南洋協会の人物と時代背景(中野有のシンクタンク・ジャーナル2015-12-22OA分をテキスト化) Japan,China,US(中野有のシンクタンク・ジャーナル2016-1-5OA分をテキスト化)
12 月 31

中野:みなさんこんばんは。火曜日夕方6時はラジオカフェーシンクタンクジャーナルの時間です。
 100年前に財団法人南洋協会が設立されたんですが、その創設メンバーは本当にすごいです。犬養毅、第29代内閣総理大臣、文部大臣、外務大臣を歴任し、五・一五事件で暗殺されたのですが、ロンドン軍集会議で活躍され、カンジー、ネール、タゴール、孫文と並ぶアジア主義者でした。新渡戸稲造は、京大教授、東京女子大学学長、国際連盟のナンバー2として活躍されました。日本の資本主義の父と言われた渋沢栄一、第42代内閣総理大臣鈴木貫太郎、外務大臣、大東亜大臣を経験され、陸軍の反対を押し切って大東亜戦争を終戦に導いています。セイコーの創業者の服部金太郎、読売新聞主執で衆議院議員の竹越興三郎、中野武営は衆議院議員で初代の東京商工会の会頭、陸軍大臣の大島健一、第4代慶應塾長の鎌田栄吉、満鉄総裁の中村是高、ロシアの世界最強といわれたバルチック艦隊を破った戦艦三笠で指揮をした秋山真之、東京芸大創設者の目賀田種太郎などなど。
 その中でも事実上の中心人物が実は井上雅二で非常に魅力的な人です。中国朝鮮台湾を歩き回って、ウィーン大学やベルリン大学で学んだ東西のバランスがとれた人物です。設立の時から20年程、専務理事として人材育成を中心に据えたのです。以上、南洋協会のメンバーの一部を紹介させていただきました。
李:南洋協会の4代目会頭に近衛文麿さんがいますよね。彼はすごい人ですよね。近衛さんが、私勉強不足で何年に4代目の会頭に就任したかというのはちょっとまだつかめなかったんですが、彼の生涯を見てみますと、太平洋戦争に突入する前に内閣を投げ出すんですね。自分は自信がないと、もうあなたたちやりなさいと。東条英機がその後、内閣総理大臣に就任するんだけれども、この戦争は間違いなく負けるんだということで東条英機に引導を渡しました。
 その当時、南洋協会というのはかなり活動的で、ベトナムに南洋協会の学校を作ったりしています。当時に会頭に就任した人の考えが南洋協会にすごく影響を与えたのは間違いないですね。ですから、終戦間際、そのまえに近衛さんが会頭になったというのは南洋協会にとってある意味戦争と一線を画したと言えるのではないかと僕は思うんですが、先生はどうですか?
大西:個別的な人物の動きというのは知らないですが、私は当時の雑誌とか講演録をいろいろ眺めて、おもしろいと思う発言がいくつかあるんですね。先ほど2回目に述べたように聖戦とか、戦争に向かわせるような発言はもちろんあるんですが、彼らは実業家たちですからこういう風にも言ってますね。
 「指導階級の無責任な一方的な報告を鵜呑みにしたる、不謹慎なる南進論、南方旅行者の軽薄な行動、興味本位の旅行団など」といった表現や、こうした新聞雑誌に掲載される記事によって不利益を得ているとか、どこか儀礼的な親善工作は逆効果であるとか、書かれています。いかにも財界人というか、経済活動をその場でやっている人間ならではの内容ですね。そういうものも実は南洋協会のいくつかの活動の中の一項目でした。
李:実は僕は南洋ではなく、満州が博士論文です。だからそういう立場からすると、政治の事はさておいたとしても、当時日本が南洋に行かなかったら、ある意味歴史は変わっていたんですよ。最初満州をどうするかいろいろありましたけれども、日本は南洋に積極的に取り組んでからおかしくなったんですよ。
中野:ドイツが世界大戦で負けたからドイツの南洋の領土を日本が取ることができた。アメリカのモンロー主義がありましたから、太平洋を自由に支配できた時代ですね。
李:日本の当時の構想はね、朝鮮半島、それから満州、それからモンゴルとかという風につなげて日本列島と繋げると。そうするとものすごい豊かな地域ができるんですよ。本当はそれも日本にとって大きな仕事だったのに、南の方に拡張したことが問題だったと思います。
中野:大東亜共栄圏というのは、南洋も含めるのですね。
大西:ある種含まれていると思うんですね。例えば、今でいう南沙諸島、西沙諸島は、当時台湾の一部でした。だからそういう意味でも南洋協会のベースが台湾にあったというのは割と自然なことです。
中野:いまだ台湾の日本に対するイメージがいいですね。
大西:とにかく南洋諸島に対する基地として台湾が存在したわけです。
松本:今のお話に引き継ぎますが、台湾がうまくいきすぎたんです。これはアメリカが戦後日本でうまくいきすぎたのと同じような構造があって、台湾にとって不幸なことともいえます。今もって台湾が中国と対立するのに、日本との歴史的な交流があったことが、非常に大きいと思います。李登輝とか具体的な人物を上げなくてもわかると思います。
 もう一つは李先生の話ですが、なぜ満州が生命線とか、言い出したのか? これは緒方貞子さんの本を読んでわかったんですが、私たちが考える以上に関東軍というのは左翼思想の影響を受けているということ。この点は僕、日本人はもっと知る必要があると思うんですね。だから満州で理想の国をつくろうとか言いますが、それは確かに貧しい東北の兵士の中にはあったんですよ。
中野:松本先生がおっしゃるように戦争の一つのファクターというのは経済的貧困とかあると思うんですが、いかがですか竹中先生。
竹中:貧困……、経済と戦争の関係は、それほど単純じゃないと思います。
松本:今の話の続きですが、新渡戸がですね、アメリカからお前何言ってるんだと言われたのと、もう一つ、先ほどの共産主義と軍閥だけれども、軍閥がだめだと言ったんです。
中野:緒方先生の本からの知識ですが、左翼思想と軍部とが結びついていると、天皇陛下が暗殺される可能性があるから、知識人を含めて何も行動できないような状況ができてしまったことに大きな日本の過ちがあるという見解です。
李:僕はここでは異質な人間かもしれませんが、日本の過去の歴史を批判する人がたくさんいるということ、政治的なこととは全く関係なく、日本という国は近代明治維新以降一番アジアでは外の世界をよくわかっていた。だから日本が戦争で負けたけれどもやはり日本はアジアではスターなんですよ。戦争で他の国をいじめたかもしれませんが、(経済的にはね)日本がそれをしなかったら日本がどうなったか。歴史には「もしも」はないんだけれど、そうした場合に日本は明治維新以降、外国に植民地にされないためにいろんな悩みがあったんですね。ですから、南進論もそうなんですが、大アジア主義を唱えて、最初は中国と韓国と力を合わせてやろうとしてたのが、それが失敗して、違うことをやっている、だから歴史からすると日本の選択が必ずしも僕は間違っていなかったと思います。
大西:間違ってないというとちょっとややこしいですが、ちょっと似た主張として述べると、その時代に生きてしまうと、どうしてもそういう気分になるということですね。
(皆:その通りですね)本当にそう思うんですね。つまりちょっとした間違いでひよっと戦争に行ったんではなくて、もっと太い、ある種の必然に近いような、そういう流れだったと。だから話は相当深刻だと。
李:その通りです。歴史について、今みんな賢そうにいろんなことを言うけれど、その時代に生きる人は、好き勝手なことを言えないですよ。
大西:そうだと思いますよ。帝国主義の時代だったのですから、日本は西洋列強の植民地にならないでいるためには帝国主義にならざるを得なかった。そういう時代的な制約があったわけですが、その中でもやはり舵取りの問題があるわけですね。英米との袂をわかってドイツについてしまったと。そこに至る過程の問題ですね。
中野:時間なので次にいきます。

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