3月 19
国会の演説を聴いていると日米の温度差を感ぜずにいられない。首相や大臣が漢字の読み方を間違ったとことをメディアは、あたかも重大ニュースのように伝えている。日本のメディアは国家の文化水準の低さを内外に伝えるのでなく、もっと国益に適った本質的な内容を伝達すべきである。では、どうして竹村会でも素晴ら しい講演をなされる麻生首相ほど雄弁な人物が、国会では国民を奮い立たせるどころか、批判の対象となるのであろうか。
 
 明らかに日本とアメリカの国会議員の違いは、演説するときに原稿を棒読みにするかどうかである。換言すると、官僚が作成した文章を政治家が読まされているという所に問題があるのであろう。同じ内容でも、原稿に左右されず議員自らの言葉で語りかければ、国民にパッションが伝わり世の中が明るくなる。オバマ大統 領やクリントン国務長官のスピーチが、そうであるようにアメリカ人を酔わせる言葉のパワーを過小評価してはいけない。
 
 ワシントンで頻繁に上院下院の公聴会を傍聴した。当時、上院の外交委員会では、バイデン上院議員やルーガー上院議員が議長役として、外交の旬のトピックを実に分かりやすく説明し、また専門家や参考人とのやりとりが絶妙であった。例えば、ルーガー議長やバイデン議長のアドリブは、今朝のニューヨークタイムズや ワシントンポストのコラムニストが、こんなユニークなことを述べているとか、上院議員が自ら海外視察で見聞したことなどメディアに発表されないようなことを語り、ライブ性とユーモアを兼ね備え、聴衆をひきつけるパターンが多かった。
 
 上院の外交委員会の公聴会では、上院議員が多くの人々が疑問を抱いていることを外交や安全保障の専門家に分かりやすく問いかけ、明快な答えを引き出す所に醍醐味を感じた。同時に、常に建設的に問題を解決しようとする空気が漂っていたので、公聴会に出席することで確実に何かを学ぶことができた。
 
 公聴会は、上院議員が学ぶ場であり、また聴衆はメディアから得られない新鮮な本質的な主張や政策を得ることができる。上院議員は、多くの政策スタッフを抱えており、情報が豊富であり、官僚に支配されなく独自で高度なインパクトのある主張を行うことができるのであろう。上院外交委員会の末席に席を置いていた当 時のオバマ上院議員は、今から思えば、外交経験の不足を補うためにバイデン議長から帝王学のような指導を受けていたように思われる。
 
 クリントン国務長官が、上院の外交委員会で、経済・外交・軍事・政治・法律・文化の包括的な要素をミックスさせ、二国間外交のみならず多国間外交に基軸をおく賢明なスマートパワーの重要性を主張した。筆者が研究員として勤務したブルッキングス研究所の上司のスタインバーグ氏が、国務省の副長官に任命され、ま た、戦略国際問題研究所のキャンベル氏が、国務省の東アジア・太平洋担当の次官補に任命された。ワシントンのリベラル系のシンクタンクの経験を通じ、クリントン・スタインバーグ・キャンベルの外交政策、とりわけ日米同盟、アジア外交、国連外交や多国間外交をワシントンの視線で眺望することができる。
 
太平洋を挟み、日本が得意とする文化的・経済的なパワーを中心においたソフトパワーと、米国が推進する軍事力のハードパワーと直接交渉や多国間外交をミックスさせたスマートパワーがタイムリーに発揮されることにより、世界のパワーセンターは、アジア太平洋にシフトされるだろう。従って、今こそ日本の積極的・建 設的で賢明なビジョンを自らの言葉で語る時であろう。
 月刊「世相」2009年3月号掲載

Leave a Reply