8月 27

京都の三大祭りは、新緑の葵祭、夏の到来を示す祇園祭、京の秋を彩る時代祭。
京の祭りには季節のアクセントがある。
平安貴族の伝統を継ぎ五穀豊穣を祝う葵祭、疫病を鎮める祈願を込めた祇園祭は
千年を超える歴史がある。しかし、時代祭りの歴史は、百十五年と浅い。
近代に始まった時代祭りのルーツを探り、その歴史的位置付けを考えてみたい。

文献によると時代祭りの始まりは、1895年に第四回内国勧業博覧会が
京都に行われることに由来する。それが平安遷都千百年とも重なり、
平安神宮が創建され、その記念事業として時代祭りが始められたとある。
さて、そこで、このお祭りが当時の時代背景の中で、
誰の発想により生まれたのか興味が湧いてくる。

明治維新後の京都は、天皇は東京に移り、かつての文化の求心力が急速に衰えていた。
それを嘆き京都の復興を、地域振興策として具現化させたのが、
京都出身で明治維新の立て役者の岩倉具視であった。

明治維新から3年後に岩倉具視は、維新の英雄・豪傑と1年9ヶ月余りをかけ
岩倉使節団の団長として、欧米の視察を行った。
目的は、欧米の科学技術を短期間で習得し新生国家のデザインを描くことにあった。
岩倉一行は、欧米の科学技術や文明に圧倒されはしたものの、
欧米では成し遂げられなかった無血革命に近い明治維新に触れ、
日本の精神的進歩すなわち日本のこころが物質的進歩を凌駕すると認識したのである。

今でいう外務大臣として世界を視察・観察した岩倉具視は、
東京遷都で荒廃する京都の復興を考案するために1ヶ月近くの現地調査を行ない
「京都皇宮保存に関する建議」を作成した。
京都御所内に平安神宮を造営する計画や葵祭の再興、京都の人々が
演芸奉納の形で参列できる内規を作るなどが描かれている。
これが最晩年の右大臣岩倉具視の京都への貢献であり、欧米のみならず
アジアを漫遊しながら世界を観たからこそ生まれた世界の中の京都の視線であったが、
岩倉具視の死去により、平安神宮創建等の計画の他は実現しなかった。
ところが、約10年の時を経て、内国勧業博覧会や平安遷都の記念行事として
京都の歴史絵巻を内外に表現する時代祭として岩倉具視の発想と意思が生かされたのである。

時代祭の行列は明治維新から平安遷都まで7つの時代を遡る18の列で構成されている。
時代祭は桓武天皇が長岡京から平安京に移された10月22日に行われことからも
時代祭りのクライマックスは、延暦であると考えられる。
紫竹は、その延暦文官の重要な役割を担っており、それが24年毎に巡ってくるのである。

時代祭りの動く歴史絵巻を観ながら千二百年の京都の歴史を学ぶことができるのみならず、
その時代の着物、先人の表情から時空を超越した時代の空気を感じとることができる。
京都の町内会が順番で時代祭りに関わることで、
伝統文化の継承と文化の創造と発展が約束されるのである。
何よりも行列に参加することで、タイムマシンに乗ってその時代の人になりきることが楽しみである。

世界は広く、京都は深い。時代祭を通じ伝統に培われた京都の魅力を世界に発信することで、
京都の地域振興並びに日本の安全保障と世界平和のための一助になるのではないだろうか。

8月 06

被爆から65年を経た今年の広島・長崎は、熱い。オバマ大統領と
直につながっているルース米国大使や潘基文国連事務総長の平和
記念式典への出席は、核軍縮に対する国際世論が熟してきている
ことを意味している。ここ数年の核廃絶に対する動きは何を意味
しているのか。原爆投下後も、ピーク時には約8万発の核爆弾が
製造されたが、何故一発も使用されなかったのか。被爆国日本に
よる世界平和のための明確なメッセージを世界に発する時が到来
しているのではないだろうか。

安全保障の核は、核問題である。イラク戦争の発端も、アフガニ
スタンに絡む国際テロも、全人類の脅威に繋がる大量破壊兵器の
問題である。これらの脅威は、冷戦中の米ソによる核兵器の勢力
均衡型で抑止可能なものでなく、世界全体で取り組む世界平和へ
の共通の課題である。

オバマ大統領により核廃絶が提唱された昨年4月のプラハ演説は、
安全保障の歴史のページを新たなものにした。オバマ大統領が
議長役を務め成果を上げた国連安全保障理事会、オバマ大統領の
ノーベル平和賞受賞、オバマ大統領主導による核安全保障サミット、
国連の場で広範囲に議論されたNPT( 核不拡散条約) の再検討会議
など、米国と国連が連携した核軍縮への働きかけが具体化している。

興味深いことは、唯一の核使用国である米国が道義的責任として
核廃絶に向けたイニシエティブを取っていることである。来たる
広島の式典において、米国の大使が初めて出席するのは、核廃絶
への動きのみならず、安全保障に対するパラダイムが大きくシフト
しているからである考察される。今まさに広島、長崎は世界平和
の主役なのである。

7年程前に、ワシントンのシンクタンク主催の核軍縮に関する
セミナーに出席した。その時、核戦争が抑止されてきたのは
MAD(相互確証破壊)が機能したから等の議論がなされていた。
それだけでは納得がいかなかったので、「戦後、地球をも破壊する
核兵器が製造されてきたが、一発も使用されることはなかったのは、
人類が広島と長崎の被爆による核兵器の脅威を実感したからである。
日本が最大限の世界平和に貢献したことは、広島・長崎の被爆に
よる核戦争の悲惨さであり、被爆者のお陰で核戦争を回避されて
きたのである。」と述べた。この実にシンプルな主張に対し、
反論はなかった。

1985年に核兵器の廃絶を訴えた医者の団体である核戦争防止
国際医師会議( IPPNW)がノーベル平和賞を受賞した。この団体の
中心人物等が今年のノーベル平和賞に広島と長崎の市長が推進す
る平和市長会議を推薦している。核軍縮に関するノーベル平和賞
を受賞した個人や団体は、過去9回あり、昨年は、核兵器を投下
した国の大統領が受賞しているのである。

オバマ大統領は、核廃絶に向け着実に成果を上げている。平和の
礎と考えられている日米同盟は、核の投下国と被爆国という奇妙
な関係にある。被爆国である日本は、米国が主張する核廃絶を
圧倒するぐらい核廃絶を提唱するに値する国である。
にもかかわらず日本国内の論調に接していると、米国の核の傘に
守られている故に核廃絶に躊躇する日本や保守革新のイデオロギー
の対立が未だ存在しているようである。世界に向けた明確な
シグナルがない。

世界の世論が核廃絶に向かっていることを鑑みれば、今こそ市民
が核となるオールジャパンとして、被爆国日本が核廃絶に向けた
強烈なイニシエティブを示すべき時であろう。失うものは何もな
い。これこそ日本が世界に示す、最も率直な平和活動であろう。
今年のノーベル平和賞に最も近いのが広島・長崎であり、特に、
被爆者の人々が核廃絶の功労者であると歴史に刻まれるべきであ
ると考えられる。

6月 11

鳩山首相辞任に伴い日本の政局が揺らいでいる。外に目を向け
ると、北朝鮮の攻撃で韓国の哨戒艦が沈没し、日本の目と鼻の
先にある朝鮮半島の緊張が極めて高まっている。このような内
外の不確実要因が同時に進行するという喫緊の状況の中、内外
の情勢の変化を読み解き、日本の羅針盤を明確に描くことが大
切である 。

米軍の県外移設という鳩山首相の公約が破棄されたということ
は、アジアに軸足を置くという政策から、再び日米同盟重視に
振り子が戻されたことを意味する。その背景には、中国の驚異
的発展に伴う経済的・軍事的脅威と、北朝鮮が示す南北関係の
全面閉鎖や不可侵合意の全面破棄、そして北朝鮮を孤立させる
ための国 際社会の包囲網づくりなどがある。

ベルリンの壁が崩壊し20年以上経過したが、未だ朝鮮半島には38
度線を境に冷戦構造が残存している。しかし、その勢力均衡の
構造も中国の突出した発展により徐々に崩れようとしている。
的確に表現すると上海を中心とする経済的ネットワークの拡張
のみならず、上海協力機構が示す中国、ロシア、中央アジア、
そして次第にインド、イラン、モンゴル、東南アジアをも包括
する安全 保障体制が構築され、ひいては、その勢力は朝鮮半
島にも及ぶ可能性が増しているのである。

日本が示す東アジア共同体は、ユーラシア大陸の中心に位置す
る中国パワーにより飲み込まれてしまう可能性も否定すること
はできない。つまり、米国発の世界経済危機とヨーロッパを覆
うギリシャやスペイン等の問題は、相対的に中国勢力の向上に
寄与しているのである。

それが世界の潮流である。米国もヨーロッパも中国と緊密な関
係を保つことで相互補完的な繁栄が実現できると考えているの
である。そのように多角的視点で日米中の三角関係を考察する
と、日本が米国を重視するか中国を重視するかという選択の問
題でなく、米中の連携が強化されることにより日中関係と日米
関係も恩 恵を受けることができるという柔軟な外交戦略を実
践することが肝要であろう。

日本と中国の両方の大学で教えている中国人の友人が、最近の
上海の発展に接し、「この20年の間、日本は何をしてきたのか
」と経済発展における日中の明暗にため息をつきながらも内心
喜びの笑顔を浮かべていた。明らかに日本は、更なる経済発展
の好機を見事に逃してきたのである。つまり、日本が安全保障
のみならず経済分野においても米国への依存が高すぎたことが
、経済発展を遮断してきたのであろう 。更に、米国の共産主
義封じ込め政策の恩恵を受けてきた日本が、日本の戦略的思考
を麻痺させたのかも知れない。

日本を取り巻く国際情勢は激しく変化している。そんな時、日
本は米国への連携を高める極を大切にすると同時に中国との協
力も高める極を同時並行的に推進することが求められている。
一方の極に傾くのでなく、両極のバランスを考え広く柔軟性の
ある政策が必要なのである。

中国には、北京を中心とする共産主義のパワーがあり、上海を
中心とする経済発展に関わるネットワークチャイナがある。二
つのパワーが調和しているのが中国の発展の源泉である。同じ
ように、日本にも、とりわけ安全保障の側面においては米国依
存が得策と考える勢力があり、同時に21世紀はアジアの時代と
考えアジアを機軸に置く勢力がある。要は、この二つの勢力を
調和させる戦略を示す羅針盤が不可欠なのである。

5月 10
日本のメディアの論調は、国内の沖縄問題が中心であり、世界の中の日本が果たすべき安全保障の役割の視点が欠如しているようである。よって、メディアや地方の動向に左右されてはいけない安全保障、世界の安全保障の潮流、日米同盟の重要性と沖縄の役割、将来の安全保障のあり方の四つの視点で考察することとする。
 
メディアや地方の動向に左右されてはいけない安全保障
沖縄の米軍基地移転問題で揺れ動く沖縄県民をクローズアップで観れば半数以上が米軍撤退を求めるように報道されている。安全保障という国家の存続に関わる問題を、民主主義や地方選挙で導くという与件の立て方に根本的に問題があるのではないだろうか。
 
先の戦争から今日までずっと沖縄は、戦争と安全保障において日本の犠牲になってきた。にも拘らず沖縄の一人当たりの所得は47都道府県の最下位であり、東京の半分以下である。安全保障の犠牲という沖縄の立場で考えると米軍基地の県外移転は至極当然のことであり、沖縄県民の半数以下が程度に差があるものの米軍の駐留を肯定している点も考慮すべきだと思う。
 
米国で7年生活した感覚で、一般的なアメリカ人が日本やアジアのために米軍を日本に駐留させることを望んでいるかと問いかければ、恐らく8割のアメリカ人はNOと答えるように思われる。国の存続に関わる安全保障は、世界の中の日本の役割やパワーという長期的な国家戦略としてのビジョンがなければ大きな犠牲を被ると考えられる。
 
世界の安全保障の潮流
オバマ大統領が唱える「核なき世界」がプラハ演説、国連安全保障理事会、米露核軍縮条約、核安全保障サミットと着実に進展している。本来なら被爆国である日本が先導すべき安全保障問題を同盟国である米国が推進しているのである。このように世界の安全保障の潮流が、日本と深くかかわり、ブッシュ共和党政権と異なりオバマ民主党政権が核廃絶という日本のベクトルに適っているのに沖縄問題の優柔不断さで日米関係が悪化していることに憂慮すべきである。
 
日米同盟と沖縄の役割
安全保障という歴史のリズムを展望すれば、二十世紀初頭の日本の安全保障は日英同盟により成立した。戦後、米国の共産主義封じ込め政策の恩恵を受けながら、日米同盟が発展してきた経緯を考察すれば、最も効率的で最善の安全保障であったと云える。日米同盟の基軸が沖縄であるとすると日本の安全は沖縄により保障されたのであり、その沖縄に対し期限を決めて沖縄に米軍を駐留させるという必要条件で日本は、生活水準の向上につながる実質的な支援策(沖縄の所得倍増)を実施することが不可欠である。
 
将来の安全保障のあり方
 
アインシュタインが予測したように、第三次世界大戦が起これば大多数の人間が滅亡するかもしれない。これを回避するために賢明な相互依存型の抑止力が機能し、戦争勃発の可能性はかなり低下する。むしろ、地震等の自然災害による危機の方が深刻である。国家主権や集団安全保障という枠を超越し、近未来の安全保障のあり方を地球益として展望すれば、米軍に頼る安全保障のあり方から、日本が世界に誇れる地球のための自然災害に関わる安全保障にパラダイムシフトする必要がある。
 
現時点では日本の安全保障の最善策は、日米の協調である。沖縄の犠牲と役割を正当に評価し、実質的に沖縄県民の生活が豊かになる所得倍増計画を示す必要がある。2025年までに米軍に頼らず日本や地球の安全を保障するグローバルな自然に関わる安全保障と日本を防衛する自衛隊に類似する地球レスキュー部隊の創設が求められる。沖縄問題は日本の安全保障を考える絶好の機会であろう。
4月 28
 日本の人口が減少に転じ、少子高齢化が問題視され経済成長の悲観論が蔓延している。これらの問題を解決するためには、日本の移民政策や外国人参政権の問題を再考しなければいけないとの見方もある。21世紀の今日、日本において人口が減少するということ、また経済成長が鈍化するということは大きな問題だろうか。
 
 人類の百万年の歴史において、世界の人口が70億人に到達するまでに人口の倍増が31回繰り返されてきた。倍増するのに要した時間が平均3万年だが、この39年で世界人口が35億人から70億人に倍増している。地球レベルで人口論を考察すれば、明らかにマルサスが指摘したように、人口の増加に食料や資源供給が追いつかず人類の幸福が損なわれると考えられる。
 
 ワシントンコンセンサスが示した市場原理主義による米国主導型の資本主義が幸福の原動力になるという見方には限界がある。また、人類が豊かになることにより人口が抑制され成長が持続されるという先進国中心の考え方にも疑問を感じる。
 
 このように米国中心のグローバル化が衰退し、中国やインドを中心とするアジアの時代が到来すると言われているが、果たしてそうであろうか。この点に関して、ニューヨークタイムズのコラムニストのトーマス・フリードマンは、ユニークな考えを移民問題の視点から語っている。
 
 インテルが全米の高校を対象に科学と数学の分野で優れたベスト40の高校生を選抜し、ワシントンのディナーパーティーに招待した。驚くことにほとんどすべてが中国やインドからの移民であった。最優秀に選ばれた高校生は、宇宙船におけるエネルギー効率というトップの科学者顔負けの論文を書いたという。このインド人曰く、米国が抱える問題は、我々若い世代が解決すると。
 
 米国の発展の根底には、世界中から優秀な移民を惹きつける開かれた移民政策にある。とすると理想としての世界連邦こそ米国の魅力であると考えられる。グローバル経済の勢いは太平洋を渡りアジアにシフトしているが、世界の優秀な移民を惹きつける磁力を有する米国は、アジアとの融合において大きな力を発揮すると考えられる。
 
 
移民政策を日米の双方で比較してみた場合、陰と陽とに表現できるほど両極端である。日本は米国を真似、米国は日本を真似たこともたくさんあったが、こと移民政策に関しては、全く異なる政策が採られてきた。
 
日本が抱える少子高齢化と移民政策について概して4つの視点がある。第一、現状維持、第二、少子高齢化の問題を解決するためには積極的に移民を受け入れる必要がある、第三、移民や外国人の地方参政権を厳しく制限することが日本の持続可能な社会を形成する、第四、状況の変化を柔軟性を持って捉え、特定の分野、例えば福祉・介護などの分野の移民を導入する。
 
 国連の推定によると世界の移民は全世界の3%未満。97%は生まれた国に住んでいる。ユーラシアの東の果てに位置する島国日本の移民政策は、日本人の特徴に立脚すると世界の水準より厳しくて当然である。
 
 今、長期的視点に立って移民政策のビジョンを描くにあたり、日本の価値観の本質にある自然との共生を第一に考えることが肝要であろう。即ち、世界が直面している極端な人口増加や資源枯渇、環境破壊を回避し、市場原理主義の限界を受け入れ、持続可能な社会を維持するために使い捨て文化から物を大切に使う文化へのシフトと質素な生活を支える地産地消が大切となろう。
 
 このように日本の価値観の座標軸を明確にすることにより、状況の変化に応じた柔軟性のある移民政策が実現されるであろう。
 
3月 07

GMを超え世界一の企業となったトヨタが、米国の異常なバッシングに直面している。フロアマットの不具合から急加速問題、ステアリング問題、リコール回避による不正利益捻出と次から次へと問題が浮上し、通常のリコール問題の領域を超えている。トヨタたたき騒動は、米国の消費者からマスコミ、そして米国政府まで拡大し、経済問題から社会問題、そして国際政治問題へと発展する勢いにある。異常事態の中で、ワシントンの下院・上院の公聴会でトヨタの証人喚問が始まった。

 2002年から2008年まで、筆者は米国のシンクタンクであるブルッキングス研究所やジョージワシントン大学などの客員研究員としてワシントンに滞在し、日米中の国際政治力学を研究する一環としてキャピタルヒルで開催される公聴会を頻繁に傍聴して、公聴会独特の空気に触れることができた。そこで、公聴会の様子並びにワシントンのシンクタンクで多角的・重層的なビジョンを構築することの重要性を指摘したい。

 公聴会の委員長すなわち民主党の議員が配布される資料をもとに証人喚問の経緯・目的などを読み上げ、引き続き副委員長である共和党の議員が説明を加え、通常、議員の当選回数の序列順番で議員が質問する。いくつかの委員会を兼ねている議員も多く質問の時だけ席に着くことから、類似した質問が行われるケースもある。証人による偽りの答弁を避けるため、いかにもキリスト教国家らしく宣誓を命じるケースもあり、緊張感が高まる。また、その緊張感をほぐすように、インフォーマルなジョークやアドリブもある。あらかじめ準備された質問の他に、証人の答弁を追及し、その場でしか味わえない予測不可能な質問もなされ、民主党・共和党の攻防のみならず地域を代表する利益が渦巻くことが公聴会の醍醐味でもある。

 シンクタンクでの研究のために公聴会を利用していたのだが、振り返れば、日本企業が公聴会でスケープゴートのように公にさらされることをワーストケースシナリオとして予測することができた。しかし、公聴会を傍聴する日本人が余りにも少ないことは驚くばかりであった。孫子の兵法にあるように、優れた戦略家は状況全体を細部まで知り尽くし戦う前から勝利を確実にするとある。ワシントンの公聴会をモニターしている日本人や企業人も必要ではないかと痛感した。

 メディアは、品質第一を掲げながら安全よりコストを優先したトヨタの隠蔽体質を道義的問題としてクローズアップしている。その背景には、現実に世界一になったトヨタたたきと、自動車産業全般の再構築に値するハイブリッドカーなど、地球環境にやさしい自動車市場を抑止する力学が働いている。一方、全米トヨタ工場で働く17万人の雇用問題もあって公聴会をより公平なものにすべきとする動きもある。さらに、問題の背景には、日本の民主党政権が優柔不断な態度で臨む沖縄問題、ひいては日米同盟の問題、さらに中国市場に焦点を合わせた米国の東アジア戦略など、多角的・重層的な問題にも起因していると受けとれる。

 トヨタ問題は、誠意ある説明責任で決着がつくという単なるリコール問題の範疇に留まれば、日本企業にとって対米戦略及び世界戦略の良きレッスンとなろう。しかしながら、今回の問題で認識すべき重要な課題は、経済・外交・安全保障が渦巻くワシントンの空気を解読し、シンクタンクを通じた戦略的ビジョンとワシントン人脈の構築、そして予測される最悪の状況を回避し、最適な企業環境に導くための人材を育成することではなかろうか。

 ワシントンのシンクタンクなどに席を置きながらキャピタルヒルの公聴会に精通することは、一見、利益追求型の企業にとっては「遊び」と思われがちだが、そのような環境で人材を育ててこそ、企業の命運を分ける緊急事態の特効薬になろう。トヨタ問題を契機に、企業内シンクタンクや官庁系研究所の範疇に留まらず、現場中心の実践型シンクタンクに座標軸をシフトして、国際的かつ多角的・重層的な課題に取り組む人材が育成されることを期待したい。

2月 16
 身近にも百歳を超える人がいる世の中において、はるか遠い昔と思えた1世紀の過去もそれ程、昔のことと思えない。「歴史は未来を照らす鏡である」とするならば、現在の世界的規模の大転換期において、近代の日本を取り巻く国際情勢の変化を再考することが大切である。
 
文明の時代すなわち過去5千年間は、人間の歴史の最初の百万年と較べても、またこれからの2億年と較べても、ほんの束の間に過ぎない。文明の興亡盛衰、人間の歴史をパノラマ的・包括的に見ると、歴史は一連の芝居という形をとり、表層的な相違にかかわらず、構造的には驚くほど似ている。と語っているのは、「歴史の研究」を書いた英国の歴史学者トインビーである。
 
トインビーが「歴史には規則性、反復性がある」と示唆するように、約百年前に現在の東アジア共同体構築に類似する興味深いビジョンが描かれている。時は、1920年代、日本で最初に設立された財団法人である南洋協会が、欧州のブロック経済圏に対抗して、東アジアの広域経済圏の建設についての重要性を提示した。
 
 その内容は、日本は中国大陸に進出するのみならず、オーストラリア、ニュージーランド、ニューカレドニアを含む南洋へ進出し、自給自足の経済生活圏を確保すべきとある。特に、日本の10倍の広さの南洋を制するものは世界を制するという南洋協会の表現は、当時の時勢を鑑みれば、否定されるべきものでないと考えられる。しかし、この思想が、大東亜共栄圏へと発展していくのである。
 
南洋協会が設立されたのは、95年前の1915年。第一次大戦の最中で、ロシア革命勃発の前である。欧州で戦争や革命の嵐が吹き荒れている時期に、日本は日英同盟の恩恵を受けながら、東アジアの真空状態の空間に伸縮自在の外交政策を展開することが可能となった。
 
日露戦争前に調印された日英同盟が、ワシントンの軍縮会議を経て、1923年に失効するのだが、その後の日本は、アングロサクソンを敵に回し戦争へと暴走するのである。艦艇の保有比率が米英日仏伊で討議されたワシントン軍縮会議において、日英が組めば米国を上回るという米国のジェラシーにより、日英の関係が割かれたのである。日本が、米英日のトライアングルの国際政治力学を見誤ったことが、当時、理想とされた大東亜共栄圏の建設も負の作用としてアジアを敵に回し、敗戦へと導いたのであった。
 
歴史は繰り返すの如く、百年近くの時を経て、来るべきアジア・太平洋の時代に備え東アジア共同体がクローズアップされている。南洋協会が推進した東アジアの経済圏構築は、東アジア共同体との共通項が多くある。注目すべきは、日英同盟の恩恵を受けながらオーストラリア等の南洋も包括し大東亜の建設を推進したことである。
 
東アジア共同体の構築にあたり歴史の教訓から学ぶべきことは、日米同盟という国際政治力学に多大な影響を及ぼす礎を揺るぎなきものとし、日米中のトライアングルの勢力を最適な状態に求めながら東アジア共同体を推進する外交のベストシナリオを描くことだと考えられる。あるもの探し、歴史を時空を超えて鳥瞰すれことも大切だろう。
12月 19
 沖縄の問題で日米同盟が揺らいでいる。日米の安全保障が動揺している内に、国内の問題はさておき中国・ロシア・中央アジア・インドなどの連帯を強化する上海協力機構の動きが心配である。この問題を解決するためには、太平洋を挟む日米の協力のベクトルを高めるのみならず、とりわけ沖縄のインフラ整備を強化し、ひいては47都道府県で最下位といわれる沖縄の県民所得を倍増する経済刺激策が必要だと考える。
 
 ハワイには、米軍の陸海空の基地が集中している。ホノルルの東西センターに勤務していた頃、陸海空のそれぞれのゴルフコースでプレーし、改めて米国の軍人に対する優遇策を垣間見た。50番目の州であるハワイは、米国の中でかなり一人当たりの所得が高いと思う。
 
 ハワイが米国の最南端であり最も新しい州である。それに類似するのは沖縄である。加えて、太平洋戦争の傷跡が今も残っているのは、この地である。違いは、極端な所得の格差である。
 
 安全保障の観点で沖縄は、米軍基地の拠点として日本のために貢献してきた。にもかかわらず沖縄県民の所得が最下位なのは、自民党の大失策である。沖縄の戦中、戦後の犠牲が米軍基地移転と関係があるとすると、新政権が、明確に示すべき第一のビジョンと実践は、例えば、十年で沖縄県民の所得を倍増することではないだろう。
 
 3年ほど前に普天間基地の海兵隊8千人がグァムに移動する審議をキャピタルで公聴したとき、グァムの下院の議員が、米軍の誘致に伴う経済刺激策を提案し、グァムをハワイのように豊かにするという発言に接した。観光産業が主流で製造業など地球環境に相応しくない産業育成に制約があるハワイやグァムなどの島にとって安全保障の一翼を担うことで、生活水準を向上させることは賢明な政策であると考えられている。
 
 安全保障は、国家の存続にかかわる意志であり、限定された地域の世相に流される意思により決定されてはいけないと思う。戦後、日本の安全保障を語る場合に忘れてはならないのは、戦後間もないころに国務省の政策部長であったジョージ・ケナンが匿名で米国の外交雑誌に投稿した「X論文」のソビエトの源泉と共産主義封じ込め政策である。この米国の政策により、敗戦国、日本が朝鮮戦争の特需などを通じ、戦勝国である中国やソビエトよりも経済発展を成し遂げることができた。同時に、東アジア共同体が提唱されながらも周辺諸国としっくりいかないのは、戦前の日本の侵略行為以上に、米国の傘のもとで経済発展を遂げた日本へのジェラシーが影響していると考えられる。
 日本の戦後復興は、米国の政策によるところが大きくまた、沖縄返還は、日米の秘密協定のみならず、同盟国としての日米の信義がある。その信義が揺らぐようなことになれば、周辺諸国の日本へのジェラシーが爆破し、日米双方や東アジア共同体への実現も遠ざかる。
 
 今、日本が為すべきことは、沖縄県民、国民、米国の三者が満足する政策を打ち出すことである。それは、ハワイをモデルとした沖縄を築きあげることだろう。それには軍事基地と環境産業の共存、並びに上海協力機構のような東アジアのシンクタンクの拠点や国連の専門機関を構築することも考えられよう。将来的には、米軍の負担を減らし、自衛隊と国連の多国籍軍による集団安全保障の道、或いは、戦争を未然に防ぐ予防外交に徹した経済協力などを主体とした協調的安全保障への理想もあろう。
12月 10

名古屋学院大学 2009年12月2日 

多角的・重層的視点で世界の中の日本を展望

東アジア共同体構想

ワシントンのシンクタンクで習得した歴史の潮流の解読法と哲学的戦略思考

 

京都市生まれ。関西学院大学卒業後、日本企業から新入社員で戦時中のバグダッドに駐在。その後、ロータリー財団大学院奨学生として南アフリカに留学。外務省の国連の登竜門である、JPOを経て、国連工業開発機関(UNIDO)の正規職員。西アフリカのリベリアと本部ウィーンで勤務。ハワイの東西センター、ワシントンのブルッキングス研究所、ジョージワシントン大学の研究員を歴任。大学卒業後、30年かけ、日本企業、国際連合、ワシントンのシンクタンクで勤務しながらイラク、オーストラリア、南アフリカ、リベリア、オーストリア、米国のフィールドで吸収したことを語る。

独立性と現状分析に留まらない将来への具体的なビジョン構築

Independent research shaping the future , Independence , Quality,Impact.

Think感性で考え、Learn 理性で学び、Lead世の中に伝える

未来から現在を照らす 多角的視点クローズアップとロングショット 

4つの理由で分析 現実的理由、本質的理由、道義的理由、発表された理由

 

 

 

 歴史の潮流を解読する

1.文明の視点

トインビー 歴史の研究 700 年ごとに東西の文明の繁栄・衰退

4大文明 エジプト・メソポタニア 西へ移動、インダス・中華 一定の位置に留まり放射線状に拡大 21世紀はアジア・太平洋の時代

 

2.宗教の4つのパターン

一神教 (ユダヤ教、キリスト教、イスラム教)、宗教が混沌としている(インド)

宗教を正式に認めない(中国)、多神教 同時に複数の宗教を崇拝 (日本)

 

3.景気循環

コンドラチョフの50年景気変動 戦争・イノベーション・通貨の供給量・資源の需給

グズネッツの波 (建築循環) 約20年サイクル

ジュグラーの波 (設備循環) 約10年サイクル

キチンの波 (在庫循環) 約40ヶ月サイクル

 

4.国際政治・国際社会像

主権国家体制 1648年 ウェストファリア条約

国際共同体 国境を越えた利益や価値を意識、国際機構

世界市民主義 (cosmopolitanism,国際社会における基本単位は個人、平和は世界の統一によって達成

 

5.国際関係

 現実主義 (Realism)、自由主義(liberalism)、グローバリスム(Globalism

 

6.安全保障

覇権安定型、勢力均衡型、集団安全保障、協調的安全保障

 

 

東アジア共同体構想

東アジアの歴史の潮流 

セポイの乱(インド、1857)、南北戦争(1861-65年)の影響 明治維新(1968年)

日清戦争(1894年)、日露戦争(1904年)、日韓併合(1910年)、辛亥革命(1911年)

満州事変(1931年、リットン調査団、国際連盟脱退)、太平洋戦争(1941-45年)

朝鮮戦争(1950-53年)、冷戦終焉(1989年、天安門事件 6月)

 

孫文の大アジア主義 西洋の覇道と東洋の王道

中江兆民 三酔人経綸問答 豪傑君・洋行帰りの紳士、南海先生

岡倉天心 東洋の理想 アジアは一つ 分断と統治

和魂洋才・和魂漢才・和魂萬才

 

北東アジアグランドデザイン 空間開発計画 

上海協力機構

朝鮮半島の問題 ソフトランディング、ハードランディング、現状維持、核を保有

 

ビジョンを描くための哲学的戦略思考

 

1. ドゥルーズ(20世紀、フランス)は、遊牧民(ノマド)的思考として一元的・固定的な考えに陥ることを批判し、多角的・重層的視点で思考することの重要性を説いている。クローズアップとロングショットの両方の視点で、世の中の現象を把握することが大切である。

 

2.弁証法で世相を展望

 国連やワシントンのシンクタンクで学んだことは、建設的な議論を通じ、ベストのシナリオを創造することであった。ヘーゲル(18-19世紀、ドイツ)の弁証法は、正論・反論・双方の長所をミックスさせた排他的でない議論の重要性を説いている。

 

3.プラグマティズム(実用主義)

 ジェームス(19-20世紀、アメリカ)は、物事の真理を実際の経験の結果により判断するがプラグマティズムの戦略的思考の重要性を説いている。マキャベリ(15-16世紀、イタリア)は、理想と現実を握手させるためには、柔軟性のある多種多様な行動が必要であると述べている。

 

4.予定調和説・性善説

 ライプニッツ(17-18世紀、ドイツ)は、予定調和説に則り、最終的には世界は最善の道を歩むと説いている。ビジョンを描くにあたり、「宇宙の目的」に従った、協調・共生への哲学が根底になければいけない。

 

5.自然との共生

 スピノサ(16-17世紀、オランダ)は、自然界の万物に神を見出すという東洋的な見方を示している。この汎神論の見方は、現代社会における宗教・文明の対立構造を調和させるパワーを秘めている。老子(紀元前5-4世紀、中国)は、「上善水の如し」と人工的なものは悪で、自然の大切さを伝えている。 </ SPAN>

 

6.本質を探究

 ベーコン(16-17世紀、イギリス)は、4つの先入観(主観、独断、伝聞、権威)を排除することで実用的知識を得ることができると説いている。

  

12月 01
京都に訪れる観光客は、京都市の人口の30倍の年間5千万人。この数字が現しているように日本人の精神支柱となる日本の文化や伝統を担う京都への評価が年々高まっている。また、グローバリゼーションが進展する程、世界の中の京都の役割が注目される傾向にある。
 
先進国、途上国を問わず多くの魅力的な土地で生活した。特に、世界で最も住みたい街に選ばれたウィーンでの5年間は、文化の香りに思う存分浸ることができた。そのウィーンと比較しても、京都はウィーンに勝るとも劣らぬ世界のトップの地位にあると思う。例えば、自然を比較するとウィーンの森とドナウ川、京都盆地を囲む山と鴨川。文化においては、建国千年の根底にあるハブスブルク家、1200年の京都の雅の文化。これらに加え、京都には、伝統産業のみならず、任天堂をはじめとする世界的企業がある。
 
尽きることなく京都の魅力を描くことができるが、同時に奇妙なこともある。紅葉のライトアップで有名な某寺院を訪れたとき、拝観料が千円という高額であることと、仏教や日本文化についてお寺のお坊さんから講話や説明を受ける機会がほとんどないことである。少なくとも欧米の教会では、キリスト教のみならず文化についても学ぶ機会があった。
 
京都のお寺は、観るものであって、聞いたり学んだりすることができる場でないのだろうか。日本では年間3万人の人が自殺し、精神科医の診察を受ける患者が増えている。このように健全でない社会においては、西洋医学としての精神科医の役割のみならず、日本人がずっと頼ってきたお寺の精神面におけるサポートが求められているのでないだろうか。
 
そんな疑問を持っている時に、京都の哲学の道の近くにある法然院第31代貫主の梶田真章さんの講話を拝聴する機会に恵まれた。まず、心地よいありのままの自然の空間に満たされた法然院の拝観料はなく、1時間強の梶田さんの講話が無料なのには驚いた。さらにその講話も一方的なお話でなく、最初に質問がありますかと問いかけられ、それを丁寧にお答えされる様子は、まるでワシントンのシンクタンクのようでもあった。
 
「仏教は、人生をいかに楽に楽しく生きるかを教えてくれる知恵なのです」、「自分の好きなことややりたいことを考え、追求し、あなたがあなたとして生きていくだけでよい」と説かれる梶田さんのお話は、実に分かりやすかった。アインシュタイン流に言えば、「真理は単純で美しい」と思った。
 
法然院には、文学者の谷崎潤一郎、哲学者の九鬼周造、経済学者の河上肇らの墓がある。偉人が親しんだ法然院は、まさに考える空間に満ちており、貫主と直接対話ができ、今を生きるヒントを得られる開かれた共同体なのである。
 
景観や伝統文化に魅せられて京都におびただしい数の観光客が、訪れる。そして、京都は観光に磨きをかけ利益を上げる。お寺においては、高額の拝観料を取るところが主流であるが、法然院のように拝観料もなく、講話も聴けるところもある。それはそれで、ありのままでよかろう。
 
世界の中の京都の役割を考察した時、5千万人という内外の観光客に中国の古典にある「観国之光」の本来の意味である「その国の文化を観察して良く知る」に従い、仏教の精神性や宗教性や日本文化の教養を伝え、世界に発信することが重要であろう。現代資本主義が示す市場経済のお金の概念でない、法然院のような信頼や尊敬をベースにした精神性の共同体は、貨幣を超越するのではないだろうか。