6月 29
 釈迦が「諸行無常」と伝えたように、世の中は、刻々と変化している。しかし、春夏秋冬があるように四季の移り変わりがあっても再び同じ四季が巡ってくる。 
 ジェット機で世界を旅することで、北半球の夏から南半球の冬へと時空を超えて移動することができ、国境を越え、異文化の交流を体感することできる。このように科学技術の進歩は、生活を豊にしてくれるが、一方、直観力など人類の本質的な素養を弱体化させることもある。
 便利な世の中であるからこそ、人類史上脈々と流れ伝わる「万物の根源」、即ち「哲学」を大観することが重要である。換言すると、現在進行形の国内外の諸問題や、世相を読み解き、世界の中の日本、過去・現在・未来の狭間の中の我々の座標軸を確かなものにするために、古代・中世・近代・現代の「哲学のエッセン ス」に通観する必要を感じる。
  大学卒業後、先進国・途上国を問わず世界のフィールドで平和構築のための活動に関わってきた。世界中の人々と接し、かけがえのない経験的直観力を育成することができた。世界のフィールドで帰納法的に養った経験を、先人の哲学的考察を演繹法的に融合させることにより、より明確なビジョンが創造されるように考 えられる。
 
ビジョンを描くための7つの哲学的戦略思考
1.多角的・重層的視点で世界の中の日本を展望
 ドゥルーズ(20世紀、フランス)は、遊牧民(ノマド)的思考として一元的・固定的な考えに陥ることを批判し、多角的・重層的視点で思考することの重要性を説いている。クローズアップとロングショットの両方の視点で、世の中の現象を把握することが大切である。 
2.弁証法で世相を展望
 国連やワシントンのシンクタンクで学んだことは、建設的な議論を通じ、ベストのシナリオを創造することであった。ヘーゲル(18−19世紀、ドイツ)の弁証法は、正論・反論・双方の長所をミックスさせた排他的でない議論の重要性を説いている。 
3.プラグマティズム(実用主義)
 ジェームス(19−20世紀、アメリカ)は、物事の真理を実際の経験の結果により判断するがプラグマティズムの戦略的思考の重要性を説いている。マキャベリ(15−16世紀、イタリア)は、理想と現実を握手させるためには、柔軟性のある多種多様な行動が必要であると述べている。 
4.予定調和説・性善説
 ライプニッツ(17−18世紀、ドイツ)は、予定調和説に則り、最終的には世界は最善の道を歩むと説いている。ビジョンを描くにあたり、「宇宙の目的」に従った、協調・共生への哲学が根底になければいけない。 
5.自然との共生
 スピノサ(16−17世紀、オランダ)は、自然界の万物に神を見出すという東洋的な見方を示している。この汎神論の見方は、現代社会における宗教・文明の対立構造を調和させるパワーを秘めている。老子(紀元前5−4世紀、中国)は、「上善水の如し」と人工的なものは悪で、自然の大切さを伝えている。 
6.本質を探究
 ベーコン(16−17世紀、イギリス)は、4つの先入観(主観、独断、伝聞、権威)を排除することで実用的知識を得ることができると説いている。また、ニューヨークタイムズの外交コラムニストのフリードマンは、発表された理由、現実的理由、道義的理由、本質的理由の4つからメディアの分析を行う必要があ ると述べている。 
7.異文化交流の推進
 モンテーニュ(16世紀、フランス)は、異文化に寛容に付き合うことと、自己の文化を相対化することの重要性を説いている。また、レヴィ=ストロース(20世紀、ベルギー)は、諸文化を単純に比較し、優劣をつける発想を否定する構造主義人類学を提唱している。
 
理想世界の創造
 京都に生まれ20年以上かけ世界で生活し京都に戻ってきた。地球を歩きながら人類が共有する地球益や共生の重要性を体感してきた。今、日本を座標軸に世界を展望し、哲学を通じた人類の知恵を大観することにより、近未来を単に予測するのでなく、自ら「理想世界」を創造する推進力が生み出されるのも不可能で ないと感じている。哲学を生きたものにするためには、世界を旅しながら異文化と接し、人類の共通の利益の合致点を見出し、それを実践することが不可欠であると考察する。
6月 05

オバマ政権がスタートして100日が経過してもなお60%強の高い支持率を維持している。外交・安全保障の分野では、プラハでの核兵器廃絶の演説、バグダッド訪問に伴うイラク政策など具体的なオバマ色が鮮明に示され、また、経済の分野では、環境とイノベーションの融合が、産業構造の変化、雇用創出、経済成長をもたらすとの期待が高ま っている。

このように政治の安定に伴う金融危機からの脱却過程において、グローバル社会の中で相対的に日本の位置付けがどのように変化しているのか考察する必要がある。

 金融危機の勃発から7ヶ月が経過し、中国経済がいち早く回復基調を示している。換言すると、米国発の金融危機で相対的に経済力を高めたのは、中国である。21世紀はアジア・太平洋の時代と云われる如く、経済パワーは、太平洋を渡りアジアへとシフトしている。今、日本の舵取りに不可欠な要素は、アジアの発展に適う日本の経済・外交政策の座標軸を明確にすることだと考えられる。

 とりわけプラザ合意後の四半世紀に及ぶ日本の金融政策の述懐を一言で表現すると日本は余りにも米国の金融政策に翻弄されて来たと言えないだろうか。為替の協調介入、円高不況、低金利政策、ゼロ金利政策など一連の結果を大局的に展望すると、とどのつまりは、日本の世界一の個人金融資産をニューヨークの証 券市場に流れ込ませるという米国の金融資本主義の野心に他ならないと考えられる。

 グローバル経済における日本の役割は重要であったかも知れないが、最も重要なことは、金融の規制緩和やビッグバンによって、一般の日本国民がどれ程の恩恵を受けることができたかである。明らかに米国主導の金融資本主義の恩恵に与かったのは一部の投資家や銀行である。

 冷静に考えると1400兆円の個人金融資産を有する日本が、金利の恩恵を最大限に活用し、日本国民が利子の果実を享受することが出来なかったのは実におかしな話である。個人金融資産は日本人の勤勉がもたらした結果であり、仮に5%の金利がつけば毎年70兆円の利子をもたらすのである。日本の国家予算に匹敵するだけのお金である。

 本来の銀行の役割は、地域経済の資金の循環に寄与することにある。お金のある人は、銀行に預金し妥当な利子を受け、お金が必要な人は、銀行からお金を借り入れ利子を支払うという単純な構造こそ銀行の使命である。しかし、ゼロ金利政策により株式の投資が蔓延し、しかも少しのお金で梃の原理の如く金融の博 打がバーチャルなコンピューターを通じ行われたところに問題がある。

 サブプライムローンの発端は、米国の貪欲な金融資本主義にあるが、結果的にそれを助長したのが日本のゼロ金利政策でもある。勿論、無防備な日本の金融政策は、米国の金融戦略のターゲットとなったと考えられるが、その米国がオバマ大統領の登場により、明らかに米国は、金融資本主義の反省に伴う、 中間層や弱者への教育や勤労の機会の増大を通じた米国の経済成長戦略にシフトしている。

 オバマ政権が安定した支持率を維持している今、日本が米国に示す経済戦略は、日本の貯蓄が海外に流失することを規制し、教育や環境問題を含む国内の社会資本整備に重点がおかれ、銀行や投資家が海外の株式市場における博打的な投機を抑制することにある。単純に日本がうまくいっていた高度経済成長期の日本の 金融システムに戻し、一般の日本国民が恩恵を受けることができる経済戦略を明確に示すことが希求されている。