ずしもフランス革命ばかりと言えなくて、やはり孫文に始まる王道の道があったのです。
中野:孫文の神戸女学院での演説は有名ですね。「西洋の覇道でなく、東洋の王道の干城になれ」と日本の進むべき道を示しました。李先生のご両親は韓国出身で先生は中国で生まれて、韓国・中国・日本とバランスよく東アジアを展望できる立場にあります。李先生がもし100年前いわゆる国策というか、これからの日本をどうしようとか、これからのアジアをどうしようという立場だったらどのように考察されるのでしょうか。
李:当時、韓国の若者は日本にやってきて、福沢諭吉先生にいろいろ教えを仰いだのですよ。しかしこれはそもそも論に戻るんですが、歴史には人間がどうしようもない部分があるんですよね。韓国のその先駆者たちが韓国に戻って福沢諭吉先生のアジア主義を実践しようとして全くダメだったかというと、韓国がそういう風になってないんですよ。それを考えると僕は優秀な人間でもないですが、当時生きていたら、やはり日本と一緒になって当時の知識人みたいに日本になろうとしたんでしょう。当時の若い韓国人たちはね、慶應義塾に来て勉強して帰った人もいるし。
大西:明治維新と同じことをやろうとして、立ち上がったけれど失敗しました。それで朝鮮も中国はだめだという風に福沢が思ってしまったので「脱亜入欧」という言葉ができてしまったわけです。
中野:福沢諭吉の脱亜入欧・和魂洋才や大隈重信のアジア中心の和魂漢才というけど、僕は和魂萬才(わこんばんさい)という考え方が良いと思っています。いまでいうグローバリゼーションというか多極化の時代において、ヨーロッパもアジアも、先進国も途上国も大切だという地球を鳥瞰する「萬」の考え方に重きをおくべきだと思うのです。
 実はこのアジア南洋協会の中心的な役割を果たした井上雅二という人物は、アジアだけを見てはあかんとヨーロッパもみなあかんとグローバルに行動しました。僕も井上のように国連等を通じて世界の様々な地域で開発援助、研究、教育の仕事に従事したのですが、そこで習得したことは、世界を鳥の目のように鳥瞰すること、虫の目のように狭く深く観察して、魚の目のように潮の流れや潮流を感じる能力を高めることです。財団の活動にこのようなことを取り入れたく思っています。
竹中:マクロでもなくミクロでもなく、魚の目というのは潮の流れを感じとることですね。
僕はマクロのエコノミストだから典型的な鳥瞰・俯瞰が大好きです。地球の衛星軌道から地球の大地を見下ろすような鳥瞰が大好きですが、同時に潮の流れというのは非常に重要な見方ですね。特に経済、市場の流れは、時々大きくガラッと変わるときがあります。今また100年に一度の転換点のような気がしますが。時間がなくなりましたので、それはまた次回にします。
中野:15分というのがあっという間に過ぎますね、引き続きそのまま酔いに任せ経綸問答を継続したく思います。アジア南洋協会の理事・評議員の皆様、集まっていただきどうもありがとうございました。