中野:さて、いよいよ、今日のテーマですね、アジア・南洋協会のグランドデザインということで21世紀の今日このアジア、東アジア、世界平和のために、世界の福祉に、平和に、どのように貢献できるかということを考察したく思います。アジア・南洋協会会長の李相哲先生の方からメッセージをいただきたいと思います。
李:メッセージというか、歴史の前ではやはり謙虚にならなければ、私たちが今やっていることが正しいか間違っているかというのはわからないですよ。それを自分が知っているふりをしてこうだというふうにするのはちょっと驕りですね。
歴史に学ぶというのはすごく大事で、私たちのアジア・南洋協会の話に戻すと、近衛さん、その4代目の会頭が内閣を投げ出したというか、それで東条英機が登場するんだけれども、当時彼がこうすればよかった、あーすればよかったというのは、今考えるといろいろ意見はあるんですが、ただ彼の当時の立場からするとあの人ができる最善の事だったかもしれないですね。
僕は、今の我々にそういうことから何を学ぶかというと、今あまりに平和すぎて、生活も安定して、だから情熱がなくて、使命感がなくて、アジアを変えるんだとか、大アジアを作るんだとか、あるいは日本がアジアを何とかするんだとか、そういう使命感とか、何かがなくなってるような気がします。
我々アジア・南洋協会の5人が今集まっているんだけれども、実は歴史というのは数人、2・3人でも歴史を変えられるんですよ。我々で歴史を変えようとすることではないんだけれど、僕はアジア・南洋協会のビジョンを、この5人で最初からあきらめないで、歴史を変えることはできないと考えずに、我々はそういう使命感を持って、100年の歴史があるんだから、そういうビジョンを提示すべきだと僕は思うんですね。
中野:アジア南洋協会の、李先生が会長で、僕が理事長。だけど僕は本当に何かできるかもしれないと思うのは、ここに世界マルクス学会副会長の大西先生、竹中先生は三菱東京UFJ銀行から実務を経験された最高峰のエコノミスト、民間から学者になられた教育の松本先生、日中韓と、僕も研究所なり、国連なり、この5人で何か変えようと夢想するのもいいんではないでしょうか。
もう相当ブランデーで酔っていますので、思う存分アジア南洋協会のグランドデザインを語りましょう。どうすればいいか、今の日本は。
大西:もし我々が80年前くらいに前に住んでいて、歴史がどうも悪い方に行っているなと思ったとすると、たぶん二つの事を考えると思うんですね。
一つはとにかく俺は死んでもいい、破滅してもいいけれども、とにかく正義の旗をかかえて戦うというものですが、もうひとつにはとりあえずちょっとでもましになるように頑張ろうというのがあります。自分はそのどちらを80年位前に選んだだろうかよくわからないですが、ともかく、今とりあえず南洋協会の話として言うと、先ほど言ったように当時の財界人の中にも、この世の中がどうも好戦的に動いていて何かおかしいと、マスコミがおかしいことを言っていると思っていた人がいたということです。財界人からすればすごく自然な話ですね。だから私は現在も、例えば日中関係をすごく悪くしようとする人もいるけど、そんなことしたら中国事業を進められない、もうちょっと冷静に考えましょうという人もいろいろいて、そういうことがすごく大事だと思うのです。
松本:結構なお話、ありがとうございます。李先生は僕は情熱の人だと思います。ちょっとこの場で運動を起こすことは非常に危険な気がするんです。大西先生は歴史超越主義のようなところがあって(李:僕は運動家じゃないですよ、学者ですよ)それは理性で情熱を抑制してるような感じがあるんですが、大西先生は一方、マルクスの情熱の思いをね、なんかこう理性、良心とか、人間性で語れないかという所で生きておられると思うんです。
私たちがこの会で目指すべきは、大風呂敷を広げるみたいなことはもうできません。これは普通に歴史を勉強すれば不可能です。一方では少しでもという、先生の言葉はすごくうれしいですね、私たちができることは少しの事なんですね。でも、最近よく使われるので気になるんですが、神は細部に宿り賜うという言葉があるんですが、小さなことしか、小さなことでしか大きなことは起こらないという。こういう逆説的なことが、先生も先ほどちょっと言われたことに通じますよね。
竹中:僕たちはもう50歳を過ぎているわけですが、何ができるかというと、僕は次の世代を育てることだと思います(松本:いいですね)。僕は30年間、銀行で国際金融の世界で生きてきましたが、最後にエコノミストになって、今は大学の先生をやっておりますが、自分が大学の先生になるまで、自分が教育をおもしろいと思うと思ってなかった(松本:そうでしょう)。ところがやってみるとなかなかおもしろい。僕と接することによって、以前と以後とで変わったという学生はおそらく10人に一人か、その中でも突出して変わる奴は100人に一人か二人でしょうが、そういう若者が一人でも二人でも出てくることに対して僕はかなり喜びを感じているのです(いいですね、素晴らしい)。
有権者も年寄りばかりなってきて、若い連中があまり投票に行かなくなっているのに、高齢者ばかり投票に行くもんだから、結局、政治はそっちの方向に傾くばかりです。いわゆるシルバーデモグラシーで、世に中の変革を止めるような状況が出て来ている。それじゃ日本は沈没するばかりだ。ここは若い連中に高齢者は身銭を切ってでも、支援するとか必要で、それがなければ21世紀の日本はないぞと思っています。
中野:財団の専務を長く経験された井上雅二は、衆議院議員も経験して幅広い分野で活躍されている人々を巻き込んで行動しました。また人材育成というビジョンもありました。
李:第三代目会頭の蜂須賀正韶という人は、ケンブリッジ大学で勉強しています。100年前の時代にケンブリッジ大学に行っているというのはやはりすごいことなんですよ。僕の事を言って申し訳ないですが、ケンブリッジ大学という名前を知ったのは10年20年前ですよ。日本はその位アジアでは進んでいたんですよ。その位世界を見る目があった。韓国は鎖国をやっていて世界の事全くわからない。中国はもっとそうだったんです。ですからそういう意味で、アジアは日本に学ぶべきことは当時たくさんあったんですね。
竹中:その点に危機感もあります。やはり海外に留学する日本の学生は数的には減っている。海外に出ることはどういうことかって、僕だって最初はわからなかったですよ。わからなくてもいいから、あらゆることがグローバル化する時代なのだから、とにかく飛び出してみろと言いたい。留学でも、仕事でもなんでもいいから。僕たちシニア層がそれをサポートする、後押しする仕組みが今の日本には必要で、そのためには何が必要か考えなければいけないですね。
李:先生のところの学生はどうですか?
大西:割と海外に行っていますね。
中野:大西先生は京大から慶應に行かれましたが、財団は慶應の人が多いと思うのはすごくおもしろいですね。
大西:ありがとうございます。
中野:ではまた来週。
1月 21