被爆から65年を経た今年の広島・長崎は、熱い。オバマ大統領と
直につながっているルース米国大使や潘基文国連事務総長の平和
記念式典への出席は、核軍縮に対する国際世論が熟してきている
ことを意味している。ここ数年の核廃絶に対する動きは何を意味
しているのか。原爆投下後も、ピーク時には約8万発の核爆弾が
製造されたが、何故一発も使用されなかったのか。被爆国日本に
よる世界平和のための明確なメッセージを世界に発する時が到来
しているのではないだろうか。
安全保障の核は、核問題である。イラク戦争の発端も、アフガニ
スタンに絡む国際テロも、全人類の脅威に繋がる大量破壊兵器の
問題である。これらの脅威は、冷戦中の米ソによる核兵器の勢力
均衡型で抑止可能なものでなく、世界全体で取り組む世界平和へ
の共通の課題である。
オバマ大統領により核廃絶が提唱された昨年4月のプラハ演説は、
安全保障の歴史のページを新たなものにした。オバマ大統領が
議長役を務め成果を上げた国連安全保障理事会、オバマ大統領の
ノーベル平和賞受賞、オバマ大統領主導による核安全保障サミット、
国連の場で広範囲に議論されたNPT( 核不拡散条約) の再検討会議
など、米国と国連が連携した核軍縮への働きかけが具体化している。
興味深いことは、唯一の核使用国である米国が道義的責任として
核廃絶に向けたイニシエティブを取っていることである。来たる
広島の式典において、米国の大使が初めて出席するのは、核廃絶
への動きのみならず、安全保障に対するパラダイムが大きくシフト
しているからである考察される。今まさに広島、長崎は世界平和
の主役なのである。
7年程前に、ワシントンのシンクタンク主催の核軍縮に関する
セミナーに出席した。その時、核戦争が抑止されてきたのは
MAD(相互確証破壊)が機能したから等の議論がなされていた。
それだけでは納得がいかなかったので、「戦後、地球をも破壊する
核兵器が製造されてきたが、一発も使用されることはなかったのは、
人類が広島と長崎の被爆による核兵器の脅威を実感したからである。
日本が最大限の世界平和に貢献したことは、広島・長崎の被爆に
よる核戦争の悲惨さであり、被爆者のお陰で核戦争を回避されて
きたのである。」と述べた。この実にシンプルな主張に対し、
反論はなかった。
1985年に核兵器の廃絶を訴えた医者の団体である核戦争防止
国際医師会議( IPPNW)がノーベル平和賞を受賞した。この団体の
中心人物等が今年のノーベル平和賞に広島と長崎の市長が推進す
る平和市長会議を推薦している。核軍縮に関するノーベル平和賞
を受賞した個人や団体は、過去9回あり、昨年は、核兵器を投下
した国の大統領が受賞しているのである。
オバマ大統領は、核廃絶に向け着実に成果を上げている。平和の
礎と考えられている日米同盟は、核の投下国と被爆国という奇妙
な関係にある。被爆国である日本は、米国が主張する核廃絶を
圧倒するぐらい核廃絶を提唱するに値する国である。
にもかかわらず日本国内の論調に接していると、米国の核の傘に
守られている故に核廃絶に躊躇する日本や保守革新のイデオロギー
の対立が未だ存在しているようである。世界に向けた明確な
シグナルがない。
世界の世論が核廃絶に向かっていることを鑑みれば、今こそ市民
が核となるオールジャパンとして、被爆国日本が核廃絶に向けた
強烈なイニシエティブを示すべき時であろう。失うものは何もな
い。これこそ日本が世界に示す、最も率直な平和活動であろう。
今年のノーベル平和賞に最も近いのが広島・長崎であり、特に、
被爆者の人々が核廃絶の功労者であると歴史に刻まれるべきであ
ると考えられる。