1月 08

はじめに

メディアは、貧困問題をどのように伝え、どのような社会的影響を及ぼしているかについて、国連の地域開発の専門家としてアフリカに4年間生活した経験をベースに多角的に論じたく思う。

第一に貧困を考えるにあたり先進国の尺度とアフリカなど途上国の尺度は異なるということ。
第二に、紛争や環境破壊など人類が直面している根源的な問題に、貧富の格差や貧困があるということ。
第三に、アフリカや北朝鮮の飢餓の現状をメディアが報道しなければ国際的な関心が高まらないこと。
第四に、貧困問題を打開する経済協力や技術支援について考察する。
第五に、学生がアフリカ等の貧困問題に向けた活動にどのように関わることができるかについて提案する。

1・貧困を考えるにあたり先進国の尺度とアフリカなど途上国の尺度は異なるということ。
国連工業開発機関の専門家として、西アフリカ、リベリアに1987年から1989年の2年間駐在した。リベリアの首都モンロビアから、内陸部に250キロ程入った、象牙海岸とギニーの国境に近い、まさに、アフリカのアフリカたる地の果てであった。

この地には、当然のことながら電気や水道といった当たり前の社会資本整備がない。先進国の尺度では計り知れない貧困があった。日本から来た短期間のJICA専門家は、この地の中小企業の現状を観察して、まるで弥生時代のレベルに等しいのではとの冗談のような感想を述べたことが思い出される。

日本では、水道や電気といった当然のインフラ整備のもとで暮らしてきた。日本の恵まれた先進国の視点でアフリカの生活を展望すると、大部分が貧困に写る。しかし、先進国の生活を経験したことのないアフリカ人にとっては、貧困という概念がないことも確かである。本当にアフリカの奥地に入ると貨幣がなくとも生活が成り立つことを学んだ。リベリアの奥地では、雨期と乾期の差はあるものの常にバナナ、パイナップル、ココナッツ、パパイヤ、マンゴなどのトロピカルフルーツを自由に手に入れることができた。痩せて飢えに直面している人々と会うことは稀であった。

太陽と水と土地と労働があれば、食糧という飢えに苦しむことはない。しかし、サブサハラ南部や東アフリカの一部は、雨が降らず、農作物が育たず、完全に飢餓に直面しているのも現実である。南アフリカと西アフリカのリベリアに4年間生活し、旅行で北アフリカ、東アフリカを訪れたが、本当の食糧が自給できず、またお金がなく食糧を手に入れる事ができず飢餓の瀬戸際にいる人々に会ったことは希であった。

雨が降らず大地が乾き食糧が不足し痩せこけて飢餓に苦しむ人々の姿は、メディアの報道を通じ知ることができた。また、リベリアの農村部で見かけることがなかった貧困の現状を首都モンロビアで観察することができた。一般的に、途上国の都市部では、スラム街等の貧民街があり、そこには農村部で自由に得る事ができるトロピカルフルーツ等の食糧がないことから貧困が存在している。でも、その貧困も大地が乾燥し、食糧が全く育たないという飢餓に比較すると死に直面している飢餓とは異なると思われる。

アフリカの現地経験を経て、国連工業開発機関本部ウイーンの本部職員の北朝鮮の地域担当官の経験も経て、1990年前半に北朝鮮の飢餓に直面しているとされる現地の調査を行った。当時、北朝鮮に入る事が制限されていて(現在もそうであるけれど)、正確な北朝鮮の現況を把握することは困難であった。当時の報道では、三百万人の北朝鮮の市民が飢餓に直面しているとあった。現在も北朝鮮の飢餓に関する報道がなされている。

90年代に北朝鮮に少なくとも3回入り北朝鮮の貧困の現況をこの眼で観察し実感した事は、国連等の北朝鮮に関する食糧危機や飢餓に苦しむ報道は、誇張された報道がなされる傾向にあるのではないかということである。雨が降らないことに起因するアフリカの飢餓は、本格的な飢餓であるけれどの、北朝鮮の飢餓は、政治的な問題から発生する飢餓である。換言すると、雨が降り、太陽と大地と労働力に恵まれた北朝鮮は、人工的な飢餓であると考えられる。

韓国や先進国の目線で観察すると北朝鮮は貧困に直面していると写るが、貧困で苦しむアフリカの現実と比較すると、貧困の深刻の度合いが異なってくる。メディアが報道する貧困についても先進国の尺度のみならず途上国の視点も取り入れた多角的な尺度で考察することが重要であろう。

2・アフリカにおける社会的・経済的貧困の原因とその影響
貧困は何故起こるのか。戦争や紛争、人工爆発、富の再分配機能が不足したり、気候変動、病気、失業、教育の機会に恵まれない場合など、貧困の原因は多様である。また、貧困が及ぼす影響として、戦争や紛争、環境問題、病気、教育問題などが考えられ、先進国や途上国を問わずすべてが抱える問題は一蓮托生であり、貧困問題を少しでも解消することで世界平和の貢献につながると考えられる。

アフリカには、構造的な搾取のシステムが存在する。アフリカの豊富な天然資源を獲得し、安定した供給を保つために、一部の先進国や多国籍企業は、低い賃金で現地の労働者を雇用する。天然資源の国際市場の動向により、労働者の賃金も雇用状況も変化する。多国籍企業などの巨大資本は、現地の雇用創出に貢献もするが同時に、貧富の格差を発生させる。

一般的に、アフリカ等の途上国の紛争の一因は、経済的な格差に起因すると考えられている。政治的対立、宗教的対立、民族的対立などの根源には、経済格差による不確実性がある。これは、リベリアで中小企業の育成のプロジェクトに従事した時に実感した。

アフリカにおいて経済格差があまり存在しない時には、紛争は少なかった。リベリアを例にとるとゴムのプランテーションなど多国籍企業による天然資源に起因するビジネスが現地の貧富の格差を生み出した。

その貧富の格差を解消するために、多国籍企業の他に公的機関として国連や開発援助に関わる組織、NGO等は、重要な役割を果たしている。国連の開発援助の仕事を通じ、現地の視点で地元の天然資源を効率的に使い、その付加価値を高めるための製造技術を移転することにより、現地の人々の雇用創出と所得を向上させることが可能となることを経験した。

アフリカの現地を拠点に中小企業育成のプロジェクトに従事することで、先進国から物資を支給したり社会資本整備だけではアフリカの貧困を解消することが不可能であると感じた。つまり、一方的な先進国からの経済協力ではなく、現地の人々が付加価値を高めるための製造過程に従事する人々への機会の提供が大切であるのである。

貧困を解消するため、また社会を安定させるためには、雇用創出としての仕事が重要である。開発援助の基本は、先進国からのものを供給するのではなく、もの造りの基本を現地の人々に提供することにある。つまり、教育が貧困を解消する原点である。

先進国が経済発展を維持するためには、途上国の天然資源が必要である。途上国にとっては、天然資源を輸出するだけでは、現地の特定の人々を豊かにするだけで途上国の社会全体にとって貧富の格差を助長することになる。加えて、アフリカの木材資源などの伐採などは、地球温暖化に悪影響を及ぼす。森林の減少を防ぐためにも付加価値を高めるための技術移転と教育が重要となる。先進国と途上国の技術の格差を縮小させるための教育に力点をおいた開発援助支援を強化することでアフリカ等の貧困を解消することで可能となろう。

3・アフリカや北朝鮮の飢餓の現状をメディアが報道しなければ国際的な関心が高まらない
イギリスのBBCやアメリカのVOAなどは、アフリカに特化したプログラムを頻繁に放送している。これらのメディアを通じリアルタイムにアフリカの現状を把握することができる。これらの国際放送を通じ、世界中の人々がアフリカの現状をモニターすることができるのみならず、アフリカの現地の人々の重要な情報源となっている。

アフリカの現地で生活すれば、不安定なアフリカの社会情勢に関する情報を得る事は容易でない。従って、アフリカの現状を放送する先進国のメディアの役割は重要である。また、先進国のメディアがアフリカの貧困の現状を世界に伝えなければ、アフリカの貧困を解消するための経済協力や技術移転などの必要性が理解されない。

先にも述べたように、貧困が紛争の一因であり、地球環境問題に悪影響を及ぼす。メディアが、アフリカの貧困の現状を世界にタイムリーに伝えることにより紛争を抑止し、地球環境問題にも重要な役割を果たすことになるのである。紛争の根本原因となる貧困をメディアがきめ細かく伝えることにより、世界の途上国への関心が高まり、先進国と途上国の格差が縮小されるための経済協力等の活動が活発になり、ひいては世界平和のための大きなパワーになるのである。

国連の元事務総長であるブトロス・ガリ氏は、1992年に「平和への課題」を発表した。国連や国際社会が世界平和を達成するのに、予防外交、平和創造、平和維持、平和建設の4つが重要な活動となり、とりわけ、紛争を未然に防ぐための予防外交に力点をおくことの重要性が 示されている。それを裏付けるように、リベリアでの国連の開発援助の仕事を通じ習得したことは、紛争の根本となる貧困の解消であり、紛争が発生すれば取り返しのつかないぐらい多大な犠牲を伴うということである。

予防外交とは、とどのつまりは、歯医者に例えれば、名医は虫歯を抜くのでなく虫歯にならないような治療を行ったり、情報を提供することである。まさにメディアの役割は、予防外交の重要な役割を担っていると考えられる。アフリカにはおいて紛争が発生する時、何らかの予兆があるものである。その不安定要因の根源には貧困や飢餓が存在している。メディアがその情報を定期的に放送することにより、予防外交につながるのである。

リベリアの奥地には、アメリカの平和部隊として派遣されたアメリカ人によるラジオ放送があった。現地で開発援助の仕事に携わる人々の情報源となると同時に現地の人々の貴重な社会・経済情報となっていた。アフリカの奥地でもラジオというメディアを通じ、農産物の市場動向など都市部と村落の価格差などの生活やビジネスにとって必要な情報を把握することが可能となった。

BBC,VOA,日本のRadio Japanなどの国際放送は、電気や水道といった基本的な社会資本整備が整っていないアフリカの奥地に世界の動きを伝えている。英語のみならず、アフリカの現地の言語で放送をしているので社会的な影響力は非常に大きい。また、現地から発せられる情報が世界に伝えられ、BBCやVOA等のの有力な国際放送は、情報を双方向にバランス良く発信している。

植民地時代の遺産もあり、イギリスをはじめとするヨーロッパ諸国のアフリカへの関心が高く、それがメディアにも現れている。また、国際的なメディアがアフリカへの関心が高いのは、イデオロギーによる冷戦の産物でもある。冷戦中、アメリカを中心とする資本主義の勢力とソビエトを中心とする社会主義陣営の勢力がラジオ等のメディアを振るに活用した。イデオロギー的にアフリカ人を洗脳したという側面もあった。

北朝鮮の貧困の状況を調査することが可能なのは、国連機関等の北朝鮮政府が認めた公的機関に限定される。調査した内容を公表するまで複雑な検閲が行われる。従って、国連機関等が発表した北朝鮮の食糧事情等は、北朝鮮にとって都合のいい情報が流さてることもあり得る。

北朝鮮で開発援助のプロジェクトに関わったNGOが北朝鮮政府に都合の悪い情報を公開したところビザの延長を認可しないということがしばしば起こっている。北朝鮮のような独裁国家の現状を把握し分析することは困難である。従って、多岐に渡る分野からの多角的な情報を総合的に分析することが重要である。

例えば、北朝鮮の食糧事情は、十数年間、洪水や干ばつの自然災害の影響で、農産物の生産量が著しく低下し、飢餓での犠牲者が300万人という報道もあった。人口の一割近くの犠牲者が出たということなら大変深刻な事態である。また、別の報道では、飢餓による犠牲者は、30万人程度だと言われている。いずれにしても、農業生産性が低下し貧困に直面していることは確かである。

国連機関のミッションやシンクタンクの研究員として、北朝鮮の現地調査を数回行った。北朝鮮に入ったのが90年前半と後半であり、飢餓の現況をメディアを通じ、知ることができたが、実際、現地調査で観察したことは、想像していたより北朝鮮の食糧事情や生活は、飢餓という状況ではないという現実であった。

同行した日本の専門家は、北朝鮮の生活水準は、貧困レベルに達していると語っていたが、アフリカの奥地や貧民街を知っている視点からは、北朝鮮はアフリカの飢餓に比較すると極端な飢餓の範疇に値しないと考えられた。

このように北朝鮮のような特殊国家においては、発信する側の見方により情報の不確実性が高まるのである。貧困の度合いも比較や経験によって左右されるのである。また、北朝鮮が国際的な支援を得るためには、飢餓に直面している状況を大きく報道した方が有利なのである。

ワシントンで開催れたメディアのシンポジウムにて、CNNの代表から「メディアは、真実と噂と嘘の3つしか伝えない」という含蓄のある話を聞いた。報道する側は、真実だと思って伝えようとしても、時を経て検証することによりそれが偽った嘘の報道であったということもある。真実の報道が噂や嘘に変化するのなら、北朝鮮のような国家統制により情報が操作されている国家における報道は信憑性が低くて当然である。

北朝鮮におけるメディアの貧困に関する報道は、アフリカと同様に予防外交の観点から非常に重要である。北朝鮮の貧困についての報道がなされなければ国際的な関心も高まらないし、国際社会による支援も増えないので北朝鮮の犠牲者が増加する。一方、情報操作によりメディアが独裁国家に利用されることもある。

ニューヨークタイムズの外交コラムニストのトーンマス・フリードマン氏が、メディアの報道を4つの視点から読み解く必要があると語っている。それは、第一は、メディアにより発表された情報、第二は、現実的理由、第三は、道義的理由、第四は、本質的理由である。

この4つの視点を北朝鮮の貧困の報道に当てはめると発表された情報は、飢餓で300万人の犠牲者が発生した報道、現実的理由は、洪水や干ばつなど自然災害がもたらしたものであり、北朝鮮政府の失策が影響している、道義的理由は、北朝鮮の2400万人の一般人には罪がなく道義的観点から援助を実施すべきであり、本質的理由では、金体制を維持するための生き残り戦略として、あらゆる瀬戸際外交が行われており、貧困や飢餓という報道事態が北朝鮮の瀬戸際外交の一環であると考察されるのである。

4・貧困問題を打開する経済協力や技術支援について考察する。
前述したように、メディアの役割として貧困を打開するためには予防外交の一環となるアフリカや北朝鮮等の貧困に直面する報道を頻繁に行うことが重要である。国際社会の関心が高まり経済支援が増えるが、その支援が持続可能な支援でなければいけない。そこで、開発援助に携わる専門家が、現地に長期滞在しながら経済協力や技術移転に従事する必要がある。

貧困の原因を現地の目線で分析し、貧困から脱却するための中小企業の育成等の経済協力プロジェクトを実施することが重要である。専門家が去った後でも現地の人々が専門家から習得した技術を活かし生産を継続し雇用の機会が拡大しなければいけない。即ち、人づくりや教育への技術支援が重要なのである。

リベリアの奥地で国連機関の専門家として中小企業の育成等のプロジェクトを行った。このプロジェクトにマイクロファイナンスがあり、その特徴は貧困の緩和であった。現地の森林資源を活用し、家具製造などを推進した。世界から家具製造の専門家を招き、現地ででワークショップやセミナーを開催した。製造機械購入のためや運転資金などの融資を行った。お金の使い道や返済計画について個別アドバイスを行った。きめ細かな公的な援助機関の支援を受けながら、現地の人々は雇用の機会を得たり自らビジネスをスタートできたのである。2006年には、このようなマイクロファイナンスのビジネスをバングラディッシュで発展させたムハメド・ユヌス氏がノーベル平和賞を受賞したのである。

貧困を解消するためには現地に根ざした経済協力が必要である。また、援助機関に携わる専門家が現地で長期滞在しながら現地の状況をメディアを通じて伝えることにより真実に近い情報が世界中の人々に到達するのである。

極度の貧困を半減させるために国連は2000年9月に国連ミレニアム宣言を採択した。このミレニアム宣言には、平和と安全、開発と貧困、環境、人権と優れた統治、アフリカの時別なニーズを課題に掲げ、21世紀の国連の役割に関する明確な方向性を掲示している。2015年の達成を目指し、国連や各国政府は、貧困の半減に取り組んでいるのである。

このように国連の最も重要な達成目標は貧困を半減させること
にある。国連の貧困撲滅の活動を支援するメデイアの報道は、
世界平和への有効なベクトルとなりうる。

5・学生がアフリカ等の貧困問題に向けた活動にどのように関わることができるかについて提案する。
グローバリゼーションの時代を生き抜くためには、欧米ばかりに目を向けていてはいけない。21世紀はアジア太平洋の時代が到来する。とりわけ、中国の経済力が日本を抜き、10年以内に中国がアメリカを抜き、世界一の経済大国になると予測されている。その中国が経済成長を継続するためにアフリカの天然資源に焦点をあてた資源外交を重視している。つまり、グローバリゼーションの波に乗るためには、欧米、アジア太平洋、そしてアフリカの経験も重要なのである。

学生の長い休暇を活用し、アフリカを旅したり、国際NGOの活動などに参加して開発援助のボランティア等の経験を積みながらアフリカの貧困の現況を知ることも大切である。何故なら、若いうちにアフリカ等の途上国の貧困の実態を知ることは、将来のグローバリゼーションの活動、例えば多国籍企業や国際機関に勤務するのに役立つからである。

メディアが貧困の報道を行うことにより世界が紛争の根源である貧困への関心が高まり世界平和への一助となる。同じように、学生が将来の仕事としてメディアの活動に興味があるなら、欧米のみならずアフリカ等の途上国の経験が必要である。アフリカで生活した時、欧米の若者がNGOの活動に積極的に参加していた。欧米の大学では、アフリカ等の途上国の経験が大学の単位にも適用され、また就職にも有利になると聞いている。日本の学生も国際NGOを通じアフリカ等の途上国でのボランティア活動やインターンシップに積極的に参加することが望ましいと考える。

世界は広く、日本は深い。日本にずっと居れば世界の広さも、日本の深さも実感することは不可能である。世界の広さとは、先進国のみならず途上国の幅広い世界を意味する。学生の豊かな感性が満ち溢れた時代に、アフリカの貧困の現状を短期間でも観察することにより、グローバリゼーションの動向を多角的視点で見ることが可能となる。

グローバリゼーションとは、イノベーションの進展で全てが便利になり、国境が低くなり世界がフラット化すると多くの人々は考えている。しかし、同時にアフリカ等の貧困の現況を理解し、貧困に直面しているアフリカ人の子供達の目線で世界の動向を見ることにより真のグローバリゼーションが理解できるのではないだろうか。先進国の視点と途上国の視点の両方の多角的視点でメディアに接することが重要である。グローバリゼーションの進展の中で、多角的視点を持って日本の座標軸と学生の皆さんの座標軸を明確にすることが肝要である。

まとめ

世界をこの眼で観ながら、アフリカやアジアの貧困のみならず、ヨーロッパやアメリカの先進国の貧困の現状にも接する機会に恵まれた。貧困には国境がない。でも、日本の視点で観たアフリカの貧困は、日本の常識では簡単に計り知ることはできない。

アフリカで4年間生活し、国連の開発援助の仕事を通じアフリカの現地の視点でアフリカの貧困を観察した。先進国でいうお金が貧困の対象になるとの考えにも違和感を覚える。何故なら、所得が低くともアフリカの奥地には、トロピカルフルーツなど農産物が豊富なのである。

また、雨が降らないから土地が枯れ果て飢餓に直面するアフリカもある。メディアが真の貧困を伝えるから、先進国が道義的理由で食糧支援や経済支援を行うのである。イギリスのBBCやアメリカのVOAは、アフリカのニュースをタイムリーに報道している。しかし、北朝鮮のような国家統制が強い国の報道は制約されている。国の検閲を通じ世界に伝えられた報道には、意図的なものがある。限定的な報道では、発信する人の見方で、報道が歪められることがある。

紛争の一因に貧富の格差や貧困がある。開発援助や経済支援を通じ、貧困を緩和することができる。国連もミレニアム宣言を通じ貧困問題に挑戦している。メディアが途上国の貧困を報道するから世界の関心が高まり、ひいては、世界平和につながるのである。

メディアが貧困の現状をつぶさに報道できるのは、現地のスタッフのみならず現場で開発援助の活動に従事するNGOや政府、国連機関のスタッフの現場の眼があるからである。アフリカやアジアの途上国で、開発援助の仕事やボランティア活動に従事することにより、貧困の現状を知り、その生きた情報を内外に伝えることができるのである。

貧困とメディア、貧困の現状を伝えるメディアがあるからこそ予防外交としての世界平和が構築できるのである。戦場カメラマンとは言わないまでも、貧困の現状を多角的視点で報道することは非常に重要である。

1月 08

平成を迎え23年目。平成生まれの大学生が社会に出て活躍する時代である。しかし、昭和の晩年に比べ就職難であり、学生のみならず日本社会に元気がない。何故、平成に入り、右肩下がりに経済が悪化し、世界の中の日本の地位が低下していくのか。日米関係にどのような変革が起こり、元気な東アジア経済の中で日本だけが取り残されていくのか。新年最初のコラムで考察してみたい。

昭和から平成に変わった時、米国は冷戦に勝利した。社会主義陣営という敵を失ったのである。昭和末期の日本は、バブルの絶頂期で、経済の黄金期を謳歌しながら冷戦の勝利のために疲弊していた米国の土地や建物を容赦なく買い漁っていた。当然のことながら、次第に太平洋を挟み、貿易摩擦が深刻化して行ったのである。

つまり、ベルリンの壁が崩壊した時点で、日本は経済という熱戦において米国の一番の敵になってしまったのである。太平洋戦争で敗戦した日本が奇跡的な経済復興と経済発展をなし得たのは、勤勉な日本人気質に加え、米国の共産主義封じ込め政策という外的要因の産物なのである。戦争で勝利したはずの周辺諸国が朝鮮戦争の犠牲となっている中、日本は戦争の特需のお陰でアジアの中で、ずば抜けた経済成長を成し遂げたのである。

戦後からベルリンの壁が崩壊するまで、米国の共産主義封じ込め政策という傘の下で日本は戦略を持たず安全保障も外交も経済政策も米国に従順であることでほとんど全てがうまく行ったのである。同時に経済発展を成し遂げる日本に対し、この間、中国や韓国をはじめ東アジア諸国は、嫉妬という反日感情が彷彿されたのである。日本は政府開発援助等を通じ、物質的な協力を行ったが、東アジア諸国に於いては歴史的な清算が行われたいう認識はされてないようである。

平成に入り政治も経済もやることなすこと全てが裏目に出るのは、経済面に於いて米国が日本を脅威とみなしたからではないだろうか。そして、東アジアの経済発展の中で、日本だけが異質なのは、周辺諸国が米国一辺倒の日本の政策、並びに歴史的清算が精神面も含め完結しない日本への批判が根強く残っているからではないだろうか。

一昔前まで、メードインジャパンは、最先端技術の象徴であった。しかし、今や、携帯や電子書籍という生活に直結した技術革新がアップルやサムソンという舶来が主流となっている。80年代初頭にソニーのウォークマンが世界に衝撃を与えたように、本来ならスマートフォンの分野でも日本が現在のアップルやサムソンの役割を演じるはずであったのに、どうして米国や韓国企業に先を越されてしまったのか。また、2009年度の韓国のサムソン一社の経常利益が日本の家電メーカー9社を超えたとの信じられない事態に陥ったのであろうか。

韓国企業の躍進は、1997年の東アジア経済危機を境に始まっている。香港が中国に返還された翌日にタイのバーツに異変が発生。東アジア経済危機は、ノーベル賞を受賞したクルーグマン教授が予測したように海外からの金融資金の投資が中心となりイノベーションが欠如する東南アジアの経済構造に問題があった。東アジア経済危機は韓国まで飛び火し、IMFの構造調整によって強硬に米国が主導する市場経済化が推進されたのである。それを決起に韓国経済は蘇ったのである。

中国経済が順調に経済成長を少なくとも5年継続し、人民元が切り上げされ米国経済の不振が続けば、5-10年で中国が米国を経済力で陵駕すると予測される。米国は東アジア経済危機で韓国を操ったようの韓国企業を通じ中国市場に浸透するように考えられる。

平成生まれの日本人が社会に進出する今、経済という熱戦において日本の進路を日米、日中韓、日米中の国際関係に於いて、日本の明確な戦略を構築しなければいけない。その前提として少なくとも近代史を読み解く必要がある。そして、アジアの一員として、日本が本来追及すべきアジアの王道としての資本主義でも社会主義でもなく両者の魅力を生かした共生の経済発展を導く知恵が求められている。