12月 01
NHK大河ドラマの影響もあり世の中は坂本竜馬ブームである。想えば40年近く前に、司馬遼太郎の「竜馬が行く」を読んだことは実に貴重なことであった。竜馬の自由な発想と行動に憧れ、常に人生のターニングポイントに直面した時に竜馬なら如何に生きるかを問いかけてきたものだ。
きっと竜馬なら世界を翔けながら、途上国の貧しい人々に会ったら、温かい手を差し伸べ、経済発展へシナリオを描いたであろうし、また紛争や戦争で苦しんでいる人があれば、平和へのビジョンを提示し、自ら命がけで汗をかいたであろうと考えたものだ。
竜馬ならきっと世界を相手にスケールの大きなビジネスで財をなしたかもしれないし、また世界平和のために国連で働き、日本という枠を超越し地球にために働くことに興味を持ったかもしれない。竜馬の明治維新の時代と比較し今は非常に恵まれた時代であり、情熱と自立と貢献の覚悟さえあれば、世界を舞台に活動することは可能なのである。
とにかく世界に出たいという想いが、戦時中のバグダッドをはじめ、水道も電気もないアフリカの奥地の生活を経て、国連で勤務したり、平和構想を練るワシントンのシンクタンク(政策研究所)での経験を積む起爆剤になった。夢想と現実を握手させるのは、情熱と意思であると実感している。
グローバリゼーションに活かす伝統・文化の重要性
この二十数年のグローバルな生活を経て、今は、故郷の京都で、京都から世界に少しでも地球益のためのメッセージを発信したく考えている。世界の現場で直覚したことは、世界は想像以上の速度でグローバリゼーションが進化しており、そして同時にその地域やその土地の伝統や文化の重要性が高まっているということである。例えば、ビジネスの世界、特に大量生産や機械化が可能な分野は、中国やインドのように豊富で安い労働力を持ち、市場が大きいところの生産が有利であり、恐らく日本は工業化においては、現在の地位を維持することはできないと考えられる。
しかしながら、機械化や大量生産ができない分野である、手作りであり匠の技と伝統が活かされたアナログ式のものや知恵は重宝されると考えられる。恐らく、グローバリゼーションが進む世の中において、日本の経済発展において必要なことは、世界で最高の素材と最も効率的な生産をミックスさせ、加えて日本独特の創造性に満ちた知恵を総合させることだと考えられる。
総合的・統括的に創造しプロデュースする能力
人類の歴史は、狩猟・採集の時代、農耕の時代、産業・工業化の時代に変遷し、特にここ2、30年は情報技術が主流となり、今後、これらすべてを総合的・統括的に創造しプロデュースする能力が必要とされる時代が到来していると考えられている。
21世紀の今日、最も必要とされる能力は、地球全体を眺望し、人類の歴史、哲学、宗教、科学技術などすべてを総合し、協調・調和させることにあると考えられる。このような能力を習得すべく、日本のみならず世界の大学や研究所の門をくぐったが、現実には、概してアカデミックな分野においては、経済学、政治学、理科系、文科系といったように細分化・専門化された分派した体系が主流であった。
このような学問に満足できず、生きとし生けるもののすべての源底に共通する学問と実践の探究をよりグローバルに行ってきた。そして、ますます創造やプロデュースが必要とされる世相においては、千様万態の学問を融合させた普遍的な新しい学問を習得できる環境が必要であると考えられる。
そのような学問の環境が日本になければ世界の大学から学べばいいし、それでも納得しなければ、自分でそれを創造すればいいと思われる。最終的には、学問は、他力本願的に供給されるものでなく、自学自習することに価値があると思われてならない。
論理的であろうと非論理的であろうと、知的直観、経験的直観などすべての五感を活用して、地球益のためにベストを尽くすことが大切であろう。竜馬の魅力は、そのような日本人的な柔軟な思考と行動力を備えている点にあると思われる。2010年は竜馬ブームで、現在の就職難とか不景気が吹っ飛ぶことを期待したい。
10月 31
5年前、ワシントンのシンクタンク(ブルッキングス研究所、ジョージワシントン大学)の研究員として、東アジアグランドデザインの構想を描いていた。当時、多くのシンクタンクの研究所が、米国発の証券市場の大暴落、大企業の倒産、基軸通貨であるドルの暴落についての予測を行っていた。そして、その予測、証券市場の大暴落や企業の倒産は、見事に的中した。それも百年に一度といわれる予測を超えるスケールであった。
しかしながら、その証券市場の激変も日本を除くアジアにおいては、1年以内に回復した。今年の春を底に、欧米においても回復基調が継続している。知る限りでは、ポスト証券市場の崩壊が、これ程の短期間で達成されるとの予測はなかったように思う。
この教訓から学習できることは、世界規模で株や通貨が大暴落しても、いつまでもそれが続くわけでもなく、ある程度、リバウンドするものであるということである。そこで今、ここで考察したいのは、基軸通貨であるドルの地位低下に伴う、アジア共通通貨の将来像並びに世界通貨の誕生についてである。
三極の通貨システム
ワシントンのシンクタンクのバークステン所長は、「今後20年から30年の間に、国際的にはユーロとドルの二極通貨体制が誕生するだろう。そして、40-50年後には、中国の人民元が第三の極として台頭し、三極の通貨システムができる」と約2年前に予測している。
この予測は、予測を遥かに超える速度で実現される兆しが見られる。第一、オバマ政権は、国際協調主義を掲げ、経済の相互依存関係を深めている。第二、日本や中国をはじめとするアジアの過剰貯蓄の国と、米国の過剰消費国の組み合わせにより、グローバルな不均衡のバランスがとれることから、ドルと将来のアジア共通通貨の協調の可能性が模索されている、第三、G8やG20に加え、ドル・ユーロ・アジア通貨の三極体制を考慮に入れたG4(米、EU,日本、中国)のサミットが動き出している、第四、米国の軍事力の相対的な低下、米国の金融センターの役割が薄れ、基軸通貨であるドル離れが加速し、他の通貨との協調が促されている。
現在、世界の基軸通貨はドルであるが、EUの拡大とユーロ以外のロシアや中東・アフリカ諸国のユーロ圏への関係を深めていることから、世界の取引通貨の割合は、ドルのシェア(45%)が低下傾向にありユーロのシェア(35%)が増える傾向にある。ポンドを加えると、世界の取引通貨の9割は、ドル、ユーロ、ポンドが独占している。
これらの通貨を持つ国々は、ポスト世界金融危機の回復が、日本を除くアジア諸国と比較すると遅れている。東アジアの経済パワーや東アジアの金融システムが過小評価されていることは明らかであり、ドル・ユーロに並ぶアジアの共通通貨の構築は、世界経済の進展に不可欠であると考えられる。
30年近く前のマレーシアのマハティール首相による、東アジア経済協議体構想、12年前に東アジアの経済危機や昨今の米国発の金融危機の教訓を経て、ついに鳩山首相の東アジア共同体の提唱と東アジアの結束が世界的に認知されたようである。
近未来の予測では、世界の経済力は、米・EU・東アジアの三極に三等分され、その後、東アジアが世界の50%の経済力を持つことになると考えられる。アヘン戦争前に中国一国が世界の30%の経済力を持っていたと考えると、当然の成り行きのように考えられる。恐らく、ドルの地位が低下したり、アジアに共通通貨が生まれても、本質的には、国際協調主義を名目とする米国の背後に存在するユダヤ資本や中国の背後にある華僑の資本が重要なプレーヤーになると考えられる。
世界の通貨が、ドル、ユーロ、アジア共通通貨の三極になった後に、クレジットカードが世界のどこでも通用するように新たな世界を一つにする世界通貨が、20-30年後に生まれているように予測する。
10月 28
近代の歴史をひも解いてみると、列強のアジア・アフリカへの植民地化、日本の大陸進出、戦争、敗戦、貧困からの脱出、冷戦構造におけるイデオロギーの戦い、経済至上主義、米国一国主義による中東への先制攻撃、米国を震源地とする金融システムの崩壊など激変の渦中にあったことが解る。
そして、世界は今、これらの教訓を生かし、大きく国際協調主義にベクトルが向かおうとしている。経済面では、特に証券市場は今年の春を底に大きく上昇基調に変化している。外交や安全保障においても、米国のオバマ大統領が核廃絶を訴えたことでノーベル平和賞の受賞につながり、世界は勢力均衡型の対立や軍事による覇権安定から、国際協調主義による平和構築に向かっている。
加えて、日本が地球環境問題の先駆的役割を表明し、地球規模の経済的発展の原動力としての東アジア共同体の構築に向けた動きなど、歴史上経験したことがない巨大な上昇気流が起こっている。
この歴史上最も恵まれた地政学的変化の中で、どのようにしてこれらの恩恵を享受しながら今を生き、そして将来の輝かしいビジョンをデザインするのか考察してみたい。
歴史を学ぶと、我々の先祖が命がけでその時代をより良くするために努力し、未来を切り開くために貢献してきたかが理解できる。明らかに歴史の結晶と成果の上に立つ現在は、理想世界を実現できる歴史上まれなる好機に直面しているのである。このような恵まれた環境に生かされているのであるなら、日々の些細なことで動揺することなく、日本・地球のために貢献するという大きな理想を掲げることの大切さを再認識すべきだと思われる。国を愛する国益のみならず地球全体を愛する地球益や人類愛という平和を追求することが宇宙の目的に適った神の子としての我々一人ひとりの役割だと考えられる。
地球益としての地球環境問題
宇宙空間にひと際青く美しく輝く地球のために微力ながらも何らかの貢献をする。このことこそ人類が理想としてきた本質である。しかしながら、現実的にそれぞれの国益や排他的な自国や自己中心的な行動により人類の理想に向けた地球益のための行動が奔流になることがなかった。経済発展のためには、資源や労働の搾取も必要と考えられ、それらの行き着く果ては、環境問題や貧富の格差や人権問題であった。
例えば、中国においては、余りにも急速な経済・工業発展により、生活できない程に空気や水の汚染が進んでいる。これらの環境汚染は日本などアジア諸国へも悪影響を与えている。生態や環境と経済的発展の両立なくして中国の発展はあり得ないとの観点から、中国はグリーン(環境)の先進国へと舵とりが変化しようとしている。
現実的に地球環境問題においては、世界は一蓮托生であり、国際協調主義や地球益のための具体的な行動が希求されているのである。そこに人類史上、最も恵まれた状況にある若者たちが将来のビジョンをデザインする可能性が秘められているのである。
それらを実現するためには、地球を舞台に行動する必要がある。具体的には、国連や国際NGO,多国籍企業へのキャリアへの道がある。日本の総合的な環境技術は、世界一である。世界が求めているのは、日本の環境技術を現地の経済・社会発展のための応用と適応である。
理想世界の読者が地球益のための主役となる今後50年の動きを展望すると、最も的確なビジョンを、三つに集約できる。第一は、世界は国際協調主義と地球益の大切さを認識、第二は、アジア・太平洋が世界の発展の原動力の源になる、第三は、日本の環境技術が世界をリードする。
これら3つを包括するビジョンをデザインし、国連機関、多国籍企業、国際NGOなどに勤務する道を模索することにより、きっと想像を超える素晴らしい仕事が現実のものとなると考えられる。時は今、壮大な理想を掲げ思う存分努力するチャンスである。
9月 10
政権交代は、自民党への批判のみならず、変化という世界の趨勢に則った当然の帰結である。日本という国家は、自然に恵まれた東洋の果ての島国であり、日本列島も島で構成されている。江戸時代の実例の如く、海外の依存度が低くとも繁栄できる国柄であり、地方分権に適している。しかし、戦後の日本は、外圧、特に米国の意向に従い、外圧を賢明に利用することで日本の平和と繁栄が形成されてきたと考えられる。
敗戦国日本が、資本主義陣営の機軸として輸出加工型の貿易立国として発展を成し遂げたのは、優秀な官僚が明確なグランドデザインを構想し、実践したからである。そのグランドデザインは、前述したように官僚が米国の外圧を賢明にプラスに作用させたものであったと考えられる。
冷戦後、時代が変化したにもかかわらず政治・官僚・財界で構成される鉄のトライアングルは、自民党・官僚主導・輸出加工を国是とし、変化に対応できぬ保身の術を貫いてきた。この失われた十数年の失策は、国家戦略の欠如に起因し、日本の官僚は優秀であるとの神話崩壊を導くものである。鳩山政権の船出にあたり、日本のグランドデザインを考察する必要がある。
日本社会のグランドデザイン
先進国の大多数の国は、二大政党制による政権交代が頻繁に起こっている。保守・革新・中道が、時の社会・経済状況により変遷している。この変化の分岐点は、福祉などが充実するが増税の大きな政府か、経済発展や成長に重心を置く減税の小さな政府のどちらかの国民の選択により生み出されてきた。
増税による大きな政府は、国家責任で国民を豊かにし、減税による小さな政府は、自己責任で繁栄を実現させる。日米の民主党は、前者であり、米国の共和党や自民党は、後者であり、日本も米国同様、二大政党制が理想であるとの見方もある。
しかし、世界の多くの国と日本の違いは、単一民族と少子高齢化であるので、日本においては、成人まで、そして老後は、国家責任で教育や福祉の充実を徹底させ、働き盛りの勤労者に対しては、競争社会・自己責任で経済発展を成し遂げる政策、換言すると、大きな政府と小さな政府のブレンドを国家戦略とすることが賢明である。老後は国が責任を持ってくれれば、競争社会の中で思う存分仕事に打ち込めるのである。失敗も成功も時の運である。自分の意思で人生が進めることのできない成人までは、国家責任で教育の充実を図り、壮年期は自己責任、そして老後は日本国民として国家が責任を全うする。これが、日本社会のグランのデザインである。
地球益のためのグランドデザイン
日本は資源を輸入し、製品に付加価値をつけて輸出で外貨を稼いできた。世界の富の配分を鳥瞰すると、日本は搾取する国であり、このベクトルを変化させなければいけない。日本の技術力を通じ、地球のために貢献することができるのは、地球環境の分野である。鳩山政権が目指す温室ガス90年度比25%削減は、外圧でなく日本の意志で、世界のトップクラスの日本の環境技術を世界に伝播し、日本と地球を豊かにクリーンにする地球益の適ったグランドデザインである。日本の国旗こそ、ソーラーエナジーや地球環境のシンボルの重要性を示している。
シンクタンクこそ国家戦略
官僚が作成した縦割り行政による国家予算の策定には、国民の国民による国民のための生活向上が欠如されてきた。政・官・財のトライアングルにおいて、国民の代表としての政治が強化され、優秀な官僚を公僕とし、グローバル社会の中で企業が日本の技術力を発揮できる社会を創造する。政官財のそれぞれのパワーを国家の総合戦略として発揮するためには、市民のみならず日本のすべてのパワーを結集させ日本のグランドデザインを作るシンクタンクの役割が期待される。
9月 02
2009年夏の終わりは、政権交代でスタートした。明治維新から140年、ついに日本の政治に地殻変動が起こり、市民のための市民による政権が生まれたのである。日本国内のみならず、世界が世界の中の日本の政権交代に注目している。米国、アジア、ヨーロッパとの国際関係と二大政党制の将来像を考察してみたい。
一年前の米国は、リーマンショックの渦中にあり、民主党のオバマ旋風が吹き荒れていた。当時のオバマ候補は、共和党が推進する市場原理主義、軍事増強、減税、小さな政府に反対し、民を中心とした中低所得者を優遇する大きな政府と海外への軍事関与を抑制する政策を訴えていた。このように米国の民主党と日本の民主党には共通する政策が多く、日本の政権交代がスムーズに行われた背景には、リベラルな米国の民主党政権の中立な立場が幸いしていると考えられる。
日米同盟において、より対等な関係を模索する日本民主党は、オバマ政権が掲げる外交・軍事・開発(Diplomacy,Defense,Development)の3Dを日米の包括的・戦略的互恵として新たなる日米関係を構築する必要がある。換言すると、イラク戦争の反省並びに過度の金融グローバリズムの推進をためらう米国にとって、日本が米国と協調しながら外交・軍事・開発の分野の対米依存から対等な関係へシフトすることに反対する理由はないと考えられる。
とりわけ、米国の共和党は、鳩山政権が懸念する極端なグローバリズム、市場経済主義を米国の国益に背くと警告している。日本が米国の野党である共和党の意向にも耳を傾ける必要もあるが、今こそ、日米の両民主党の協調による東アジア共同体やアジア共通通貨構築を実現させる好機であろう。
中国・韓国をはじめとするアジア諸国は、民主党の靖国神社を含む歴史観を支持しており、ロシアにおいては、鳩山一郎首相の日ソ共同宣言との接点があり、ヨーロッパにおいては、民主党の全方位外交や多国間の国連外交を評価している。特にフランスにおいては、自由・平等・博愛の精神から鳩山首相の「友愛」に親近感を感じている。要するに、鳩山政権の外交の機軸をなすと考えられる「勢力の調和」やソフトパワーは、世界の国際秩序構築のベクトルに適っている。
日本の特徴は振り子が極端から極端に振れることである。従って、政治においてもこの4年間は小泉政権が推進した小さな政府から民主党の大きな政府へと大きく振れた。米国の民主党と共和党の二大政党制が示すように、必ず大きな政府による増税と小さな政府による減税が交互に発生する。自民党は米国の共和党と類似した中高所得者を優遇する政策並びに、企業や株式市場への刺激策による経済成長戦略を明確に示すべきである。
80年代、米国が日本式経営に憧れたとき、「セオリーZ」による米国式経営と日本式経営の調和が研究・実践された。これを今の政治に生かすためには、日本は米国の共和党と民主党の優れた分野を研究し、それを日本の政治に導入する必要がある。スリムで流動的な官僚システム、教育・福祉の充実と弱者救済、経済刺激策による経済成長、地方分権などを実現するために、民主党政権は、自民党政権の負の遺産である政・官・財の癒着による膿やヘドロを徹底的に退治した後、4年後にはにヨーロッパ並みの高い消費税を導入し、低所得者層も消費税を通じた税金を払う代わりに手厚い福祉をも受けられる政策が実現されるときが到来しよう。
8月 20
政権交代、略して「セイコウ」、英語で表現すれば「サクセス」か。とにかくかつてないほど、政治への関心が高まっている。これは実に健全な出来事である。日本の新聞や雑誌のコラムでは、アメリカの新聞等に比べストレートに意見を述べることは少ないようだが、今の日本の政治への不満を鑑みるとどうしても意見を発したくなるものである。世界観を持って世界の中の日本の政治の動向を大観してみたい。
国家の総予算は正確にはいくらであるが知らないが、200兆円以上の莫大な予算の総組み換えを行うとの、何とも言えぬダイナミックな指針が民主党のマニフェストに示されている。実現されるには、多くのハードルに直面するだろが、政権が交代するということは、これぐらい何々省の縄張りを超えた前代未聞の公約の方が新鮮で興味深い。
日本の常識は世界の非常識であると感じたのは、ドイツの高速道路(アウトバーン)を走っている時であった。ここでは、無料でかつスピード制限もない、まさにフリーウェーであった。一方、日本では天下の公道を走ったり橋を渡るのになぜ、高額のお金がかかるのか。10年ほど前にこの至極当然の疑問を日本で投げかけた時、高速道路には料金がかかるとか、道路の拡張や整備にはお金がかかるとの先入観に偏った返答がきたことが思い出される。
世界の常識で考察すると、税金で建設された公共財は、市民生活を豊かにするためにあるのだ。にも拘らず、時間給が千円に満たないのに、高速道路を一時間走行すれば、それ以上の料金がかかるのは、全くおかしい。瀬戸内海に架かる橋を往復するのに半日分のパートタイムのお金がかかるのは何か狂っている。
これらの市民生活を無視した現実は、省の利益・官僚の天下りや族議員の思惑が交錯して日本特有の政治風土により生み出されたものである。平たく表現すれば、政・官・財の鉄のトライアングルにおける、民意を反映した政治が弱体化したからこのような良からぬ慣習が常習化されたのであると思われる。
来る衆議院選挙で期待されるのは、官僚や企業を中心においた市場経済至上主義から脱却し、民意を国政に反映し、「国民の幸せ、生存、繁栄」を実現するために真の政治を行う政治家を有権者一人ひとりの選択で選ぶことであろう。
日本は米国に追随する条件反射的機能を備えているのであろうか。もし、そうであるとすると、自民党と民主党の一騎打ちにおいては、民主党が優位にあるように考察する。何故なら昨年11月の米国の大統領選において、民主党のオバマ大統領が圧倒的勝利を収め、共和党が敗退したからである。日本の自民党が共和党に近いとは言えないが、どちらかといえば、日米の民主党は大きな政府ということで類似しており米国の共和党と自民党は、過去の事例からも波長が合うようである。
仮に米国の共和党政権が継続していたら、今回の選挙の空気も少しは保守的なものとなっていたであろう。世界を展望すれば、大多数の国において、政権交代が行われている。しかし、頻繁に行われる政権交代は、例えば資本主義から社会主義に変わり財産が没収されるというものではない。日本においても自民党と民主党のイデオロギー的温度差を実感することはない。
選挙では外交・安全保障は票にならないので、どうしても経済・教育・福祉に焦点が合わされる。それは現段階では仕方がないことかもしれないが、日本から外交・安全保障に精通し、先進国・途上国を問わず、世界のリーダーと正々堂々と交渉し、平和と繁栄を構築する代議士が生み出されることにより、変化の日本が世界に示され、ひいてはそれが国民の繁栄に直結するように思われてならない。
8月 06
決して一つのコラムがきっかけとなり世の中が動くとは思わないが、時と場合によっては、想像以上の乗数効果が生み出されることがある。先日、ニューヨークタイムズに投稿された三宅一生氏の、核兵器廃絶に関するコラムは、最も説得力のある人物により、絶妙のタイミングで率直な意見が発せられたという意味で世界を動かすインパクトがあった。広島での被爆体験と、母を亡くされた三宅一生氏が、オバマ大統領の広島訪問を訴えたのだから、インターネット時代における世界の世論は黙っていない。
オバマ大統領の核廃絶に向けた道義的責任を唱えたプラハ演説がきっかけとなりG8では、核軍縮と廃絶に向けた戦略が練られた。その伏線として、オバマ大統領の広島訪問が浮上している。
恐らく、将来実現されるであろうワシントンが探る劇的な広島での米国大統領の核廃絶演説は、核兵器廃絶のみならず新たなる調和的・協調的な安全保障への歴史的パラダイムのシフトが生み出される可能性がある。その本質的理由として、イデオロギーの対立の終焉、9・11に端を発したブッシュ大統領のテロとの戦争の疲弊、そして世界金融危機から回復基調にある今、安全保障の分野における世界のコンセンサスを得られる絶好のチャンスであるからである。
今、なぜ広島なのか?もっと率直な主張を日本から発信すべきでないだろうか。数年前、ワシントン滞在中に出席したワシントンのシンクタンク主催の核兵器に関するセミナーでは、冷戦中5万発の核兵器が保有されたが、どうして奇跡的に一発も使用されることがなかったか。という単純な命題が発せられた。その答えを導くために、煙に巻かれてしまうような複雑な要因を排除した場合、単純明快に一つ残るのは、広島・長崎の悲惨な経験が最大限の抑止的役割を果たしてきたという事実である。という主張が根底にあった。
日本では戦争放棄とか集団的自衛権とか憲法改正とか、戦後長らく明確な答えが導きだされない議論が延々と続いてきたと記憶するが、今、もっと現実的であり、本質的であり、道義的に世界平和に関するメッセージが日本から発せられても良いのではないだろうか。それは、安全保障の聖地でもある広島において、日本国民の意思で世界を平和のために動かす明確な意思・ビジョンを発信することであろう。
日本を動かすためには、外圧が有効であると言われてきた。三宅一生氏のニューヨークタイムズ紙へのコラムは、日本のメディアにも影響力を及ぼした。しかし、核兵器の問題は、世界の問題ゆえに日本国内で議論されるよりもっと純粋に日本発で世界を動かすという究極的な人類愛に根ざした問題である。
数年目、ワシントンポスト上で、北朝鮮問題に関し、日本の主張が掲載された。あえて具体的内容は伏せておくが、それは広告用の紙面に述べられた記事であった。それを目にしたとき、偽りなき純粋な主張は、正々堂々と紙面をお金で買うのでなく、オピニオンコラムとして掲載されることに意義があると感じた。
キッシンジャー、クリントン、カーター、ゴルバチョフなどがニューヨークタイムズの紙面でタイムリーなコラムを賑わせている。一貫して感じるのは、彼らがコラムを通じて伝達する主張には世の中を動かすとする純粋な意思が存在しているということである。真実なら複雑に語る必要はない。国際情勢の変化とその潮流を読めば、確実に広島発、世界を大きくシフトさせる安全保障・外交の新たなるビジョンが発せられように感じてならない。衆議院選挙の狭間においては、あえて世界の安全保障に目を向けてみたく思う。(世相9月号掲載)
8月 06
歴史上、世界から孤立した軍事国家の独裁者一人の意思で、核のボタンを押すことができる状況が存在したであろうか。金正一総書記の健康が急激に悪化し、精神状態も正常でない状況に直面した時、どのような予防防衛が行われるのか。ワシントンのシンクタンクでは、レッドライン、即ち北朝鮮がミサイルに核兵器を搭載したとき、予防防衛として米国による先制攻撃が行われる可能もがあるとの議論もなされている。
昨今の北朝鮮による挑発的な核実験とミサイル発射の行為を冷静に判断すると、抑止力不在から、核攻撃の最大の危機が差し迫っていると言っても過言でない。このような危機に直面したとき、日本のメディアは、真実から目を逸らし、戦略的思考を伝えず、他力本願の安全保障に依存するとの特徴があるように思われる。
北朝鮮を取り巻く国際情勢が、いくつかの負の力学により動かされている。例えば、韓国においては、太陽政策を推進した大統領が自殺した2日後に北朝鮮が核実験を行ったことで、北に対する怨念が深まっている。また、リーマンショックで、相対的に経済力を高めた中国に対する欧米のジェラシーとして、極東における局地紛争は、中国の力を削ぐためにはマイナス要因でない。数ヵ月後に実施される日本の衆議院選挙により、安全保障論議がタブー視されることから、日本における安全保障や外交が真空状態になる。米国の基幹産業の中枢であるGMの破産等、オバマ大統領は、米国内の経済を優先することから、北朝鮮への安全保障の対応が懸念される。米軍の核の傘の下で、攻撃的戦略に守られるという日米の矛と盾の役割分担が機能するのか不安材料が増す。
朝鮮半島の38度線における、勢力均衡において北朝鮮の挑発行為に対し、日・韓・米が具体的な行動と結果を示さなければ、中国とロシアの勢力が増す。逆に、北朝鮮の核を抑止する意味から、日本が米国依存型の他力本願の安全保障から、核保有を含む自力本願の安全保障に変化することを中ロが懸念する。恐らく、中ロが北朝鮮の暴走を抑止する行動に出る。
北朝鮮を抑止する戦略として、経済・文化協力を推進するソフトランディング、軍事力によるハードランディング、そしてその両方をミックスさせたスマートパワーによる戦略、そして現状維持を貫くステータスクオの4つが考えられる。ソフトランディングは、韓国が推進した太陽政策の失敗からナイーブだと考えられる。また、ハードランディングでは、危険すぎる。そこで、スマートパワーを具現化するために、国連常任理事国プラス、国連の事務総長を抱える韓国そして日本が中心となり、北朝鮮の核とミサイルを抑止する先制攻撃を含む予防防衛の脅しを示しながら、北東アジア全域を巻き込んだ大規模な社会資本整備を推進するグランドデザインが希求される。
北朝鮮の暴走を抑止する戦略として米国による軍事的抑止力を強化すると同時に、日本と韓国が中心となり北朝鮮周辺を中心とする北東アジアに、日中韓の資金力と、日米韓の技術力、中国の労働力、ロシアの天然資源を相互補完的に共生させWin-Winの協調的安全保障を実現させる。北朝鮮の瀬戸際外交に対抗し、各国の足並みが揃わぬ経済制裁を行っても進展は期待できない。そこで、予測できる紛争後の復興支援と同規模の社会資本整備を予防外交の一環として北朝鮮と協議を重ね遂行することで自力本願による安全保障が可能となると考察する。(世相7月号掲載)
6月 29
釈迦が「諸行無常」と伝えたように、世の中は、刻々と変化している。しかし、春夏秋冬があるように四季の移り変わりがあっても再び同じ四季が巡ってくる。
ジェット機で世界を旅することで、北半球の夏から南半球の冬へと時空を超えて移動することができ、国境を越え、異文化の交流を体感することできる。このように科学技術の進歩は、生活を豊にしてくれるが、一方、直観力など人類の本質的な素養を弱体化させることもある。
便利な世の中であるからこそ、人類史上脈々と流れ伝わる「万物の根源」、即ち「哲学」を大観することが重要である。換言すると、現在進行形の国内外の諸問題や、世相を読み解き、世界の中の日本、過去・現在・未来の狭間の中の我々の座標軸を確かなものにするために、古代・中世・近代・現代の「哲学のエッセン ス」に通観する必要を感じる。
大学卒業後、先進国・途上国を問わず世界のフィールドで平和構築のための活動に関わってきた。世界中の人々と接し、かけがえのない経験的直観力を育成することができた。世界のフィールドで帰納法的に養った経験を、先人の哲学的考察を演繹法的に融合させることにより、より明確なビジョンが創造されるように考 えられる。
ビジョンを描くための7つの哲学的戦略思考
1.多角的・重層的視点で世界の中の日本を展望
ドゥルーズ(20世紀、フランス)は、遊牧民(ノマド)的思考として一元的・固定的な考えに陥ることを批判し、多角的・重層的視点で思考することの重要性を説いている。クローズアップとロングショットの両方の視点で、世の中の現象を把握することが大切である。
2.弁証法で世相を展望
国連やワシントンのシンクタンクで学んだことは、建設的な議論を通じ、ベストのシナリオを創造することであった。ヘーゲル(18−19世紀、ドイツ)の弁証法は、正論・反論・双方の長所をミックスさせた排他的でない議論の重要性を説いている。
3.プラグマティズム(実用主義)
ジェームス(19−20世紀、アメリカ)は、物事の真理を実際の経験の結果により判断するがプラグマティズムの戦略的思考の重要性を説いている。マキャベリ(15−16世紀、イタリア)は、理想と現実を握手させるためには、柔軟性のある多種多様な行動が必要であると述べている。
4.予定調和説・性善説
ライプニッツ(17−18世紀、ドイツ)は、予定調和説に則り、最終的には世界は最善の道を歩むと説いている。ビジョンを描くにあたり、「宇宙の目的」に従った、協調・共生への哲学が根底になければいけない。
5.自然との共生
スピノサ(16−17世紀、オランダ)は、自然界の万物に神を見出すという東洋的な見方を示している。この汎神論の見方は、現代社会における宗教・文明の対立構造を調和させるパワーを秘めている。老子(紀元前5−4世紀、中国)は、「上善水の如し」と人工的なものは悪で、自然の大切さを伝えている。
6.本質を探究
ベーコン(16−17世紀、イギリス)は、4つの先入観(主観、独断、伝聞、権威)を排除することで実用的知識を得ることができると説いている。また、ニューヨークタイムズの外交コラムニストのフリードマンは、発表された理由、現実的理由、道義的理由、本質的理由の4つからメディアの分析を行う必要があ ると述べている。
7.異文化交流の推進
モンテーニュ(16世紀、フランス)は、異文化に寛容に付き合うことと、自己の文化を相対化することの重要性を説いている。また、レヴィ=ストロース(20世紀、ベルギー)は、諸文化を単純に比較し、優劣をつける発想を否定する構造主義人類学を提唱している。
理想世界の創造
京都に生まれ20年以上かけ世界で生活し京都に戻ってきた。地球を歩きながら人類が共有する地球益や共生の重要性を体感してきた。今、日本を座標軸に世界を展望し、哲学を通じた人類の知恵を大観することにより、近未来を単に予測するのでなく、自ら「理想世界」を創造する推進力が生み出されるのも不可能で ないと感じている。哲学を生きたものにするためには、世界を旅しながら異文化と接し、人類の共通の利益の合致点を見出し、それを実践することが不可欠であると考察する。
6月 05
オバマ政権がスタートして100日が経過してもなお60%強の高い支持率を維持している。外交・安全保障の分野では、プラハでの核兵器廃絶の演説、バグダッド訪問に伴うイラク政策など具体的なオバマ色が鮮明に示され、また、経済の分野では、環境とイノベーションの融合が、産業構造の変化、雇用創出、経済成長をもたらすとの期待が高ま っている。
このように政治の安定に伴う金融危機からの脱却過程において、グローバル社会の中で相対的に日本の位置付けがどのように変化しているのか考察する必要がある。
金融危機の勃発から7ヶ月が経過し、中国経済がいち早く回復基調を示している。換言すると、米国発の金融危機で相対的に経済力を高めたのは、中国である。21世紀はアジア・太平洋の時代と云われる如く、経済パワーは、太平洋を渡りアジアへとシフトしている。今、日本の舵取りに不可欠な要素は、アジアの発展に適う日本の経済・外交政策の座標軸を明確にすることだと考えられる。
とりわけプラザ合意後の四半世紀に及ぶ日本の金融政策の述懐を一言で表現すると日本は余りにも米国の金融政策に翻弄されて来たと言えないだろうか。為替の協調介入、円高不況、低金利政策、ゼロ金利政策など一連の結果を大局的に展望すると、とどのつまりは、日本の世界一の個人金融資産をニューヨークの証 券市場に流れ込ませるという米国の金融資本主義の野心に他ならないと考えられる。
グローバル経済における日本の役割は重要であったかも知れないが、最も重要なことは、金融の規制緩和やビッグバンによって、一般の日本国民がどれ程の恩恵を受けることができたかである。明らかに米国主導の金融資本主義の恩恵に与かったのは一部の投資家や銀行である。
冷静に考えると1400兆円の個人金融資産を有する日本が、金利の恩恵を最大限に活用し、日本国民が利子の果実を享受することが出来なかったのは実におかしな話である。個人金融資産は日本人の勤勉がもたらした結果であり、仮に5%の金利がつけば毎年70兆円の利子をもたらすのである。日本の国家予算に匹敵するだけのお金である。
本来の銀行の役割は、地域経済の資金の循環に寄与することにある。お金のある人は、銀行に預金し妥当な利子を受け、お金が必要な人は、銀行からお金を借り入れ利子を支払うという単純な構造こそ銀行の使命である。しかし、ゼロ金利政策により株式の投資が蔓延し、しかも少しのお金で梃の原理の如く金融の博 打がバーチャルなコンピューターを通じ行われたところに問題がある。
サブプライムローンの発端は、米国の貪欲な金融資本主義にあるが、結果的にそれを助長したのが日本のゼロ金利政策でもある。勿論、無防備な日本の金融政策は、米国の金融戦略のターゲットとなったと考えられるが、その米国がオバマ大統領の登場により、明らかに米国は、金融資本主義の反省に伴う、 中間層や弱者への教育や勤労の機会の増大を通じた米国の経済成長戦略にシフトしている。
オバマ政権が安定した支持率を維持している今、日本が米国に示す経済戦略は、日本の貯蓄が海外に流失することを規制し、教育や環境問題を含む国内の社会資本整備に重点がおかれ、銀行や投資家が海外の株式市場における博打的な投機を抑制することにある。単純に日本がうまくいっていた高度経済成長期の日本の 金融システムに戻し、一般の日本国民が恩恵を受けることができる経済戦略を明確に示すことが希求されている。