7月 05
世界と比較して日本の消費税は低い。少子高齢化社会に対応した「大きな政府」に伴う消費税増税は否定すべきでない。しかし、民主党の公約違反も然りであるが、増税前にいくつかの税収を増やす戦略を語らずして何が民主国家であろうか。
三人の経済学者の視点で問答してみたい。
まずは、自由貿易と比較優位を唱えた古典経済学派のデビット・リカード。「リカード中立命題」で示されているように福祉政策などを含む財政政策は将来の更なる増税を引き起こすことが予測されるので国民は消費を控えるので経済成長が妨げられる。不景気や将来への不安が蔓延する状況の中で、一般市民の生活に直結する消費税を上げることは何のメリットもないと考えられる。
第二は、レーガン政権の双子の赤字の解消に貢献したマネタリストでノーベル経済学賞を受賞したミルトン・フリードマン。増税や財政主導で経済に渇を入れるのでなく、貨幣の供給量を一定のルールに則って増加させることで経済成長が達成されるという視点。
円が実力以上に評価されているのは、単純に円のマネーサプライと比較してドルとユーロの市場への供給量が2倍ほど多いことに起因している。とすると、円のマネーサプライをドルとユーロの供給量に一致させ一定のルールに従って増加させることにより極端な円高の是正が可能となる。マネーサプライを増加させることで相対的に円の価値が落ちる。このような政策を実施できるのも円高という状況にあるからであり、そのメリットを活用できる絶好のタイミングである。
マネーサプライを増加させてもそれが消費や投資に回らなければGDPは増えない。GDPは、消費、投資、政府支出、輸出と輸入の差である。従って、経済を活性化させるためには、マネーサプライの増加分が貯蓄に吸収されるのでなく市場に出回らなければならない。
マネーサプライの増加分を市場に供給する方法はあるのか。3・11により人命やインフラの被害のみならず、たんす預金として貯蓄されていた莫大な円が海に消えた。仮にその額が数兆円と仮定すれば、その同額を印刷し、復興支援として各家庭に提供すれば良いのではないだろうか。そして、そのために増刷されたお金は、必然的に消費に回すように規制を加える。3・11で消滅した現金は、本来市場に出回るお金であるので、それを補充するために増刷されたお金は復興支援のための正義であると考える。
第三は、トービン税の実現にある。 1981年にノーベル経済学賞を受賞したジェームス・トービンは、為替投機の抑制のために外国為替取引に対して定率の税を課すトービン税を提案している。毎日36兆円売買される日本円の外国為替に1%の税金をかけるだけで、日本政府は年間132兆円の税収を得ることができるのである。
現在の国税と地方税を足しても100兆円である。消費税を1%上げても2兆円である。経済の不安定要因の本質は、金融のギャンブルにある。投機を抑制することにより、世界経済は実体経済で動く。市場経済には限界がある。故に、余りにも無謀な投機による市場経済を抑制するトービン税の導入により、日本経済の復興と世界経済の秩序が構築されるのである。日本は余りにも急速に資金を蒸発させたが、トービン税の導入により、それを取り戻すことができるのである。
少子高齢化の問題を解決するためには消費税は必要であろう。しかし、リカード、フリードマン、トービンが提唱している政策の一部をタイミング良く戦略的に実施することが現在の日本の閉塞感を打ち破り楽観的な市場を形成する意味でも期待されているのではないだろうか。これらを試行錯誤してから消費税増税を実施したほうが福祉に必要な財源が確保されると考えられる。
6月 08
かれこれ20年ほど、一貫して北東アジア経済圏の重要性を唱えてきた。理由は北朝鮮問題を解決するベストのシナリオは、日本と韓国の技術力と資金、中国の労働力、極東ロシアの天然資源、北朝鮮の労働力が相互補完的にシンクロナイズされることにある。北米とEUに並ぶ自然発生的経済圏が構築されることにより対立から平和にベクトルが変化し、アジア太平洋時代の繁栄の主軸となるからである。
仮にこの地域の対立が先鋭化し紛争が勃発した場合、天文学的数字の損失が発生するのは自明の理である。また、予防外交の視点で北東アジア経済圏の重要性が利害関係国の同意のもとに推進された場合のシナジー効果は政治、経済、社会、安全保障と全ての分野に浸透する。
特に、勢力均衡型や集団的安全保障を超越した経済協力や共生を主眼とした協調的安全保障が成立する。この安全保障のパラダイムは21世紀型安全保障として歴史に刻まれる可能性もある。
20年前にこのような理想を抱き実現のための活動に関与してきたが、今、新たな視点でこの構想の必要性を感じている。その発想の源泉はギリシャに端を発するヨーロッパの経済危機を尻目にドイツが一人勝ちしていることにある。
東西ドイツの統一にあたり西ドイツの負担を軽減することや統一ドイツのパワーを削ぐなど経済や安全保障等の様々な角度から協議が重ねられEUの構築が実現した。恐らくドイツの戦略家は、マルクからユーロにシフトされるメリットとして高付加価値製品を基軸とするドイツ産業が一人勝ちすることを戦略思考していたのではないだろうか。と考えられる。ユーロが弱くなることでドイツの輸出産業が活性化される。という単純なことを。
日本とドイツの産業構造は似ている。両国ともに天然資源に恵まれず先の戦争の敗戦国であり自動車など付加価値の高い輸出産業で国が栄えてきた。似た国であるがユーロ安と円高という対極的な外国為替の動向が経済成長の命運を分けている。ドイツが賢いのは、EUの中心的存在となりその経済圏内で不協和音が生まれユーロ安になったケースにおいてもなおドイツ経済が活性化されるというシナリオを創造したことにある。
一方、日本は中途半端な規制緩和やグローバリゼーションの推進によりリカードの唱えた比較優位理論による貿易や国際水平分業が効率的に行われていない。財政赤字が膨らみ貿易赤字も発生し、株価が低迷しているのに異常なレベルの円高水準が継続している。従って、産業の空洞化が継続して発生する状況にある。
これを打開する方法として冒頭に述べた北東アジア経済圏構築が考えられ、加えて円、人民元、ウオンが北東アジアの共通通貨に成長することにより異常な円高を修正することを可能にする。つまり、ドイツがEUとユーロの メリットを生かし付加価値の高い産業を中心に経済成長を達成しているように、日本も北東アジア経済圏構築による恩恵を得ることができると考察される。
今月から円と人民元の直接取引が始まった。ドルとユーロの価値が落ちる中、アジアの主要通貨が注目されている。今こそ、経済、社会、安全保障そして歴史の潮流を鑑みると北東アジア経済圏構築の絶好のタイミングではないだろうか。
4月 05
ハーバード大学やMITなどのエリート大学の学生が京都の禅寺に勉学の一環として100人規模で押し寄せている。何故、今、禅が米国の学生達に注目されているのであろうか。
半世紀前にも米国で禅のブームが起こった。英語が達者である上に禅をシンプルに捉えた鈴木大拙和尚の功績が大きい。哲学としての禅が多くの若者達の核心を突いたのであろう。
現在の禅ブームは、スティーブ・ジョブズ氏の影響大である。自叙伝の中で禅が呼び起こす直感力に感銘を受けたことなどが記されている。また、インドに旅しヨガやオリエンタルな思想を好み、そして京都の魅力にとりつかれ禅寺や文化を通じインスピレーションに磨きをかけたことなども文脈から伝わってくる。
アップルの製品は実にシンプルである。禅という漢字は、しめすへんに単(シンプル)で構成されている。即ち、禅を通じ複雑なことをシンプルに捉える直感力を探求したところにジョブズ氏の成功の一端があるのではないだろうか。
名門大学のビジネススクールで学ぶエリート学生達が京都の禅寺までわざわざ赴くのは、イノベーションに結びつく直感力の育成だと考えられる。理論はパソコンを通じ習得することが出来る範疇にあるが、座禅や直感には体験が不可欠である。
ジョブズ氏と親交が深かった世界第二のソフトウェアの企業であるオラクルのCEOのラリー・エリソン氏は、京都の豪邸を購入し、禅寺に赴かれるという。アップルとオラクル、世界の最先端を行く大企業が禅の影響を受けているのである。60年代70年代に東洋の文化や禅を体験した当時の若者達が今の最もクールでありシンプルな製品をクリエートしているのである。
最近の禅のブームの本質は、日本に対する異文化交流に加え起業家として成功するために必要な直感力とシンプリシティーにあるのではないだろうか。そこには尊敬が存在しているから太平洋を越え将来を担う米国の若者が京都に来るのだろう。
日本のソフトパワーには、アニメや漫画、J-popなどがある。海外でこれらの影響力の凄さに圧倒されもしたが、現に円高やコストの面、そして比較的簡単に模倣がなされることなどを考えると限界を感じる。
一方、ソフトパワーの本質をついた禅は、一朝一夕には生まれぬ日本の禅寺の自然と歴史が織り成す空間の上に成立しており、ここには、お金を使わず世界に影響を与えるパワーが秘められている。
日本で多くの国際会議が開催されている。想像するに多くの国際会議は、いずれの国で開催しても同じような会議であるように思う。むしろその土地でしか開催できない国際会議の方がインパクトがある国際会議になるのだろう。
スイスで毎年1月に開催されるダボス会議のような国際会議を京都で開催してはどうだろう。それも禅ではじまり禅で終わるというような直感とシンプリシティーに力点をおいたお金を使わない国際会議の開催を。禅こそグローバルで普遍性に富んでいるからこそ実現可能で夢想で終わらぬ予感がする。
3月 08
日本の大学で教えるようになって5年。毎年2月は講義概要を作成する時期である。優れたコンテンツを経験と理論の両方に精通した教員が情熱を持って学生と向き合うことで自ずとその講義の需要は高まるものである。
大学にとって学生は顧客である。ドラッカーの経営学やコトラーのマーケティングの観点で戦略を練ると、第一は、学生が満足する講義を行う、第二は、その学生が就職する時に役立つ学問を提供する、即ち、企業や社会が求める教養や専門知識を提供する、第三は、グローバリゼーションの進展、地球環境問題の変化、エネルギー、食糧危機、貧富の格差等により今までのどの時代よりも予測が困難な時代に於いて学生が自ら考える能力を養成することが必要となり、教員と学生の双方向の情報交換が求められる。
講義概要を作成するにあたり以上3点のことを包括しようと思うのだが、要するに従来の日本の大学の講義を大きく変える必要性を強く感じるのである。リベラルアーツ(本質的な教養)を限られた講義の中で最も効率的に提供する方法はあるのであろうか。
リベラルアーツとは、人間を自由にするための学問である。教養を身につけることにより豊かな生活を手に入れる機会が増すのである。輝かしい未来を築くためには人間が何千年にも渡って考察してきた定理や法則を習得することが必要である。現実を理論的に観る演繹的なアプローチと経験を通じ理論的なことを構築して行く帰納的なアプローチの両方が不可欠なのである。
大学で重きを於くのは演繹的なアプローチである。また、理論的な構築を行った後、ケーススタディーを通じ帰納的なアプローチを行うことも大切である。大学の一つの講義は15回か30回で構成される。その間にリベラルアーツの手ほどきとして教養のエッセンスを習得するためには何を学ばなければいけないのかを考察しようと思う。
高校までの勉強は習得することが第一であるが、大学での勉強はリベラルアーツをThink(考察する)、Learn(習得する),それをLead(発表する)することが求められる。Thinkすることを第一義とすると、事細かく一方的に教えるのでなく学生が自ら興味のある学問を徹底的に探求することが重要となる。従って、幅広く世界に通用するリベラルアーツを決められた講義のタイムフレームの中で提供しなければいけない。そこで毎回、あるテーマについて完結型の講義を行うことを試みて見た。
この講義を受講する学生が毎年増え500人規模に膨れ上がった。少なくとも学生の需要を満たしているからそうなったと思う。講義内容は、メディアやマネージメントのリテラシーを身につける。自ら考え分析する能力を身につけることである。そのためには、哲学、宗教、歴史のリズム、グローバルイングリッシュ(世界共通語としての英語)、実学としての経営学、外交・安全保障、地政学的変化の洞察、エネルギー・食糧・地球環境問題、近代史、マスメディアとソーシャルメディア等である。
2500年の哲学を90分の講義で学ぶなど不可能であると考える読者は大多数だと思う。しかし、ぼくは4年間かけて哲学を学んでもそれほど頭に入るとは思わない。やる気というミッションが明確であれば相対性理論のようなものが機能し学生自らのパワーで知的直感力に磨きがかかりそれが実を結ぶと考える。また、グローバルイングリッシュを例にとると6年間かけて英文法を学んできたにもかかわらず試験勉強の弊害として実践に役立たないのが90分の講義で朝起きて寝るまで話している日本語を英語にするというテーマで改めて勉強するとさっと要領を得た勉強が成立するのである。
大学の講義は生き物であり、その時の強烈な刺激が勉学へのミッションを高揚させるのである。有名な禅寺の和尚さんがこんなことを教えて下さった。「先生が教えるのでない。学生が先生のいい処を盗むのである」。ぼくは、リベラルアーツとは、豊かな生活を送るために自ら幅広く自由に学ぶ教養だと思う。不確実性の高い世の中、時空を超えた教養を自ら学ぶことが大切だと思う。
2月 09
世界のいくつかの組織で勤務し、日本の大学で教えはじめ4年の歳月が流れた。卒業まで学生が過ごす4年間を振り返ると、確実に就活という厄介な問題に学生がチャレンジする真剣さが年を追うごとに増している。3回生のはじめから就活に取りかかる学生は、次第に講義への出席率が落ちる。そうなる事が分かっているので1,2回生は真面目に講義に出席する。一昔前と比較すると今の学生、いや正確には1,2回生は真面目である。
大学で専門分野をしっかり勉強できるのは、教養を身につけた後の3回生からである。その時が就活に重なることが大学のレベル低下につながっている。さて、そこで学生と企業の両者にプラスとなる就活の理想を考察してみたい。
不況の影響で学生は親に頼ることができず授業料をアルバイトで稼ぐ必要が増している。90分の講義に出るのに学生は約4000円出資している。授業料と講義数を割ればだいだいこのような金額になる。一方、アルバイトの時間給は伸びておらず平均1000円とすると一つの講義に出るのに4時間働かなければいけない。
このような話を学生の前ですると必ず学生の態度が変わる。意欲のある学生はアルバイトの4時間以上の成果を勉学に求めてくる。教員もそれに応えるべく毎回の講義で学生が満足する教養や専門知識を提供しなければいけない。
アメリカの大学で教えている時、3時間の連続講義を行うのに数冊の本を精読し、実社会で習得したユニバーサルな法則なりを示し、学生との質疑応答や意見交換に講義の半分を費やしたものである。アメリカの授業料は日本より高いので学生が満足する講義を提供するため教える側も真剣勝負で臨む必要があった。
日本の学生もアメリカの学生のように費用対効果の成果をあげるために学業に真摯に臨まなければいけない。そのように考えると「就活のために講義を休みます」という学生を減らすような対策が不可欠である。企業は優秀な学生を採用しなければ昨今のグローバリゼーションの波に押し流されてしまう。大学は優秀な学生を育成する義務があり、また学生も厳しい経済状況や国際情勢の変化に対応するために専門知識を大学で習得しなければいけない。学生と企業の共通の利益の合致点は、大学の本来の目的である教養と専門知識を学生が習得することであり、それが会社や社会で活かされることである。今の世の中、企業人が持っていないような柔軟なグローバル社会で通用する発想を持ってこそ就職戦線に勝つことができるというぐらいの高尚な考えを学生が持つべきである。
学生が大学に通うのは、年に7、8ヶ月である。5ヶ月近くが自由な時間である。この自由な時間を就活に役立てる方法、即ちキャリアパスの糧とすることが大切である。大学の休み中に就活を行うという不文律を共有すべきである。要するに企業は将来採用の可能性が高い優秀な学生を大学の休み中にインターンとして働く機会を提供し、学生は休暇中に学費等を賄うことが可能となれば企業にとっても学生にとっても両者プラスとなるのではないだろうか。
フランス発のAIESECという大学生の企業インターンを提供する組織がある。日本の大学でもかなり浸透している大学インターンシップである。海外で大学院の学生の時、AIESECを通じアメリカで夏の企業研修を受ける機会を持った。かなり充実したプログラムで将来へのキャリアを描くきっかけになった。このように日本でももっとインターンシップの充実に務める必要があろう。
円高、空洞化の影響で海外で即戦力となる学生を企業側は求めている。例えば、青年海外協力隊の制度を通じ海外に赴任した人材をもっと積極的に企業は採用すべきであろう。開発援助の専門家というと少し重い感じがする。青年海外協力隊も志願者が減少傾向にある中、この制度を通じ本格的なインターンシップとして再考するのも一案であろう。学生が卒業すると同時に青年海外協力隊の制度を通じ1、2年の途上国経験を積み、その後、現地に進出している日本企業に就職することができるというキャリアパスを充実することが大切である。企業側からみれば税金で優秀な人材を教育できるという視点でグローバルな教育戦略として有効であると考えられる。
東大が秋入学に移ろうとしている。世界の奔流に同化することで世界から優秀な学生が集まる。同時に就活も世界の常識に同化させることでグローバル社会で通用する優秀な学生が生まれ企業や大学にとっても日本国にとってもプラスとなろう。
12月 07
革命の予兆としてのパラダイムの確変が起こっている。大阪のダブル選挙が日本の常識を覆した。日本の全ての政党を相手に橋下氏の野望が民の心を捉えたのである。予測を超えた橋下氏の圧勝に世界のメディアも日本の目覚めとして注目している。
橋下氏の言動は、「独裁者」とも非難されるように日本に馴染まぬ違和感を覚える層もある。同時に閉塞感漂う日本の空気を一新する待ちに待った「希望ののろし」として歓迎する層もある。
革命とは権力構造や社会的構造が短期間に遂行されることである。戦後の政治体質と新しい変革を求める政治の二つの勢力が拮抗しているのが今までの日本の現状であった。今回の「大阪維新の会」の勝利で、大阪から日本を変革するパワーが生まれたのではないだろうか。
ぼくは、この大阪のパワーこそ真の日本の将来のあるべき理想像だと思う。何故かというと、敗戦後の日本は、マッカーサーをはじめとする米国の戦略により日本人の特性が生かされないシステムにより縛られてきたからであり、それが大きく変化しようとしているからである。では、世界でも稀なる日本の特性と欧米の特性の違いとは何なのであろうか。
ヒントは、スティーブ・ジョブズ氏の考え方・生き方にある。ジョブズの自叙伝から一部引用する。「西洋の合理的思考は人間が生まれながらに持っているものではなく習得するものである。東洋には、直感や洞察を重視する仏教の教えがある。論理的分析よりも直感的な理解や意識の方が重要だと思う」。アップルの成功は、ジョブズ氏の禅の思想にあるのである。
戦前の日本の教育、いや6世紀半ばに仏教と儒教が大陸から伝来し、400年の貴族社会を経て、武士道を重んじる武家国家による教育が日本の奔流の教育である。敗戦まで日本の教育のバックボーンは、仏教、儒教、武士道、神道であった。戦後、我々がずっと信奉してきた西洋の合理的思考を基本とする教育は、日本の本来の教育と大きく異なっていたのである。
日本人に馴染まぬ論理的な教育を受け、優秀な成績を修めた官僚や政治家が日本の舵取りを戦後担ってきた。彼らの特徴は、明確なビジョンがないことと、独自の言葉で語らず文章を読むことである。翻って、橋下氏の言行は、日本の特性、すなわち感情豊かな知的直感に満ち溢れたところに魅力があると考えられる。
海外で長く住み異文化の交流に接してきて習得したことは、その民族特有の優れたオリジナリティーが不十分では相手に尊敬されないということである。加えて、相手の優れたところも習得するという柔軟な姿勢が必要であると考える。従って、今日の日本に求められている大切なことは、ジョブズ氏も述べている西洋の論理的思考方法よりも直感的な東洋の思考方法に重きを置くということだと考える。論理的思考は、集中して勉強すれば身に付く。しかし、直感力は、人間の内から湧き出るメッセージを素直に生かすことで磨きがかかるという本質的なものである。
戦後の日本という国は、米国の傘の下で急激な経済発展を成し遂げたが、平成時代に入り、その反動の嵐に見舞われている。いよいよ、その流れを変革する時が到来したようである。想えば、米国のコンピュータ産業に革命的なイノベーションをもたらしたジョブズ氏と大阪から革命を起こそうとしている橋下氏は、何か不思議な共通点があるように思われる。
それは、知的直感で行動するという日本の本来のあり方であるように思う。西洋の理論的思考と東洋の知的直感の両翼を活かす。ジョブズ氏から学ぶことは多いし、日本的であることが真の革命を導くと思う。世界はアジアの時代を迎えようとしている。知的直感に基づく新しいリベラルアーツがより明確なビジョンを構築し、明治維新以来の革命が2010年代に到来すると予測する。
11月 24
通貨の変動は、想像以上に激しい。40年前のニクソンショックまで1ドルは360円、最高値は75円32銭、円高トレンドが続いている。360度である円が拡張され、ドルの価値が5分の1に収縮したのである。ニクソンショックによりブレトンウッズ体制が崩れ、スミソニアン体制に変わったり、また固定相場制から変動相場制に移ったり、さらにプラザ合意により大きく円高に誘導されたのである。それは明らかに戦略的になるべくしてそうなったのである。
リーマンショック前、1ドルは、110円辺りで推移していた。それが、みるみる内に円高に拍車がかかり、ドルの価値が8年前のドル高に比べ半分近くに落ちたのである。米国が戦略的に金融・財政政策を発動させなければ自然発生的にこのような変動が起こるとは考えられない。円高に誘導された本質はどこに起因しているのだろうか。
第一に、マネーサプライが気にかかる。ドルとユーロの供給量に比較し、円がその半分以下になっている。お札を無造作に増刷すればその通貨の価値が下がる。基軸通貨であるドルとユーロは、リーマンショック以来の2倍程度増刷された。財政支援策として急激に刷られたのである。当然のことながら相対的に円の価値が上昇する。
現在、ドルの市場流通量は、2兆ドル、円は100兆円である。単純に考えるとマネーサプライの需給の関係では、1ドルは、50円となる。8年前、1ドル135円であったので、135円と最高値の75円の平均をとればだいたい100円である。100兆円の円を増刷し、円の流通量が200兆円になれば、自ずと100円辺りに戻ると考えられる。
日本の経済は、失われた20年と言われ 中国に世界第二の経済大国の地位を譲ったが、まだまだ底力は、相当なものである。また、円換算で経済成長を観れば、成長率は停滞しているよに見えるがドル換算では、かなりの成長率のように誤解してしまう。
戦略的に為替変動が操作されている状況においては、通貨が強いからといってその国の経済が強いとは考えられない。世界の基軸通貨がドルに続きユーロであり、加えて、円が評価されているなら、ドルとユーロと円が勢力均衡する金融政策をとることにより、円の独歩高を回避することが可能となる。それは、円の量的緩和策であり、ドルとユーロに協調しながら円を増刷することである。
第二に、現在の世界経済危機は、米国と欧州の財政破綻に端を発している。日本もギネス級の財政赤字を抱えているが相対的にみて東アジアの経済圏にある日本の不安定要因は低減される。中国の外貨準備高は、4兆ドル以上あり、ドル一辺倒であった中国の外貨準備が円などに分散されており、中国の円買いが円高を支えていると言われている。
世界経済は、北米、ヨーロッパ、東アジアの三極で構成されている。21世紀はアジア・太平洋の時代と言われているが、ドルやユーロの基軸通貨があるにもかかわらず東アジアの通貨は発展途上である。円高の一因は、将来のアジア通貨への布石とも考えられる。
第三には、米国とヨーロッパの経済が成熟しているから潜在性の高い中国をはじめとするアジア市場に浸透するためにドルとユーロの価値を下げ、輸出主導型の金融政策を目指しているように考えられる。米国はすでにゼロ金利政策を行っているので、ドル安に煽る政策としてドルの増刷を行っている。
基軸通貨が増刷しているので、それに次ぐ円が同じ割合で増発されてもハイパーインフレは発生しないと考えられる。円高でデフレのこの願ってもない状況の中で、円を増刷し、その金利が発生しない資金を東北の復興支援や原発問題に関するエネルギーの安全保障に投下する絶好のタイミングではないだろうか。ドルの流通量にあわせて100兆円が増刷されるなら、復興支援などを差し引いても国民の一人一人に50万円を分配することが可能となろう。このように円高を是正すると同時に国民に恩恵を提供する政策が望まれているのではないだろか。
10月 03
世界の中の日本の地位は、経済、政治、社会的側面から観察しても低下している。国家が富国を 目指す時、それぞれの時代背景により「富国強兵」,「富国平和」が叫ばれ提唱されて来た。しかし、現在、新興国の勢力が増し、先進国の中でも低成長を継続している日本の存在感が薄くなっている。
このような状況の中、軍事力、経済力といった弱肉強食のハードパワーでなく、もっと本質的な国家という概念を超えたところにあるパワー、すなわち、人類全てが共有でき、異文化を超えて互いに尊敬できるパワーを推進すべきだという考えがある。冷戦後の20年は、漂流の時代であったが、これからは、「富国有徳」を持って、世界の中の日本の地位を確立するとのビジョンに魅力を感じる。
海外生活で多種多彩な異文化に接し、文化を押しつけることにより対立が発生するし、「郷に入れば郷に従え」だけでは、異文化交流に発展しない。文化という「ソフトパワー」を異国の地で活かすことは、簡単でない。そこに宗教とかイデオロギーとかが絡めばことは複雑になる。
日本人が備えている有徳とは、一つの宗教に固執しない多神教的な、ある意味では、「曖昧」ではあるが、対立より調和を重んじる考え方ではないだろうか。また、日本人の有徳とは、複雑なものでなく歴史の中で築かれてきた日本人が本来備えている世界まれなる生き方だと考えられる。そこで、日本人が「富国有徳」として、世界の中の日本の役割をどのように演じて行くことができるのだろか。
先日、パリで和洋折衷の和食(日本食)の店を出し成功している日本人の友人と会った。日本に本拠地を置きながらも、毎月、パリに赴いている。最近では、パリの和食のレストランのシェフの9割は、日本人でないという。寿司、焼き鳥、天ぷらなどの日本の食の文化がグローバルに人気を博しているが、和食といっても日本人が不在なのは問題である。友人が頻繁にパリに赴く目的は、真の和食を持って、食の中心パリで チャレンジすることにある。
昭和の時代には、企業人をはじめファッション関係者も、和食の板前さんもマネジャーも情熱を持って海外に雄飛しようとする日本人がたくさんいた。それに呼応して世界で和食が急速に広まり、生の魚などほとんど口にしなかった外国人が、高価な寿司をステータスのように食するようになった。そして、現在では、外国人による和食レストラン運営が主流になっている。
胃袋をつかんだ食の文化は強い。フレンチ、中華、イタリアンなど、世界のどこに行っても接することができるし、日本でも外食の主流となっている。また、日本の和食の店でもワインやビールが増え、日本酒のシェアが食われているという。前述のパリの友人は、パリの和食レストランにて日本酒の地酒を本格的に普及させようと考えている。努力なくして日本酒のシェアは、減少する。蔵元がもっと本気になって地酒を海外に売り込む努力が必要だという。
ソフトパワーには、日本のアニメ、マンガが主軸となっているが、食や酒という胃袋を満たす食の文化、すなわち、和食こそ日本のソフトパワーの本質ではなかろうか。パリ、ニューヨークといった世界の大都市のみならず、多極化する世界において和食や地酒を根づかせる。それも単に普及させるのではなく、「富国有徳」という日本人による日本のソフトパワーで日本の存在感を浸透させる。円高のご時世、和食の海外投資のチャンスではないだろうか。美味しく、健康な食の普及こそ、世界の誰もが対立することなく平和になる最高の異文化交流でありソフトパワーであろう。
8月 17
日米同盟は、日米の平和構築のための安全保障である。しかし、日本は核のメルトダウンと米国は財政のメルトダウンを起こし、日米が揃って世界の悪役になっている。核問題も金融問題も人間が創造したエゴにより発生した人工的な出来事である。地震や津波は、大自然の摂理であり防ぐことは容易でないが、核問題も金融問題も必ず人類の叡智により解決される類いのものである。
昨今の為替の変動や株価の低迷が世界を震撼させているが、その本質はどこにあるのか。出来事や結果には、原因がつきものである。しかしながら、内外のメディアの論調を見てみても米国債のデフォルト問題、米国債の格下げ、日米欧の財政赤字問題が主流であり、本質論に欠ける。アメリカ経済に詳しいビル・トッテン氏は、市場経済の限界と金融のギャンブル化を懸念し、トービン税の必要性を唱えている。
80年以上前に大恐慌が発生した。その教訓として、銀行と証券会社の経営を分離するというグラス・スティーガル法が制定された。しかし、ゴールドマンサックスの会長、クリントン政権で財務長官を歴任したルービン氏等が中心となり、金融の自由化という名目でグラス・スティーガル法が廃止され、金融のギャンブルとも例えられるデリバティブ(金融派生商品)が発生し猛威を奮ったのである。
その額は、全世界のGDPの約3倍である。また、一年間の外国通貨の取引額が一年間の製品やサービスに関する世界貿易額の36倍にも上っているのである。詳しくは、世界貿易(海外旅行も含む)に必要な金額は外国為替全体のわずか1% に過ぎない。残りの99%は全く博打のために取引されているのである。
要するに、実体経済と大きく乖離した非実体経済により世界の経済が投機で操られているのである。金融業界のインサイダーが金融行政をコントロールしたことにより始まった経済のカジノ化が、一国の経済、例えば、投機家が投機により超円高や超円安により年間予算が100兆円に満たない日本経済をコントロールすることも不可能でないのである。
経済や金融のギャンブルが生み出された背景には、日本のゼロ金利政策がある。昭和から平成に変わると同時に、ベルリンの壁が崩壊し米国の共産封じ込め政策が対日経済の熱戦の経済戦略にシフトされたのである。安全保障の観点では日米の同盟であっても経済の面では、日本の莫大な米国を脅かす巨額な資金を戦略的に日本から米国に移動させたのである。日本の増えた預金と減った貸し付けを合わせた220兆円。その巨額資金が、米国に流れたのである。日本のゼロ金利政策により、日本の銀行は、日本の企業や個人に貸し出しをするより、海外の国債を買ったり海外に投資をしたりする方が、より早く利益を得ることができたからである。
サブプライム問題は、ゼロ金利でも日本の銀行に預金をするという日本人の金融に対する無知が多少なりとも影響していると考えられる。
1981年にノーベル経済学賞を受賞したジェームス・トービンは、為替投機の抑制のために外国為替取引に対して定率の税を課すトービン税を提案している。毎日36兆円売買される日本円の外国為替に1%の税金をかけるだけで、日本政府は年間132兆円の税収を得ることができるのである。
現在の国税と地方税を足しても100兆円である。消費税を1%上げても2兆円である。経済の不安定要因の本質は、金融のギャンブルにある。投機を抑制することにより、世界経済は実体経済で動く。市場経済には限界がある。故に、余りにも無謀な投機による市場経済を抑制するトービン税の導入により、日本経済の復興と世界経済の秩序が構築されるのである。日本は余りにも急速に資金を蒸発させたが、トービン税の導入により、それを取り戻すことができるのである。
7月 20
地震ベルト地帯が集中する日本は、原発事故が再発する可能性が高い。よって、原発反対である。また、福島原発の事故直後に被害の深刻さを訴え、最悪の事態に対応すべきだと主張した欧米のメディアは、多くの日本のメディアより真実を報道したと考えられる。イメージ図
現在、日本のメディアは、市場に出回っている福島産の牛肉が放射能汚染されているという理由で出荷停止を伝えている。政府の発表を伝えるのは、メディアの役割である。しかし、放射能汚染や内部被爆は、どの程度のスケールで危険であるのか、いささか疑問である。
というのは、冷静に考えてみると、原発事故最悪のレベル7のレッテルを貼られた福島原発事故で命を落とした犠牲者は、知る限りではゼロである。例えは、極端であるが、アフリカの開発援助の仕事に従事した時、マラリアの予防のためにクロロキンを服用した。半年以上服用することにより、人体に悪影響を及ぼすということで、服用を辞めることで、マラニアにかかった。振り返れば、かなり過酷な状況の中で、アフリカの開発援助を行ない、人体に悪影響を及ぼすリスクは極めて高かった。明らかに、放射能よりリスクは高かった。
放射能は目に見えないし臭いもなく、放射能の探知機を使用しても人体に悪影響を及ぼす正確な数値を把握することは容易でない。また、チェルノブイリ等の事故例は存在するものの、放射能のリスクはまだまだ未知数である。
再度強調しておくが、筆者は、原発反対である。しかし、福島周辺の農林水産関連の風評被害が拡大する状況の中で、他の要因で命を落とす比較において、放射能汚染の危険値を考察することも重要であろう。例えば、年間、3万人以上の自殺者があり、3・11以降、急激に増加している。
放射能汚染された農産物は、人体に悪影響を及ぼす量に達してなくても放射能汚染アレルギーにより消費者から敬遠されている。恐らく、牛肉だけに終わらず他の畜産や農産物にも風評が広がり、安心、安全とされた国産の農産物から海外産の農産物へのシフトが円高の影響もあり進むように考えられる。
異常なまでの放射能アレルギーが蔓延する中、自然界にある放射能は、身体に良い。という論調もされてはいいのではないだろうか。鳥取県の三朝温泉に何度も訪れた。三朝温泉は、ラジウム、ラドンの世界有数の放射能温泉であり、何百年と療養温泉として栄えてきた。事実、三朝の湯につかれば、肌も生き生きするし、身体に良いことは確かである。
専門家でないので、自然界に存在する放射能と原発の放射能の違いは、分からないが、放射能を完全に悪だと決めてしまうのも問題があるように思う。人体には免疫があり、場合によっては、放射能が人体にプラスに働く可能性もあるのではないだろうか。
恐らく、このような論調は皆無であると思われるが、目にも見えなく臭いもなく、人類史上最悪の原発事故だと言われる福島原発事故で人命が失われてない、いや風評の割に現実的な被害が見えない事実を冷静に観察するという多角的視点も必要だと考えられる。
政府は、福島の農産物は大丈夫だとのパフォーマンスを披露したのは最近のことである。
にもかかわらず、稲わらからセシンム汚染された牛肉の問題により福島産の農産物の風評を広めている。振り子が極端から極端に振れるという日本の特徴が顕著な状況の中で、あえて、自然界における放射能の効用も伝えたく思う。