中野:南洋協会の役割と見解ということで、李先生一言お願いします。
李:調査研究が一項目に挙ってるんですね、つまり南洋、当時日本は植民地政策を進めたのもおそらく日本にはエネルギー資源の危機感があって資源が豊富な中国の東北や南洋諸島に進出した。南洋協会の基本的な役割は今も変わってない。つまりシンクタンクというか調査をしてそれをどうするかという、政策にどう反映するかということを行った。その後、次第に南洋協会の役割が変容していくんですね。
中野:まず調査が入って実践ということで、大西先生。
大西:そうですね。慶應義塾には90何年前の南洋協会の雑誌とかが残っていまして、私もかなり見せていただき、またこれらを勉強しました。明治期に征韓論と言われましたね。それが大正期に南進論となり、南洋協会がそれを推進しました。ただし大正期は経済的な進出論が中心だったのが、昭和期に入るとかなり軍事的な色彩を被るようになっています。ので、その推進役を南洋協会が担ったという否定的な面も同時に見て、それをそのまま肯定しないこと、そうしないと戦後の世界では日本は生きていけないということは大事なことだと思います。
ちょっとだけ中味に触れますと、日中戦争を聖戦だと南洋協会の雑誌には書かれています。また、日中戦争以来、世界は中国や列強の宣伝で日本は誤解されているというようなことも書かれています。つまり、あの日本の悪事をこうして合理化していました。南洋協会はそういうプロパガンダの機関でもあったということをちゃんと認めたうえで、同時に思ったのがすごくまともなこともしているということです。
先生がおっしゃったように、商品陳列ショーというのを行っていますが、良い商品を見てもらって買ってもらうのは別に悪くないですね。人類学とか文化研究を行ない南洋にどういうものがあるのかという知識を増やした、企業家の経験を活かしたこうした活動もそれは悪いことではありません。
李:それはいつから方向転換するのですか? 30年代に入ってからですよね?
大西:いろいろ読んだところによりますと、当初イギリスとかは自由貿易の立場に立っていたので、イギリスの植民地では日本も活動することできました。本当はいろんな活動への制約があって、南洋協会としていろいろ注文をしているのですが、その時には経済が大事だと、進出は経済分野だと書かれています。ただ、途中からやはり欧米列強によるABCD包囲網が成立して、今後は単なる経済的なものだけではだめという話になりました。
中野:まず日清戦争が終わって、日本は中国からの賠償金を活かしながら、まず満鉄とか大陸中心、政府の主流が大陸論でした。南洋というのは、マイノリティでした。
李:だから台湾総督府とすごく近いですよ。最初事務局も台湾総督府東京出張所に置いてあったんですね、ということは台湾植民地政策をどうのように評価するかということが重要です。最初の意気込みというか、あれは僕は悪くなかったと思います。
中野:悪くなかったですね。いずれにしろ日本というのは資源がありませんから、南洋で資源を確保するということで、台湾総督府の経済的な成功例を南洋に持っていったのでしょう。
竹中:当時は、やはり経済的な進出と軍事的な進出が一体化してしまう帝国主義の時代だから、今僕のエコノミストの感覚では全然通用しないと思います。
松本:台湾に関してカリキュラムを見たのですが、非常に南洋を勉強しているのですね。向こうの現地の人たちを教師に仕立てるような日本のカリキュラムを持って行って、学校を各地に作っているわけです。先ほど言ったように、最初の目的というのは確かに文化交流みたいなことも含めて歴史的な南洋の勉強ということもありました。端から資源をとか、侵略というのは、一部の人にはもちろんあったと思いますが、これに非常に大きな働きかけをしたのが、新渡戸稲造だと思います。彼を失ったということはやはり西洋から日本が孤立していった大きな動機になると思います。
それから満州のことを言われましたが、これは間違いなく後藤新平だと思います。中村是高がやはり満州の方に目を向けた。後藤新平に可愛がられて40歳なんかで総裁になったし、東京市長も経験していますよね。ですから日本の政府ともつながっていたと思います。
中野:本当にそうそうたるメンバーで構成されていますね。南洋協会のビジョンは間違いなかったけれども、しかし、実際に戦争という方向に向かったのは事実です。限界という観点から何かありますか?
李:ですからこれは南洋協会だけを見ると、歴史の中で人間も団体組織も歴史をチョイスして存在できないですね。今見ると当時こうすればよかったというんだけれども、歴史の流れというのがあって、当時の日本がおし進めた政策はみんな正しいと思ったわけです。ですから南洋協会もそこに協力したというか、その波に乗ってそういうことをやったと思います。
中野:外交政策決定過程論。その当時人物と人物でどういう化学反応を起こしてどうなるのかという分析。しかし世界情勢の波の中で、これほど人物がいたのに戦争の方向に持っていかれてしまった。財団設立時の1915年というこの時点というのは第一次世界大戦の最中で、日本はその後戦勝国になって豊かな大正時代が来るけど、1929年の経済的クラッシュによって大きく変更していくと思うんです。やはりその辺の経済的なファクターを分析することが大事だと思いますが、どうですか、竹中先生。
竹中:戦前の日本の失敗ということに関して言うと、やはり満州国を作ってしまってそこで止まらなくて、そのまま中国との全面的な戦争に突入していってしまった。その過程で東京が関東軍をコントロールすることができず暴走してしまうわけです。それが結局、戦争の拡大を招いてしまった。よく言われることですが、やはりその辺に決定的な問題があって、中国大陸全般に日本が権益を拡大していく過程で、結局、米英の利益とも決定的に対立しました。第一次世界大戦は米英について戦勝国になったにもかかわらず、結局中国との関係に失敗して、米英と対決するという構図で第二世界大戦、太平洋戦争でボロボロに負けるという、そのへんが失敗の分岐点になったと思います。
中野:当時の日英同盟を中心に考えたらいいと思いますが、やはりアングロサクソン中心のロンドン軍縮会議、ワシントンの軍縮会議で日本国内の不満が高まったと思います。そのへんはやはり問題があると思います。エコノミストの大西先生。
大西:ちょっと違う観点ですが、先ほど李さんの話を引き継ぎまして、大事だと思うのは、実はこういう流れの中で人は動いていたということです。私は新渡戸と後藤は良いとかいうふうには思わないのです。
私は中国少数民族問題に興味がありますので、マイノリティの目から見たらどうなるかいう視点でものを考えるのですが、例えば北海道開拓も新渡戸ですよね。そこでいくとアイヌ人からはめちゃくちゃ悪いやつとなります。やはりそういうことがあるんで、彼は良い奴、彼は悪い奴と区切られないと、まさに先生がおっしゃったような趣旨で思うのです。世の中全体が変っていったところの内部での話に過ぎながったというのが一点です。
それから、新渡戸が戦争を主張したかどうかは知らないし、言わなかったかも知らないですが、もし抑圧的な戦争は主張しなかったとしても、少数民族を抑圧したとか、台湾住民を差別したとか、そのレベルの話が戦争と独立にあると思うのです。やはり原住民の反発があったとか、そういう話がやはり一杯出てきますね。それが一つの論点だと思います。
李:もう一点すごく大事なのは、僕がこのヘネシーの存在を知ったのは10数年前なんですが、おそらく中国人はそうだと思う。しかし、日本人は100年前にヘネシーを知って(人によりますが)、新渡戸稲造や福沢諭吉が外国に行ったり、それらのことをどう評価するかはまた長い時間が必要ですが、日本はやはりアジアの先駆者なんですね。悪いこともあったかもしれませんが、そこには試行錯誤があって、満州を占領して南もやってみようという、その時代の英雄たちのなんというか、日本人は当時良い意味での夢があったんですよ。
中野:明治維新から3〜40年の時点でしょう。
李:いろいろ本を読むと、その時代の日本人はものすごい躍動的というか、今とちょっと違う、元気があるというか……。
中野:みなさん今日ヘネシーで酔っぱらいながら思いっきり先人が行ったように国際情勢の変化の中でどの方向に進むべきかを考え語ることが大事ですね。日本は敗戦国になったんですが、当時の状況をもう一度ゆっくり具体的に分析する必要が絶対あると思います。
あっという間に第2回目が終ってしまいましたが、もう一度南洋協会100周年祝って、乾杯!!
中野:みなさんこんばんは。火曜日夕方6時はラジオカフェーシンクタンクジャーナルの時間です。世界の中の日本・京都を語る番組です。
パーソナルティの大阪学院大学経営学部教授、並びに一般財団法人アジア南洋協会の理事長の中野有です。本日は、スペシャル番組ということでこれから15分間番組を8回連続で収録していきたく考えています。ちょうど100年前1915年第一次世界大戦の最中に南洋協会が日本の半官半民という国策に近いような形態で設立されました。100年記念番組として、南洋協会の理事並びに評議員のみなさんに集まっていただきまして、ヘネシーというブランデーを飲みながら思う存分語っていただきたく思っています。なぜヘネシーというブランデーかと申しますと、僕は坂本竜馬を尊敬しておりまして、坂本竜馬の弟子の中江兆民が岩倉具視一行の船に乗ってアメリカ、ヨーロッパへ1年8か月旅に出ました。その中江兆民が、3年くらいパリで生活し、東洋のルソーとして自由民権運動等の研究をして、日本に戻って来ました。当時、日清戦争が始まろうとする時勢でした。
弱肉強食の帝国主義がアジアに蔓延する国際情勢の変化の中で、三人の酔っ払いがヘネシーというブランデーを飲みながら夜を徹して日本の進むべき道について熱く語りました。それは哲学者ヘーゲルの弁証法である正・反・合のアウフヘーベンの考察でもあります。
3人は中江兆民の分身でありまして、一人は「豪傑君」で今日の日本の進むべき道は、日本が植民地化されることを回避するために大陸に進出すべきであると主張しました。そして酔いに任せて、これも中江兆民なんですが、パリから帰国した「洋行帰りの紳士」が日本の喫緊の仕事は、経済協力と文化交流を推進することで、西欧の列強や周辺諸国からの尊敬や信頼醸成が生まれ日本は決して侵略されないとの持論を述べました。今でいうソフトパワーを強調しているのですね。それを聞いていた3人目の中江兆民の分身、「南海先生」は豪傑君の主張は正しい、日本が大陸に進出しなければ日本というそのものが消滅してしまう可能性がある。しかし、大陸に出ることによって必ず戦争に負けて大変な状況になることは確かである。洋行帰りの紳士が言っていることは単なる理想にすぎない。しかし100年の時を経て、洋行帰りの紳士が語る理想は実現される可能性があるということを示唆しました。
まさにこの南洋協会というのは南海先生のような南の海の深く広い思想を目指し、未来に向けてのビジョンを構築しようと考えた財団であります。そういう意味で今から、思う存分100年前に設立されました南洋協会についての歴史を振り返りながら考察すると同時に、財団のレガシーを活かしながら21世紀の今日のビジョンを探求したく思います。まずは今回のトークのメンバーを紹介させていただきます。年功序列で行きます。
松本浩二先生です。
松本:はい、こんばんは。
中野:松本先生は40年近く京都ノートルダム学院小学校の教員として教育に携わり、そして今は南洋協会の評議員の筆頭としてアドバイスをいただいております。次は大西広先生。
大西:はい、ご無沙汰です。
中野:大西先生は京都大学、若くして京都大学の教授になられて、世界マルクス学会の副会長をされました。
大西:だいぶ前ですけどね。
中野:現在慶應義塾大学の経済学部の教授です。
大西:はい、そうです。
中野:そして竹中正治先生です。竹中先生は僕がワシントンでお会いしたのは三菱東京UFJ銀行のワシントンの事務所に勤務されていた時ですね。
竹中:こんばんは、よろしく。
中野:はい、現在、龍谷大学経済学部教授です。
そして僕の大の親友の李相哲先生です。財団の会長です。
李:はい、こんばんは。よろしくお願いします。
中野:先生は現在、龍谷大学社会学部教授でテレビでもお馴染みの東アジアの外交・安全保障等の専門家であります。
ここからスタートですが、我々はヘネシーというブランデーを飲んで酔いが回ってきたところです。そこでまず李先生からいいですか。
李:はい、いいですよ。
中野:会長ですので。
李:100年前にヘネシーを飲みながら世界を語ったというのは今日初めて聞きました。その位歴史のあるお酒なんですね。このアジア南洋協会の前身の南洋協会についていろいろ調べていたんですが、創立メンバーがそうそうたるメンバーだとわかるんだけれども、一番初めの総会が築地の精養軒で開催されました。当時は東京にフランス料理が全然なかったんですよね。だからそこで、やはりワインとかを飲みながらやったんじゃないかと想像します。
当時創立メンバーの中で一番有名というかみんなが知っている人を一人あげるとすれば、新渡戸稲造です。当時、彼はちょうど今の我々の世代なんですよ。57歳なんですね、ですから僕より少し上です。
中野:新渡戸稲造は財団法人南洋協会設立の数年後、第一次世界大戦の終了後に、国際連盟の事務局長ナンバー2としてジュネーブを本拠地に世界平和のために尽力しました。
李:そうですね。彼が武士道という本を書いたのが1900年ですね。ですから1900年は彼がちょうど38歳ですかね。それから15年後にこの創立メンバーになったというのは当時既にすごく有名だったんですね。
中野:そうですね。大西先生、南洋協会の発起人の一人が慶應義塾大学塾長ですね。
大西:そうですね。創立総会の座長は近藤廉平、それから発起人の筆頭には犬養毅が入っています。一応福沢の弟子です。
中野:犬飼も慶應ですね。
大西:100年くらい前に活躍した人物となると百何十年前に大学を卒業していないといけないですね。そうなるとどうしてもそういう古い大学から出た人間が多くなるのです。また、慶應義塾はあまり官界に行くな、政治家にあまりなるなと教えられましたが、その結果、財界系の人物の多い南洋協会とやはり関係が深くなったのだとこの創立メンバーを見て思いましたね。
中野:さて、竹中先生。経済学者としてこのそうそうたる創立メンバーをどのように思われますか。
竹中:昔のことは詳しくないのですけどね、みなさん昔の話をするので、私も昔の話をさせていただくと。私は大学の教員になる前に先ほどご紹介いただいた通り、30年間、三菱東京UFJ銀行で働いました。もともと入ったのは東京銀行という国際金融専門の銀行です。東京銀行というのは前身が戦前の横浜商金銀行です。いわゆる国策国有銀行です。当時日本の外国為替取引と国際貿易などに関する金融をほぼ独占していました。
その頭取に高橋是清がなっております。高橋是清はみなさんご存知の通り、30年代前半の日本の大不況の時にケインズがまだ一般理論の本を出版する以前に財政と金融を総動員した一種のリフレ政策を実施しました。混迷する日本経済を救済する役割を果たしました。今日本はデフレという状況に90年代後半以降入っているわけですけれども、いろいろな形でリフレ政策が投入されて、どうなるかという状況にあります。まわりまわっての歴史、大きな循環のようなものを感じます。
中野:外交安全保障の限界の延長線上に戦争というものが勃発しているんですが、その背景には経済的ファクターが大きいですね。松本先生、先生にお願いしたいのは乾杯です。
松本:乾杯? 言いたいことあったんですが、乾杯になりましたので、「アジア南洋協会」創立100周年おめでとうございます。乾杯!! 乾杯!! ありがとうございます。飲めない私が飲むとちょっと興奮してきますが。
ちょっとみなさんの発言にバイアスをかけるようなこと言いますが、日本は、戦争に対する反省をするとき、必ず出てくるのが国策という言葉なんです。「国策」でとか「帝国主義的」にとか「西洋列強に習って」とか、「植民地政策」でとか、「侵略」でとかね。これを僕は、きれいに排除して、戦後の意味がステロタイプになって新鮮に問えないので、日本の将来が見えないないのではないかと思うんですよ。今みなさんが「国策」云々と言っていましたけどね、『南洋協会』は確かに大正4年1915年にできたんですが、今問うべきは国策設立「南洋協会」100周年ではないと思います。
実は、来年の1月30日に100周年を迎えるのですが、国策という言葉が使われるのは政府関係者がリードしたのは事実ですが、例えば座長の近藤廉平、彼は男爵で、つまり、宮中との関係、何らかの形で軍部との関係などであれ、やっぱり、当時すでにアンシャンレジュームになりつつあった帝国憲法によるようなところがあったと思います。それがすぐに「国策」という言葉を思い起させるんですが、この設立時には内田嘉吉が代表して挨拶をしているんです。この挨拶が実は素晴らしいですよね、台湾総督府の民生長官でしたね。
彼がその時に言ったのは、これはあくまでも南洋の調査研究ではあるけれども、実は広く南洋の西洋列強進出を踏まえアジア南洋の理想郷の理念もあったわけです。更に福祉のためにもこの成果は生かすべきであるという話でした。だからそこはちゃんと抑えとかないと。
中野:南洋協会の役割を一言で言いますと、当時第一次世界大戦の最中に設立されたということは不確実性の高い状況における日本の明確な進路を探求する研究機関、今で言うシンクタンクの役割を担っていたように察します。この戦争でドイツは負けるんですが、ドイツが多くの南洋諸島を持っていたので日本が戦勝国として南洋諸島を手に入れました。そこで南洋を制する者は世界を制するということでこの半官半民の南洋協会がかなり力を持って南洋のエネルギー確保のために貢献し、そして教育分野にも力をいれて具体的な政策を実施したのだと思います。日清戦争と日露戦争に勝利した日本が第一次世界大戦でたいした貢献もしてないのに戦勝国になったことで驕りが生まれたという時代背景を想像します。
15分番組を8回連続して行うのですが、何か最初は乾杯だけで終わってしまったようですね。酔いに任せてまた続けていきたいと思います。最初の予定とちょっと違いますが、最初から酔ってるんでこんなもんかと。みなさんエコノミストや社会学者いろんな分野の専門家ですので語ることは非常に多岐に渡っていくと思います。ということで南洋協会の紹介ということで第1回目これで終わりたいと思います。また乾杯!
ユーラシア大陸の東西は、地政学的に大きく変動している。ウクライナの問題で西は揺れ、東も核、ミサイル、領土問題で荒れている。この変動を大局的に展望するために、日本と目と鼻の先にある東アジアの動向を経営学の手法であるSWOT分析を通じ観察してみたく思う。
SWOT分析とは、S(強み)、W(弱み)、O(機会)、T(脅威)の4つの視点で戦略を練る経営手法である。地政学的に沸騰する東アジア情勢を展望すると日本が行動すべき戦略が見えてくる。
まずは東アジアの強み、良い側面を展望すると楽観的になる。経済的に世界第2位の中国と第3位の日本、そして第15位の韓国が経済協力、特に中国の豊富な労働力、日本と韓国の世界のトップクラスの技術力、北朝鮮、モンゴル、極東ロシアの天然資源が相互補完的に最適化されれば、世界最大の経済圏となる。
負の側面である弱みを観ると危険な様相に溢れている。日清戦争から大東亜戦争までの弱肉強食の軍事的な変遷と戦後の米国による共産主義封じ込め政策の恩恵を受け奇跡的な経済成長を成し遂げた日本への批判が東アジアの歴史認識を複雑化させている。
あまりにも急速に経済成長した中国の環境問題は深刻である。数字で表現される環境問題の悪化をはるかに超える都市部の空気汚染や河川の枯渇は、食料や生活空間といった人間が生きる基本的な要因を揺るがすものであり中国の拡張主義と直結する。
東アジアの強みと弱みを把握した上で如何なる機会を戦略的に構築できるのであろうか。PEST(政治・経済・社会・技術)の観点から熟成されつつある好機を創造できる。東アジア諸国に共通するのは長期政権と強いリーダーシップであり政治的に安定していることにある。中国の経済成長が鈍化しているゆえに周辺諸国との経済協力が不可欠であり、東アジア経済圏構築の可能性が高まっている。
政治・経済の面では競合関係にあっても文化やエンターテイメントの分野においては社会を変えるアジアの共通認識の高揚が新しいパワーを生み出している。領土問題や歴史認識の相違から東アジアが分断されているような報道もあるが、現実的には、紛争が発生するには余りにもリスクが大きすぎてむしろ東アジアの社会は協調へと進むと読む。
情報技術の進展は東アジアの国家の垣根をフラットに導いている。情報を共有することにより対立が生み出されるという側面も否定できないが多角的な視点による東アジアの経済圏の構築の必要性が増す。
東アジアの直面している脅威は、北朝鮮の核兵器、ミサイル、拉致、予期せぬリーダーの行動、崩壊である。また、中国の拡張主義に伴う安全保障上の脅威である。
不安定要因が高い状況の中、韓国は朝鮮半島の統一を最重要の国策として戦略思考している。ベルリンの壁も中国の天安門事件がきっかけに予測を超える速度で崩壊し、東西ドイは統一とヨーロッパの経済統合が実現された。
明確なビジョンがあれば東アジアの発展の可能性が広がるし、そうでなければ致命的な紛争の餌食となろう。
日本は積極的な平和主義を東アジアに具現化させる必要がある。そのきっかけを醸成するためにも拉致問題を主眼とする北朝鮮とのトップの直接交渉も必要だろう。朝鮮半島の統一の機運を高め東アジアの経済圏構築を実現させるためにも東アジア諸国は戦略的な互恵を相互補完的に実現させる積極的な行動が期待されている。
「メディアはメッセージである」と語ったマーシャル・マクルーハンを日本に最初に紹介されたのが評論家の竹村健一先生である。メディアの第一線で半世紀以上も活躍された竹村先生は、「日本の新聞を読むのは海外の新聞に載っているけれども日本の新聞に書かれてないことを探すことにある」と述べておられる。
日本で日本の新聞、テレビ、インターネット等のメディアばかりに接しているといつの間にか偏った考え方に陥ってしまうことがある。日本人という単一民族で構成され社会で日本語だけでコミュニケーションしているとまるで世界は日本を中心に動いているとの錯覚をしてしまうのも当然のことかもしれない。
現代のテクノロジーを駆使すれば日本にいても世界の情報に精通することが可能である。でも圧倒的大多数は、日本のメディアの影響下にあり、どうしても日本の常識からの脱却が難しい。
そこで、メディアを3Dのように立体的に考察することにより日本を中心とする座標軸に柔軟性を持たせ世界観や歴史観を加味したメディアのリテラシーを向上させることができるのではないだろうか。
メディアの力は巨大である。政界、官僚、財界さえも動かす力をメディアは備えている。加えてメディアは大衆を動かす力と大衆の代表であるステータスを兼ね備えている。メディアの本質的な目的は何なのであろうか。読売新聞が1000万部、朝日新聞が800万部と発行部数を競っているように利益追求型である。メディアは情報を提供し大衆に影響を与える。即ちメディアとは大衆に影響を与えながら利益を追求している。
NHKの会長が公共放送のトップらしからぬ発言を行い物議を醸し出している。メディアの権力の頂点にある人物が政官財と癒着し、しかも偏った考え方に固執していたら大衆に悪影響を及ぼすのみならず、世界の中の日本のイメージが大きくそこなわれる。
戦争放棄を憲法で唱えている日本にとってメディアというソフトパワーの役割は非常に重要である。メディアこそ公共の外交である。時の権力が右傾化している時こそメディアとりわけNHKのような公共放送こそ権力を監視する機能を発揮すべきである。
民間のメディアが利益追求型である限り顧客は国内にある。従って民間はメディアのメッセージを海外に発する能力と役割に限界がある。昔、アフリカの奥地で国連の仕事に従事している時、日本との唯一の接点はNHKの国際放送であるRadio Japanだけであった。短波放送の雑音の中で日本語のニュースにかじりついていたことを思い出す。
ウクライナを境にヨーロッパとロシアとの軋轢から軍事的緊張が高まっている。朝鮮半島情勢も予断を許さぬ状況である。歴史問題が根底にある日韓、日中関係も改善の兆しが見られない。尖閣諸島、竹島等の領土問題、靖国問題、従軍慰安婦の問題などの解決にとってメディアの役割は不可欠である。
メディアはメッセージである。メディアにはそれぞれの立場により、また発信し受信する立場によりメッセージは異なるのである。僕はメディアを弁証法的に「正・反・合」と矛盾や否定を超越してより優れた発展段階に導くという姿勢が必要であると思う。
この姿勢とは、3Dのように平面的視点に加え立体的に分析、総合するメディアの能力を高めることである。立体的メディアとは日本という座標軸の他にグローバルな座標軸を加え地政学を眺望する水平的な見方と、歴史観や哲学観といった垂直的な視点をミックスさせた3次元を意味するメディアのあり方である。
日本の平和は軍事というハードパワーでなくソフトパワーであるメディアの役割にかかっていると言っても過言でない。紛争を未然に防ぐ予防外交を実践するためにもメディアを立体的に3次元で発信者、受信者のみならずそれぞれが考察することが重要である。
明治維新、それは脱藩した気骨ある志士により達成された無血革命に類似する世界でも稀なる革命である。韓国の朴大統領が朝鮮半島の統一を意識した発言をされるように予測より早い時期に北朝鮮に革命が起こる国際情勢の変化と信頼醸成が構築されているのではないだろうか。
北朝鮮に革命が起こる可能性について歴史のリズムから分析してみたい。
英国の植民地支配に対するインドの民族的反抗運動によるセポイの反乱(1857-59)が19世紀後半の革命の連鎖を生み出したと考えられる。セポイの反乱から2年後に奴隷制に端を発するアメリカの南北戦争(1861-65)が勃発した。この時期、武器商人が蔓延り南北戦争の影響で雄藩の下級武士による幕府倒幕という明治維新(1867-68)が実現されたと考えられる。
坂本龍馬などはグローバルな見識眼を持って南北戦争で余った武器を日本の革命に上手く活用したと考えられる。セポイの反乱、南北戦争、明治維新という一連の革命の源は統治や権力に対する抵抗と反乱にあり、抵抗勢力への武器の供給が可能であったから革命が実現されたのである。
これらの革命の源となる歴史のリズムを現在の北朝鮮に当てはめてみると極めて高い確率で北朝鮮に革命が起こる要因が見えてくる。第一、序列ナンバー2で叔父の張氏の処刑により金正恩第一書記への忠誠が低下し、次第に抵抗勢力が結束する。第二、リベリアのドゥ大統領、ルーマニアのチャウシェスク大統領、イラクのフセイン大統領、リビアのカタフィ大佐しかりいくら恐怖政治を行い国民を処刑しても庶民の抵抗勢力を抑制することは不可能であることを証明している。第三、北朝鮮の生命線である中国とのパイプ役を担ってきた張氏の処刑により金第一書記は中国の後ろ盾を失った。第四、革命は内部で勃発する。市場に食料が不足し、庶民のちょっとした暴動が革命因子を引き出す。不安定要因や革命の兆候が現れた時点で金第一書記に不満を持つ勢力が革命を決行する。
北朝鮮の革命を喚起する勢力は外部にある。第一、明治維新は脱藩した志士が重要な役割を果たしたように、北朝鮮の革命は脱北者が主要な役割を演じる可能性が高い。何故なら北朝鮮内部で革命が勃発した時に海外との交渉を円滑に進めるために脱北者に勝る勢力はない。第二、北朝鮮の革命は朝鮮半島の統一において韓国にとって最大の好機でありまた紛争という危険因子をはらんだ最大の危機でもある。第三、革命には武器が不可欠である。米国、ロシア、中国あるいは軍産複合体、武器商人は北朝鮮の革命を喚起する武器を提供する。
北朝鮮内部においても北朝鮮を取り巻く国際情勢の変化においても北朝鮮の革命を醸成する要因が極めて高い。革命により庶民を含む多くの犠牲が生みだされるのが常である。しかし、明治維新においては無血革命が成し遂げられた。その主役となったのが脱藩した志士達であった。その意味においても脱北者から本当に優秀な革命家が活躍できる環境を整えることが重要だと考えられる。
韓国で朝鮮半島統一の機運が生まれつつある。その機運はオリンピック開催という機運を遥かに超えた国家の命運に値する。日本は韓国を通じた朝鮮半島の統一、しかも無血革命に類似した統一をバックアップすることで歴史問題や領土問題といった朝鮮半島統一と比較し生産的でない動きを相殺することができるのでないだろうか。何よりも紛争を未然にくいとめながらも北朝鮮の革命と朝鮮半島の統一、そして拉致問題解決といったことを考察することが重要である。
北朝鮮という世界で最も不確実性の高い国が急変している。そして日本の目と鼻の先の韓国や中国との関係が尋常でない。日本国内でもハードボイルド的な強い国家像が描かれその方向に向かいつつある。100年前に第一次世界大戦が勃発した。当時のドイツやフランスとの不安定な関係以上に核やミサイルを持つ北朝鮮の危険因子を冷静に分析すると北東アジアの動向は極めて深刻である。
地政学的変化が顕著であるからこそ変化に対応する柔軟な発想が求められる。北朝鮮の軍事国家や最近の中国のハードボイルドに対して勢力を均衡させる意味で、日本もハードボイルドな姿勢を示すことも大切かもしれない。
しかし、北東アジアの地政学的変化に乗じて安全保障の軍事力を強化するだけでは歴史は繰り返す。そこで覇権安定型、勢力均衡型、集団的安全保障の他に経済協力や文化交流を主眼とする協調的安全保障の充実が不可欠である。
相手を挑発する安全保障の他に、尊敬されることにより国家の安全を保障するという新たなる発想を考察する必要がある。
永世中立国であるスイスやオーストリアは、国連機関を誘致している。国連の第三都市であるウィーンの国連機関に勤務した時、ウィーン市は近代的な国連ビルを年間1シリング(10円)で提供していると聞いた。国連ビルを提供し国連職員を優遇することにより、大規模な軍隊を編成するより他国の侵略や核攻撃から守ることが可能だというのが冷戦中の永世中立国の考え方であった。優秀な外国人が多くいるほどそれらの人々が捕虜と同じ役割を果たし敵国からの核攻撃を軽減させることができる。この発想こそ新たなる安全保障となるのではないだろうか。パリのルーブル美術館やロンドンの大英博物館も人類にとってユニーバーサルな世界遺産と考えられ核攻撃の可能性を軽減することにつながる。
同じ発想で東京オリンピックの効用を考えてみれば面白い。オリンピックという一過性のイベントとして終わらせるのでなく、世界の叡智を結集して現代建築のフロントランナーとなるスタジアムや都市設計を創造する。人間に最も適した建物と環境が「国際公共財」として機能することによりオリンピックレコードが更新され「スポーツの都・東京」としてのブランドが生まれる。
東京オリンピックが終わった後も、世界中のアスレートが東京に住みスポーツ関連のビジネスが創造され健康のためのイノベーションが生まれる。魅力的な建築や都市設計だけでなく世界トップクラスのオリンピック選手が居住しビジネスが生み出されることにより世界から尊敬され核攻撃の脅威を軽減させることになるのでないだろうか。
中国の軍事費上昇は勢力均衡型の考えから脅威であり、集団的安全保障という日米同盟の強化につながる。日本が米国に頼らず独自の安全保障を構築することも北東アジアの地政学的変化を鑑みると重要である。
百年前の第一次世界大戦勃発から日本は国際協調主義も軍国主義も経験し、世界で唯一核戦争の犠牲となった。日本しかできない世界から尊敬される安全保障がきっとあるはずである。
積極的平和主義や軍事力の強化が叫ばれる今こそ、オリンピック開催にあわせ日本から世界へ発信し、世界から尊敬される安全保障について真摯に考えることが大切である。それは一過性のオリンピック開催というミッションでなく、人類の叡智を結集した国際公共財が平和を構築するという積極的平和主義である。軍事費に莫大な資金が使われるより世界を圧倒する建築と都市設計に資金が有効活用されることを期待する。
生活の実感は途上であるが客観的に日本経済の現状を観察すると楽観的な要素のオンパレードである。
企業の内部留保金が過去最大レベルに達している。しかも世界の株式の時価総額が過去最高であり、新卒の就職状況が改善されており、新卒者に関しては日本は世界で最も就職しやすい国である。加えて、OECDの国際成人力調査によると、読解力、数的思考能力が世界一である。
約1年前に「アベノミクス」がスタートしたのであるが、順風満帆の環境はまだまだ続いている。想定以上の成功要因は、政府や企業の内部要因と外部要因による。内部要因は、明確なビジョンや戦略を示すことにより作用する。大胆な金融政策、機動的な財政政策、民間投資を喚起する経済成長戦略は、政府、企業、国民の努力により達成されるものである。アベノミクスにつきがあるのは、世界の株価が上昇しているように外部環境の影響でもある。
内外の環境が良好なタイミングに日本のモチベーションを高揚させる戦略を考察することが重要である。そこで極めて重要なことは、日本の社会的構造を鑑みて未来を担う若者の野心を高めるための具体的なビジョンを示すことである。
アベノミクスは、企業の業績が伸びれば賃金や雇用が上昇し、所得が上昇し家計が豊かになり消費が増え、税収も増え、政府はより経済成長の伴う財政政策を推進し公共財に磨きがかかり日本が魅力的になり世界から観光客が増え、海外からの直接投資も進展すると楽観的なシナリオを提示している。
国民の関心のプライオリティは賃金の上昇である。企業の内部留保金は約280兆円。一人当たりに換算すると約250万円。企業の内部留保金を賃金の上昇に反映させることは大切である。しかし、メリハリの効いた先行投資に直結しなければいずれは現在の好景気にも反作用が起こる。
そこで、日本の弱点を克服することにより日本経済を上昇させる戦略を考えたい。先に述べたように日本の読解力と数的思考能力は世界一である。しかし、IT等の最先端のイノベーションの創造性はトップクラスに入ってない。世界の中の日本人は、「ピーターの法則」で説明できるように、大企業に勤務する日本人の多くは、ある仕事をそつなくこなす人間は他のどんなことをやらせてもうまくこなせる確率が高い。多くは能力の限界まで出世する。
優秀な日本人に必要なことは、技術革新の時代における創造性の機会提供である。企業の内部留保金を最新のイノベーションにつながるプロジェクトを創造する若手に重点的に配分することにより組織の変革に新風を引き起こすのではないだろうか。
僕は企業、国際公務員、シンクタンク、大学の経験を経て、企業や組織にとって必要なことは、バーナードの組織論が示すように協働意志、共通目的、コミュニケーションであり、これらは単に経済的誘引で動機つけられるものでなく非経済的誘引であるモチベーションであると考える。
企業の内部留保金を若者のモチベーションを高揚させるために有効に活用することこそ最重要課題である。理科系と文科系のミックスによる小さなチームを編成して、イノベーション、技術革新、世界に通用するコミュニケーションを包括したプロジェクトに挑戦する機会を提供する。短期の利益追求でなく中長期的な目標を定め非営利的であってもモチベーションが高揚し、日本人の短所である革新技術の創造性とグローバルなコミュニケーション(グローバル・イングリッシュ)が克服されることにより次なるステージに向かうことができると考える。
7年後の東京オリンピックに向け、世界一である日本人の読解力、数的思考能力に加えて、創造力と世界と自由にコミュニケーションできると能力を世界のトップレベルに上昇させる。少子高齢化の世の中、希少価値のある若者のモチベーションが日本の未来を変えると思う。とにかく元気の出るビジョンが希求されている。
シリア問題は複雑である。「アラブの春」から3年、チュニジア、エジプト、リビアの独裁政権は崩壊した。しかし、シリアでは化学兵器が使用され、内戦が絶えない混沌とした「アラブの冬」に陥っている。
シリアのムアレム外相は、「内戦でなくシリアを攻めるテロと戦っている」と国連総会で演説をした。911の報復としてイラクのフセイン政権やアルカイダを攻撃した米国と同じ考えである。シリアの反政府側の背後にアルカイダ等のテロ組織が絡んでいる。米国の敵はアルカイダ等の国際テロ組織であるのにこともあろうに米国はシリアの複雑な問題に踊らされ敵を味方としているのである。
シリアで内戦が激化する情勢の中、オバマ大統領は軍事介入のタイミングをシリアで化学兵器が使用された時と訴えてきた。レッドラインで牽制してきたが世界の警察官である米国は一線を越えたシリアへの軍事攻撃のタイミングを逸した。理由は米国の同盟国である英国がシリアへの軍事介入を見送ったことなどから米国内も一国による軍事介入の無謀さへの批判が高まったからである。
今のシリアの状況を学校のいじめと考えてみると、弱者がいじめに遭遇しているのに誰も助けようとしない状況が続き、最後に凶器を持って止めを刺されたのに周りが無関心を装っているに等しいように映る。
オバマ大統領は化学兵器の犠牲になった子供たちの立場や人道問題、そして化学兵器の禁止を明確に訴えるために軍事制裁が不可欠であると、まるで「やられたらやり返す、倍返しだ」と米国民に問いかけてみたが変化は起こらなかった。
大統領の権限で武力行使が可能であるがオバマ大統領が議会の承認で躊躇しているときにロシアのプーチン大統領は、シリア問題を外交的に解決する戦略を打ち出した。プーチン大統領はニューヨークタイムズに寄稿し、米国の民主性に疑問を提示し、国際連盟に米国が入らなかったから第二次世界大戦を引き起こし、戦争の代償でできた国際連合においても米国は国連決議なしでの軍事行動を起こすという国連軽視が世界に悪影響を与えると主張した。
プーチン大統領はシリア外交戦略に関するコラムにより外交が軍事を凌駕する思考で世界の外交の主導権を握ると同時に、上海協力機構を通じ、中国、中央アジア、イラン等との協力体制を固めた。そしてプーチン大統領の主導により国連安保理のシリアの化学兵器廃棄に関する決議が満場一致でなされた。この法案にアサド政権が遵守を怠った場合、軍事制裁も含むとの米国の意思も含まれた。
今回の決議案が議決されるまでにシリア内戦を巡り国連安保理の常任理事国である米・英・仏がアサド政権批判の決議案を提出したがアサド政権を支持するロシアと中国の拒否権により国連の無力化が表面化した。
大多数のメディアは、プーチン大統領が世界の外交の主導権を握りオバマ大統領の存在感が薄くなったと論じている。ニューヨークタイムズの外交コラムニストのトーマス・フリードマンは「オバマ大統領の頭に白髪が増えたのはシリア問題のせいであり、もしプーチン大統領がシリア問題で外交戦略を示さなかったらオバマ大統領の頭ははげたかもしれない、いやオバマ大統領の頭がピンクに染まらない方が良い」とのオバマ大統領の変化を示している。
しかし、シリア情勢を分析してみると、実はオバマ政権のしたたかな外交戦略が結実したと次の5つの視点から観察できないだろうか。第一、オバマ大統領はアフガン、イラク撤退に見られるように世界の警察官の役割より米国の雇用問題に重点をおく国内問題を考えている、第二、軍事介入を見せかけながら戦争で利益を得る軍産複合体の圧力を如何に回避するか、第三、シリアやロシアを動かすためにはレッドライン設定による本格的な軍事の圧力が必要であった、第四、国連安保理の中露の拒否権を拒むためにはプーチン大統領のイニシアティブが必要であった、第五、米露の共通の利益の合致点は国際テロ(反政府側)であるとの認識。
シリア問題が国連を通じて解決に向かうことにより北朝鮮問題も新たな展開が期待できる。昨今の中東情勢の変化において米国務省やシンクタンクは綿密な戦略を練っていると思われる。何故ならアウフヘーベン(止揚)がオバマ外交から読み取れるからである。
本日の世界のトップニュースは、シリアの化学兵器使用への軍事制裁と福島第一原発の放射能汚染問題である。両者とも何らかの行動を起こさなければ問題は深刻化する。しかし、解決に向けた明確な戦略がない。何故、化学兵器や原発問題といった一国では到底解決不可能な問題に対して以前と比べ国際協調路線が生まれにくいのであろうか。
シリア問題に対し、オバマ政権は化学兵器でシリア国民を殺戮したアサド政権への軍事介入は道義的に正当だと考えている。しかし、オバマ政権はイギリスが軍事介入を回避したことから、大統領の権限でシリアへの軍事介入が可能にもかかわらず、議会の承認を経るという静観姿勢を今のところ取っている。
現実的に考察すると圧倒的な軍事力を保有するアメリカは、イラク戦争の反面教師として海上からの巡行ミサイルによる攻撃に留め地上軍を投入しなければ軍事介入によるイラクのような泥沼に陥ることは避けられる。軍事力を誇示したいアメリカにとってシリアが超えてはいけない化学兵器使用という一線を超えたことに対する世界の警察官の役割を正当化することが可能だろう。恐らく、アメリカにとってシリア政府か反政府側のどちらかが化学兵器を使用したという証拠よりも本質的理由としてシリアを攻撃するメリットして中東全体の戦略的思考が存在していると読む。
10年前にブッシュ政権がバクダッドに先制攻撃した時、ワシントンのシンクタンクにて、大量破壊兵器を保有しているかどうか曖昧なフセイン政権に対し9・11の報復を実行したアメリカの野蛮性のインパクトを体感した。
当時のイラク戦争の情勢と今回のシリア情勢は異なるが、現状では一般的にアメリカや国際社会の空気が紛争に干渉しない方向に向かっている。また、福島の放射能汚染の問題も日本一国では解決できないのに日本政府も国際社会も抜本的なアクションを起こしているとは考えられない。では、何故、世界は軍事的にも技術的にも危機的な事態に対処する術を示さないのであろうか。
その問題の本質には、インターネットやSNS等の情報技術の革新や多国籍企業が起因していると考えられる。外交・安全保障は国家の意思で行われるものである。しかし、インターネットを通じ国境を超えて情報が交錯する現実においては国家で行動する意味が希薄になってきていると考えられる。
18世紀終わりの蒸気機関や鉄道の産業革命を経て、19世紀後半から昨今までの自動車、飛行機、電化製品等の大量生産による産業革命が進展した。国家が経済成長を維持するために国民国家の結束を固め民主主義を推進し海外に干渉しながら輸出主導型の政策が必要であった。
輸出に限界があり次第に国際水平分業が進展することにより国内の空洞化や雇用創出の問題が顕著になった。国家が多国籍企業から税金を取ろうと考えても多国籍企業は法人税率の低いアイルランド、ルクセンブルク、ケイマン諸島等の「税金の避難所」へ逃避することが可能である。
多国籍企業は一国のスケールで行動する必要性がなく、国民はインターネットを通じて世界のあらゆるネットワークや階層とつながっている。明らかに情報技術のイノベーションは国家のフレームワークの概念を根底から揺さぶっている。
そもそもシリア問題も「アラブの春」の延長でありソーシャルメディアが起因している。イノベーションがボーダレスを創造し国家の枠で行動する意義を減少させているのである。
要するに化学兵器と放射能汚染の問題は、アメリカの単独軍事介入や日本独自による放射能汚染の解決という国家の単独主義では情勢は悪化するのみである。国家という枠を超越した「地球益」のための行動が情報技術のイノベーションと化学変化した時に国際協調主義が機能するのではないだろうか。換言すると、個人が国籍や国益を超越してイノベーションを縦横無尽に活用し、世界にネットワークを構築し、双方向に発信し「協調の理想」を構築する行為が時間が必要であっても結局は直面する困難な問題を解く新たな道を創造すると確信している。
ワシントンやホノルル等のシンクタンクで北東アジアの平和構築の戦略研究を行ってきた。安全保障を軍事の視点のみならず社会的・経済的・歴史的要因も包括して総合的に考察し結果として理想論ではあるが平和構築に向けたビジョンを描くことができたと自負している。
日本を離れ北東アジアの地政学的変化を多角的・重層的に探求してきた過程に於いて習得したことは事実(Fact)と真実(Truth)は展望する立ち位置や歴史的背景によって異なった見方も成立するという見解である。すなわち、異なった文化等に寛容であることが健全なナショナリズムを育む上で重要であるというシンプルな洞察であった。
結論からいうと20年かけて習得したことを一つに集約すると「寛容な哲学」こそ平和構築の推進力となるということである。しかし、この見解の遥か先を照らすユニーバーサルな世の中のパラダイムをシフトさせるだけの説得力のあるスピーチに触れることができた。
それは、通学のスクールバスにてタリバンによって銃で頭を撃たれたマララさん(16才のパキスタンの少女)が国連本部で行った素晴らしいスピーチである。国連事務総長をはじめ外交・安全保障の第一線で活躍する各国の代表や外交・安全保障の分野の戦略を練るシンカーを感服させた教育の本質に関するスピーチであった。
国連の安全保障理事会や世界のブレーンがいくら会議を重ね戦略的に考察しても恒久的で明確な平和構築のビジョンが生み出されることがなかったのにタリバンに教育の機会を奪われたパキスタンの少女の堂々とした一度のスピーチが平和構築に関する潮流に変化を与えたように感ぜられる。
世界は広くて多様である。まだまだ教育の機会に恵まれない人々がたくさんいる。経済的、宗教的、社会的要因によって教育から隔離されたすべての人々が教育の恩恵を受けることによって世界平和への礎が構築されると思う。
アフリカで4年生活して教育に飢えている子供達の目線で教育とは何かを考え現地で悟ったのが「教育とは与えられるものでなく好奇心を持って自らの意思で取るべきものである」という見解であった。パキスタンの少女のスピーチが世界を踊らせたのは人類の目的にかなった理性を探求するという行為が抑圧の中から湧き出たからであろう。
アフリカの奥地で生活する子供達が教科書も鉛筆もないのに現地語の他に英語を話している。一方、何年も英語を勉強しているのに一向に英語でコミュニケーションができない一般的な日本人がいる。この違いは明らかに勉強に対する意思や必要性にあるように思う。豊かな日本にとってアフリカの子供達のように教育に飢えることは無理であろうが、少なくとも教育に対する好奇心をたくましくすることが大切である。
人間が先天的に備えている能力を引き出すことが教育の本質であると思う。そして何千年もかけて築き上げてきた人類の叡智を自らの意思によって学び取る。何のために勉強するのかを自ら問いかけることが重要であるのではないだろうか。
教育というソフトパワーは軍事というハードパワーを凌駕する。世界中のすべての人々が教育の機会に恵まれたなら「協調の理想」が形成され平和構築に向けた大いなる勢力が生み出されると考えられる。人類の歴史、とりわけ近代史を紐解いてみても日本のみならず世界は軍事力で勢力を均衡するという考えから脱却し、「教育は近代兵器より強し」という哲学を実践する時が到来しているのではないだろうか。パキスタンの少女の教育こそ全てであるという訴えは事実と真実の本質を貫いていると感服させられる。