12月 07

革命の予兆としてのパラダイムの確変が起こっている。大阪のダブル選挙が日本の常識を覆した。日本の全ての政党を相手に橋下氏の野望が民の心を捉えたのである。予測を超えた橋下氏の圧勝に世界のメディアも日本の目覚めとして注目している。

橋下氏の言動は、「独裁者」とも非難されるように日本に馴染まぬ違和感を覚える層もある。同時に閉塞感漂う日本の空気を一新する待ちに待った「希望ののろし」として歓迎する層もある。

革命とは権力構造や社会的構造が短期間に遂行されることである。戦後の政治体質と新しい変革を求める政治の二つの勢力が拮抗しているのが今までの日本の現状であった。今回の「大阪維新の会」の勝利で、大阪から日本を変革するパワーが生まれたのではないだろうか。

ぼくは、この大阪のパワーこそ真の日本の将来のあるべき理想像だと思う。何故かというと、敗戦後の日本は、マッカーサーをはじめとする米国の戦略により日本人の特性が生かされないシステムにより縛られてきたからであり、それが大きく変化しようとしているからである。では、世界でも稀なる日本の特性と欧米の特性の違いとは何なのであろうか。

ヒントは、スティーブ・ジョブズ氏の考え方・生き方にある。ジョブズの自叙伝から一部引用する。「西洋の合理的思考は人間が生まれながらに持っているものではなく習得するものである。東洋には、直感や洞察を重視する仏教の教えがある。論理的分析よりも直感的な理解や意識の方が重要だと思う」。アップルの成功は、ジョブズ氏の禅の思想にあるのである。

戦前の日本の教育、いや6世紀半ばに仏教と儒教が大陸から伝来し、400年の貴族社会を経て、武士道を重んじる武家国家による教育が日本の奔流の教育である。敗戦まで日本の教育のバックボーンは、仏教、儒教、武士道、神道であった。戦後、我々がずっと信奉してきた西洋の合理的思考を基本とする教育は、日本の本来の教育と大きく異なっていたのである。

日本人に馴染まぬ論理的な教育を受け、優秀な成績を修めた官僚や政治家が日本の舵取りを戦後担ってきた。彼らの特徴は、明確なビジョンがないことと、独自の言葉で語らず文章を読むことである。翻って、橋下氏の言行は、日本の特性、すなわち感情豊かな知的直感に満ち溢れたところに魅力があると考えられる。

海外で長く住み異文化の交流に接してきて習得したことは、その民族特有の優れたオリジナリティーが不十分では相手に尊敬されないということである。加えて、相手の優れたところも習得するという柔軟な姿勢が必要であると考える。従って、今日の日本に求められている大切なことは、ジョブズ氏も述べている西洋の論理的思考方法よりも直感的な東洋の思考方法に重きを置くということだと考える。論理的思考は、集中して勉強すれば身に付く。しかし、直感力は、人間の内から湧き出るメッセージを素直に生かすことで磨きがかかるという本質的なものである。

戦後の日本という国は、米国の傘の下で急激な経済発展を成し遂げたが、平成時代に入り、その反動の嵐に見舞われている。いよいよ、その流れを変革する時が到来したようである。想えば、米国のコンピュータ産業に革命的なイノベーションをもたらしたジョブズ氏と大阪から革命を起こそうとしている橋下氏は、何か不思議な共通点があるように思われる。

それは、知的直感で行動するという日本の本来のあり方であるように思う。西洋の理論的思考と東洋の知的直感の両翼を活かす。ジョブズ氏から学ぶことは多いし、日本的であることが真の革命を導くと思う。世界はアジアの時代を迎えようとしている。知的直感に基づく新しいリベラルアーツがより明確なビジョンを構築し、明治維新以来の革命が2010年代に到来すると予測する。

11月 24

通貨の変動は、想像以上に激しい。40年前のニクソンショックまで1ドルは360円、最高値は75円32銭、円高トレンドが続いている。360度である円が拡張され、ドルの価値が5分の1に収縮したのである。ニクソンショックによりブレトンウッズ体制が崩れ、スミソニアン体制に変わったり、また固定相場制から変動相場制に移ったり、さらにプラザ合意により大きく円高に誘導されたのである。それは明らかに戦略的になるべくしてそうなったのである。

リーマンショック前、1ドルは、110円辺りで推移していた。それが、みるみる内に円高に拍車がかかり、ドルの価値が8年前のドル高に比べ半分近くに落ちたのである。米国が戦略的に金融・財政政策を発動させなければ自然発生的にこのような変動が起こるとは考えられない。円高に誘導された本質はどこに起因しているのだろうか。

第一に、マネーサプライが気にかかる。ドルとユーロの供給量に比較し、円がその半分以下になっている。お札を無造作に増刷すればその通貨の価値が下がる。基軸通貨であるドルとユーロは、リーマンショック以来の2倍程度増刷された。財政支援策として急激に刷られたのである。当然のことながら相対的に円の価値が上昇する。

現在、ドルの市場流通量は、2兆ドル、円は100兆円である。単純に考えるとマネーサプライの需給の関係では、1ドルは、50円となる。8年前、1ドル135円であったので、135円と最高値の75円の平均をとればだいたい100円である。100兆円の円を増刷し、円の流通量が200兆円になれば、自ずと100円辺りに戻ると考えられる。

日本の経済は、失われた20年と言われ 中国に世界第二の経済大国の地位を譲ったが、まだまだ底力は、相当なものである。また、円換算で経済成長を観れば、成長率は停滞しているよに見えるがドル換算では、かなりの成長率のように誤解してしまう。

戦略的に為替変動が操作されている状況においては、通貨が強いからといってその国の経済が強いとは考えられない。世界の基軸通貨がドルに続きユーロであり、加えて、円が評価されているなら、ドルとユーロと円が勢力均衡する金融政策をとることにより、円の独歩高を回避することが可能となる。それは、円の量的緩和策であり、ドルとユーロに協調しながら円を増刷することである。

第二に、現在の世界経済危機は、米国と欧州の財政破綻に端を発している。日本もギネス級の財政赤字を抱えているが相対的にみて東アジアの経済圏にある日本の不安定要因は低減される。中国の外貨準備高は、4兆ドル以上あり、ドル一辺倒であった中国の外貨準備が円などに分散されており、中国の円買いが円高を支えていると言われている。

世界経済は、北米、ヨーロッパ、東アジアの三極で構成されている。21世紀はアジア・太平洋の時代と言われているが、ドルやユーロの基軸通貨があるにもかかわらず東アジアの通貨は発展途上である。円高の一因は、将来のアジア通貨への布石とも考えられる。

第三には、米国とヨーロッパの経済が成熟しているから潜在性の高い中国をはじめとするアジア市場に浸透するためにドルとユーロの価値を下げ、輸出主導型の金融政策を目指しているように考えられる。米国はすでにゼロ金利政策を行っているので、ドル安に煽る政策としてドルの増刷を行っている。

基軸通貨が増刷しているので、それに次ぐ円が同じ割合で増発されてもハイパーインフレは発生しないと考えられる。円高でデフレのこの願ってもない状況の中で、円を増刷し、その金利が発生しない資金を東北の復興支援や原発問題に関するエネルギーの安全保障に投下する絶好のタイミングではないだろうか。ドルの流通量にあわせて100兆円が増刷されるなら、復興支援などを差し引いても国民の一人一人に50万円を分配することが可能となろう。このように円高を是正すると同時に国民に恩恵を提供する政策が望まれているのではないだろか。

10月 03

世界の中の日本の地位は、経済、政治、社会的側面から観察しても低下している。国家が富国を 目指す時、それぞれの時代背景により「富国強兵」,「富国平和」が叫ばれ提唱されて来た。しかし、現在、新興国の勢力が増し、先進国の中でも低成長を継続している日本の存在感が薄くなっている。

このような状況の中、軍事力、経済力といった弱肉強食のハードパワーでなく、もっと本質的な国家という概念を超えたところにあるパワー、すなわち、人類全てが共有でき、異文化を超えて互いに尊敬できるパワーを推進すべきだという考えがある。冷戦後の20年は、漂流の時代であったが、これからは、「富国有徳」を持って、世界の中の日本の地位を確立するとのビジョンに魅力を感じる。

海外生活で多種多彩な異文化に接し、文化を押しつけることにより対立が発生するし、「郷に入れば郷に従え」だけでは、異文化交流に発展しない。文化という「ソフトパワー」を異国の地で活かすことは、簡単でない。そこに宗教とかイデオロギーとかが絡めばことは複雑になる。

日本人が備えている有徳とは、一つの宗教に固執しない多神教的な、ある意味では、「曖昧」ではあるが、対立より調和を重んじる考え方ではないだろうか。また、日本人の有徳とは、複雑なものでなく歴史の中で築かれてきた日本人が本来備えている世界まれなる生き方だと考えられる。そこで、日本人が「富国有徳」として、世界の中の日本の役割をどのように演じて行くことができるのだろか。

先日、パリで和洋折衷の和食(日本食)の店を出し成功している日本人の友人と会った。日本に本拠地を置きながらも、毎月、パリに赴いている。最近では、パリの和食のレストランのシェフの9割は、日本人でないという。寿司、焼き鳥、天ぷらなどの日本の食の文化がグローバルに人気を博しているが、和食といっても日本人が不在なのは問題である。友人が頻繁にパリに赴く目的は、真の和食を持って、食の中心パリで チャレンジすることにある。

昭和の時代には、企業人をはじめファッション関係者も、和食の板前さんもマネジャーも情熱を持って海外に雄飛しようとする日本人がたくさんいた。それに呼応して世界で和食が急速に広まり、生の魚などほとんど口にしなかった外国人が、高価な寿司をステータスのように食するようになった。そして、現在では、外国人による和食レストラン運営が主流になっている。

胃袋をつかんだ食の文化は強い。フレンチ、中華、イタリアンなど、世界のどこに行っても接することができるし、日本でも外食の主流となっている。また、日本の和食の店でもワインやビールが増え、日本酒のシェアが食われているという。前述のパリの友人は、パリの和食レストランにて日本酒の地酒を本格的に普及させようと考えている。努力なくして日本酒のシェアは、減少する。蔵元がもっと本気になって地酒を海外に売り込む努力が必要だという。

ソフトパワーには、日本のアニメ、マンガが主軸となっているが、食や酒という胃袋を満たす食の文化、すなわち、和食こそ日本のソフトパワーの本質ではなかろうか。パリ、ニューヨークといった世界の大都市のみならず、多極化する世界において和食や地酒を根づかせる。それも単に普及させるのではなく、「富国有徳」という日本人による日本のソフトパワーで日本の存在感を浸透させる。円高のご時世、和食の海外投資のチャンスではないだろうか。美味しく、健康な食の普及こそ、世界の誰もが対立することなく平和になる最高の異文化交流でありソフトパワーであろう。

8月 17

日米同盟は、日米の平和構築のための安全保障である。しかし、日本は核のメルトダウンと米国は財政のメルトダウンを起こし、日米が揃って世界の悪役になっている。核問題も金融問題も人間が創造したエゴにより発生した人工的な出来事である。地震や津波は、大自然の摂理であり防ぐことは容易でないが、核問題も金融問題も必ず人類の叡智により解決される類いのものである。

昨今の為替の変動や株価の低迷が世界を震撼させているが、その本質はどこにあるのか。出来事や結果には、原因がつきものである。しかしながら、内外のメディアの論調を見てみても米国債のデフォルト問題、米国債の格下げ、日米欧の財政赤字問題が主流であり、本質論に欠ける。アメリカ経済に詳しいビル・トッテン氏は、市場経済の限界と金融のギャンブル化を懸念し、トービン税の必要性を唱えている。

80年以上前に大恐慌が発生した。その教訓として、銀行と証券会社の経営を分離するというグラス・スティーガル法が制定された。しかし、ゴールドマンサックスの会長、クリントン政権で財務長官を歴任したルービン氏等が中心となり、金融の自由化という名目でグラス・スティーガル法が廃止され、金融のギャンブルとも例えられるデリバティブ(金融派生商品)が発生し猛威を奮ったのである。

その額は、全世界のGDPの約3倍である。また、一年間の外国通貨の取引額が一年間の製品やサービスに関する世界貿易額の36倍にも上っているのである。詳しくは、世界貿易(海外旅行も含む)に必要な金額は外国為替全体のわずか1% に過ぎない。残りの99%は全く博打のために取引されているのである。

要するに、実体経済と大きく乖離した非実体経済により世界の経済が投機で操られているのである。金融業界のインサイダーが金融行政をコントロールしたことにより始まった経済のカジノ化が、一国の経済、例えば、投機家が投機により超円高や超円安により年間予算が100兆円に満たない日本経済をコントロールすることも不可能でないのである。

経済や金融のギャンブルが生み出された背景には、日本のゼロ金利政策がある。昭和から平成に変わると同時に、ベルリンの壁が崩壊し米国の共産封じ込め政策が対日経済の熱戦の経済戦略にシフトされたのである。安全保障の観点では日米の同盟であっても経済の面では、日本の莫大な米国を脅かす巨額な資金を戦略的に日本から米国に移動させたのである。日本の増えた預金と減った貸し付けを合わせた220兆円。その巨額資金が、米国に流れたのである。日本のゼロ金利政策により、日本の銀行は、日本の企業や個人に貸し出しをするより、海外の国債を買ったり海外に投資をしたりする方が、より早く利益を得ることができたからである。

サブプライム問題は、ゼロ金利でも日本の銀行に預金をするという日本人の金融に対する無知が多少なりとも影響していると考えられる。

1981年にノーベル経済学賞を受賞したジェームス・トービンは、為替投機の抑制のために外国為替取引に対して定率の税を課すトービン税を提案している。毎日36兆円売買される日本円の外国為替に1%の税金をかけるだけで、日本政府は年間132兆円の税収を得ることができるのである。

現在の国税と地方税を足しても100兆円である。消費税を1%上げても2兆円である。経済の不安定要因の本質は、金融のギャンブルにある。投機を抑制することにより、世界経済は実体経済で動く。市場経済には限界がある。故に、余りにも無謀な投機による市場経済を抑制するトービン税の導入により、日本経済の復興と世界経済の秩序が構築されるのである。日本は余りにも急速に資金を蒸発させたが、トービン税の導入により、それを取り戻すことができるのである。

7月 20

地震ベルト地帯が集中する日本は、原発事故が再発する可能性が高い。よって、原発反対である。また、福島原発の事故直後に被害の深刻さを訴え、最悪の事態に対応すべきだと主張した欧米のメディアは、多くの日本のメディアより真実を報道したと考えられる。イメージ図

 現在、日本のメディアは、市場に出回っている福島産の牛肉が放射能汚染されているという理由で出荷停止を伝えている。政府の発表を伝えるのは、メディアの役割である。しかし、放射能汚染や内部被爆は、どの程度のスケールで危険であるのか、いささか疑問である。

 というのは、冷静に考えてみると、原発事故最悪のレベル7のレッテルを貼られた福島原発事故で命を落とした犠牲者は、知る限りではゼロである。例えは、極端であるが、アフリカの開発援助の仕事に従事した時、マラリアの予防のためにクロロキンを服用した。半年以上服用することにより、人体に悪影響を及ぼすということで、服用を辞めることで、マラニアにかかった。振り返れば、かなり過酷な状況の中で、アフリカの開発援助を行ない、人体に悪影響を及ぼすリスクは極めて高かった。明らかに、放射能よりリスクは高かった。

 放射能は目に見えないし臭いもなく、放射能の探知機を使用しても人体に悪影響を及ぼす正確な数値を把握することは容易でない。また、チェルノブイリ等の事故例は存在するものの、放射能のリスクはまだまだ未知数である。

 再度強調しておくが、筆者は、原発反対である。しかし、福島周辺の農林水産関連の風評被害が拡大する状況の中で、他の要因で命を落とす比較において、放射能汚染の危険値を考察することも重要であろう。例えば、年間、3万人以上の自殺者があり、3・11以降、急激に増加している。

 放射能汚染された農産物は、人体に悪影響を及ぼす量に達してなくても放射能汚染アレルギーにより消費者から敬遠されている。恐らく、牛肉だけに終わらず他の畜産や農産物にも風評が広がり、安心、安全とされた国産の農産物から海外産の農産物へのシフトが円高の影響もあり進むように考えられる。

 異常なまでの放射能アレルギーが蔓延する中、自然界にある放射能は、身体に良い。という論調もされてはいいのではないだろうか。鳥取県の三朝温泉に何度も訪れた。三朝温泉は、ラジウム、ラドンの世界有数の放射能温泉であり、何百年と療養温泉として栄えてきた。事実、三朝の湯につかれば、肌も生き生きするし、身体に良いことは確かである。

 専門家でないので、自然界に存在する放射能と原発の放射能の違いは、分からないが、放射能を完全に悪だと決めてしまうのも問題があるように思う。人体には免疫があり、場合によっては、放射能が人体にプラスに働く可能性もあるのではないだろうか。

 恐らく、このような論調は皆無であると思われるが、目にも見えなく臭いもなく、人類史上最悪の原発事故だと言われる福島原発事故で人命が失われてない、いや風評の割に現実的な被害が見えない事実を冷静に観察するという多角的視点も必要だと考えられる。

 政府は、福島の農産物は大丈夫だとのパフォーマンスを披露したのは最近のことである。
にもかかわらず、稲わらからセシンム汚染された牛肉の問題により福島産の農産物の風評を広めている。振り子が極端から極端に振れるという日本の特徴が顕著な状況の中で、あえて、自然界における放射能の効用も伝えたく思う。

6月 02

 書店に並ぶ「もし高校野球の女子マネージャーが、ドラッカーのマネジメントを読んだら」という「もしドラ」の本を見て、直ちに大学の講義で、ドラッカーの実務的な経営戦略をベースに、就職難から国難まで様々な難題に打ち勝つためのディスカッションを行った。イメージ図

 500人の学生が履修する講義では、学生の集中力を維持させるのは、容易でない。しかし、「もしドラ」を学生が直面する就活という現実に置き換えて学生が主役となる講義を行ったところ、想像以上のインパクトがあった。つまり、教育で重要なことは、世界に通用する恒久的な法則を習得し、豊かな人生をおくるために必要となるビジョンやシナリオを学生自身が考える点にあるのではないだろうか。

 改めて学生の立場で現在の日本経済の状況における就活を考えてみると厳しさが実感できる。戦後の日本の経済発展の変遷を経済復興期(1945-1954)、高度経済成長期(1955-1976)、経済安定期(1977-89)、構造改革期(1990-現在)の4つに分類すると、復興期においては、米国の対日経済支援や朝鮮戦争特需の恩恵を受け、経済成長期においては、重化学工業や輸出主導型産業の進展が所得倍増計画の実現に貢献し、経済安定期においては、二度の石油ショックや米国経済の危機に伴う変動相場制への移行やプラザ合意による極端な円高の洗礼を受け、国際分業による工場の海外移転が加速された。そして、構造改革期においては、産業の空洞化が加速され、それを予防する政策として莫大な国債が発行され内需景気刺激策としての無駄な公共事業が行われ、GDPの2年分以上の借金を抱えてしまったのである。

 昭和から平成に変わり20年以上日本の経済発展が劣化が継続している。追い討ちをかけるように3・11の自然災害と原発事故のダブルの悲劇に呪われたのである。戦後最悪の状態であり、学生にとって夢と理想が吹っ飛ぶ程に現実は冷たいのである。

 そこで、ドラッカーのマネージメント戦略の登場である。会社の目的は、顧客を創造すること。顧客が必要なのは、生産性の向上をともなったマーケティングとイノベーション。事業の姿を具体的に考えるために、マーケティング、イノベーション、経営資源、生産性、社会的責任、費用としての6つの視点で考える。

 日本の社会的ベクトルは、少子高齢化社会において、「幸せと豊かさを実感できる社会システムの構築」にあり、経済の成長ベクトルは、地球環境問題、ITの進展、グローバル化の進展、ライフサイエンス、農業の分野にある。従って、日本経済の停滞をブレークスルーするのは、これらの分野をドラッカー的にマネージメントするかにある。学生は、これらの前提条件を基本に学生の柔軟な発想で、企業のリクルートする側を驚かす刷新な青写真を描くことで、就職難の世の中に一抹の光を見出すことが可能となると考える。

 その参考になるのが、先日、参議院の公聴会で、脱原発とメガソーラーをはじめとする自然エネルギーの実用的で商機のある大胆な提案を行ったソフトバンクの孫社長である。ドラッカーの経営戦略と孫社長のビジョンが見事に重なる。既得権益や前例など悪しき慣習をぶち破り、大胆な発想が受け入れられる面白い現代社会が到来しており、学生にもチャンスがあるのではなかろうか。

<参考文献>
・もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら 岩崎夏海 (ダイヤモンド社刊)
・マネジメント[エッセンシャル版]  P・F. ドラッカー、 上田 惇生 (ダイヤモンド社刊)

4月 04

10年前の9・11は、国際テロにより米国と世界が動揺した。現在、3・11の地震と津波による自然災害に加え、人工的な要因が起因する原発事故により、世界は、日本に注視し、同情し、協力しようとしている。ユーラシア大陸の東の果ての列島日本は、今までに幾多の自然災害の試練に耐え、それが日本のバックボーンとなって来た。また、世界で唯一、原爆という洗礼を受けた日本は、軍事を放棄し恒久平和を希求する国家に成長した。イメージ図

 日本人は如何なる困難な状況に於いてもそれを超越するDNAを備えていた。ならば、この現在進行形の未曽有の大惨事に於いても、最も賢明でスマートな解決策並びに復興への処方䇳があると確信する。しかも、原発事故という地球のエコロジーに多大な影響を及ぼす問題に於いては、全世界の叡智を結集した敏速な対応が不可欠であり、まさに日本は今、命運を決定づける分水嶺の真っただ中にある。以下、復興のための7つの方策を考察する。

1・国際協力
 世界史に於いても自然災害の支援で、これ程、短期間で世界の大多数が一国のために国際協力の手を差し伸べたことがあったであろうか。特に、米国は、「トモダチ作戦 」を展開し、国連は、地震発生の同日に英語と日本語で日本支援へのメッセージを発した。また、周辺諸国の韓国、中国、ロシアは、歴史認識や領土問題などの温度差があるにも拘らず、いち早く支援を表明した。日本を取り巻く国際情勢は、大震災の災いが転じ、最も良好な国際環境にある。自然災害を通じた戦略的な互恵により、新たなる安全保障の構築も考えられよう。

2・政治への影響
 失われた10年や20年は、政治の混乱による処が大である。表層的には与野党の対立も観られるが、本質的には、難局を乗りきるために「オールジャパン」としての政治の求心力が発生している。戦後、日本が精神性に於いても最もまとまっている。

3・経済的影響
 復興支援に必要とされる予算は、約20兆円だと予測される。政府債務残高がGDP比230%に達する異常事態において国債で復興支援を賄うのは多大なリスクを伴う。間接税として、復興支援のための限定的な消費税を導入することが具現化されることにより、財源が安定し、復興支援を通じた経済刺激策として世界は評価するだろう。欧米にはチップという制度があるように、消費税に抵抗があるなら、飲食時に、復興支援のための限定的なチップに類似した10%のサーチャージを課すのも一案である。

4・エネルギー戦略の転換
 地震ベルト地帯が日本列島に集中している。いくら日本の高度な原発の技術力を持ってしても、自然災害への対応が困難であるのが現実となった。日の丸という日本の国旗が日本のアイデンティティとして明示しているように日本は、徹底的に太陽エネルギーを推進する好機であろう。

5・節電
停電による経済のマイナス要素を回避するために、夏場に向け、極端なサマータイムの導入や、電力の節約につながる週末を含む最も効率的な企業活動を行い、電力の節約に貢献した家庭や企業には、特典を与えたり、貢献しなければペナルティーを課すこと等、あらゆる方策を実行する。

6・復興のグランドデザイン
 宇宙から映し出されるリアルタイムの地球の映像を観ながら「世界の中の日本」としての東北地方の壮大な空間開発計画を描く。それは、津波を防ぐ為に高い防波堤やコンクリートで固めるという発想でなく、自然との共生を重視した農林水産業プラス最先端の技術の集約という挑戦である。

7・政治、経済、安全保障を包括するグローバルな戦略的互恵
 福島原発事故は、日本というフレームを超えた一蓮托生の問題である。世界の叡智を結集させた戦略的互恵に基く国益、地球益のための広くて深い日本の政治、経済、安全保障を包括したビジョンを構築しなければならない。

http://fm797thinktank2.seesaa.net/

3月 09

ソーシャルメディアのつぶやきに端を発した中東の民主化のうねりは、アラブ全土に拡張する勢いである。通常ならアラブの不安定要因は、イスラエルやアメリカに向けられるのだが、今は、独裁政権に向けられている。その根拠は。そして、その影響でどのようなプラスとマイナス面が発生するのだろうか。更に、中東のうねりは、アジアの独裁国家、北朝鮮にも飛び火するのだろうか。イメージ図

 ニューヨークタイムズのトーマス・フリードマンの分析は面白い。オバマ大統領のカイロ演説が、中東の民主化に影響を与えたと述べている。オバマ大統領のミドルネームは、フセインである。イスラムの血を引き継いでいる黒人なのである。このような人物がアメリカの大統領になれる程、アメリカの民主化が進んでいると認識したアラブの若者が民主化のきっかけを生み出したのである。また、インターネットのGoogleアースでつぶさに世界の発展や住宅事情を観ることができる。アラブの若者たちは、アブダビとパレスチナの貧富の格差を認識し、独裁政権への不満が爆発したのだと展望している。

 アラブ世界の3つの幕大な赤字は、教育の赤字、自由の赤字、そして女性の権限に関する赤字である。石油という歳入がある国は、富が一部の権力に集中するし、生活のために何もする必要も無いので向上心が削がれてしまう。石油に頼れない国は、アラブ、イスラエル、アメリカの三角関係において勢力を均衡させる役割を演じ維持されてきた。

 30年、40年という恐ろしく長い独裁政権が継続する中、気がつけば、教育、自由、女性の地位という若者の自立に不可欠な要素が完全に欠乏してしまった。教育と自由がなければ雇用の創出もない。若者の人口比率が高いアラブ諸国において、王族や独裁政権は、若者が希求する仕事に対する野心や向上心に反することばかりをしてきたことが今回の中東の民主化の根拠であると考えられる。

 中東情勢の不透明感が高まる程、石油等の資源が高騰する。資源高騰で漁夫の利をまともに得るのは、ロシアや中央アジアの資源国家である。また、バーレンでは、少数のスンニ派によって抑圧されてきた大多数のシーア派が民主化に拍車をかけている。最大の産油国であるサウジアラビアに接し、ペルシャ湾の入り口に位置し、アメリカの第五艦隊の司令本部があるバーレンに政変が起これば、中東におけるスンニ派とシーア派の勢力が変革する。

 つまり、アメリカの視点では、イラク戦争で失敗し、イラクとイランがシーア派で結びつき、バーレンやひいては、サウジアラビアまでシーア派の勢力が拡張し、石油資源がイランを中心とする反米政権によってコントロールされる可能性もあるのである。

 しかし、別の角度から展望すれば、親米政権という名目で民主化が抑制されてきたアラブ諸国が崩れ、新たな政権が生まれ一時的な混乱が起きても結局は、中東におけるイスラエルは、スンニ派とシーア派の混沌から漁夫の利を得ることができると考えられる。アメリカの軍民複合体もビジネスチャンスを得ることができるだろう。

 石油価格が上昇することで、いよいよ本格的なエネルギーの安全保障として、脱石油によるイノベーションが活発化すると考えられる。オバマ大統領が提唱したグリーンニューディールが具体化される可能性が高い。これは、日本が得意とする環境に優しい技術や原子力の分野の刺激策となると考えられる。中東の民主化のうねりは、中長期的には日本の利益にも結びつくと考えられる。

 独裁政権がインターネットをいくら監視、検閲してもイノベーションと抑圧された庶民には勝てぬ。歴史の必然性から考察すると、北朝鮮という稀なる独裁国家もいずれは、崩壊する。金体制が維持できたのは、アメリカと中国が北東アジアの勢力均衡型の安全保障を戦略思考したからである。

 しかし、国家という枠組みを超越した中東で発生した市民の民主化がイノベーションの波に乗った時には、北朝鮮にも革命が起こると予測する。その時に備え、エネルギーの安全保障と並ぶ北東アジアの安全保障を確立する必要がある。民主党の分裂など国内の 問題に振り回されている場合でない。今、まさに国際情勢の激動の中で、日本の役割を考察する時期が到来している。

2月 03

チュニジアに始まった民主化のうねりが、エジプトに飛び火し、百万人規模の民主化のデモがムバラク政権を転覆させようとしている。この動きは、1989年の天安門事件やベルリンの壁崩壊に並ぶ大きなパラダイムシフトであり、アラブやイスラエルの中東情勢のみならず、世界中の軍事独裁政権を一掃する可能生を秘めているのではないだろうか。

その根拠として、インターネットという情報技術の進展が、市民の声を瞬く間に世界に伝達することを可能にしたことと、米国のダブルスタンダードとも考えられる非常に戦略的な外交・安全保障戦略が関連していることが挙げられる。

インターネットによる市民パワーが軍事力をも陵駕した例としてイラク戦争が思い出される。恐らく8年前の米国によるイラクへの先制攻撃までは、圧倒的な軍事力を行使した国が被占領国の市民パワーに敗北するとは考えられなかった。また、米国のマスメディアが市民という非マスコミのパワーに席巻されるとは予測できなかった。従軍メディアの如く米国のマスメディアが、民主化という正当性を掲げてイラク国民や世界に伝達しようとしても、先制攻撃されたイラク国民の目線で世界に発信されたyoutube等の現実の映像には及ばなかった。

インターネットという情報技術は、ペンタゴンの技術革新に起因している。回り回ってそのインターネットの情報技術が市民を介して軍事力をも陵駕したのである。チュニスやカイロで勃興している軍事独裁政権打倒への市民による民主化の大波は、インターネットという21世紀の怪物によって生み出されたのである。

90年近く前にロシアの経済学者コンドラチェフは、景気循環の長期ウェーブは、戦争、技術革新、貨幣の供給量(機軸通貨)、天然資源の需給のバランスによって影響されると述べている。一国で突出した世界の軍事費のシェアを占めている米国は、技術革新並びに世界通貨の面でもトップランナーである。軍事、インターネット、ドルという3つが複合的に機能するところに米国の底力があるのではないだろうか。

米国は、中東諸国に民主化の重要性を掲げているが、その民主化を推進するために国家の財政を圧迫する武器を提供している。また、一部の過激派を鎮圧するために必要以上の軍事力で威嚇している。米国の行動がダブルスタンダートと言われるのは、ムバラク政権のような独裁政権に対しても、アラブとイスラエルの架け橋としての役割に重きを置き、エジプト市民の声を無視してきたところにある。

しかし、今回のエジプトの民主化のうねりは、親米政権を擁護する状況でなく、オバマ政権は、ムバラク大統領の辞任を加速させるメッセージを送った。恐らくメディアでは発表されない外交の舞台裏で、どのような暫定政府を樹立すかかでユダヤとアラブの駆け引きが成されているのだろう。中東の求心力の要であるエジプトの内政の動向は、アラブ全体に大きな影響を及ぼすであろうし、イスラエルとパレスチナの命運にも関わってくる。

ペンタゴンが開発に関与したインターネットが中東や北アフリカの市民パワーを躍動させ、親米政権の崩壊へと導いている。市民パワーの背後には、親米と反米が渦巻いている。米国のインテリジェンス機能がどのように中東を動かそうとしているのか。どのような中東情勢の変化が起ころうとも、米国の軍産複合体にとって決してマイナスにならないし、また中東諸国の政変は、イスラエルの勢力を高める好機となるのではないだろうか。

1月 08

はじめに

メディアは、貧困問題をどのように伝え、どのような社会的影響を及ぼしているかについて、国連の地域開発の専門家としてアフリカに4年間生活した経験をベースに多角的に論じたく思う。

第一に貧困を考えるにあたり先進国の尺度とアフリカなど途上国の尺度は異なるということ。
第二に、紛争や環境破壊など人類が直面している根源的な問題に、貧富の格差や貧困があるということ。
第三に、アフリカや北朝鮮の飢餓の現状をメディアが報道しなければ国際的な関心が高まらないこと。
第四に、貧困問題を打開する経済協力や技術支援について考察する。
第五に、学生がアフリカ等の貧困問題に向けた活動にどのように関わることができるかについて提案する。

1・貧困を考えるにあたり先進国の尺度とアフリカなど途上国の尺度は異なるということ。
国連工業開発機関の専門家として、西アフリカ、リベリアに1987年から1989年の2年間駐在した。リベリアの首都モンロビアから、内陸部に250キロ程入った、象牙海岸とギニーの国境に近い、まさに、アフリカのアフリカたる地の果てであった。

この地には、当然のことながら電気や水道といった当たり前の社会資本整備がない。先進国の尺度では計り知れない貧困があった。日本から来た短期間のJICA専門家は、この地の中小企業の現状を観察して、まるで弥生時代のレベルに等しいのではとの冗談のような感想を述べたことが思い出される。

日本では、水道や電気といった当然のインフラ整備のもとで暮らしてきた。日本の恵まれた先進国の視点でアフリカの生活を展望すると、大部分が貧困に写る。しかし、先進国の生活を経験したことのないアフリカ人にとっては、貧困という概念がないことも確かである。本当にアフリカの奥地に入ると貨幣がなくとも生活が成り立つことを学んだ。リベリアの奥地では、雨期と乾期の差はあるものの常にバナナ、パイナップル、ココナッツ、パパイヤ、マンゴなどのトロピカルフルーツを自由に手に入れることができた。痩せて飢えに直面している人々と会うことは稀であった。

太陽と水と土地と労働があれば、食糧という飢えに苦しむことはない。しかし、サブサハラ南部や東アフリカの一部は、雨が降らず、農作物が育たず、完全に飢餓に直面しているのも現実である。南アフリカと西アフリカのリベリアに4年間生活し、旅行で北アフリカ、東アフリカを訪れたが、本当の食糧が自給できず、またお金がなく食糧を手に入れる事ができず飢餓の瀬戸際にいる人々に会ったことは希であった。

雨が降らず大地が乾き食糧が不足し痩せこけて飢餓に苦しむ人々の姿は、メディアの報道を通じ知ることができた。また、リベリアの農村部で見かけることがなかった貧困の現状を首都モンロビアで観察することができた。一般的に、途上国の都市部では、スラム街等の貧民街があり、そこには農村部で自由に得る事ができるトロピカルフルーツ等の食糧がないことから貧困が存在している。でも、その貧困も大地が乾燥し、食糧が全く育たないという飢餓に比較すると死に直面している飢餓とは異なると思われる。

アフリカの現地経験を経て、国連工業開発機関本部ウイーンの本部職員の北朝鮮の地域担当官の経験も経て、1990年前半に北朝鮮の飢餓に直面しているとされる現地の調査を行った。当時、北朝鮮に入る事が制限されていて(現在もそうであるけれど)、正確な北朝鮮の現況を把握することは困難であった。当時の報道では、三百万人の北朝鮮の市民が飢餓に直面しているとあった。現在も北朝鮮の飢餓に関する報道がなされている。

90年代に北朝鮮に少なくとも3回入り北朝鮮の貧困の現況をこの眼で観察し実感した事は、国連等の北朝鮮に関する食糧危機や飢餓に苦しむ報道は、誇張された報道がなされる傾向にあるのではないかということである。雨が降らないことに起因するアフリカの飢餓は、本格的な飢餓であるけれどの、北朝鮮の飢餓は、政治的な問題から発生する飢餓である。換言すると、雨が降り、太陽と大地と労働力に恵まれた北朝鮮は、人工的な飢餓であると考えられる。

韓国や先進国の目線で観察すると北朝鮮は貧困に直面していると写るが、貧困で苦しむアフリカの現実と比較すると、貧困の深刻の度合いが異なってくる。メディアが報道する貧困についても先進国の尺度のみならず途上国の視点も取り入れた多角的な尺度で考察することが重要であろう。

2・アフリカにおける社会的・経済的貧困の原因とその影響
貧困は何故起こるのか。戦争や紛争、人工爆発、富の再分配機能が不足したり、気候変動、病気、失業、教育の機会に恵まれない場合など、貧困の原因は多様である。また、貧困が及ぼす影響として、戦争や紛争、環境問題、病気、教育問題などが考えられ、先進国や途上国を問わずすべてが抱える問題は一蓮托生であり、貧困問題を少しでも解消することで世界平和の貢献につながると考えられる。

アフリカには、構造的な搾取のシステムが存在する。アフリカの豊富な天然資源を獲得し、安定した供給を保つために、一部の先進国や多国籍企業は、低い賃金で現地の労働者を雇用する。天然資源の国際市場の動向により、労働者の賃金も雇用状況も変化する。多国籍企業などの巨大資本は、現地の雇用創出に貢献もするが同時に、貧富の格差を発生させる。

一般的に、アフリカ等の途上国の紛争の一因は、経済的な格差に起因すると考えられている。政治的対立、宗教的対立、民族的対立などの根源には、経済格差による不確実性がある。これは、リベリアで中小企業の育成のプロジェクトに従事した時に実感した。

アフリカにおいて経済格差があまり存在しない時には、紛争は少なかった。リベリアを例にとるとゴムのプランテーションなど多国籍企業による天然資源に起因するビジネスが現地の貧富の格差を生み出した。

その貧富の格差を解消するために、多国籍企業の他に公的機関として国連や開発援助に関わる組織、NGO等は、重要な役割を果たしている。国連の開発援助の仕事を通じ、現地の視点で地元の天然資源を効率的に使い、その付加価値を高めるための製造技術を移転することにより、現地の人々の雇用創出と所得を向上させることが可能となることを経験した。

アフリカの現地を拠点に中小企業育成のプロジェクトに従事することで、先進国から物資を支給したり社会資本整備だけではアフリカの貧困を解消することが不可能であると感じた。つまり、一方的な先進国からの経済協力ではなく、現地の人々が付加価値を高めるための製造過程に従事する人々への機会の提供が大切であるのである。

貧困を解消するため、また社会を安定させるためには、雇用創出としての仕事が重要である。開発援助の基本は、先進国からのものを供給するのではなく、もの造りの基本を現地の人々に提供することにある。つまり、教育が貧困を解消する原点である。

先進国が経済発展を維持するためには、途上国の天然資源が必要である。途上国にとっては、天然資源を輸出するだけでは、現地の特定の人々を豊かにするだけで途上国の社会全体にとって貧富の格差を助長することになる。加えて、アフリカの木材資源などの伐採などは、地球温暖化に悪影響を及ぼす。森林の減少を防ぐためにも付加価値を高めるための技術移転と教育が重要となる。先進国と途上国の技術の格差を縮小させるための教育に力点をおいた開発援助支援を強化することでアフリカ等の貧困を解消することで可能となろう。

3・アフリカや北朝鮮の飢餓の現状をメディアが報道しなければ国際的な関心が高まらない
イギリスのBBCやアメリカのVOAなどは、アフリカに特化したプログラムを頻繁に放送している。これらのメディアを通じリアルタイムにアフリカの現状を把握することができる。これらの国際放送を通じ、世界中の人々がアフリカの現状をモニターすることができるのみならず、アフリカの現地の人々の重要な情報源となっている。

アフリカの現地で生活すれば、不安定なアフリカの社会情勢に関する情報を得る事は容易でない。従って、アフリカの現状を放送する先進国のメディアの役割は重要である。また、先進国のメディアがアフリカの貧困の現状を世界に伝えなければ、アフリカの貧困を解消するための経済協力や技術移転などの必要性が理解されない。

先にも述べたように、貧困が紛争の一因であり、地球環境問題に悪影響を及ぼす。メディアが、アフリカの貧困の現状を世界にタイムリーに伝えることにより紛争を抑止し、地球環境問題にも重要な役割を果たすことになるのである。紛争の根本原因となる貧困をメディアがきめ細かく伝えることにより、世界の途上国への関心が高まり、先進国と途上国の格差が縮小されるための経済協力等の活動が活発になり、ひいては世界平和のための大きなパワーになるのである。

国連の元事務総長であるブトロス・ガリ氏は、1992年に「平和への課題」を発表した。国連や国際社会が世界平和を達成するのに、予防外交、平和創造、平和維持、平和建設の4つが重要な活動となり、とりわけ、紛争を未然に防ぐための予防外交に力点をおくことの重要性が 示されている。それを裏付けるように、リベリアでの国連の開発援助の仕事を通じ習得したことは、紛争の根本となる貧困の解消であり、紛争が発生すれば取り返しのつかないぐらい多大な犠牲を伴うということである。

予防外交とは、とどのつまりは、歯医者に例えれば、名医は虫歯を抜くのでなく虫歯にならないような治療を行ったり、情報を提供することである。まさにメディアの役割は、予防外交の重要な役割を担っていると考えられる。アフリカにはおいて紛争が発生する時、何らかの予兆があるものである。その不安定要因の根源には貧困や飢餓が存在している。メディアがその情報を定期的に放送することにより、予防外交につながるのである。

リベリアの奥地には、アメリカの平和部隊として派遣されたアメリカ人によるラジオ放送があった。現地で開発援助の仕事に携わる人々の情報源となると同時に現地の人々の貴重な社会・経済情報となっていた。アフリカの奥地でもラジオというメディアを通じ、農産物の市場動向など都市部と村落の価格差などの生活やビジネスにとって必要な情報を把握することが可能となった。

BBC,VOA,日本のRadio Japanなどの国際放送は、電気や水道といった基本的な社会資本整備が整っていないアフリカの奥地に世界の動きを伝えている。英語のみならず、アフリカの現地の言語で放送をしているので社会的な影響力は非常に大きい。また、現地から発せられる情報が世界に伝えられ、BBCやVOA等のの有力な国際放送は、情報を双方向にバランス良く発信している。

植民地時代の遺産もあり、イギリスをはじめとするヨーロッパ諸国のアフリカへの関心が高く、それがメディアにも現れている。また、国際的なメディアがアフリカへの関心が高いのは、イデオロギーによる冷戦の産物でもある。冷戦中、アメリカを中心とする資本主義の勢力とソビエトを中心とする社会主義陣営の勢力がラジオ等のメディアを振るに活用した。イデオロギー的にアフリカ人を洗脳したという側面もあった。

北朝鮮の貧困の状況を調査することが可能なのは、国連機関等の北朝鮮政府が認めた公的機関に限定される。調査した内容を公表するまで複雑な検閲が行われる。従って、国連機関等が発表した北朝鮮の食糧事情等は、北朝鮮にとって都合のいい情報が流さてることもあり得る。

北朝鮮で開発援助のプロジェクトに関わったNGOが北朝鮮政府に都合の悪い情報を公開したところビザの延長を認可しないということがしばしば起こっている。北朝鮮のような独裁国家の現状を把握し分析することは困難である。従って、多岐に渡る分野からの多角的な情報を総合的に分析することが重要である。

例えば、北朝鮮の食糧事情は、十数年間、洪水や干ばつの自然災害の影響で、農産物の生産量が著しく低下し、飢餓での犠牲者が300万人という報道もあった。人口の一割近くの犠牲者が出たということなら大変深刻な事態である。また、別の報道では、飢餓による犠牲者は、30万人程度だと言われている。いずれにしても、農業生産性が低下し貧困に直面していることは確かである。

国連機関のミッションやシンクタンクの研究員として、北朝鮮の現地調査を数回行った。北朝鮮に入ったのが90年前半と後半であり、飢餓の現況をメディアを通じ、知ることができたが、実際、現地調査で観察したことは、想像していたより北朝鮮の食糧事情や生活は、飢餓という状況ではないという現実であった。

同行した日本の専門家は、北朝鮮の生活水準は、貧困レベルに達していると語っていたが、アフリカの奥地や貧民街を知っている視点からは、北朝鮮はアフリカの飢餓に比較すると極端な飢餓の範疇に値しないと考えられた。

このように北朝鮮のような特殊国家においては、発信する側の見方により情報の不確実性が高まるのである。貧困の度合いも比較や経験によって左右されるのである。また、北朝鮮が国際的な支援を得るためには、飢餓に直面している状況を大きく報道した方が有利なのである。

ワシントンで開催れたメディアのシンポジウムにて、CNNの代表から「メディアは、真実と噂と嘘の3つしか伝えない」という含蓄のある話を聞いた。報道する側は、真実だと思って伝えようとしても、時を経て検証することによりそれが偽った嘘の報道であったということもある。真実の報道が噂や嘘に変化するのなら、北朝鮮のような国家統制により情報が操作されている国家における報道は信憑性が低くて当然である。

北朝鮮におけるメディアの貧困に関する報道は、アフリカと同様に予防外交の観点から非常に重要である。北朝鮮の貧困についての報道がなされなければ国際的な関心も高まらないし、国際社会による支援も増えないので北朝鮮の犠牲者が増加する。一方、情報操作によりメディアが独裁国家に利用されることもある。

ニューヨークタイムズの外交コラムニストのトーンマス・フリードマン氏が、メディアの報道を4つの視点から読み解く必要があると語っている。それは、第一は、メディアにより発表された情報、第二は、現実的理由、第三は、道義的理由、第四は、本質的理由である。

この4つの視点を北朝鮮の貧困の報道に当てはめると発表された情報は、飢餓で300万人の犠牲者が発生した報道、現実的理由は、洪水や干ばつなど自然災害がもたらしたものであり、北朝鮮政府の失策が影響している、道義的理由は、北朝鮮の2400万人の一般人には罪がなく道義的観点から援助を実施すべきであり、本質的理由では、金体制を維持するための生き残り戦略として、あらゆる瀬戸際外交が行われており、貧困や飢餓という報道事態が北朝鮮の瀬戸際外交の一環であると考察されるのである。

4・貧困問題を打開する経済協力や技術支援について考察する。
前述したように、メディアの役割として貧困を打開するためには予防外交の一環となるアフリカや北朝鮮等の貧困に直面する報道を頻繁に行うことが重要である。国際社会の関心が高まり経済支援が増えるが、その支援が持続可能な支援でなければいけない。そこで、開発援助に携わる専門家が、現地に長期滞在しながら経済協力や技術移転に従事する必要がある。

貧困の原因を現地の目線で分析し、貧困から脱却するための中小企業の育成等の経済協力プロジェクトを実施することが重要である。専門家が去った後でも現地の人々が専門家から習得した技術を活かし生産を継続し雇用の機会が拡大しなければいけない。即ち、人づくりや教育への技術支援が重要なのである。

リベリアの奥地で国連機関の専門家として中小企業の育成等のプロジェクトを行った。このプロジェクトにマイクロファイナンスがあり、その特徴は貧困の緩和であった。現地の森林資源を活用し、家具製造などを推進した。世界から家具製造の専門家を招き、現地ででワークショップやセミナーを開催した。製造機械購入のためや運転資金などの融資を行った。お金の使い道や返済計画について個別アドバイスを行った。きめ細かな公的な援助機関の支援を受けながら、現地の人々は雇用の機会を得たり自らビジネスをスタートできたのである。2006年には、このようなマイクロファイナンスのビジネスをバングラディッシュで発展させたムハメド・ユヌス氏がノーベル平和賞を受賞したのである。

貧困を解消するためには現地に根ざした経済協力が必要である。また、援助機関に携わる専門家が現地で長期滞在しながら現地の状況をメディアを通じて伝えることにより真実に近い情報が世界中の人々に到達するのである。

極度の貧困を半減させるために国連は2000年9月に国連ミレニアム宣言を採択した。このミレニアム宣言には、平和と安全、開発と貧困、環境、人権と優れた統治、アフリカの時別なニーズを課題に掲げ、21世紀の国連の役割に関する明確な方向性を掲示している。2015年の達成を目指し、国連や各国政府は、貧困の半減に取り組んでいるのである。

このように国連の最も重要な達成目標は貧困を半減させること
にある。国連の貧困撲滅の活動を支援するメデイアの報道は、
世界平和への有効なベクトルとなりうる。

5・学生がアフリカ等の貧困問題に向けた活動にどのように関わることができるかについて提案する。
グローバリゼーションの時代を生き抜くためには、欧米ばかりに目を向けていてはいけない。21世紀はアジア太平洋の時代が到来する。とりわけ、中国の経済力が日本を抜き、10年以内に中国がアメリカを抜き、世界一の経済大国になると予測されている。その中国が経済成長を継続するためにアフリカの天然資源に焦点をあてた資源外交を重視している。つまり、グローバリゼーションの波に乗るためには、欧米、アジア太平洋、そしてアフリカの経験も重要なのである。

学生の長い休暇を活用し、アフリカを旅したり、国際NGOの活動などに参加して開発援助のボランティア等の経験を積みながらアフリカの貧困の現況を知ることも大切である。何故なら、若いうちにアフリカ等の途上国の貧困の実態を知ることは、将来のグローバリゼーションの活動、例えば多国籍企業や国際機関に勤務するのに役立つからである。

メディアが貧困の報道を行うことにより世界が紛争の根源である貧困への関心が高まり世界平和への一助となる。同じように、学生が将来の仕事としてメディアの活動に興味があるなら、欧米のみならずアフリカ等の途上国の経験が必要である。アフリカで生活した時、欧米の若者がNGOの活動に積極的に参加していた。欧米の大学では、アフリカ等の途上国の経験が大学の単位にも適用され、また就職にも有利になると聞いている。日本の学生も国際NGOを通じアフリカ等の途上国でのボランティア活動やインターンシップに積極的に参加することが望ましいと考える。

世界は広く、日本は深い。日本にずっと居れば世界の広さも、日本の深さも実感することは不可能である。世界の広さとは、先進国のみならず途上国の幅広い世界を意味する。学生の豊かな感性が満ち溢れた時代に、アフリカの貧困の現状を短期間でも観察することにより、グローバリゼーションの動向を多角的視点で見ることが可能となる。

グローバリゼーションとは、イノベーションの進展で全てが便利になり、国境が低くなり世界がフラット化すると多くの人々は考えている。しかし、同時にアフリカ等の貧困の現況を理解し、貧困に直面しているアフリカ人の子供達の目線で世界の動向を見ることにより真のグローバリゼーションが理解できるのではないだろうか。先進国の視点と途上国の視点の両方の多角的視点でメディアに接することが重要である。グローバリゼーションの進展の中で、多角的視点を持って日本の座標軸と学生の皆さんの座標軸を明確にすることが肝要である。

まとめ

世界をこの眼で観ながら、アフリカやアジアの貧困のみならず、ヨーロッパやアメリカの先進国の貧困の現状にも接する機会に恵まれた。貧困には国境がない。でも、日本の視点で観たアフリカの貧困は、日本の常識では簡単に計り知ることはできない。

アフリカで4年間生活し、国連の開発援助の仕事を通じアフリカの現地の視点でアフリカの貧困を観察した。先進国でいうお金が貧困の対象になるとの考えにも違和感を覚える。何故なら、所得が低くともアフリカの奥地には、トロピカルフルーツなど農産物が豊富なのである。

また、雨が降らないから土地が枯れ果て飢餓に直面するアフリカもある。メディアが真の貧困を伝えるから、先進国が道義的理由で食糧支援や経済支援を行うのである。イギリスのBBCやアメリカのVOAは、アフリカのニュースをタイムリーに報道している。しかし、北朝鮮のような国家統制が強い国の報道は制約されている。国の検閲を通じ世界に伝えられた報道には、意図的なものがある。限定的な報道では、発信する人の見方で、報道が歪められることがある。

紛争の一因に貧富の格差や貧困がある。開発援助や経済支援を通じ、貧困を緩和することができる。国連もミレニアム宣言を通じ貧困問題に挑戦している。メディアが途上国の貧困を報道するから世界の関心が高まり、ひいては、世界平和につながるのである。

メディアが貧困の現状をつぶさに報道できるのは、現地のスタッフのみならず現場で開発援助の活動に従事するNGOや政府、国連機関のスタッフの現場の眼があるからである。アフリカやアジアの途上国で、開発援助の仕事やボランティア活動に従事することにより、貧困の現状を知り、その生きた情報を内外に伝えることができるのである。

貧困とメディア、貧困の現状を伝えるメディアがあるからこそ予防外交としての世界平和が構築できるのである。戦場カメラマンとは言わないまでも、貧困の現状を多角的視点で報道することは非常に重要である。