6月 22

最後の土壇場でPKを決めた本田選手には劇的なメークドラマを演出するカリスマ性が備わっている。「真ん中にけって、取られたらしゃーないなと思ってけった」、勝負師の言葉には重みがある。もしキーパーが本田選手の心理を読んでいたら成功の重みと同じぐらいに非難の的になっていただろう。

今のアベノミクスの現状は、ワールドカップ最終予選と同じぐらいに失敗が許されない状況にある。PKこそキッカーとキーパーの心理作戦であり、アベノミクスの成功と失敗の明暗は、認知心理学、即ち国民や世界が読む空気によってどっちにも転ぶ。それほどにもろいものであるかもしれし、また本田選手のようなカリスマを備えた人物が行動すれば失敗の確率は極めて低い。

そもそも一国のリーダーの重要な役割は、豊かになるための戦略を示し行動することである。リーダーシップ論によればそれが専制的であっても民主的であっても国民の自由に任せる放任主義的であってもいい。とにかく結果がすべてである。

アベノミクスに関しては実体経済の結果が出る前に予測を凌ぐ勢いで株価が大きく上昇し、行き過ぎた円高が是正され何か急に社会の空気が楽観的になったような気配を感じる。平成に入りずっとデフレ不況が続いていたのにインフレになり雇用状況が改善されるのではないかとの期待感を高まる。学生の就活の状況からも経済の上昇気流を感じる。

アベノミクスの勢いの源は、安倍総理自身が明確なビジョンを提示し、実際に行動しているところにある。また、大胆な金融政策と、機動的な財政政策と民間投資を喚起する成長戦略の三本の矢を国家的なコンセンサスのベクトルとして示したところに帰結する。

英国の週刊誌であるエコノミスト誌の表紙に安倍総理がスーパーマンの格好で描かれ、アベノミクスの特集を組んだ。まるで「ジャパン・ナッシング」から34年前の「ジャパン・アズ・ナンバーワン」に回帰したような久々に元気が出るニュースである。

日本がデフレから脱却するために米国の経済学者であるポール・サムエルソンやノーベル経済学賞を受賞したジェームス・トービンやポール・クルーグマンは、円を増刷する金融緩和と財政出動による公共投資の推進を何年も前から提唱してきた。

これらを実行するベストのタイミングとアベノミクスの実施が一致したところに安倍総理のカリスマ性を感じるのである。
インフラ輸出、文化輸出、農業の所得倍増、グローバルな教育などの成長戦略を見ると1954年から1971年までの世界のいずれの国も成し遂げることができなかった奇跡的成長の軌道を彷彿させる期待感を感じる。少なくとも平成に入ってからアベノミクスが最もインパクトのある成長戦略であることは確かである。

アベノミクスの明暗は、ケネディ大統領のフレーズにあるような「国に頼るのでなく国のために何ができるかを問いかけること」にある。何よりも将来を担う若者がアベノミクスを咀嚼し行動に出ることにある。

安倍総理の「世界で勝って家計が潤う」という官民一体となったトップセールについての45分の講演を大学の講義で披露した。200人規模の学生の大多数が非常に高い評価をしていた。とりわけ、安倍総理の「そうだ、日本に行こう」というフレーズで日本の存在感を積極的に世界に示し、ビジネスを行うとの「挑戦・海外展開・創造」が響いたようである。

アベノミクスの三本の矢は、金融と財政と成長戦略が連動して初めて機能するものであり、その原動力となるのが国民の意思である勢いを生み出す空気や環境である。失敗するなら三本の矢が国民の負の認知と行動により政府・企業・家計が守りに入ったときである。今、希求されるのは本田選手の最後の土壇場のPKのような思いっきりであり、それが日本の命運を決定するのであろう。

5月 07

メディアの情報をどこまで信用すれば良いのであろうか。メディアを懐疑的に展望し、現在のメディアを解読するメディア・リテラシーについて総合的・多角的に考慮してみたい。

メディアは、概して真実、噂、嘘の三つしか伝えない。更に、メディアの情報は、多かれ少なかれ全て編集されたものである。何らかの意図や意思が存在する。加えて、マス・メディア、メディア企業の目的は購読者、視聴率の増加を第一義的に考える利益追求にある。

当然、ジャーナリストは制約された環境の中で権力に屈することなく事実や真実を正確に報道することに重点をおいているであろうがオーディエンスの受け取り方で伝わる内容も変化する。少しでも新鮮でインパクトがあり影響力のあるニュースを報道しようとするからどうしても表層的な似通った情報がライバル各社から発せられる。

新聞綱領によると正確、公正などの言葉が並んでいるが各社の社説を読めば保守、リベラルなど主張が左右に拡張している。また、海外のメディアに目を向ければ異なった視点が見えてくる。

メディアが報道する記事、例えば、靖国参拝や安倍総理のモスクワ訪問に関して北方領土の問題がどのように伝えられているかをライブ性を交え大学の講義で観察してみた。

これら一連の報道を三本の視点で展望すると新しい発見があった。第一は、安倍総理自身が頻繁に発信されている安倍総理のフェースブックを講義室のスクリーンに写し、メディアによって編集されてない安倍総理のモスクワ訪問に関する主張や主観を読んでみた。第二は、安倍総理の外遊と北方領土の問題に関する国内の大手新聞社の社説の主張を比較。
第三に、ニューヨークタイムズ等の靖国参拝に関する社説や報道をチェック。

哲学者デカルトの「我思うゆえに我あり」にあるように安倍総理がフェースブックから直にオーディエンスに伝える内容には編集が入ってない分、安倍総理の臨場感あふれる情報がそのまま伝わってくる。ソーシャルメディアの効用により当事者が意図する事実が概して安倍総理に好意的なオーディエンスに伝達されるのである。

北方領土問題に関して日本の大手メディアの視点は、二島返還、四島返還、面積で二等分するなど近年にないほど勇ましい主張が目立っている。僕の個人的な考えでは、柔道家プーチン大統領とアベノミクスで勢いがあり、安倍総理のお父さんの功績等からみると少なくとも二島返還プラスαの好機だと読む。しかし、プーチン大統領の妥協が北方領土とは異なり日本の領土である竹島や尖閣諸島の問題に影響を及ぼす。発展するアジアの将来を見据えた場合、日本、ロシア、韓国、中国の領土問題が共同開発や共生という方向に舵が切られることが最善だと考える。

靖国参拝に関して、リベラルであるニューヨークタイムズも保守であるウォールストリートジャーナルも批判的な論調を行っている。ワシントンポストも含め、米国の主要紙が揃って日本の周辺諸国の意向を無視したわざわざ油に火を注ぐ行動を懐疑的に見ている。

海外で長期間生活し、日本人を客観的に展望すれば自分が考えている以上に日本人は矛盾しているように思う。その矛盾とは歴史が示すように太平洋戦争の好戦的な日本と憲法9条の極端な平和主義にあるように考えられる。

哲学者、梅原猛先生は、「人類哲学序説」の中で、生魚を好んで食べるある意味では野蛮な風習を持つのが日本人であり、寿司は生魚の下に米がある。米は稲作農業を含む弥生文化の産物ですから、弥生文化の上に縄文文化がのっているわけで、これこそ日本文化そのものであると述べておられます。

メディアの情報を如何に解読するか、寿司が示すように日本人は野蛮と文明という絶対的な矛盾を解決する能力を有している。従って、マスメディアからソーシャルメディアまで多角的・重層的にメディアのメッセージを直観に従い読み解けば日本の方向性が見えてくるように思う。

3月 29

国際フリーターとしてグローバルに動いていると「Life is funny」とときめく偶然に出くわすことがある。2003年、ワシントンのシンクタンク(ブルッキングス研究所)で勤務している時、ランチのセミナーで同じテーブルについたモンゴル人と話しが弾んだ。当時の僕は、国連機関のモンゴルの地域担当官も経験し、日本の地方政府が主役となるフォーラムをモンゴルで開催した経緯もありモンゴルへの想いは強かった。また、「北東アジアグランドデザイン」を作成するに安全保障の観点からモンゴルの役割は重要だと認識していた。

同じテーブルについたモンゴル人は、ハーバード大学に留学し、国連のプロジェクトに関わっているということ、更に驚いたことにモンゴルの首相も経験したという。相手が前首相でも僕の方が年上だったのでイージーゴーイングな付き合いがスタートした。その後、交流を深める内に冗談で「貴方が再びモンゴルのトップになったら安全保障に関わるプロジェクトを一緒に推進したく思うのでその節は宜しく」と約束を交わしたのが10年近く前。

驚くことに再びこのモンゴル人は首相に帰り咲いたのである。モンゴルに行こうと思っているうちに何と、彼は再び首相の座を追われたのである。タイミングを逸したのでそれ以来、モンゴルの動向から疎くなっていた。

先日、テレビを観ていたら安倍総理が今月の末にモンゴルを訪問されるというニュースが流れていた。テレビに映る安倍総理のカウンターパートであるモンゴルの大統領は、驚ことにワシントンで会ったエルベグドルジ氏であった。急ぎインターネットで検索してみると何と数年前に大統領に就任されていたのである。

前置きが長くなってしまったが、安全保障の観点から北東アジアの協調的安全保障、とりわけ北朝鮮問題に大いなる貢献を担う潜在的可能性を秘めているのがモンゴルである。安倍総理がワシントンの次にウランバートル訪問を急に決断され経緯からもモンゴルの重要性を解読できる。袋小路にある日朝関係や拉致問題への解決にモンゴルのカードは有効に機能すると分析する。

第一、朝鮮半島の38度線を境に北朝鮮・中国・ロシアVS韓国・日本・米国の勢力均衡で分断されてきた。しかし、北朝鮮が核と長距離弾道ミサイルを保有することによりステータス・クオ(現状維持)の戦略に変化がみられる。北朝鮮との関係が緊密で北東アジアの一角をなすモンゴルが中露或いは日米と関係を強化するかで北東アジアの地政学的変化が起こる。

第二、モンゴルと中国の内モンゴルとの関係などからモンゴル人は嫌中意識が強く、反対に相撲、ODA等のソフトパワーの側面から日本とモンゴルの関係は極めて良好である。
司馬遼太郎の「街道を行く・モンゴル編」にあるように蒙古斑を有する日本人はモンゴルに親しみを感いている人が多いと思う。北東アジアの勢力均衡に影響力を持っているのがモンゴルである。

第三、北朝鮮とモンゴルの産業構造や政治システムに共通項がある。レアメタルを有する両国は緊密に連携する必要があり、モンゴル国と内モンゴルとの関係は北朝鮮と韓国の関係に似ており、冷戦崩壊後のモンゴルの推移は北朝鮮への参考となる。

第四、米ソの冷戦構造が終焉した背景には、中国と米国の接近にあった。両国に外交のパイプが存在してない時に両国を結びつけたのはパキスタンであったとキッシンジャー氏は語っている。日朝の国交がない現在、パキスタンのような役割を演じることができるのはモンゴルである。拉致問題解決に必ずモンゴル・カードが切り札になると考えられる。

以上の考察から、時は今、日本とモンゴルの関係を天然資源や経済連携協定と言った視点だけで捉えるのでなく、東アジアの安全保障の観点からプラグマティズムで外交、ソフトパワーで推進する。ひいては、モンゴルとの戦略的な協力が北朝鮮の拉致問題解決につながると読む。

安倍総理が世界190カ国の中から米国に次ぐ訪問国としてモンゴルを選択された先見性に敬意を払いたく思う。同時に、国連やブルッキングス研究所等での経験が、「Life is funny」というグローバル・ネットワークの奇遇に直結することを喜ばしく思う。

3月 06

哲学するとは本質を探索することにある。日本人の本質とは。世界の中で日本はどのように映っており、どのような役割を担っているのかということをビジネスと教育の視点を踏まえ考察してみたい。

世界の様々なところで生活し、異文化コミュニケーションを通じ客観的に感じた一般的な日本人のイメージは、真面目で協調性があり個人を犠牲にしても会社や組織に重きを置くといったところか。

しかし、日本人は組織や会社が好きかと問いかけてみると、本当にそうだろうか。むしろ日本人はある意味ではすごく個性を重んじる本質的なDNAを持ち合わせているのではないだろうか。

例えば、多くの日本人がそうであるように、会社員になり毎朝同じ時間に起き、満員電車で通勤し、40年近く同じ会社や組織で勤務する。定年までリスクを犯すことなく安泰な会社人生を全うすることを成功と考えている。東京で通勤するサラリーマンの朝の無表情は、まるで共産主義国家の末期を連想させる悲壮感に溢れている。30年前もそうであったし今も一向に変化がない。恐らく世界中のどこを探しても朝の東京の通勤の表情ほど笑顔がなく画一化されたものはないだろう。

組織や会社に帰属しなければ生活できないという構造が日本人を組織化していると考えられる。朝の通勤模様から観察されるように本当に日本人は組織に属して幸せなのかと考えさせられる。きっと、日本人は個を磨くことに長けているのではないだろうか。

それを端的に現しているのが日本のスポーツである。欧米のスポーツはサッカーやラグビー、野球といった団体スポーツが主流である。それに反して日本の伝統スポーツは剣道、柔道、空手といった個を重んじるスポーツである。

また、グローバリゼーションの世の中において世界で通用する日本の技術は大企業の画一的な製品よりも中小企業の匠の技術に移りつつある。世界のトップ企業は日本の中小企業の匠の技術をアウトソーシングとして活用している動きが増している。

日本の伝統的なスポーツと匠の技術から観られるように日本人が本来の力を最大限に発揮できるのは「道を極める」ような自分の内部を鍛える個性的な生き方であるようだ。

産業革命の影響や戦後の米国の共産主義封じ込める政策の一環として大量生産や輸出主導型の産業構造が機能してきた。しかし、平成の不景気の本質は日本人が本来備えている個の能力を発揮する環境が制約されたところにあると考える。

結局のところ日本の学校教育に行き着く。進学校やトップレベルの大学に入るためには暗記中心の修行の洗礼を受けなければいけない。とにかく考えたり創造したりする個の能力を制限するのが日本の教育である。世界の大学やシンクタンクで習得したことは、自分の頭で考えるという行為である。それもルソーが「自然に帰れ」と唱えるように歩きながら個人の内なる潜在的な能力を引き出しながら考えるということの重要性である。

日本、それはユーラシアの東の果てに位置する国家。東洋に定住した多彩な血統を持つ柔軟性に充ちた個性的な国家であると思う。アングロサクソンやユダヤ人に見られるように優秀な民族は端にたどり着くと考えると日本人はもっと世界で輝くべきなのである。

世界のトップ企業は日本人が本来追求してきた個を磨く匠の集団のようなグローバルな経営戦略を追求している。日本も会社や組織の歯車として働くのでなく、個人の力が発揮できる匠の集団としての社会にギアチェンジすることが肝要であろう。久しぶりに上昇気流にある日本の政治・経済において日本人の本質が活かされる社会構造が基盤となることを期待したい。

1月 30

ここは地の果てアルジェリア、「カスバの女」のメロディが蘇ってくる。32年前にアルジェリアでないが戦争中のバクダッドに企業戦士として赴任した。20代前半の若者にとって異国の地で大型プロジェクトに従事することは大いなる憧れであった。大袈裟かもしれないが命をはって仕事をした。そして実際に戦闘にも巻き込まれた。

日本で平穏無事なサラリーマン生活に何の魅力も感じないあまのじゃくにとって生き甲斐、報酬、危険の狭間の中、国際貢献という抽象的な名目に任せ海外で生活し、自分を鍛えることこそ我がテーゼであった。日本企業の企業戦士としての海外赴任、国連の職員として途上国援助の仕事。戦争という外部要因とマラリアという内部要因との戦いでもあった。

日本から逃避しながら途上国で学んだことは、「開発協力は人類の義務である」と語った開発協力の父である久保田豊氏の名言である。戦争や紛争の一因として貧富の格差が挙げられる。地域格差とグローバルな経済、技術力の格差を縮めるためにも開発協力は重要な役割を演じている。

ダイナミックな仕事は、ハイリスク、ハイリターンである。加えて、途上国での大型プラントの仕事や開発援助の仕事は国益を超越して地球益としての崇高な目的をはらんでいる。そこに身を置く覚悟があるなら徹底的にリスクマネジメントを研究し実践することが必要である。

アルジェリアの悲報に接し、北アフリカの地の果てで崇高な仕事をされた企業戦士に尊敬の念を抱かずにはいられません。同時にリスクが高いから途上国のビジネスを回避する方向に向かってはいけないと思う。恐らく、途上国で勤務した多くの人々は、改めてリスクマネジメントについての戦略が必要であると考えておられると思います。

途上国の大型プラントがテロのターゲットとなる本質的な要因は何処に起因しているのであろうか。第一に、途上国からみれば先進国による資源の搾取と映る。第二に、中東や北アフリカの不安定な政治、経済、社会、宗教的な要因が政府軍と反政府軍やテロ組織の対立を助長させており、大型プラントが格好のターゲットとなっている。第三、テロ組織が仲間の釈放等で政府と交渉するのに海外プラントに働く外国人を捕虜にするのが手っ取り早いと考えられている。

かつては人道的な観点から人命が最優先されてきたが、人種、宗教に根ずくテロの温床を根絶するためには、一切の妥協を許さず速やかな戦闘行為を遂行することが正当であるという考えが広がっている。

要するに途上国でのプロジェクトのリスク要因はかなり高いのである。このリスクを軽減するためには、安全保障(セキュリティ)の情報や知識を拡充させることが大切である。
しかし、最高の安全保障の情報に精通しているとされるアメリカであってもリビアのアメリカ領事館がテロ組織により襲撃され大使などが殺害されたことからリスクマネジメントの限界がある。

海外の大型プロジェクトに関し、現実的に企業から見ればリスクがあっても利益も重要であるし、国家の視点からもエネルギー資源の確保は国是であり、開発協力や技術移転の観点からも建設的な関与が不可欠である。

企業、国家、国連による多国間協力、集団的安全保障などを充実させ途上国のビジネスを遂行させるシナリオを描く必要がある。情報を拡充させたり経験則を活かすことによりリスク軽減につながるだろうが、特効薬のようなクスリは、中東や北アフリカの現在の特殊状況においては「リスクのクスリ」は存在していないと思う。

ぼくは思う。開発協力は崇高な仕事であり、報酬も多いがリスクが伴う。世界は不確実性の高い地でもある。日本は安全なように思われているが世界から見れば地震ベルト地帯であり、津波も発生するし、いまだ放射能が漏れている危険な所でもある。そのように思うと、昔ほど途上国で働く元気はないが、どうせ今を生きるなら命がけで途上国の大型プロジェクトに企業戦士として働くのも悪くないと思う。そのためには、企業とか国家に頼るのでなく自分で身を守るという直感に基づくリスクマネジメントの徹底に努めたく思う。

1月 08

新しい年のスタートにあたり今、即ち2013年は、如何なる年になるのか考察したく思う。13という数字は西洋では不吉な数字である。東洋の観点では調和を重視するので、バランスを保つ意味でも13の不吉を補う吉兆のための努力も必要だろう。地政学的、歴史的、そして2013年に実行すべきことの三点から世界の潮流を展望してみたく思う。

■ 第一 地政学的観点
昨年は世界的に選挙の当たり年で内外でレジューム・チェンジが起こった。これから数年は主要国でじっくり腰を据えた長期政権が続く。ロシアと日本の共通項は、プーチン大統領と安部首相の復帰である。主要国の特徴としてリベラルな革新的な動きよりも保守的なナショナリズムの高揚と自国中心の政策が目立つように思う。

米国においては、軍事費削減が意味するのは他国への干渉よりも自国中心の「モンロー主義的傾向」にある。ロシアはユーラシアの東方を強化すると共にエネルギー政策を推進するだろう。中国は米国と並ぶ世界のリーダーとしての道を歩むと同時に急速に経済発展したことによる反動を如何に修正するかの課題がのしかかってくる。韓国の最初の女性大統領として朴大統領は、財閥中心の経済構造を市民中心の社会構造に修正し、永らく続いた北朝鮮への妥協的関与政策からどのように保守的な朝鮮民族の道義を重んじた政策に舵を切るのか。韓国と北朝鮮の共通項は、リーダーである父の姿を見て育ったことにある。親子ほど年の差がある二人の相性は儒教からみてどうなのであろうか。

ヨーロッパの財政危機の問題を主要国であるドイツ、イギリス、フランスがどのように解決するのか。少なくとも自動車産業に見られるような高度な製造業としてのドイツの世界的名声はさらに高まりヨーロッパの代表としてのドイツの座標軸は強固なものとなるだろう。また、南米においては、ブラジルなどの発展は人口、天然資源に加え、数年先のワールドカップ、オリンピックなどの国際イベントの影響とアメリカのモンロー主義の観点から南北アメリカの接近が経済発展の起爆剤となると考えられる。

アフリカの発展の機運は天然資源と政治的な安定にあり、経済成長の速度は急速に高まると考えられる。アラブ諸国はイスラエルとパレスチナの対立のみならず国内の政治・経済・社会の問題が混沌としまさにインシュアラー(神のみぞ知る)である。

■ 第二、歴史的観点
百有余年の歴史をひもといてみても、北東アジア特に、中国・北朝鮮・極東ロシアの国境が接する地域は波風の激しい地域であり、日清・日露戦争、満州事変、大東亜戦争の導火線となった。一方、前世紀初頭のこの地域はシベリア鉄道も通り、インフラ整備も進展し繁 栄していたが、これら一連の戦争や冷戦構造がこの地域の発展を遮断してきた。冷たい戦争が終わり20年有余年が経過したが、北朝鮮を中心とするこの地域は依然冷 戦構造が存続している。

90年の歴史を誇る米国の外交雑誌である「フォーリン アフェアーズ」の戦前の北東アジアに関する論文と、満鉄の経済調査局の大川周明の戦後の述懐には共通項がある。

それは、日米協力による満州の開発、特に多国籍企業を通じたインフラ整備の推進で「開かれた経済圏」を形成することができ、それが地域の信頼醸成に直結し、紛争を未然に防ぐことに役立つとの視点である。例えば、日露戦争後、米国の鉄道王であるハリマンは、世界一周の陸海の交通ネットワークを作るにあたり、日米協力による満州鉄道の整備の推進等を提案してきた。しかし、日本に不利なポースマス条約の影響もあり、日本の世論が日米協調を拒み排他的政策をとった。

当時の国際情勢の流れの中で米国との協力は至難の業であったが、仮に米国等を含む多国間協力で大東亜経済圏の開発が推進されたなら、日本の孤立化によるエネルギー問題は回避できたであろう。そして、歴史の回転舞台が違った方向に回ったかもしれない。歴史に 「もし」は存在しないが、「フォーリン アフェアーズ」の論文に書かれているように戦争回避の分岐点は確かにあった。

戦後、米国は共産主義封じ込め政策により、日本を安全保障と経済の両輪から支援した。そのきっかけを作ったのは、米国の若手国務省官僚のジョージ・ケナンの「フォーリン アフェアーズ」で発表されたX論文であった。この論文により無名の外交官が一躍、冷戦理 論の第一人者になり、世界地図に冷戦の設計図が描かれ日本はその恩恵を受けたのである。このように論文やビジョンにより世界が動くことがある。

■ 第三、2013年に実行すべきこと
内外で共通する目標は、安定と発展である。それを短期的、中期的、長期的視点で展望すると違いが顕著となる。原発や消費税の問題でも、それぞれの政党が述べていることは長期的には概ね同じでも短期的には差異が見られるだけである。従って、目先のことだけを観て対立を増強させるのでなく、市民の一人ひとりが中・長期的なビジョンを持って「世界の中の日本」をじっくり考え、行動することが大切だと考えられる。

結論として、2013年は長期政権のスタートラインにあり、国の内なる力を蓄える時であり、学生はしっかり考え勉強し、社会人は真面目に働き経済を活性化させ、高齢者は医療に頼らない健康に務め、若い世代に健全な意見を発することに尽きると思われる。

12月 06

現代社会、とりわけ国際関係を展望するにあたり日本の進むべき道は二つに分岐するとの考え方がある。それは、既存の路線に従い日米同盟を基軸とする道、他方日本はアジアの一員であり中国との関係を強化することが新たな発展につながるとの道。正確には、分岐でなくて米国に重きを置くかアジアに重心を移すかであろう。

昨今の周辺諸国との領土問題のあつれきは、米国との関係が一枚岩でなくなったことに起因しているとの見解がある。従って、アジア・太平洋の時代の恩恵を無視しても米国との関係を強化することが安定と平和に導くとの考えも否定すべきでない。

日米中の三角関係で日本の針路が探求される中、あえてユニークな論点を提示したい。それは、日本がEUに入ることはできなくてもEUとの関係、特にドイツとの関係を強化することである。何故、ドイツなのか。

日本とドイツの産業構造は類似している。付加価値の高い製品を輸出して国を豊かにしてきた点、原発に懐疑的であり太陽光や風力などのソフトエネルギーを推進している点、そして敗戦国であり勤勉である国民性を考慮すれば日独の関係は世界で最も類似していると考えられるのではないだろうか。

先日、ワシントンのシンクタンクが東京でシンポジウムを開催した時、パネリストの一人がドイツの実質実効為替レートは、長期にわたりあまり変化はないが日本のそれはドイツの倍の強さになっていると述べていた。今の円高の影響でドイツの倍の努力をしなければ輸出を伸ばすことができないのである。韓国との実質実効為替レートは、最も厳しい状況にあるようだ。

気のせいか日本でもドイツ車が著しく増加しているように感じられる。ドイツが異なる産業構造の国々とEUという経済圏を構築することでユーロの恩恵を受け付加価値の高い製品を製造する技術を有するドイツが優位な立場を構築している。ドイツは為替の面で輸出競争力を高め、日本は不利な状態に陥っているのである。

ユーロ導入の前段階として1ユーロ、1ドル100円とするとの議論もあったと記憶する。円とユーロの関係においては10年以上経過した現在、途中大きな為替変動はあったものの現在ではそんなに為替変動はない。日本がユーロ圏と協調した為替政策を実行することでドルにも影響を与え円安の方向にシフトすることはできないのだろうか。

変動相場制の負の側面は、為替変動の幅が広がることでギャンブル性の高い実体経済と乖離した経済が増大したことである。ギャンブル性の高い国際経済を是正するためにも変動相場制の是正が必要であろう。その起点として産業構造が類似した日独との関係を強化することが重要であると考える。

冒頭で日本の進むべき道は、米国か中国との二者択一であると世間は考えていると述べた。TPPの問題でも日本は米国の戦略に歩調を合わせるか、或いは時期尚早と反対の意を唱えるかで分離している。国政選挙を前にして短期的な国民の利益に固執したマニフェストが幅を効かせている。

しかし、実際に長期政権が望まれる現状においては、少なくとも4年先を見据えた政治、経済、社会、テクノロジーの変革を明確にする政治家、政党のビジョンが求められている。とりわけ、2012年は世界のリーダーが変わった、変わる選挙の年であり、ロシア、北朝鮮、中国、米国、韓国など日本の安定に大きな影響を与える国々の全てが長期政権である。

日本は米国と中国という世界一二の大国の中間に位置する世界三位の経済大国である。米中の大国の狭間の中でEUの覇者であるドイツとの密接な連携を模索することで新たなるパラダイムがシフトするのではないだろうか。

日本とドイツの類似点は多岐にわたっている。敗戦国である両国の最大の違いは、戦後処理である。ドイツの歴史観、アイデンティティーを軸とした復興など日本はドイツから学ぶべきことは多い。日本とドイツの関係を強化する、そんな発想も必要だと考える。

11月 15

電車に乗ってまわりを見回して見ると常に半数以上の人が携帯とにらめっこをしている。人々が一日にメディア(マスメディア、ソーシャルメディア)に接する時間は平均6時間と言われている。24時間の内、8時間は睡眠などの生理的に必要な時間、生きるために働く時間を8時間とすると、残り8時間。その内6時間をメディアに接している時間とすると、メディアがいかに重要であると同時にメディアにより洗脳されているかが想像できる。

メディアを介し様々な情報が洪水のように溢れている。何かインパクトのあるニュースや現象が起こればどのメディアも集中的にその報道をクローズアップさせる。それらの報道は新聞社やテレビ局の保守やリベラルといったイデオロギーの差もあるが概ね同根である。

世の中の根源をなす情報は、記者クラブを通じ発表された情報が他社との競争の中で少しでも早く記者がまとめ発信されたものが受け手である我々に伝達されるのである。考えてみれば、官僚が数百ページのペーパーを作成し、記者クラブにおいてはその要約である数ページのペーパーをもとに記者がまとめるのである。全て編集され、商業というスポンサーが影響している情報が世の中に伝わるのである。

日本人の記者により編集された情報が日本人に伝達されるのである。日本国内の問題を別にして、北方領土、竹島、尖閣諸島の領土問題についての情報を受け手である我々が読み解くにあたり現状のメディアのあり方ではかなり洗脳されて当然ではないだろうか。

そこでメディア情報をクリティカルに分析する能力であるメディア・リテラシーを向上させることが重要となる。社会を変えることは難しいが一人一人がメディア・リテラシーを理解することで自ずと社会も変化するのではないだろうか。何せ一日の大半をメディアに接しているのだから、「メディアとは何か」「メディア・リテラシー」について考えることは本当に大切である。

メディアは3つしか伝えない。それは「真実と噂と嘘」である。また、マクルーハンの「メディアはメッセージである」が意味深い。オーディエンスである我々が我々の頭で考えることが如何に重要であるかということを伝えているのである。

メディアをThinkする、考えクリティカルに分析する習慣をつけるために先人が生み出した哲学的思考が役立つ。特にアリストテレス、ベーコン、トゥルーズ、フリードマンの思考法には価値がある。

原因について考えるアリストテレスの四原因説(質量因、形相因、作用因、目的因)。例えば、尖閣諸島の問題を考えるにあたり、質量因では、中国の質と量、13億の人口を有し世界第二の経済大国で経済成長が8-10%で、軍事力を分析し、形相因では、漢民族の本質や行動様式を分析し、作用因では、尖閣諸島問題のルーツはどこにあり何がそれを動かしていのかを分析し、目的因では、尖閣問題を通じ中国が最終目的とするところを分析する。

ベーコンの考察は4つの偏見(主観、独断、伝聞、権威)を排除することにある。尖閣問題に立脚すると日中の一方から見た4つの偏見を排除することにより全く異なった視点で領土問題が展望できると考えられる。

トゥルーズのノマド(遊牧民)の思考である多角的・重層的に「世界の中の尖閣諸島」として展望すれば、日中が誰も住んでいない諸島を通じ争うことのメリットとデメリットがどこにあり漁夫の利としてどこかの国が利益を得るという異なった考えが見えてくる。

ニューヨークタイムズの外交コラムニストである、フリードマンの4つの理由(発表された理由、現実的理由、本質的理由、道義的理由)で尖閣問題を解読。ワシントンの保守シンクタンクであるヘリテージ財団で石原氏が問題を発表し、現実的に国有化問題や資源問題がこじれ中国で反日デモが激化し日本経済に悪影響が出て、本質的には日中の歴史問題から中国の覇権主義へと国際情勢の変化への影響が複雑化し、道義的には、歴史問題で処理されていない人道的問題等が出てくると考えられる。

このように哲学的思考で尖閣諸島などの領土問題を考察するとメディア・リテラシーに磨きがかかり、現在の日本のナイーブさが見えてきて、領土問題や歴史問題で対立するこの虚しさに気づき、建設的な戦略思考を構築する必要性が芽生えると考えられる。メディアを問い直し、自分の頭で考えメディアを通じ社会を変える変革期にあるのではないだろうか。

10月 03

最近の学生は昔と違って真面目である。と感じる。厳しい就職戦線がそうさせているのだろう。大学のゼミ生の立場になって現実を考えるにあたり、僕の学生時代にはどんなことを考えていたのかを振り返りながら今を考察したく思う。

なぜか僕は、小学校のときから日記にそのときに感じたことを書く習慣を40年以上継続している。几帳面とは程遠い性格だが、僕にとっての日記とは、誰にも見せない未来の自分に向けたメッセージであると考えている。

大学4年の就活活動真っ只中、明日、会社の面接試験を受ける日の前の晩に書いた短いエッセイを見つけた。32年前の文章であるが、原発反対、大地震、テロ、ソーラーエネルギーなど、恐ろしいほど当たっている。国連機関や日米のシンクタンクで勤務しながら、それなりに研究に没頭したのであるか、何も経験のなかった学生時代に描いたエッセイが不思議と最も説得力がある。

以下、32年前に考えたことである。会社の面接試験のためのエッセイである。

「今、最も社会が必要としているのは、エネルギー確保の問題である。資源を輸入に頼っている我が国としては、いかに早い時期に化石燃料に頼る割合を減少させ、代替エネルギーを開発するかにある。

我々の年代は日本の将来のターニングポイントにとって最も重要な役割を担っている。なぜなら2000年を迎えた時、代替エネルギー依存の割合が化石燃料を上回り、ソフトエネルギーの時代が到来すると予測されるからである。

私が考えるには、原子力の推進は世界を滅亡させると思う。今は、過渡期の段階として化石燃料でつないでいるが、今のエネルギー政策は中央集権的な構造のもとに行われていることが問題だ。

もし、大地震が発生した場合、電力設備が破壊され、経済が混乱し、エネルギー確保ができなくなる。いや、それより最も恐ろしいのは、一部のテロリストにより、中央集権的なエネルギー設備を破壊された時、どうなるかということである。

これら最悪の状況に対応するためには、個々の家庭にソーラーエネルギーシステムなどを取り付けエネルギーを分散させ、災難に対処できる柔軟性を有しておくことが大切である。

貴社が行っておられる多角的経営の一環として環境整備の開発は、日本の将来、世界の未来を平和に導くものと確信しております。私のイデオロギーの確立といっても、まだ机の上の学問にすぎません。これら学生時代の養った知識を実践で発揮できる日を一日でも早く望んでいます。」

今日でも原発は世界を滅亡させるとか、大地震が発生したした場合の中央集権の問題、原発施設をターゲットとした国際テロの恐怖、ソーラーエネルギーの必要性など、これほど素直にストレートに描写したビジョンになかなか巡り会うことはことはないと思う。

経験も知識もなく、ただただ直覚に従い描いたビジョンが多かれ少なかれ的を射ていると今思う。未来への自分へのメッセージが教えてくれたことは、学生と真摯に接すること、そして学生の素直な考えには多くのメッセージがあるということである。

冒頭に今の学生は真面目であると書いた。講義の出席率も昔と全く違う。でも、昔のように大胆に発想し、行動する学生が減っていると感じる。就職戦線を勝ち抜くためには、当然のことながら真面目も大切であるが、時には例外的な発想も幸運な偶然を起こす要素になるのではないだろうか。

大学の講義では、現在進行形の問題にタックルしながらも世の中を支配する常識に固執することなく大胆な世の中を良くする発想をバックキャスティング(目的を定めて将来を予測する)でThinkしてみたく考える。グローバリゼーションの波に乗った柔軟性を有しているかどうかが就活の幸運な偶然を呼び起こすと考える。

8月 06

ロンドンオリンピックは、ポールマッカートニー氏のヘイ・ジュードでスタートした。高校時代に柔道部に属した者にとってこの曲は柔道を連想させる。オリンピックの中継では本場の日本の柔道が外国の「ジュードウ」に圧倒されている日本の柔道家の姿が写し出されている。

柔道で勝ってもジュードウでは負けてしまう日本人の肉体的な特徴を観察すると、金メダルが減ってもそれは日本の柔道にとって大きな問題でないと考える。なぜなら柔道がグローバルに展開するほど日本の柔道家が国際試合で勝利する確率は減るからであり、むしろ柔道の国際貢献にとって避けて通れない道だろう。

ロシアの柔道家が100キロ級で優勝し時、プーチン大統領は会場で観戦していた。柔道家であるプーチン大統領の喜びは最高潮に達したと想像する。実際、プーチン大統領に会われた人からこんな話を聞いた。少年時代のプーチン氏は、不良少年の仲間入りをしていたそうだ。そんなプーチン少年を救ったのが柔道だそうだ。現在も、プーチン大統領は自宅にある嘉納治五郎先生の像を毎朝拝んでおられるそうだ。それ程までにプーチン大統領は柔道への思い入れが強い。

12年前にプーチン大統領が来日された時、柔道のメッカである講道館を訪問され、柔道着を身につけられ柔道家プーチンを演出されたそうだ。黒帯であるプーチン大統領は、講道館から贈られた六段の証書と紅白の帯をその場で辞退され、もっと練習に励みこの帯に相応しくなると述べられたそうだ。

ロシアという大国のリーダーが柔道家であり、とりわけ嘉納治五郎先生をはじめとする日本の柔道を尊敬されているというのは素晴らしいことである。プーチン大統領の黒帯外交という表現もされているように、柔道、或いはジュードウが外交の舞台でも活用されることがあってもいいのではなかろうか。

北方領土問題に対し、プーチン大統領は、柔道用語である「引き分け」を使われたそうだ。ヨーロッパを好むメドベージェフ首相と違いプーチン大統領はユーラシアやアジアに力点をおいた外交を進展させる可能性もある。

領土問題は複雑である。いくら戦略的な外交を駆使しても結果は期待できない。しかし、不可能を可能にする要素があるとすると、それは一国のリーダーの思い入れや信念ではないだろうか。プーチン大統領の思い入れは柔道である。とすると、日露関係における最大の切り札は、柔道外交である。対ロシア外交における柔道こそ日本の最高のソフトパワーだろう。

ロンドンオリンピックにおいて勝敗における日本柔道のパワーは劣化した。しかし、ロシア、ドイツ、フランス、オランダ、イギリス、モンゴル、中央アジア諸国、アルゼンチン、韓国、北朝鮮、中国など世界中に柔道及びジュードウの人気が拡張しているのは日本柔道にとっても日本にとっても好機だと考えられる。

プーチン大統領はロス五輪のゴールドメダリストである柔道家山下泰裕氏を尊敬されているという。柔道からグローバルなジュードウに変化しても柔道の精神や信念を継承して行くのはプーチン大統領のような少年期に柔道に接した人物であり、今も嘉納治五郎先生の像を拝む人物であろう。将来、山下氏がロシア大使になられプーチン大統領と北方領土問題を交渉されれば、少なくとも「引き分け」以上の成果が生まれるのではないだろうか。