11月 06

生活の実感は途上であるが客観的に日本経済の現状を観察すると楽観的な要素のオンパレードである。

企業の内部留保金が過去最大レベルに達している。しかも世界の株式の時価総額が過去最高であり、新卒の就職状況が改善されており、新卒者に関しては日本は世界で最も就職しやすい国である。加えて、OECDの国際成人力調査によると、読解力、数的思考能力が世界一である。

約1年前に「アベノミクス」がスタートしたのであるが、順風満帆の環境はまだまだ続いている。想定以上の成功要因は、政府や企業の内部要因と外部要因による。内部要因は、明確なビジョンや戦略を示すことにより作用する。大胆な金融政策、機動的な財政政策、民間投資を喚起する経済成長戦略は、政府、企業、国民の努力により達成されるものである。アベノミクスにつきがあるのは、世界の株価が上昇しているように外部環境の影響でもある。

内外の環境が良好なタイミングに日本のモチベーションを高揚させる戦略を考察することが重要である。そこで極めて重要なことは、日本の社会的構造を鑑みて未来を担う若者の野心を高めるための具体的なビジョンを示すことである。

アベノミクスは、企業の業績が伸びれば賃金や雇用が上昇し、所得が上昇し家計が豊かになり消費が増え、税収も増え、政府はより経済成長の伴う財政政策を推進し公共財に磨きがかかり日本が魅力的になり世界から観光客が増え、海外からの直接投資も進展すると楽観的なシナリオを提示している。

国民の関心のプライオリティは賃金の上昇である。企業の内部留保金は約280兆円。一人当たりに換算すると約250万円。企業の内部留保金を賃金の上昇に反映させることは大切である。しかし、メリハリの効いた先行投資に直結しなければいずれは現在の好景気にも反作用が起こる。

そこで、日本の弱点を克服することにより日本経済を上昇させる戦略を考えたい。先に述べたように日本の読解力と数的思考能力は世界一である。しかし、IT等の最先端のイノベーションの創造性はトップクラスに入ってない。世界の中の日本人は、「ピーターの法則」で説明できるように、大企業に勤務する日本人の多くは、ある仕事をそつなくこなす人間は他のどんなことをやらせてもうまくこなせる確率が高い。多くは能力の限界まで出世する。

優秀な日本人に必要なことは、技術革新の時代における創造性の機会提供である。企業の内部留保金を最新のイノベーションにつながるプロジェクトを創造する若手に重点的に配分することにより組織の変革に新風を引き起こすのではないだろうか。

僕は企業、国際公務員、シンクタンク、大学の経験を経て、企業や組織にとって必要なことは、バーナードの組織論が示すように協働意志、共通目的、コミュニケーションであり、これらは単に経済的誘引で動機つけられるものでなく非経済的誘引であるモチベーションであると考える。

企業の内部留保金を若者のモチベーションを高揚させるために有効に活用することこそ最重要課題である。理科系と文科系のミックスによる小さなチームを編成して、イノベーション、技術革新、世界に通用するコミュニケーションを包括したプロジェクトに挑戦する機会を提供する。短期の利益追求でなく中長期的な目標を定め非営利的であってもモチベーションが高揚し、日本人の短所である革新技術の創造性とグローバルなコミュニケーション(グローバル・イングリッシュ)が克服されることにより次なるステージに向かうことができると考える。

7年後の東京オリンピックに向け、世界一である日本人の読解力、数的思考能力に加えて、創造力と世界と自由にコミュニケーションできると能力を世界のトップレベルに上昇させる。少子高齢化の世の中、希少価値のある若者のモチベーションが日本の未来を変えると思う。とにかく元気の出るビジョンが希求されている。

10月 08

シリア問題は複雑である。「アラブの春」から3年、チュニジア、エジプト、リビアの独裁政権は崩壊した。しかし、シリアでは化学兵器が使用され、内戦が絶えない混沌とした「アラブの冬」に陥っている。

シリアのムアレム外相は、「内戦でなくシリアを攻めるテロと戦っている」と国連総会で演説をした。911の報復としてイラクのフセイン政権やアルカイダを攻撃した米国と同じ考えである。シリアの反政府側の背後にアルカイダ等のテロ組織が絡んでいる。米国の敵はアルカイダ等の国際テロ組織であるのにこともあろうに米国はシリアの複雑な問題に踊らされ敵を味方としているのである。

シリアで内戦が激化する情勢の中、オバマ大統領は軍事介入のタイミングをシリアで化学兵器が使用された時と訴えてきた。レッドラインで牽制してきたが世界の警察官である米国は一線を越えたシリアへの軍事攻撃のタイミングを逸した。理由は米国の同盟国である英国がシリアへの軍事介入を見送ったことなどから米国内も一国による軍事介入の無謀さへの批判が高まったからである。

今のシリアの状況を学校のいじめと考えてみると、弱者がいじめに遭遇しているのに誰も助けようとしない状況が続き、最後に凶器を持って止めを刺されたのに周りが無関心を装っているに等しいように映る。

オバマ大統領は化学兵器の犠牲になった子供たちの立場や人道問題、そして化学兵器の禁止を明確に訴えるために軍事制裁が不可欠であると、まるで「やられたらやり返す、倍返しだ」と米国民に問いかけてみたが変化は起こらなかった。

大統領の権限で武力行使が可能であるがオバマ大統領が議会の承認で躊躇しているときにロシアのプーチン大統領は、シリア問題を外交的に解決する戦略を打ち出した。プーチン大統領はニューヨークタイムズに寄稿し、米国の民主性に疑問を提示し、国際連盟に米国が入らなかったから第二次世界大戦を引き起こし、戦争の代償でできた国際連合においても米国は国連決議なしでの軍事行動を起こすという国連軽視が世界に悪影響を与えると主張した。

プーチン大統領はシリア外交戦略に関するコラムにより外交が軍事を凌駕する思考で世界の外交の主導権を握ると同時に、上海協力機構を通じ、中国、中央アジア、イラン等との協力体制を固めた。そしてプーチン大統領の主導により国連安保理のシリアの化学兵器廃棄に関する決議が満場一致でなされた。この法案にアサド政権が遵守を怠った場合、軍事制裁も含むとの米国の意思も含まれた。

今回の決議案が議決されるまでにシリア内戦を巡り国連安保理の常任理事国である米・英・仏がアサド政権批判の決議案を提出したがアサド政権を支持するロシアと中国の拒否権により国連の無力化が表面化した。

大多数のメディアは、プーチン大統領が世界の外交の主導権を握りオバマ大統領の存在感が薄くなったと論じている。ニューヨークタイムズの外交コラムニストのトーマス・フリードマンは「オバマ大統領の頭に白髪が増えたのはシリア問題のせいであり、もしプーチン大統領がシリア問題で外交戦略を示さなかったらオバマ大統領の頭ははげたかもしれない、いやオバマ大統領の頭がピンクに染まらない方が良い」とのオバマ大統領の変化を示している。

しかし、シリア情勢を分析してみると、実はオバマ政権のしたたかな外交戦略が結実したと次の5つの視点から観察できないだろうか。第一、オバマ大統領はアフガン、イラク撤退に見られるように世界の警察官の役割より米国の雇用問題に重点をおく国内問題を考えている、第二、軍事介入を見せかけながら戦争で利益を得る軍産複合体の圧力を如何に回避するか、第三、シリアやロシアを動かすためにはレッドライン設定による本格的な軍事の圧力が必要であった、第四、国連安保理の中露の拒否権を拒むためにはプーチン大統領のイニシアティブが必要であった、第五、米露の共通の利益の合致点は国際テロ(反政府側)であるとの認識。

シリア問題が国連を通じて解決に向かうことにより北朝鮮問題も新たな展開が期待できる。昨今の中東情勢の変化において米国務省やシンクタンクは綿密な戦略を練っていると思われる。何故ならアウフヘーベン(止揚)がオバマ外交から読み取れるからである。

9月 05

本日の世界のトップニュースは、シリアの化学兵器使用への軍事制裁と福島第一原発の放射能汚染問題である。両者とも何らかの行動を起こさなければ問題は深刻化する。しかし、解決に向けた明確な戦略がない。何故、化学兵器や原発問題といった一国では到底解決不可能な問題に対して以前と比べ国際協調路線が生まれにくいのであろうか。

シリア問題に対し、オバマ政権は化学兵器でシリア国民を殺戮したアサド政権への軍事介入は道義的に正当だと考えている。しかし、オバマ政権はイギリスが軍事介入を回避したことから、大統領の権限でシリアへの軍事介入が可能にもかかわらず、議会の承認を経るという静観姿勢を今のところ取っている。

現実的に考察すると圧倒的な軍事力を保有するアメリカは、イラク戦争の反面教師として海上からの巡行ミサイルによる攻撃に留め地上軍を投入しなければ軍事介入によるイラクのような泥沼に陥ることは避けられる。軍事力を誇示したいアメリカにとってシリアが超えてはいけない化学兵器使用という一線を超えたことに対する世界の警察官の役割を正当化することが可能だろう。恐らく、アメリカにとってシリア政府か反政府側のどちらかが化学兵器を使用したという証拠よりも本質的理由としてシリアを攻撃するメリットして中東全体の戦略的思考が存在していると読む。

10年前にブッシュ政権がバクダッドに先制攻撃した時、ワシントンのシンクタンクにて、大量破壊兵器を保有しているかどうか曖昧なフセイン政権に対し9・11の報復を実行したアメリカの野蛮性のインパクトを体感した。

当時のイラク戦争の情勢と今回のシリア情勢は異なるが、現状では一般的にアメリカや国際社会の空気が紛争に干渉しない方向に向かっている。また、福島の放射能汚染の問題も日本一国では解決できないのに日本政府も国際社会も抜本的なアクションを起こしているとは考えられない。では、何故、世界は軍事的にも技術的にも危機的な事態に対処する術を示さないのであろうか。

その問題の本質には、インターネットやSNS等の情報技術の革新や多国籍企業が起因していると考えられる。外交・安全保障は国家の意思で行われるものである。しかし、インターネットを通じ国境を超えて情報が交錯する現実においては国家で行動する意味が希薄になってきていると考えられる。

18世紀終わりの蒸気機関や鉄道の産業革命を経て、19世紀後半から昨今までの自動車、飛行機、電化製品等の大量生産による産業革命が進展した。国家が経済成長を維持するために国民国家の結束を固め民主主義を推進し海外に干渉しながら輸出主導型の政策が必要であった。

輸出に限界があり次第に国際水平分業が進展することにより国内の空洞化や雇用創出の問題が顕著になった。国家が多国籍企業から税金を取ろうと考えても多国籍企業は法人税率の低いアイルランド、ルクセンブルク、ケイマン諸島等の「税金の避難所」へ逃避することが可能である。

多国籍企業は一国のスケールで行動する必要性がなく、国民はインターネットを通じて世界のあらゆるネットワークや階層とつながっている。明らかに情報技術のイノベーションは国家のフレームワークの概念を根底から揺さぶっている。

そもそもシリア問題も「アラブの春」の延長でありソーシャルメディアが起因している。イノベーションがボーダレスを創造し国家の枠で行動する意義を減少させているのである。

要するに化学兵器と放射能汚染の問題は、アメリカの単独軍事介入や日本独自による放射能汚染の解決という国家の単独主義では情勢は悪化するのみである。国家という枠を超越した「地球益」のための行動が情報技術のイノベーションと化学変化した時に国際協調主義が機能するのではないだろうか。換言すると、個人が国籍や国益を超越してイノベーションを縦横無尽に活用し、世界にネットワークを構築し、双方向に発信し「協調の理想」を構築する行為が時間が必要であっても結局は直面する困難な問題を解く新たな道を創造すると確信している。

8月 07

ワシントンやホノルル等のシンクタンクで北東アジアの平和構築の戦略研究を行ってきた。安全保障を軍事の視点のみならず社会的・経済的・歴史的要因も包括して総合的に考察し結果として理想論ではあるが平和構築に向けたビジョンを描くことができたと自負している。

日本を離れ北東アジアの地政学的変化を多角的・重層的に探求してきた過程に於いて習得したことは事実(Fact)と真実(Truth)は展望する立ち位置や歴史的背景によって異なった見方も成立するという見解である。すなわち、異なった文化等に寛容であることが健全なナショナリズムを育む上で重要であるというシンプルな洞察であった。

結論からいうと20年かけて習得したことを一つに集約すると「寛容な哲学」こそ平和構築の推進力となるということである。しかし、この見解の遥か先を照らすユニーバーサルな世の中のパラダイムをシフトさせるだけの説得力のあるスピーチに触れることができた。

それは、通学のスクールバスにてタリバンによって銃で頭を撃たれたマララさん(16才のパキスタンの少女)が国連本部で行った素晴らしいスピーチである。国連事務総長をはじめ外交・安全保障の第一線で活躍する各国の代表や外交・安全保障の分野の戦略を練るシンカーを感服させた教育の本質に関するスピーチであった。

国連の安全保障理事会や世界のブレーンがいくら会議を重ね戦略的に考察しても恒久的で明確な平和構築のビジョンが生み出されることがなかったのにタリバンに教育の機会を奪われたパキスタンの少女の堂々とした一度のスピーチが平和構築に関する潮流に変化を与えたように感ぜられる。

世界は広くて多様である。まだまだ教育の機会に恵まれない人々がたくさんいる。経済的、宗教的、社会的要因によって教育から隔離されたすべての人々が教育の恩恵を受けることによって世界平和への礎が構築されると思う。

アフリカで4年生活して教育に飢えている子供達の目線で教育とは何かを考え現地で悟ったのが「教育とは与えられるものでなく好奇心を持って自らの意思で取るべきものである」という見解であった。パキスタンの少女のスピーチが世界を踊らせたのは人類の目的にかなった理性を探求するという行為が抑圧の中から湧き出たからであろう。

アフリカの奥地で生活する子供達が教科書も鉛筆もないのに現地語の他に英語を話している。一方、何年も英語を勉強しているのに一向に英語でコミュニケーションができない一般的な日本人がいる。この違いは明らかに勉強に対する意思や必要性にあるように思う。豊かな日本にとってアフリカの子供達のように教育に飢えることは無理であろうが、少なくとも教育に対する好奇心をたくましくすることが大切である。

人間が先天的に備えている能力を引き出すことが教育の本質であると思う。そして何千年もかけて築き上げてきた人類の叡智を自らの意思によって学び取る。何のために勉強するのかを自ら問いかけることが重要であるのではないだろうか。

教育というソフトパワーは軍事というハードパワーを凌駕する。世界中のすべての人々が教育の機会に恵まれたなら「協調の理想」が形成され平和構築に向けた大いなる勢力が生み出されると考えられる。人類の歴史、とりわけ近代史を紐解いてみても日本のみならず世界は軍事力で勢力を均衡するという考えから脱却し、「教育は近代兵器より強し」という哲学を実践する時が到来しているのではないだろうか。パキスタンの少女の教育こそ全てであるという訴えは事実と真実の本質を貫いていると感服させられる。

6月 22

最後の土壇場でPKを決めた本田選手には劇的なメークドラマを演出するカリスマ性が備わっている。「真ん中にけって、取られたらしゃーないなと思ってけった」、勝負師の言葉には重みがある。もしキーパーが本田選手の心理を読んでいたら成功の重みと同じぐらいに非難の的になっていただろう。

今のアベノミクスの現状は、ワールドカップ最終予選と同じぐらいに失敗が許されない状況にある。PKこそキッカーとキーパーの心理作戦であり、アベノミクスの成功と失敗の明暗は、認知心理学、即ち国民や世界が読む空気によってどっちにも転ぶ。それほどにもろいものであるかもしれし、また本田選手のようなカリスマを備えた人物が行動すれば失敗の確率は極めて低い。

そもそも一国のリーダーの重要な役割は、豊かになるための戦略を示し行動することである。リーダーシップ論によればそれが専制的であっても民主的であっても国民の自由に任せる放任主義的であってもいい。とにかく結果がすべてである。

アベノミクスに関しては実体経済の結果が出る前に予測を凌ぐ勢いで株価が大きく上昇し、行き過ぎた円高が是正され何か急に社会の空気が楽観的になったような気配を感じる。平成に入りずっとデフレ不況が続いていたのにインフレになり雇用状況が改善されるのではないかとの期待感を高まる。学生の就活の状況からも経済の上昇気流を感じる。

アベノミクスの勢いの源は、安倍総理自身が明確なビジョンを提示し、実際に行動しているところにある。また、大胆な金融政策と、機動的な財政政策と民間投資を喚起する成長戦略の三本の矢を国家的なコンセンサスのベクトルとして示したところに帰結する。

英国の週刊誌であるエコノミスト誌の表紙に安倍総理がスーパーマンの格好で描かれ、アベノミクスの特集を組んだ。まるで「ジャパン・ナッシング」から34年前の「ジャパン・アズ・ナンバーワン」に回帰したような久々に元気が出るニュースである。

日本がデフレから脱却するために米国の経済学者であるポール・サムエルソンやノーベル経済学賞を受賞したジェームス・トービンやポール・クルーグマンは、円を増刷する金融緩和と財政出動による公共投資の推進を何年も前から提唱してきた。

これらを実行するベストのタイミングとアベノミクスの実施が一致したところに安倍総理のカリスマ性を感じるのである。
インフラ輸出、文化輸出、農業の所得倍増、グローバルな教育などの成長戦略を見ると1954年から1971年までの世界のいずれの国も成し遂げることができなかった奇跡的成長の軌道を彷彿させる期待感を感じる。少なくとも平成に入ってからアベノミクスが最もインパクトのある成長戦略であることは確かである。

アベノミクスの明暗は、ケネディ大統領のフレーズにあるような「国に頼るのでなく国のために何ができるかを問いかけること」にある。何よりも将来を担う若者がアベノミクスを咀嚼し行動に出ることにある。

安倍総理の「世界で勝って家計が潤う」という官民一体となったトップセールについての45分の講演を大学の講義で披露した。200人規模の学生の大多数が非常に高い評価をしていた。とりわけ、安倍総理の「そうだ、日本に行こう」というフレーズで日本の存在感を積極的に世界に示し、ビジネスを行うとの「挑戦・海外展開・創造」が響いたようである。

アベノミクスの三本の矢は、金融と財政と成長戦略が連動して初めて機能するものであり、その原動力となるのが国民の意思である勢いを生み出す空気や環境である。失敗するなら三本の矢が国民の負の認知と行動により政府・企業・家計が守りに入ったときである。今、希求されるのは本田選手の最後の土壇場のPKのような思いっきりであり、それが日本の命運を決定するのであろう。

5月 07

メディアの情報をどこまで信用すれば良いのであろうか。メディアを懐疑的に展望し、現在のメディアを解読するメディア・リテラシーについて総合的・多角的に考慮してみたい。

メディアは、概して真実、噂、嘘の三つしか伝えない。更に、メディアの情報は、多かれ少なかれ全て編集されたものである。何らかの意図や意思が存在する。加えて、マス・メディア、メディア企業の目的は購読者、視聴率の増加を第一義的に考える利益追求にある。

当然、ジャーナリストは制約された環境の中で権力に屈することなく事実や真実を正確に報道することに重点をおいているであろうがオーディエンスの受け取り方で伝わる内容も変化する。少しでも新鮮でインパクトがあり影響力のあるニュースを報道しようとするからどうしても表層的な似通った情報がライバル各社から発せられる。

新聞綱領によると正確、公正などの言葉が並んでいるが各社の社説を読めば保守、リベラルなど主張が左右に拡張している。また、海外のメディアに目を向ければ異なった視点が見えてくる。

メディアが報道する記事、例えば、靖国参拝や安倍総理のモスクワ訪問に関して北方領土の問題がどのように伝えられているかをライブ性を交え大学の講義で観察してみた。

これら一連の報道を三本の視点で展望すると新しい発見があった。第一は、安倍総理自身が頻繁に発信されている安倍総理のフェースブックを講義室のスクリーンに写し、メディアによって編集されてない安倍総理のモスクワ訪問に関する主張や主観を読んでみた。第二は、安倍総理の外遊と北方領土の問題に関する国内の大手新聞社の社説の主張を比較。
第三に、ニューヨークタイムズ等の靖国参拝に関する社説や報道をチェック。

哲学者デカルトの「我思うゆえに我あり」にあるように安倍総理がフェースブックから直にオーディエンスに伝える内容には編集が入ってない分、安倍総理の臨場感あふれる情報がそのまま伝わってくる。ソーシャルメディアの効用により当事者が意図する事実が概して安倍総理に好意的なオーディエンスに伝達されるのである。

北方領土問題に関して日本の大手メディアの視点は、二島返還、四島返還、面積で二等分するなど近年にないほど勇ましい主張が目立っている。僕の個人的な考えでは、柔道家プーチン大統領とアベノミクスで勢いがあり、安倍総理のお父さんの功績等からみると少なくとも二島返還プラスαの好機だと読む。しかし、プーチン大統領の妥協が北方領土とは異なり日本の領土である竹島や尖閣諸島の問題に影響を及ぼす。発展するアジアの将来を見据えた場合、日本、ロシア、韓国、中国の領土問題が共同開発や共生という方向に舵が切られることが最善だと考える。

靖国参拝に関して、リベラルであるニューヨークタイムズも保守であるウォールストリートジャーナルも批判的な論調を行っている。ワシントンポストも含め、米国の主要紙が揃って日本の周辺諸国の意向を無視したわざわざ油に火を注ぐ行動を懐疑的に見ている。

海外で長期間生活し、日本人を客観的に展望すれば自分が考えている以上に日本人は矛盾しているように思う。その矛盾とは歴史が示すように太平洋戦争の好戦的な日本と憲法9条の極端な平和主義にあるように考えられる。

哲学者、梅原猛先生は、「人類哲学序説」の中で、生魚を好んで食べるある意味では野蛮な風習を持つのが日本人であり、寿司は生魚の下に米がある。米は稲作農業を含む弥生文化の産物ですから、弥生文化の上に縄文文化がのっているわけで、これこそ日本文化そのものであると述べておられます。

メディアの情報を如何に解読するか、寿司が示すように日本人は野蛮と文明という絶対的な矛盾を解決する能力を有している。従って、マスメディアからソーシャルメディアまで多角的・重層的にメディアのメッセージを直観に従い読み解けば日本の方向性が見えてくるように思う。

3月 29

国際フリーターとしてグローバルに動いていると「Life is funny」とときめく偶然に出くわすことがある。2003年、ワシントンのシンクタンク(ブルッキングス研究所)で勤務している時、ランチのセミナーで同じテーブルについたモンゴル人と話しが弾んだ。当時の僕は、国連機関のモンゴルの地域担当官も経験し、日本の地方政府が主役となるフォーラムをモンゴルで開催した経緯もありモンゴルへの想いは強かった。また、「北東アジアグランドデザイン」を作成するに安全保障の観点からモンゴルの役割は重要だと認識していた。

同じテーブルについたモンゴル人は、ハーバード大学に留学し、国連のプロジェクトに関わっているということ、更に驚いたことにモンゴルの首相も経験したという。相手が前首相でも僕の方が年上だったのでイージーゴーイングな付き合いがスタートした。その後、交流を深める内に冗談で「貴方が再びモンゴルのトップになったら安全保障に関わるプロジェクトを一緒に推進したく思うのでその節は宜しく」と約束を交わしたのが10年近く前。

驚くことに再びこのモンゴル人は首相に帰り咲いたのである。モンゴルに行こうと思っているうちに何と、彼は再び首相の座を追われたのである。タイミングを逸したのでそれ以来、モンゴルの動向から疎くなっていた。

先日、テレビを観ていたら安倍総理が今月の末にモンゴルを訪問されるというニュースが流れていた。テレビに映る安倍総理のカウンターパートであるモンゴルの大統領は、驚ことにワシントンで会ったエルベグドルジ氏であった。急ぎインターネットで検索してみると何と数年前に大統領に就任されていたのである。

前置きが長くなってしまったが、安全保障の観点から北東アジアの協調的安全保障、とりわけ北朝鮮問題に大いなる貢献を担う潜在的可能性を秘めているのがモンゴルである。安倍総理がワシントンの次にウランバートル訪問を急に決断され経緯からもモンゴルの重要性を解読できる。袋小路にある日朝関係や拉致問題への解決にモンゴルのカードは有効に機能すると分析する。

第一、朝鮮半島の38度線を境に北朝鮮・中国・ロシアVS韓国・日本・米国の勢力均衡で分断されてきた。しかし、北朝鮮が核と長距離弾道ミサイルを保有することによりステータス・クオ(現状維持)の戦略に変化がみられる。北朝鮮との関係が緊密で北東アジアの一角をなすモンゴルが中露或いは日米と関係を強化するかで北東アジアの地政学的変化が起こる。

第二、モンゴルと中国の内モンゴルとの関係などからモンゴル人は嫌中意識が強く、反対に相撲、ODA等のソフトパワーの側面から日本とモンゴルの関係は極めて良好である。
司馬遼太郎の「街道を行く・モンゴル編」にあるように蒙古斑を有する日本人はモンゴルに親しみを感いている人が多いと思う。北東アジアの勢力均衡に影響力を持っているのがモンゴルである。

第三、北朝鮮とモンゴルの産業構造や政治システムに共通項がある。レアメタルを有する両国は緊密に連携する必要があり、モンゴル国と内モンゴルとの関係は北朝鮮と韓国の関係に似ており、冷戦崩壊後のモンゴルの推移は北朝鮮への参考となる。

第四、米ソの冷戦構造が終焉した背景には、中国と米国の接近にあった。両国に外交のパイプが存在してない時に両国を結びつけたのはパキスタンであったとキッシンジャー氏は語っている。日朝の国交がない現在、パキスタンのような役割を演じることができるのはモンゴルである。拉致問題解決に必ずモンゴル・カードが切り札になると考えられる。

以上の考察から、時は今、日本とモンゴルの関係を天然資源や経済連携協定と言った視点だけで捉えるのでなく、東アジアの安全保障の観点からプラグマティズムで外交、ソフトパワーで推進する。ひいては、モンゴルとの戦略的な協力が北朝鮮の拉致問題解決につながると読む。

安倍総理が世界190カ国の中から米国に次ぐ訪問国としてモンゴルを選択された先見性に敬意を払いたく思う。同時に、国連やブルッキングス研究所等での経験が、「Life is funny」というグローバル・ネットワークの奇遇に直結することを喜ばしく思う。

3月 06

哲学するとは本質を探索することにある。日本人の本質とは。世界の中で日本はどのように映っており、どのような役割を担っているのかということをビジネスと教育の視点を踏まえ考察してみたい。

世界の様々なところで生活し、異文化コミュニケーションを通じ客観的に感じた一般的な日本人のイメージは、真面目で協調性があり個人を犠牲にしても会社や組織に重きを置くといったところか。

しかし、日本人は組織や会社が好きかと問いかけてみると、本当にそうだろうか。むしろ日本人はある意味ではすごく個性を重んじる本質的なDNAを持ち合わせているのではないだろうか。

例えば、多くの日本人がそうであるように、会社員になり毎朝同じ時間に起き、満員電車で通勤し、40年近く同じ会社や組織で勤務する。定年までリスクを犯すことなく安泰な会社人生を全うすることを成功と考えている。東京で通勤するサラリーマンの朝の無表情は、まるで共産主義国家の末期を連想させる悲壮感に溢れている。30年前もそうであったし今も一向に変化がない。恐らく世界中のどこを探しても朝の東京の通勤の表情ほど笑顔がなく画一化されたものはないだろう。

組織や会社に帰属しなければ生活できないという構造が日本人を組織化していると考えられる。朝の通勤模様から観察されるように本当に日本人は組織に属して幸せなのかと考えさせられる。きっと、日本人は個を磨くことに長けているのではないだろうか。

それを端的に現しているのが日本のスポーツである。欧米のスポーツはサッカーやラグビー、野球といった団体スポーツが主流である。それに反して日本の伝統スポーツは剣道、柔道、空手といった個を重んじるスポーツである。

また、グローバリゼーションの世の中において世界で通用する日本の技術は大企業の画一的な製品よりも中小企業の匠の技術に移りつつある。世界のトップ企業は日本の中小企業の匠の技術をアウトソーシングとして活用している動きが増している。

日本の伝統的なスポーツと匠の技術から観られるように日本人が本来の力を最大限に発揮できるのは「道を極める」ような自分の内部を鍛える個性的な生き方であるようだ。

産業革命の影響や戦後の米国の共産主義封じ込める政策の一環として大量生産や輸出主導型の産業構造が機能してきた。しかし、平成の不景気の本質は日本人が本来備えている個の能力を発揮する環境が制約されたところにあると考える。

結局のところ日本の学校教育に行き着く。進学校やトップレベルの大学に入るためには暗記中心の修行の洗礼を受けなければいけない。とにかく考えたり創造したりする個の能力を制限するのが日本の教育である。世界の大学やシンクタンクで習得したことは、自分の頭で考えるという行為である。それもルソーが「自然に帰れ」と唱えるように歩きながら個人の内なる潜在的な能力を引き出しながら考えるということの重要性である。

日本、それはユーラシアの東の果てに位置する国家。東洋に定住した多彩な血統を持つ柔軟性に充ちた個性的な国家であると思う。アングロサクソンやユダヤ人に見られるように優秀な民族は端にたどり着くと考えると日本人はもっと世界で輝くべきなのである。

世界のトップ企業は日本人が本来追求してきた個を磨く匠の集団のようなグローバルな経営戦略を追求している。日本も会社や組織の歯車として働くのでなく、個人の力が発揮できる匠の集団としての社会にギアチェンジすることが肝要であろう。久しぶりに上昇気流にある日本の政治・経済において日本人の本質が活かされる社会構造が基盤となることを期待したい。

1月 30

ここは地の果てアルジェリア、「カスバの女」のメロディが蘇ってくる。32年前にアルジェリアでないが戦争中のバクダッドに企業戦士として赴任した。20代前半の若者にとって異国の地で大型プロジェクトに従事することは大いなる憧れであった。大袈裟かもしれないが命をはって仕事をした。そして実際に戦闘にも巻き込まれた。

日本で平穏無事なサラリーマン生活に何の魅力も感じないあまのじゃくにとって生き甲斐、報酬、危険の狭間の中、国際貢献という抽象的な名目に任せ海外で生活し、自分を鍛えることこそ我がテーゼであった。日本企業の企業戦士としての海外赴任、国連の職員として途上国援助の仕事。戦争という外部要因とマラリアという内部要因との戦いでもあった。

日本から逃避しながら途上国で学んだことは、「開発協力は人類の義務である」と語った開発協力の父である久保田豊氏の名言である。戦争や紛争の一因として貧富の格差が挙げられる。地域格差とグローバルな経済、技術力の格差を縮めるためにも開発協力は重要な役割を演じている。

ダイナミックな仕事は、ハイリスク、ハイリターンである。加えて、途上国での大型プラントの仕事や開発援助の仕事は国益を超越して地球益としての崇高な目的をはらんでいる。そこに身を置く覚悟があるなら徹底的にリスクマネジメントを研究し実践することが必要である。

アルジェリアの悲報に接し、北アフリカの地の果てで崇高な仕事をされた企業戦士に尊敬の念を抱かずにはいられません。同時にリスクが高いから途上国のビジネスを回避する方向に向かってはいけないと思う。恐らく、途上国で勤務した多くの人々は、改めてリスクマネジメントについての戦略が必要であると考えておられると思います。

途上国の大型プラントがテロのターゲットとなる本質的な要因は何処に起因しているのであろうか。第一に、途上国からみれば先進国による資源の搾取と映る。第二に、中東や北アフリカの不安定な政治、経済、社会、宗教的な要因が政府軍と反政府軍やテロ組織の対立を助長させており、大型プラントが格好のターゲットとなっている。第三、テロ組織が仲間の釈放等で政府と交渉するのに海外プラントに働く外国人を捕虜にするのが手っ取り早いと考えられている。

かつては人道的な観点から人命が最優先されてきたが、人種、宗教に根ずくテロの温床を根絶するためには、一切の妥協を許さず速やかな戦闘行為を遂行することが正当であるという考えが広がっている。

要するに途上国でのプロジェクトのリスク要因はかなり高いのである。このリスクを軽減するためには、安全保障(セキュリティ)の情報や知識を拡充させることが大切である。
しかし、最高の安全保障の情報に精通しているとされるアメリカであってもリビアのアメリカ領事館がテロ組織により襲撃され大使などが殺害されたことからリスクマネジメントの限界がある。

海外の大型プロジェクトに関し、現実的に企業から見ればリスクがあっても利益も重要であるし、国家の視点からもエネルギー資源の確保は国是であり、開発協力や技術移転の観点からも建設的な関与が不可欠である。

企業、国家、国連による多国間協力、集団的安全保障などを充実させ途上国のビジネスを遂行させるシナリオを描く必要がある。情報を拡充させたり経験則を活かすことによりリスク軽減につながるだろうが、特効薬のようなクスリは、中東や北アフリカの現在の特殊状況においては「リスクのクスリ」は存在していないと思う。

ぼくは思う。開発協力は崇高な仕事であり、報酬も多いがリスクが伴う。世界は不確実性の高い地でもある。日本は安全なように思われているが世界から見れば地震ベルト地帯であり、津波も発生するし、いまだ放射能が漏れている危険な所でもある。そのように思うと、昔ほど途上国で働く元気はないが、どうせ今を生きるなら命がけで途上国の大型プロジェクトに企業戦士として働くのも悪くないと思う。そのためには、企業とか国家に頼るのでなく自分で身を守るという直感に基づくリスクマネジメントの徹底に努めたく思う。

1月 08

新しい年のスタートにあたり今、即ち2013年は、如何なる年になるのか考察したく思う。13という数字は西洋では不吉な数字である。東洋の観点では調和を重視するので、バランスを保つ意味でも13の不吉を補う吉兆のための努力も必要だろう。地政学的、歴史的、そして2013年に実行すべきことの三点から世界の潮流を展望してみたく思う。

■ 第一 地政学的観点
昨年は世界的に選挙の当たり年で内外でレジューム・チェンジが起こった。これから数年は主要国でじっくり腰を据えた長期政権が続く。ロシアと日本の共通項は、プーチン大統領と安部首相の復帰である。主要国の特徴としてリベラルな革新的な動きよりも保守的なナショナリズムの高揚と自国中心の政策が目立つように思う。

米国においては、軍事費削減が意味するのは他国への干渉よりも自国中心の「モンロー主義的傾向」にある。ロシアはユーラシアの東方を強化すると共にエネルギー政策を推進するだろう。中国は米国と並ぶ世界のリーダーとしての道を歩むと同時に急速に経済発展したことによる反動を如何に修正するかの課題がのしかかってくる。韓国の最初の女性大統領として朴大統領は、財閥中心の経済構造を市民中心の社会構造に修正し、永らく続いた北朝鮮への妥協的関与政策からどのように保守的な朝鮮民族の道義を重んじた政策に舵を切るのか。韓国と北朝鮮の共通項は、リーダーである父の姿を見て育ったことにある。親子ほど年の差がある二人の相性は儒教からみてどうなのであろうか。

ヨーロッパの財政危機の問題を主要国であるドイツ、イギリス、フランスがどのように解決するのか。少なくとも自動車産業に見られるような高度な製造業としてのドイツの世界的名声はさらに高まりヨーロッパの代表としてのドイツの座標軸は強固なものとなるだろう。また、南米においては、ブラジルなどの発展は人口、天然資源に加え、数年先のワールドカップ、オリンピックなどの国際イベントの影響とアメリカのモンロー主義の観点から南北アメリカの接近が経済発展の起爆剤となると考えられる。

アフリカの発展の機運は天然資源と政治的な安定にあり、経済成長の速度は急速に高まると考えられる。アラブ諸国はイスラエルとパレスチナの対立のみならず国内の政治・経済・社会の問題が混沌としまさにインシュアラー(神のみぞ知る)である。

■ 第二、歴史的観点
百有余年の歴史をひもといてみても、北東アジア特に、中国・北朝鮮・極東ロシアの国境が接する地域は波風の激しい地域であり、日清・日露戦争、満州事変、大東亜戦争の導火線となった。一方、前世紀初頭のこの地域はシベリア鉄道も通り、インフラ整備も進展し繁 栄していたが、これら一連の戦争や冷戦構造がこの地域の発展を遮断してきた。冷たい戦争が終わり20年有余年が経過したが、北朝鮮を中心とするこの地域は依然冷 戦構造が存続している。

90年の歴史を誇る米国の外交雑誌である「フォーリン アフェアーズ」の戦前の北東アジアに関する論文と、満鉄の経済調査局の大川周明の戦後の述懐には共通項がある。

それは、日米協力による満州の開発、特に多国籍企業を通じたインフラ整備の推進で「開かれた経済圏」を形成することができ、それが地域の信頼醸成に直結し、紛争を未然に防ぐことに役立つとの視点である。例えば、日露戦争後、米国の鉄道王であるハリマンは、世界一周の陸海の交通ネットワークを作るにあたり、日米協力による満州鉄道の整備の推進等を提案してきた。しかし、日本に不利なポースマス条約の影響もあり、日本の世論が日米協調を拒み排他的政策をとった。

当時の国際情勢の流れの中で米国との協力は至難の業であったが、仮に米国等を含む多国間協力で大東亜経済圏の開発が推進されたなら、日本の孤立化によるエネルギー問題は回避できたであろう。そして、歴史の回転舞台が違った方向に回ったかもしれない。歴史に 「もし」は存在しないが、「フォーリン アフェアーズ」の論文に書かれているように戦争回避の分岐点は確かにあった。

戦後、米国は共産主義封じ込め政策により、日本を安全保障と経済の両輪から支援した。そのきっかけを作ったのは、米国の若手国務省官僚のジョージ・ケナンの「フォーリン アフェアーズ」で発表されたX論文であった。この論文により無名の外交官が一躍、冷戦理 論の第一人者になり、世界地図に冷戦の設計図が描かれ日本はその恩恵を受けたのである。このように論文やビジョンにより世界が動くことがある。

■ 第三、2013年に実行すべきこと
内外で共通する目標は、安定と発展である。それを短期的、中期的、長期的視点で展望すると違いが顕著となる。原発や消費税の問題でも、それぞれの政党が述べていることは長期的には概ね同じでも短期的には差異が見られるだけである。従って、目先のことだけを観て対立を増強させるのでなく、市民の一人ひとりが中・長期的なビジョンを持って「世界の中の日本」をじっくり考え、行動することが大切だと考えられる。

結論として、2013年は長期政権のスタートラインにあり、国の内なる力を蓄える時であり、学生はしっかり考え勉強し、社会人は真面目に働き経済を活性化させ、高齢者は医療に頼らない健康に務め、若い世代に健全な意見を発することに尽きると思われる。