平成を迎え23年目。平成生まれの大学生が社会に出て活躍する時代である。しかし、昭和の晩年に比べ就職難であり、学生のみならず日本社会に元気がない。何故、平成に入り、右肩下がりに経済が悪化し、世界の中の日本の地位が低下していくのか。日米関係にどのような変革が起こり、元気な東アジア経済の中で日本だけが取り残されていくのか。新年最初のコラムで考察してみたい。
昭和から平成に変わった時、米国は冷戦に勝利した。社会主義陣営という敵を失ったのである。昭和末期の日本は、バブルの絶頂期で、経済の黄金期を謳歌しながら冷戦の勝利のために疲弊していた米国の土地や建物を容赦なく買い漁っていた。当然のことながら、次第に太平洋を挟み、貿易摩擦が深刻化して行ったのである。
つまり、ベルリンの壁が崩壊した時点で、日本は経済という熱戦において米国の一番の敵になってしまったのである。太平洋戦争で敗戦した日本が奇跡的な経済復興と経済発展をなし得たのは、勤勉な日本人気質に加え、米国の共産主義封じ込め政策という外的要因の産物なのである。戦争で勝利したはずの周辺諸国が朝鮮戦争の犠牲となっている中、日本は戦争の特需のお陰でアジアの中で、ずば抜けた経済成長を成し遂げたのである。
戦後からベルリンの壁が崩壊するまで、米国の共産主義封じ込め政策という傘の下で日本は戦略を持たず安全保障も外交も経済政策も米国に従順であることでほとんど全てがうまく行ったのである。同時に経済発展を成し遂げる日本に対し、この間、中国や韓国をはじめ東アジア諸国は、嫉妬という反日感情が彷彿されたのである。日本は政府開発援助等を通じ、物質的な協力を行ったが、東アジア諸国に於いては歴史的な清算が行われたいう認識はされてないようである。
平成に入り政治も経済もやることなすこと全てが裏目に出るのは、経済面に於いて米国が日本を脅威とみなしたからではないだろうか。そして、東アジアの経済発展の中で、日本だけが異質なのは、周辺諸国が米国一辺倒の日本の政策、並びに歴史的清算が精神面も含め完結しない日本への批判が根強く残っているからではないだろうか。
一昔前まで、メードインジャパンは、最先端技術の象徴であった。しかし、今や、携帯や電子書籍という生活に直結した技術革新がアップルやサムソンという舶来が主流となっている。80年代初頭にソニーのウォークマンが世界に衝撃を与えたように、本来ならスマートフォンの分野でも日本が現在のアップルやサムソンの役割を演じるはずであったのに、どうして米国や韓国企業に先を越されてしまったのか。また、2009年度の韓国のサムソン一社の経常利益が日本の家電メーカー9社を超えたとの信じられない事態に陥ったのであろうか。
韓国企業の躍進は、1997年の東アジア経済危機を境に始まっている。香港が中国に返還された翌日にタイのバーツに異変が発生。東アジア経済危機は、ノーベル賞を受賞したクルーグマン教授が予測したように海外からの金融資金の投資が中心となりイノベーションが欠如する東南アジアの経済構造に問題があった。東アジア経済危機は韓国まで飛び火し、IMFの構造調整によって強硬に米国が主導する市場経済化が推進されたのである。それを決起に韓国経済は蘇ったのである。
中国経済が順調に経済成長を少なくとも5年継続し、人民元が切り上げされ米国経済の不振が続けば、5-10年で中国が米国を経済力で陵駕すると予測される。米国は東アジア経済危機で韓国を操ったようの韓国企業を通じ中国市場に浸透するように考えられる。
平成生まれの日本人が社会に進出する今、経済という熱戦において日本の進路を日米、日中韓、日米中の国際関係に於いて、日本の明確な戦略を構築しなければいけない。その前提として少なくとも近代史を読み解く必要がある。そして、アジアの一員として、日本が本来追及すべきアジアの王道としての資本主義でも社会主義でもなく両者の魅力を生かした共生の経済発展を導く知恵が求められている。