3月 31

経済は心理的に作用する生き物である。そこにグローバルとつけば、世界経済の変動は加速される。宗教学者の山折哲雄氏は、景気循環を仏教用語で解釈すれば、諸行無常だと述べておられる。

現代の世相はまさに変動であり循環でもある。最大級の経済危機に喘いでいる中、一方では、日本人がノーベル賞、オスカー賞を受賞し、侍ジャパンの野球が世界の頂点に立った。日本の歴史上、これ程、危機と快挙の両極端を経験したことがあろうか。

世の中が暗いニュースで包まれている時の日本人の快挙は、健全なナショナリズムを喚起させるものである。ナショナリズムが偏狭に傾けば紛争につながる。また、ナショナリズムを杓子定規に語れば角が立つ。そこで、ナショナリズム、即ち国家の優位性や特異性をユーモアを交え語るに限る。

 その国民性を端的に表しているユーモアあふれるスピーチをいくつか挙げてみたい。ユーモアこそ、国民性や異文化の本質を突いていると思われる。

ウィーンやワシントンの国際会議を通じ、各国のスピーカーにそれぞれ特徴があることに気がついた。これは例えばの話であるけれど、アメリカ、イギリス、ドイツ、フランス、イタリア、北朝鮮、韓国、中国、日本のスピーカーが、それぞれ30分間の割り当てられた時間があるにもかかわらず15分遅れてきた。その緊急 事態においてどのようなリアクションを行うかによってそれぞれの国民性の特徴を観察できる。

 アメリカ人は、講演に慣れているので、時間の遅れを感じさせないぐらい講演内容を論理的に凝縮し内容のあるスピーチを行い、聴衆に質疑応答の機会を提供した。

 イギリス人は、あらかじめ用意してきたスピーチを縮めることなしに原稿なしに語ったが、途中で時間が来たので紳士的にスピーチを止め、端的な結論で締めくくった。

 ドイツ人は、遅れてきた時間をスピードで取り戻すべく2倍の速度の早口で語った。あまりの早口に圧倒され聴衆には内容が伝わらなかったが、ドイツ人はすべてを語ることに満足していた。

 フランス人は、文化の香りあふれる上品なスピーチを行ったが、議長が制限時間を越えていると伝えても次のスピーカーを無視して時間オーバーにも拘らず話し続けた。

 イタリア人は、遅れてくることに慣れているらしく、通常なら伝えるべきジョークを省き、時間内でうまくスピーチを行った。聴衆は、むしろ割り当てられた30分のイタリア人のスピーチよりも、15分に短縮されたイタリア人のスピーチの内容を理解することができた。

 北朝鮮のスピーカーは、決まったスピーチしか話すことをできないことを聴衆が知っていた。時間がオーバーしてもあきらめてそのスピーチを聞くしかなかった。その次に講演した韓国人は、パッションに満ちた北朝鮮と同じ時間のスピーチを行った。

 中国人は、時間がなくても主催者や出席者への謝意を述べ、大局や歴史のリズムを語り、各論が欠如することが多いので、聴衆は煙に巻かれてしまった。

 さて、日本人のスピーチだが、そもそも日本人は時間に厳粛だから国際会議の講演の時間に遅れてくるはずはない。仮に遅れてきても几帳面な日本人は原稿を用意しているのでそれを聴衆に配布することで、日本人の英語のスピーチを聞くより内容が伝わるらしい。

 各国のナショナリズムを批判できないが、各国の特徴をユーモアを介し語るのは、国境を越えた潤滑油の役割を果たす。経済用語の景気循環を諸行無常と表現できるように、それぞれの国民性による異なる見方が、世界をうまく循環させ柔軟性を生み出すようにも考えられる。

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