8月 06
 決して一つのコラムがきっかけとなり世の中が動くとは思わないが、時と場合によっては、想像以上の乗数効果が生み出されることがある。先日、ニューヨークタイムズに投稿された三宅一生氏の、核兵器廃絶に関するコラムは、最も説得力のある人物により、絶妙のタイミングで率直な意見が発せられたという意味で世界を動かすインパクトがあった。広島での被爆体験と、母を亡くされた三宅一生氏が、オバマ大統領の広島訪問を訴えたのだから、インターネット時代における世界の世論は黙っていない。
 
 オバマ大統領の核廃絶に向けた道義的責任を唱えたプラハ演説がきっかけとなりG8では、核軍縮と廃絶に向けた戦略が練られた。その伏線として、オバマ大統領の広島訪問が浮上している。
 
 恐らく、将来実現されるであろうワシントンが探る劇的な広島での米国大統領の核廃絶演説は、核兵器廃絶のみならず新たなる調和的・協調的な安全保障への歴史的パラダイムのシフトが生み出される可能性がある。その本質的理由として、イデオロギーの対立の終焉、9・11に端を発したブッシュ大統領のテロとの戦争の疲弊、そして世界金融危機から回復基調にある今、安全保障の分野における世界のコンセンサスを得られる絶好のチャンスであるからである。
 
 今、なぜ広島なのか?もっと率直な主張を日本から発信すべきでないだろうか。数年前、ワシントン滞在中に出席したワシントンのシンクタンク主催の核兵器に関するセミナーでは、冷戦中5万発の核兵器が保有されたが、どうして奇跡的に一発も使用されることがなかったか。という単純な命題が発せられた。その答えを導くために、煙に巻かれてしまうような複雑な要因を排除した場合、単純明快に一つ残るのは、広島・長崎の悲惨な経験が最大限の抑止的役割を果たしてきたという事実である。という主張が根底にあった。
 
 日本では戦争放棄とか集団的自衛権とか憲法改正とか、戦後長らく明確な答えが導きだされない議論が延々と続いてきたと記憶するが、今、もっと現実的であり、本質的であり、道義的に世界平和に関するメッセージが日本から発せられても良いのではないだろうか。それは、安全保障の聖地でもある広島において、日本国民の意思で世界を平和のために動かす明確な意思・ビジョンを発信することであろう。
 
 日本を動かすためには、外圧が有効であると言われてきた。三宅一生氏のニューヨークタイムズ紙へのコラムは、日本のメディアにも影響力を及ぼした。しかし、核兵器の問題は、世界の問題ゆえに日本国内で議論されるよりもっと純粋に日本発で世界を動かすという究極的な人類愛に根ざした問題である。

 
 数年目、ワシントンポスト上で、北朝鮮問題に関し、日本の主張が掲載された。あえて具体的内容は伏せておくが、それは広告用の紙面に述べられた記事であった。それを目にしたとき、偽りなき純粋な主張は、正々堂々と紙面をお金で買うのでなく、オピニオンコラムとして掲載されることに意義があると感じた。
 
 キッシンジャー、クリントン、カーター、ゴルバチョフなどがニューヨークタイムズの紙面でタイムリーなコラムを賑わせている。一貫して感じるのは、彼らがコラムを通じて伝達する主張には世の中を動かすとする純粋な意思が存在しているということである。真実なら複雑に語る必要はない。国際情勢の変化とその潮流を読めば、確実に広島発、世界を大きくシフトさせる安全保障・外交の新たなるビジョンが発せられように感じてならない。衆議院選挙の狭間においては、あえて世界の安全保障に目を向けてみたく思う。(世相9月号掲載)

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