12月 06

現代社会、とりわけ国際関係を展望するにあたり日本の進むべき道は二つに分岐するとの考え方がある。それは、既存の路線に従い日米同盟を基軸とする道、他方日本はアジアの一員であり中国との関係を強化することが新たな発展につながるとの道。正確には、分岐でなくて米国に重きを置くかアジアに重心を移すかであろう。

昨今の周辺諸国との領土問題のあつれきは、米国との関係が一枚岩でなくなったことに起因しているとの見解がある。従って、アジア・太平洋の時代の恩恵を無視しても米国との関係を強化することが安定と平和に導くとの考えも否定すべきでない。

日米中の三角関係で日本の針路が探求される中、あえてユニークな論点を提示したい。それは、日本がEUに入ることはできなくてもEUとの関係、特にドイツとの関係を強化することである。何故、ドイツなのか。

日本とドイツの産業構造は類似している。付加価値の高い製品を輸出して国を豊かにしてきた点、原発に懐疑的であり太陽光や風力などのソフトエネルギーを推進している点、そして敗戦国であり勤勉である国民性を考慮すれば日独の関係は世界で最も類似していると考えられるのではないだろうか。

先日、ワシントンのシンクタンクが東京でシンポジウムを開催した時、パネリストの一人がドイツの実質実効為替レートは、長期にわたりあまり変化はないが日本のそれはドイツの倍の強さになっていると述べていた。今の円高の影響でドイツの倍の努力をしなければ輸出を伸ばすことができないのである。韓国との実質実効為替レートは、最も厳しい状況にあるようだ。

気のせいか日本でもドイツ車が著しく増加しているように感じられる。ドイツが異なる産業構造の国々とEUという経済圏を構築することでユーロの恩恵を受け付加価値の高い製品を製造する技術を有するドイツが優位な立場を構築している。ドイツは為替の面で輸出競争力を高め、日本は不利な状態に陥っているのである。

ユーロ導入の前段階として1ユーロ、1ドル100円とするとの議論もあったと記憶する。円とユーロの関係においては10年以上経過した現在、途中大きな為替変動はあったものの現在ではそんなに為替変動はない。日本がユーロ圏と協調した為替政策を実行することでドルにも影響を与え円安の方向にシフトすることはできないのだろうか。

変動相場制の負の側面は、為替変動の幅が広がることでギャンブル性の高い実体経済と乖離した経済が増大したことである。ギャンブル性の高い国際経済を是正するためにも変動相場制の是正が必要であろう。その起点として産業構造が類似した日独との関係を強化することが重要であると考える。

冒頭で日本の進むべき道は、米国か中国との二者択一であると世間は考えていると述べた。TPPの問題でも日本は米国の戦略に歩調を合わせるか、或いは時期尚早と反対の意を唱えるかで分離している。国政選挙を前にして短期的な国民の利益に固執したマニフェストが幅を効かせている。

しかし、実際に長期政権が望まれる現状においては、少なくとも4年先を見据えた政治、経済、社会、テクノロジーの変革を明確にする政治家、政党のビジョンが求められている。とりわけ、2012年は世界のリーダーが変わった、変わる選挙の年であり、ロシア、北朝鮮、中国、米国、韓国など日本の安定に大きな影響を与える国々の全てが長期政権である。

日本は米国と中国という世界一二の大国の中間に位置する世界三位の経済大国である。米中の大国の狭間の中でEUの覇者であるドイツとの密接な連携を模索することで新たなるパラダイムがシフトするのではないだろうか。

日本とドイツの類似点は多岐にわたっている。敗戦国である両国の最大の違いは、戦後処理である。ドイツの歴史観、アイデンティティーを軸とした復興など日本はドイツから学ぶべきことは多い。日本とドイツの関係を強化する、そんな発想も必要だと考える。

11月 15

電車に乗ってまわりを見回して見ると常に半数以上の人が携帯とにらめっこをしている。人々が一日にメディア(マスメディア、ソーシャルメディア)に接する時間は平均6時間と言われている。24時間の内、8時間は睡眠などの生理的に必要な時間、生きるために働く時間を8時間とすると、残り8時間。その内6時間をメディアに接している時間とすると、メディアがいかに重要であると同時にメディアにより洗脳されているかが想像できる。

メディアを介し様々な情報が洪水のように溢れている。何かインパクトのあるニュースや現象が起こればどのメディアも集中的にその報道をクローズアップさせる。それらの報道は新聞社やテレビ局の保守やリベラルといったイデオロギーの差もあるが概ね同根である。

世の中の根源をなす情報は、記者クラブを通じ発表された情報が他社との競争の中で少しでも早く記者がまとめ発信されたものが受け手である我々に伝達されるのである。考えてみれば、官僚が数百ページのペーパーを作成し、記者クラブにおいてはその要約である数ページのペーパーをもとに記者がまとめるのである。全て編集され、商業というスポンサーが影響している情報が世の中に伝わるのである。

日本人の記者により編集された情報が日本人に伝達されるのである。日本国内の問題を別にして、北方領土、竹島、尖閣諸島の領土問題についての情報を受け手である我々が読み解くにあたり現状のメディアのあり方ではかなり洗脳されて当然ではないだろうか。

そこでメディア情報をクリティカルに分析する能力であるメディア・リテラシーを向上させることが重要となる。社会を変えることは難しいが一人一人がメディア・リテラシーを理解することで自ずと社会も変化するのではないだろうか。何せ一日の大半をメディアに接しているのだから、「メディアとは何か」「メディア・リテラシー」について考えることは本当に大切である。

メディアは3つしか伝えない。それは「真実と噂と嘘」である。また、マクルーハンの「メディアはメッセージである」が意味深い。オーディエンスである我々が我々の頭で考えることが如何に重要であるかということを伝えているのである。

メディアをThinkする、考えクリティカルに分析する習慣をつけるために先人が生み出した哲学的思考が役立つ。特にアリストテレス、ベーコン、トゥルーズ、フリードマンの思考法には価値がある。

原因について考えるアリストテレスの四原因説(質量因、形相因、作用因、目的因)。例えば、尖閣諸島の問題を考えるにあたり、質量因では、中国の質と量、13億の人口を有し世界第二の経済大国で経済成長が8-10%で、軍事力を分析し、形相因では、漢民族の本質や行動様式を分析し、作用因では、尖閣諸島問題のルーツはどこにあり何がそれを動かしていのかを分析し、目的因では、尖閣問題を通じ中国が最終目的とするところを分析する。

ベーコンの考察は4つの偏見(主観、独断、伝聞、権威)を排除することにある。尖閣問題に立脚すると日中の一方から見た4つの偏見を排除することにより全く異なった視点で領土問題が展望できると考えられる。

トゥルーズのノマド(遊牧民)の思考である多角的・重層的に「世界の中の尖閣諸島」として展望すれば、日中が誰も住んでいない諸島を通じ争うことのメリットとデメリットがどこにあり漁夫の利としてどこかの国が利益を得るという異なった考えが見えてくる。

ニューヨークタイムズの外交コラムニストである、フリードマンの4つの理由(発表された理由、現実的理由、本質的理由、道義的理由)で尖閣問題を解読。ワシントンの保守シンクタンクであるヘリテージ財団で石原氏が問題を発表し、現実的に国有化問題や資源問題がこじれ中国で反日デモが激化し日本経済に悪影響が出て、本質的には日中の歴史問題から中国の覇権主義へと国際情勢の変化への影響が複雑化し、道義的には、歴史問題で処理されていない人道的問題等が出てくると考えられる。

このように哲学的思考で尖閣諸島などの領土問題を考察するとメディア・リテラシーに磨きがかかり、現在の日本のナイーブさが見えてきて、領土問題や歴史問題で対立するこの虚しさに気づき、建設的な戦略思考を構築する必要性が芽生えると考えられる。メディアを問い直し、自分の頭で考えメディアを通じ社会を変える変革期にあるのではないだろうか。

10月 03

最近の学生は昔と違って真面目である。と感じる。厳しい就職戦線がそうさせているのだろう。大学のゼミ生の立場になって現実を考えるにあたり、僕の学生時代にはどんなことを考えていたのかを振り返りながら今を考察したく思う。

なぜか僕は、小学校のときから日記にそのときに感じたことを書く習慣を40年以上継続している。几帳面とは程遠い性格だが、僕にとっての日記とは、誰にも見せない未来の自分に向けたメッセージであると考えている。

大学4年の就活活動真っ只中、明日、会社の面接試験を受ける日の前の晩に書いた短いエッセイを見つけた。32年前の文章であるが、原発反対、大地震、テロ、ソーラーエネルギーなど、恐ろしいほど当たっている。国連機関や日米のシンクタンクで勤務しながら、それなりに研究に没頭したのであるか、何も経験のなかった学生時代に描いたエッセイが不思議と最も説得力がある。

以下、32年前に考えたことである。会社の面接試験のためのエッセイである。

「今、最も社会が必要としているのは、エネルギー確保の問題である。資源を輸入に頼っている我が国としては、いかに早い時期に化石燃料に頼る割合を減少させ、代替エネルギーを開発するかにある。

我々の年代は日本の将来のターニングポイントにとって最も重要な役割を担っている。なぜなら2000年を迎えた時、代替エネルギー依存の割合が化石燃料を上回り、ソフトエネルギーの時代が到来すると予測されるからである。

私が考えるには、原子力の推進は世界を滅亡させると思う。今は、過渡期の段階として化石燃料でつないでいるが、今のエネルギー政策は中央集権的な構造のもとに行われていることが問題だ。

もし、大地震が発生した場合、電力設備が破壊され、経済が混乱し、エネルギー確保ができなくなる。いや、それより最も恐ろしいのは、一部のテロリストにより、中央集権的なエネルギー設備を破壊された時、どうなるかということである。

これら最悪の状況に対応するためには、個々の家庭にソーラーエネルギーシステムなどを取り付けエネルギーを分散させ、災難に対処できる柔軟性を有しておくことが大切である。

貴社が行っておられる多角的経営の一環として環境整備の開発は、日本の将来、世界の未来を平和に導くものと確信しております。私のイデオロギーの確立といっても、まだ机の上の学問にすぎません。これら学生時代の養った知識を実践で発揮できる日を一日でも早く望んでいます。」

今日でも原発は世界を滅亡させるとか、大地震が発生したした場合の中央集権の問題、原発施設をターゲットとした国際テロの恐怖、ソーラーエネルギーの必要性など、これほど素直にストレートに描写したビジョンになかなか巡り会うことはことはないと思う。

経験も知識もなく、ただただ直覚に従い描いたビジョンが多かれ少なかれ的を射ていると今思う。未来への自分へのメッセージが教えてくれたことは、学生と真摯に接すること、そして学生の素直な考えには多くのメッセージがあるということである。

冒頭に今の学生は真面目であると書いた。講義の出席率も昔と全く違う。でも、昔のように大胆に発想し、行動する学生が減っていると感じる。就職戦線を勝ち抜くためには、当然のことながら真面目も大切であるが、時には例外的な発想も幸運な偶然を起こす要素になるのではないだろうか。

大学の講義では、現在進行形の問題にタックルしながらも世の中を支配する常識に固執することなく大胆な世の中を良くする発想をバックキャスティング(目的を定めて将来を予測する)でThinkしてみたく考える。グローバリゼーションの波に乗った柔軟性を有しているかどうかが就活の幸運な偶然を呼び起こすと考える。

8月 06

ロンドンオリンピックは、ポールマッカートニー氏のヘイ・ジュードでスタートした。高校時代に柔道部に属した者にとってこの曲は柔道を連想させる。オリンピックの中継では本場の日本の柔道が外国の「ジュードウ」に圧倒されている日本の柔道家の姿が写し出されている。

柔道で勝ってもジュードウでは負けてしまう日本人の肉体的な特徴を観察すると、金メダルが減ってもそれは日本の柔道にとって大きな問題でないと考える。なぜなら柔道がグローバルに展開するほど日本の柔道家が国際試合で勝利する確率は減るからであり、むしろ柔道の国際貢献にとって避けて通れない道だろう。

ロシアの柔道家が100キロ級で優勝し時、プーチン大統領は会場で観戦していた。柔道家であるプーチン大統領の喜びは最高潮に達したと想像する。実際、プーチン大統領に会われた人からこんな話を聞いた。少年時代のプーチン氏は、不良少年の仲間入りをしていたそうだ。そんなプーチン少年を救ったのが柔道だそうだ。現在も、プーチン大統領は自宅にある嘉納治五郎先生の像を毎朝拝んでおられるそうだ。それ程までにプーチン大統領は柔道への思い入れが強い。

12年前にプーチン大統領が来日された時、柔道のメッカである講道館を訪問され、柔道着を身につけられ柔道家プーチンを演出されたそうだ。黒帯であるプーチン大統領は、講道館から贈られた六段の証書と紅白の帯をその場で辞退され、もっと練習に励みこの帯に相応しくなると述べられたそうだ。

ロシアという大国のリーダーが柔道家であり、とりわけ嘉納治五郎先生をはじめとする日本の柔道を尊敬されているというのは素晴らしいことである。プーチン大統領の黒帯外交という表現もされているように、柔道、或いはジュードウが外交の舞台でも活用されることがあってもいいのではなかろうか。

北方領土問題に対し、プーチン大統領は、柔道用語である「引き分け」を使われたそうだ。ヨーロッパを好むメドベージェフ首相と違いプーチン大統領はユーラシアやアジアに力点をおいた外交を進展させる可能性もある。

領土問題は複雑である。いくら戦略的な外交を駆使しても結果は期待できない。しかし、不可能を可能にする要素があるとすると、それは一国のリーダーの思い入れや信念ではないだろうか。プーチン大統領の思い入れは柔道である。とすると、日露関係における最大の切り札は、柔道外交である。対ロシア外交における柔道こそ日本の最高のソフトパワーだろう。

ロンドンオリンピックにおいて勝敗における日本柔道のパワーは劣化した。しかし、ロシア、ドイツ、フランス、オランダ、イギリス、モンゴル、中央アジア諸国、アルゼンチン、韓国、北朝鮮、中国など世界中に柔道及びジュードウの人気が拡張しているのは日本柔道にとっても日本にとっても好機だと考えられる。

プーチン大統領はロス五輪のゴールドメダリストである柔道家山下泰裕氏を尊敬されているという。柔道からグローバルなジュードウに変化しても柔道の精神や信念を継承して行くのはプーチン大統領のような少年期に柔道に接した人物であり、今も嘉納治五郎先生の像を拝む人物であろう。将来、山下氏がロシア大使になられプーチン大統領と北方領土問題を交渉されれば、少なくとも「引き分け」以上の成果が生まれるのではないだろうか。

7月 05

世界と比較して日本の消費税は低い。少子高齢化社会に対応した「大きな政府」に伴う消費税増税は否定すべきでない。しかし、民主党の公約違反も然りであるが、増税前にいくつかの税収を増やす戦略を語らずして何が民主国家であろうか。

三人の経済学者の視点で問答してみたい。
まずは、自由貿易と比較優位を唱えた古典経済学派のデビット・リカード。「リカード中立命題」で示されているように福祉政策などを含む財政政策は将来の更なる増税を引き起こすことが予測されるので国民は消費を控えるので経済成長が妨げられる。不景気や将来への不安が蔓延する状況の中で、一般市民の生活に直結する消費税を上げることは何のメリットもないと考えられる。

第二は、レーガン政権の双子の赤字の解消に貢献したマネタリストでノーベル経済学賞を受賞したミルトン・フリードマン。増税や財政主導で経済に渇を入れるのでなく、貨幣の供給量を一定のルールに則って増加させることで経済成長が達成されるという視点。

円が実力以上に評価されているのは、単純に円のマネーサプライと比較してドルとユーロの市場への供給量が2倍ほど多いことに起因している。とすると、円のマネーサプライをドルとユーロの供給量に一致させ一定のルールに従って増加させることにより極端な円高の是正が可能となる。マネーサプライを増加させることで相対的に円の価値が落ちる。このような政策を実施できるのも円高という状況にあるからであり、そのメリットを活用できる絶好のタイミングである。

マネーサプライを増加させてもそれが消費や投資に回らなければGDPは増えない。GDPは、消費、投資、政府支出、輸出と輸入の差である。従って、経済を活性化させるためには、マネーサプライの増加分が貯蓄に吸収されるのでなく市場に出回らなければならない。

マネーサプライの増加分を市場に供給する方法はあるのか。3・11により人命やインフラの被害のみならず、たんす預金として貯蓄されていた莫大な円が海に消えた。仮にその額が数兆円と仮定すれば、その同額を印刷し、復興支援として各家庭に提供すれば良いのではないだろうか。そして、そのために増刷されたお金は、必然的に消費に回すように規制を加える。3・11で消滅した現金は、本来市場に出回るお金であるので、それを補充するために増刷されたお金は復興支援のための正義であると考える。

第三は、トービン税の実現にある。 1981年にノーベル経済学賞を受賞したジェームス・トービンは、為替投機の抑制のために外国為替取引に対して定率の税を課すトービン税を提案している。毎日36兆円売買される日本円の外国為替に1%の税金をかけるだけで、日本政府は年間132兆円の税収を得ることができるのである。

現在の国税と地方税を足しても100兆円である。消費税を1%上げても2兆円である。経済の不安定要因の本質は、金融のギャンブルにある。投機を抑制することにより、世界経済は実体経済で動く。市場経済には限界がある。故に、余りにも無謀な投機による市場経済を抑制するトービン税の導入により、日本経済の復興と世界経済の秩序が構築されるのである。日本は余りにも急速に資金を蒸発させたが、トービン税の導入により、それを取り戻すことができるのである。

少子高齢化の問題を解決するためには消費税は必要であろう。しかし、リカード、フリードマン、トービンが提唱している政策の一部をタイミング良く戦略的に実施することが現在の日本の閉塞感を打ち破り楽観的な市場を形成する意味でも期待されているのではないだろうか。これらを試行錯誤してから消費税増税を実施したほうが福祉に必要な財源が確保されると考えられる。

6月 08

かれこれ20年ほど、一貫して北東アジア経済圏の重要性を唱えてきた。理由は北朝鮮問題を解決するベストのシナリオは、日本と韓国の技術力と資金、中国の労働力、極東ロシアの天然資源、北朝鮮の労働力が相互補完的にシンクロナイズされることにある。北米とEUに並ぶ自然発生的経済圏が構築されることにより対立から平和にベクトルが変化し、アジア太平洋時代の繁栄の主軸となるからである。

仮にこの地域の対立が先鋭化し紛争が勃発した場合、天文学的数字の損失が発生するのは自明の理である。また、予防外交の視点で北東アジア経済圏の重要性が利害関係国の同意のもとに推進された場合のシナジー効果は政治、経済、社会、安全保障と全ての分野に浸透する。

特に、勢力均衡型や集団的安全保障を超越した経済協力や共生を主眼とした協調的安全保障が成立する。この安全保障のパラダイムは21世紀型安全保障として歴史に刻まれる可能性もある。

20年前にこのような理想を抱き実現のための活動に関与してきたが、今、新たな視点でこの構想の必要性を感じている。その発想の源泉はギリシャに端を発するヨーロッパの経済危機を尻目にドイツが一人勝ちしていることにある。

東西ドイツの統一にあたり西ドイツの負担を軽減することや統一ドイツのパワーを削ぐなど経済や安全保障等の様々な角度から協議が重ねられEUの構築が実現した。恐らくドイツの戦略家は、マルクからユーロにシフトされるメリットとして高付加価値製品を基軸とするドイツ産業が一人勝ちすることを戦略思考していたのではないだろうか。と考えられる。ユーロが弱くなることでドイツの輸出産業が活性化される。という単純なことを。

日本とドイツの産業構造は似ている。両国ともに天然資源に恵まれず先の戦争の敗戦国であり自動車など付加価値の高い輸出産業で国が栄えてきた。似た国であるがユーロ安と円高という対極的な外国為替の動向が経済成長の命運を分けている。ドイツが賢いのは、EUの中心的存在となりその経済圏内で不協和音が生まれユーロ安になったケースにおいてもなおドイツ経済が活性化されるというシナリオを創造したことにある。

一方、日本は中途半端な規制緩和やグローバリゼーションの推進によりリカードの唱えた比較優位理論による貿易や国際水平分業が効率的に行われていない。財政赤字が膨らみ貿易赤字も発生し、株価が低迷しているのに異常なレベルの円高水準が継続している。従って、産業の空洞化が継続して発生する状況にある。

これを打開する方法として冒頭に述べた北東アジア経済圏構築が考えられ、加えて円、人民元、ウオンが北東アジアの共通通貨に成長することにより異常な円高を修正することを可能にする。つまり、ドイツがEUとユーロの メリットを生かし付加価値の高い産業を中心に経済成長を達成しているように、日本も北東アジア経済圏構築による恩恵を得ることができると考察される。

今月から円と人民元の直接取引が始まった。ドルとユーロの価値が落ちる中、アジアの主要通貨が注目されている。今こそ、経済、社会、安全保障そして歴史の潮流を鑑みると北東アジア経済圏構築の絶好のタイミングではないだろうか。

4月 05

ハーバード大学やMITなどのエリート大学の学生が京都の禅寺に勉学の一環として100人規模で押し寄せている。何故、今、禅が米国の学生達に注目されているのであろうか。

 半世紀前にも米国で禅のブームが起こった。英語が達者である上に禅をシンプルに捉えた鈴木大拙和尚の功績が大きい。哲学としての禅が多くの若者達の核心を突いたのであろう。

 現在の禅ブームは、スティーブ・ジョブズ氏の影響大である。自叙伝の中で禅が呼び起こす直感力に感銘を受けたことなどが記されている。また、インドに旅しヨガやオリエンタルな思想を好み、そして京都の魅力にとりつかれ禅寺や文化を通じインスピレーションに磨きをかけたことなども文脈から伝わってくる。

 アップルの製品は実にシンプルである。禅という漢字は、しめすへんに単(シンプル)で構成されている。即ち、禅を通じ複雑なことをシンプルに捉える直感力を探求したところにジョブズ氏の成功の一端があるのではないだろうか。

 名門大学のビジネススクールで学ぶエリート学生達が京都の禅寺までわざわざ赴くのは、イノベーションに結びつく直感力の育成だと考えられる。理論はパソコンを通じ習得することが出来る範疇にあるが、座禅や直感には体験が不可欠である。

 ジョブズ氏と親交が深かった世界第二のソフトウェアの企業であるオラクルのCEOのラリー・エリソン氏は、京都の豪邸を購入し、禅寺に赴かれるという。アップルとオラクル、世界の最先端を行く大企業が禅の影響を受けているのである。60年代70年代に東洋の文化や禅を体験した当時の若者達が今の最もクールでありシンプルな製品をクリエートしているのである。

 最近の禅のブームの本質は、日本に対する異文化交流に加え起業家として成功するために必要な直感力とシンプリシティーにあるのではないだろうか。そこには尊敬が存在しているから太平洋を越え将来を担う米国の若者が京都に来るのだろう。

 日本のソフトパワーには、アニメや漫画、J-popなどがある。海外でこれらの影響力の凄さに圧倒されもしたが、現に円高やコストの面、そして比較的簡単に模倣がなされることなどを考えると限界を感じる。

 一方、ソフトパワーの本質をついた禅は、一朝一夕には生まれぬ日本の禅寺の自然と歴史が織り成す空間の上に成立しており、ここには、お金を使わず世界に影響を与えるパワーが秘められている。

 日本で多くの国際会議が開催されている。想像するに多くの国際会議は、いずれの国で開催しても同じような会議であるように思う。むしろその土地でしか開催できない国際会議の方がインパクトがある国際会議になるのだろう。

 スイスで毎年1月に開催されるダボス会議のような国際会議を京都で開催してはどうだろう。それも禅ではじまり禅で終わるというような直感とシンプリシティーに力点をおいたお金を使わない国際会議の開催を。禅こそグローバルで普遍性に富んでいるからこそ実現可能で夢想で終わらぬ予感がする。

3月 08

日本の大学で教えるようになって5年。毎年2月は講義概要を作成する時期である。優れたコンテンツを経験と理論の両方に精通した教員が情熱を持って学生と向き合うことで自ずとその講義の需要は高まるものである。

 大学にとって学生は顧客である。ドラッカーの経営学やコトラーのマーケティングの観点で戦略を練ると、第一は、学生が満足する講義を行う、第二は、その学生が就職する時に役立つ学問を提供する、即ち、企業や社会が求める教養や専門知識を提供する、第三は、グローバリゼーションの進展、地球環境問題の変化、エネルギー、食糧危機、貧富の格差等により今までのどの時代よりも予測が困難な時代に於いて学生が自ら考える能力を養成することが必要となり、教員と学生の双方向の情報交換が求められる。

 講義概要を作成するにあたり以上3点のことを包括しようと思うのだが、要するに従来の日本の大学の講義を大きく変える必要性を強く感じるのである。リベラルアーツ(本質的な教養)を限られた講義の中で最も効率的に提供する方法はあるのであろうか。

 リベラルアーツとは、人間を自由にするための学問である。教養を身につけることにより豊かな生活を手に入れる機会が増すのである。輝かしい未来を築くためには人間が何千年にも渡って考察してきた定理や法則を習得することが必要である。現実を理論的に観る演繹的なアプローチと経験を通じ理論的なことを構築して行く帰納的なアプローチの両方が不可欠なのである。

 大学で重きを於くのは演繹的なアプローチである。また、理論的な構築を行った後、ケーススタディーを通じ帰納的なアプローチを行うことも大切である。大学の一つの講義は15回か30回で構成される。その間にリベラルアーツの手ほどきとして教養のエッセンスを習得するためには何を学ばなければいけないのかを考察しようと思う。

 高校までの勉強は習得することが第一であるが、大学での勉強はリベラルアーツをThink(考察する)、Learn(習得する),それをLead(発表する)することが求められる。Thinkすることを第一義とすると、事細かく一方的に教えるのでなく学生が自ら興味のある学問を徹底的に探求することが重要となる。従って、幅広く世界に通用するリベラルアーツを決められた講義のタイムフレームの中で提供しなければいけない。そこで毎回、あるテーマについて完結型の講義を行うことを試みて見た。

 この講義を受講する学生が毎年増え500人規模に膨れ上がった。少なくとも学生の需要を満たしているからそうなったと思う。講義内容は、メディアやマネージメントのリテラシーを身につける。自ら考え分析する能力を身につけることである。そのためには、哲学、宗教、歴史のリズム、グローバルイングリッシュ(世界共通語としての英語)、実学としての経営学、外交・安全保障、地政学的変化の洞察、エネルギー・食糧・地球環境問題、近代史、マスメディアとソーシャルメディア等である。

 2500年の哲学を90分の講義で学ぶなど不可能であると考える読者は大多数だと思う。しかし、ぼくは4年間かけて哲学を学んでもそれほど頭に入るとは思わない。やる気というミッションが明確であれば相対性理論のようなものが機能し学生自らのパワーで知的直感力に磨きがかかりそれが実を結ぶと考える。また、グローバルイングリッシュを例にとると6年間かけて英文法を学んできたにもかかわらず試験勉強の弊害として実践に役立たないのが90分の講義で朝起きて寝るまで話している日本語を英語にするというテーマで改めて勉強するとさっと要領を得た勉強が成立するのである。

 大学の講義は生き物であり、その時の強烈な刺激が勉学へのミッションを高揚させるのである。有名な禅寺の和尚さんがこんなことを教えて下さった。「先生が教えるのでない。学生が先生のいい処を盗むのである」。ぼくは、リベラルアーツとは、豊かな生活を送るために自ら幅広く自由に学ぶ教養だと思う。不確実性の高い世の中、時空を超えた教養を自ら学ぶことが大切だと思う。

2月 09

世界のいくつかの組織で勤務し、日本の大学で教えはじめ4年の歳月が流れた。卒業まで学生が過ごす4年間を振り返ると、確実に就活という厄介な問題に学生がチャレンジする真剣さが年を追うごとに増している。3回生のはじめから就活に取りかかる学生は、次第に講義への出席率が落ちる。そうなる事が分かっているので1,2回生は真面目に講義に出席する。一昔前と比較すると今の学生、いや正確には1,2回生は真面目である。

大学で専門分野をしっかり勉強できるのは、教養を身につけた後の3回生からである。その時が就活に重なることが大学のレベル低下につながっている。さて、そこで学生と企業の両者にプラスとなる就活の理想を考察してみたい。

不況の影響で学生は親に頼ることができず授業料をアルバイトで稼ぐ必要が増している。90分の講義に出るのに学生は約4000円出資している。授業料と講義数を割ればだいだいこのような金額になる。一方、アルバイトの時間給は伸びておらず平均1000円とすると一つの講義に出るのに4時間働かなければいけない。
このような話を学生の前ですると必ず学生の態度が変わる。意欲のある学生はアルバイトの4時間以上の成果を勉学に求めてくる。教員もそれに応えるべく毎回の講義で学生が満足する教養や専門知識を提供しなければいけない。

アメリカの大学で教えている時、3時間の連続講義を行うのに数冊の本を精読し、実社会で習得したユニバーサルな法則なりを示し、学生との質疑応答や意見交換に講義の半分を費やしたものである。アメリカの授業料は日本より高いので学生が満足する講義を提供するため教える側も真剣勝負で臨む必要があった。

日本の学生もアメリカの学生のように費用対効果の成果をあげるために学業に真摯に臨まなければいけない。そのように考えると「就活のために講義を休みます」という学生を減らすような対策が不可欠である。企業は優秀な学生を採用しなければ昨今のグローバリゼーションの波に押し流されてしまう。大学は優秀な学生を育成する義務があり、また学生も厳しい経済状況や国際情勢の変化に対応するために専門知識を大学で習得しなければいけない。学生と企業の共通の利益の合致点は、大学の本来の目的である教養と専門知識を学生が習得することであり、それが会社や社会で活かされることである。今の世の中、企業人が持っていないような柔軟なグローバル社会で通用する発想を持ってこそ就職戦線に勝つことができるというぐらいの高尚な考えを学生が持つべきである。

学生が大学に通うのは、年に7、8ヶ月である。5ヶ月近くが自由な時間である。この自由な時間を就活に役立てる方法、即ちキャリアパスの糧とすることが大切である。大学の休み中に就活を行うという不文律を共有すべきである。要するに企業は将来採用の可能性が高い優秀な学生を大学の休み中にインターンとして働く機会を提供し、学生は休暇中に学費等を賄うことが可能となれば企業にとっても学生にとっても両者プラスとなるのではないだろうか。

フランス発のAIESECという大学生の企業インターンを提供する組織がある。日本の大学でもかなり浸透している大学インターンシップである。海外で大学院の学生の時、AIESECを通じアメリカで夏の企業研修を受ける機会を持った。かなり充実したプログラムで将来へのキャリアを描くきっかけになった。このように日本でももっとインターンシップの充実に務める必要があろう。

円高、空洞化の影響で海外で即戦力となる学生を企業側は求めている。例えば、青年海外協力隊の制度を通じ海外に赴任した人材をもっと積極的に企業は採用すべきであろう。開発援助の専門家というと少し重い感じがする。青年海外協力隊も志願者が減少傾向にある中、この制度を通じ本格的なインターンシップとして再考するのも一案であろう。学生が卒業すると同時に青年海外協力隊の制度を通じ1、2年の途上国経験を積み、その後、現地に進出している日本企業に就職することができるというキャリアパスを充実することが大切である。企業側からみれば税金で優秀な人材を教育できるという視点でグローバルな教育戦略として有効であると考えられる。

東大が秋入学に移ろうとしている。世界の奔流に同化することで世界から優秀な学生が集まる。同時に就活も世界の常識に同化させることでグローバル社会で通用する優秀な学生が生まれ企業や大学にとっても日本国にとってもプラスとなろう。