2月 04

中野:みなさん、こんばんは、火曜日夕方6時はラジオカフェ―シンクタンクジャーナルの時間です。パーソナルティの大阪学院大学経営学部教授並びに一般財団法人アジア・南洋協会理事長の中野有です。
 本日は南洋協会100周年記念ということで、今日は最終のバージョンで8回目です。(長かったですね)龍谷大学経済学部教授の竹中先生、社会学部教授の李相哲先生、そして評議員の松本先生、慶應義塾大学経済学部教授の大西先生。この5人で、最後はこのアジア南洋協会が100年前にできたんですが、本当にそうそうたるメンバーで、だけど悲しいかな日本は、戦争ということで広島と長崎に原爆を落とされて、そしてその後、共産主義封じ込め政策のおかげで日本は敗戦国にも拘わらず戦勝国の中国より強い立場になったりいろんなことが奇跡的にお起こりました。ラッキーだったのですね。
 さて、21世紀の今日、ヨーロッパあるいはシリアにおいて、イスラムの過激派が世界的なテロ行為を行っています。ロシアの旅客機が標的にあい爆破されたり、トルコにおいてもロシアの戦闘機がトルコ軍によって撃墜されたり想像を絶する問題が発生しています。さて、21世紀の今日、今そしてこのアジア・南洋協会がどういうビジョンを示す必要があるかということで、それぞれ専門家の視座で、一人1分くらい思いを語っていただきたいと思います。まず理事の竹中先生からいかがでしょうか。
竹中:僕はやはり次の世代を育てるということが、50代60代の私たちの使命だと思いますね。今の若者に関しては、いろいろネガティブなことも言われていますが、そんなことはないと思います。大体人間は年取ってくると昔自分の若かった頃を美化して、昔は良かったみたいなことをいう人が多いのですが、今の若者はまだ捨てたものじゃないと思います。ただ、やはりグローバルで非常に速い速度でイノベーションが進んでいく世界だから、そういう状況に日本の社会が適用できてないというのがやはり問題だと考えます。とにかく留学でも、仕事でもいいから世界に飛びだしなさいと、それをなんか後押しするようなものがこの財団でできれば、僕は良いと思います。
中野:アジア・南洋協会のビジョンというのは、井上雅二のとりあえず現地でプランテーションでも行えということを言われたのがこの南洋協会のエッセンスなんですね、やはり現場に行った方がいいと思います。李先生いかがですか。
李:僕はどういう運命かわからないけど、ある意味真面目に受けとめると100年前に新渡戸稲造とか、そういう人たちが作ったこの協会に我々が今かかわっています。当時南進論とか南の方が大事だった時期がありました、同時に満州が大事だったから南の方をどうするかということで日本がいろいろ考えていましたが、今やはり日本にとってアジアの事を考えた場合、僕は専門とする北朝鮮問題とかが財団の仕事として重要であると考えます。
中野:同感です。
李:真剣に考えていて、朝鮮半島はここ2、3年の間に必ず劇的な変化があります。そういう時に我々アジア・南洋協会がすごいことができます。本当に、歴史を変えるような(なるほど)いや、本当に、僕の力は限られていますけれど、ここに素晴らしいメンバーがいて、アジアをもう一回ちょっと変えるようなことをしなければならないですね。アジア・南洋協会にせっかくかかわっているのだから、僕は朝鮮半島の問題を当面は集中的に調査したく思っています。
中野:アジア・南洋協会の活動にとって朝鮮半島の問題は非常に重要で、李先生は朝鮮半島のエキスパートの中心ですから。
李:最初から調査研究が財団の中心なので、これから今その時代によってもちろん焦点を当てる部分は違うんだが、今世界で、アジアで一番大事な問題は(中野:この地域ですね、)そうです。その問題にちょっと集中して、ぜひアジアを変えるような(中野:最初の財団法人と言われている、アジア南洋協会の会長である李先生がね)政策の提言をこのメンバーでやってアジアを変える、とという意気込でやってほしいと思います。
中野:評議員の松本先生。
松本:ありがとうございます。ちょっと李先生の構想に関して言うと、非常にチープなんですが、私はこの南洋協会が何しようが、どんな調査研究しようが、それから左翼思想だろうが、右翼思想だろうが、経済主義だろうが、金融資本主義だろうが、とにかく近代はヨーロッパに始まり、EUになりました。アメリカはパクスアメリカーナまで行きました。次はどう考えてもアジアだし、どう考えても中国だと僕は思うんです。あまり好きだったり嫌いだったりとういう個人的なことを除いて別にこれは歴史的な必然みたいなことで語るのではなく、現実視しなければいけません。
 次はじゃどこかというと、中東だと思うんです、中東が出てくるともう最期かなと、もうアフリカはないんじゃないかと位に今の私には見えますね。世界が、もうインド、中国を超えて海のシルクロード、陸のシルクロード、シルクロードの果てはヨーロッパじゃないんですよ、かつて日本だったんですよ。だからここで日本の立ち位置が出てくるのではないかと。これ以上言いませんが、李先生のこの非常にピュアな結晶のような思想に泥水をかぶせるようなことを言って申し訳ないです。
中野:李先生は、ほとんどポケットの中にお金がない状態で中国から日本に30年前にいらっしゃって、龍谷大学の教授になられました。
 大西先生、21世紀の今日、東アジアのいろんな問題を展望しながら、日本はどうすればいいか、北東アジア学会の会長、世界マルクス学会の先生からみればどうですか。
大西:そうですね。私は北東アジア学会の会長もやっているんですが、その学会が交流する中国のひとつとしての延辺自治区の延辺大学にこの9月に行ってきました。ここには朝鮮族の人がいて、一応中国の一部でもあり、かつまたその国際会議には北東アジア全域から人を集めているんですね。どなたかがおっしゃいましたように今後はいずれアジアの世界になると、そういう大きな流れでやはり今後はとらえたいという風に一応思うんですね。
 ただ、ヨーロッパの国際環境はかなりよくなってきていますが、それに到るにはかなり長い戦争もありました。第一次世界大戦いうのは相当ひどい戦いでした。また、第一次世界大戦に限らず普仏間の戦争とかが相当たくさんあって、それらを経て初めてとりあえず現状に納得するようになったわけです。
 そういう意味ではちょっと変な話なんですが、今、日中韓で争ったりしてるのは、そのステージにまだアジアがいるのだと私には見えてきます。ですので、いずれ必ずいい環境が来る。そのために今ある種の軋轢をかなり大規模に経験しているのだと。そういう意味では、もちろん日中韓の軋轢はやりすぎだと思うし、抑えたいとは思うのですが、でも大きな流れの中での軋轢であると考えれば、何かある種ポジティブに現在を捉えることができるのではと楽観的に考えています。
中野:今日は、アジア・南洋協会の理事、評議員の皆様方に集まっていただいて侃々諤々の本質的な問答ができたように思われます。
 結論として、僕は日本の郭を破って世界に出て、国連工業開発機関を経て、ブルッキングス研究所なり、あるいは新潟県の環日本海経済研究所、鳥取県の鳥取総合研究所、ハワイの東西センター等でアジア・太平洋の安全保障や経済協力の活動に従事してきました。日本に戻ってきて一つ本当に言いたいことがあります。ここでどうせなら、世界に通用するようなアジアにおける、東アジアにおける経済社会開発機構という壮大な国際機構を日中韓の協力の下で設立したらどうかということです。中国が主導してAIIBが北京に設立されればいい、将来朝鮮半島の統一が起こるときにソウルは朝鮮半島統一のための社会的機能を持った国際機構を設立すればいい、日本はIMFの機能とドルやユーロと並ぶアジアの共通通貨を作るための国際機構を日本に設立すべきであると思うのです。それら3つ合わせて国際機構を北京とソウルと東京か大阪でもいいから作ってくださいと。それが東アジア経済社会開発機構ってね。
 僕が国連にいても思ったのは、ほとんどすべての機構は全部ニューヨークとかワシントンとかジュネーブとかにはあって、アジアには世界を動かす国際機構が存在していません。アジアに堂々と作ってくれと、このアジア・南洋協会がそういう国際機関を中国と韓国と日本で力を結集させて設立すべきだと主張したいです。
李:おっしゃる通りで今世界の中心はアジアに戻りつつあるんですよ。いいものをアジアが作る。それから世界のお金もアジアに集まっていますね。アジアがあって、その中心にアジア・南洋協会があるんです。そういうことで乾杯しましょう。