「メディアはメッセージである」と語ったマーシャル・マクルーハンを日本に最初に紹介されたのが評論家の竹村健一先生である。メディアの第一線で半世紀以上も活躍された竹村先生は、「日本の新聞を読むのは海外の新聞に載っているけれども日本の新聞に書かれてないことを探すことにある」と述べておられる。
日本で日本の新聞、テレビ、インターネット等のメディアばかりに接しているといつの間にか偏った考え方に陥ってしまうことがある。日本人という単一民族で構成され社会で日本語だけでコミュニケーションしているとまるで世界は日本を中心に動いているとの錯覚をしてしまうのも当然のことかもしれない。
現代のテクノロジーを駆使すれば日本にいても世界の情報に精通することが可能である。でも圧倒的大多数は、日本のメディアの影響下にあり、どうしても日本の常識からの脱却が難しい。
そこで、メディアを3Dのように立体的に考察することにより日本を中心とする座標軸に柔軟性を持たせ世界観や歴史観を加味したメディアのリテラシーを向上させることができるのではないだろうか。
メディアの力は巨大である。政界、官僚、財界さえも動かす力をメディアは備えている。加えてメディアは大衆を動かす力と大衆の代表であるステータスを兼ね備えている。メディアの本質的な目的は何なのであろうか。読売新聞が1000万部、朝日新聞が800万部と発行部数を競っているように利益追求型である。メディアは情報を提供し大衆に影響を与える。即ちメディアとは大衆に影響を与えながら利益を追求している。
NHKの会長が公共放送のトップらしからぬ発言を行い物議を醸し出している。メディアの権力の頂点にある人物が政官財と癒着し、しかも偏った考え方に固執していたら大衆に悪影響を及ぼすのみならず、世界の中の日本のイメージが大きくそこなわれる。
戦争放棄を憲法で唱えている日本にとってメディアというソフトパワーの役割は非常に重要である。メディアこそ公共の外交である。時の権力が右傾化している時こそメディアとりわけNHKのような公共放送こそ権力を監視する機能を発揮すべきである。
民間のメディアが利益追求型である限り顧客は国内にある。従って民間はメディアのメッセージを海外に発する能力と役割に限界がある。昔、アフリカの奥地で国連の仕事に従事している時、日本との唯一の接点はNHKの国際放送であるRadio Japanだけであった。短波放送の雑音の中で日本語のニュースにかじりついていたことを思い出す。
ウクライナを境にヨーロッパとロシアとの軋轢から軍事的緊張が高まっている。朝鮮半島情勢も予断を許さぬ状況である。歴史問題が根底にある日韓、日中関係も改善の兆しが見られない。尖閣諸島、竹島等の領土問題、靖国問題、従軍慰安婦の問題などの解決にとってメディアの役割は不可欠である。
メディアはメッセージである。メディアにはそれぞれの立場により、また発信し受信する立場によりメッセージは異なるのである。僕はメディアを弁証法的に「正・反・合」と矛盾や否定を超越してより優れた発展段階に導くという姿勢が必要であると思う。
この姿勢とは、3Dのように平面的視点に加え立体的に分析、総合するメディアの能力を高めることである。立体的メディアとは日本という座標軸の他にグローバルな座標軸を加え地政学を眺望する水平的な見方と、歴史観や哲学観といった垂直的な視点をミックスさせた3次元を意味するメディアのあり方である。
日本の平和は軍事というハードパワーでなくソフトパワーであるメディアの役割にかかっていると言っても過言でない。紛争を未然に防ぐ予防外交を実践するためにもメディアを立体的に3次元で発信者、受信者のみならずそれぞれが考察することが重要である。